その後も、『取り締まり』は続く。 クレアは、ケインを危険に追い込んだことで、落ち込んでしまい、魔力を貯めておくこともあるが戦いには参加せず、ダミアスと傍観していた。 ケインもマリスも、クレアには悪いが、この方が速く片付くと思っていた。 なにしろ、緑のカエル魔道士ドゥグや、木の魔道士バヤジッドなどがまともに思えてくるほど、その後出逢った魔道士たちは、魔物化しているものが多かったのだ。 始めのうちは、話し合おうとしていたダミアスも、次々お目にかかるのが、話しかけるのもバカらしくなるほどの、知性のかけらも感じさせない化け物ばかりなので、六軒目にマリスがいきなり斬りつけてからは、もう何も言わなくなっていた。
「そろそろお昼にしましょう」 十数軒制圧した後で、マリスが言い出した。 不気味なものばかり見た後で、よく食欲が湧くなぁと思ったケインも、言われてみれば、腹が減っていることに気が付く。 彼らは、ダミアスに案内され、紅通りのメイン大通りへと向かった。 「よお! 」 食堂に入ると、カイルがひとりで大人数用の丸テーブルについていた。 「食事は、いつもここで摂ってるって、ヴァルに聞いたからさ」 カイルは、昨夜のことなどなかったかのように、にこにこしていた。 食事が来ると、実はよほど腹が減っていたのか、ケインは、がっついていた。 マリスも同じであったのか、二人は無言で食事をかっ込んでいた。 「おお、いい食べっぷりだなぁ! よっぽど働いたんだな、お前ら! ……クレアは? 腹減ってないのか?」 カイルは何気なく言ったに過ぎなかったのだが、クレアのスプーンを持つ手がピタッと止まり、その瞳は、みるみる瞳が潤んでいく。 「ん? どうした? ……あ、わかった! さては、魔法うまくいかなかったんだろう? ケガする前にやめといた方がいいんじゃないの? クレアは、かわいいんだからさ、何も戦いの中に自分から飛び込んでいかなくたって、好きな男と結婚して、幸せな家庭を築いていけばいいじゃないか。 いくら、ケインが援護するって言ったって、限度ってモンがあるんだからさ、危ないことはあんまりしない方がいいんじゃないの? 」 クレアの食事の手が、完全に止まる。 黒い、大きな瞳からは、大粒の涙が零れ始めると、両手で顔を覆い、いきなり席を立って走って出て行った。 「なっ、なんだ? どうしたんだ? 」 カイルが動揺して、ケインたちを見回す。 「カイル、お前って、時々カンが鋭いよな」食べながらケインが言う。 「ケイン、追いかけて」マリスが、やはり食べながら、彼を見もせずに言った。 「えっ? 」 「早く」 まだ食べている最中であったケインは、仕方なく、名残惜しそうに、残りの食事を見つめてから、店のドアに向かって駆け出した。 「クレア! 」 彼女には、すぐに追いついた。 「放して、ケイン! 」 クレアは、彼の掴んだ手を振り払おうとする。 「まあっ、痴話喧嘩だわ! 」 出入り口付近の客たちが、二人の様子に、くすくす笑っていた。 「と、とにかく、落ち着けよ。ちゃんと話し合おう! 」 動揺したケインのセリフは、ますます噂好きなオバちゃん客たちを喜ばせていた。 「みんな私が悪いの! 」 クレアは再び出口に向かうが、入ってきた男にぶつかり、跳ね返った。 「……ヴァルドリューズさん……! 」 「大丈夫か」 彼は、ちっとも心のこもっているようには聞こえない、抑揚のない声で言うと、少し屈んで、座り込んでいるクレアに手を差し伸べた。 途端に、クレアは、その場で泣き出してしまった。
食堂の裏の空き地では、クレアとケインは草の上に座り、目の前にはヴァルドリューズが立っていた。 慰めているのはケインばかりで、彼は、じっと、普段のように、静観しているのみ。 クレアは両手で顔を覆ったまま、しくしくと泣くばかりで、ついにはケインも困り果てて、黙ってしまった時、ヴァルドリューズが、やっと口を開いた。 「お前たち二人とも、午後は私と一緒に来るか? 」 クレアにもケインにも、意外な言葉に思えた。 彼女は、泣くのをやめ、顔を上げた。 「失敗するのは当然だ。同じ過ちを二度としなければいいのだ。そして、少しの失敗で、すべてを恐れてはいけない」 彼女は、ヴァルドリューズだけを見つめていた。 相変わらず抑揚のない、感情がこもっているようには聞こえないセリフであったが、彼女にとって師匠である彼の言葉とは、神の神託に近いものがあったのか―― 「……そうですね。私なんか、まだ駆け出しの魔道士見習いなんですもの。いきなり失敗もせずに上達するわけなんて、ないんだわ。 ……ケインも、ごめんなさいね。私がいつまでも気にしてたら、ケインだって気を遣っちゃうわよね。午後は、絶対頑張るわ! いいえ、これからも、ずっと頑張る! 一人前になるまでは、みんなに迷惑かけちゃうかも知れないけど、なるべく早く上達するように、頑張るから! 」 涙を拭きながら、彼女は少しだけ笑顔を見せた。 ケインは、やれやれと肩の荷が下りたような気持ちであったが、自分にまで声をかけたヴァルドリューズの本当の意図はわからず、きっと、クレアの援護だろう、と思っていた。
午後は、マリスのいるダミアスサイドに、カイルが加わり(彼は、ケインたちの様子を聞いて、大丈夫そうだと判断したのだった! )、ケイン、クレアのヴァルドリューズサイドとそれぞれに、東地区の取り締まりを続けた。 ヴァルドリューズの肩には、いつの間にかミュミュが止まっていて、彼の頬にもたれかかるようにして、頭をくっつけていた。 「ミュミュ、遊びに行くんじゃないんだから、どこか安全なところにいた方がいいんじゃないの? また捕まったりしたら……」 「ここが一番安全だもーん」 クレアの忠告も最後まで聞かず、ミュミュは上機嫌で、ヴァルドリューズの頬に、甘えるように頬を摺り寄せた。 「そこにいると、ヴァルドリューズさんのお仕事の邪魔になるのよ」 「だって、ミュミュ、か弱いもん。戦えないもん。それなのに、ヴァルのお兄ちゃんと離れちゃったら、それこそバケモノに捕まって食べられちゃうよー。 だから、ずっとここにいるの。大丈夫! ミュミュ、いい子だもん。お兄ちゃんのお仕事邪魔しないで、ずっとここでおとなしくしてるから」 忠告も空しく、クレアは溜め息をついた。 ミュミュは、きゃっきゃいいながら、楽しそうにヴァルドリューズの首にしがみつき、彼の方は気にも留めていないようで、すたすたと進む。
赤煉瓦の平屋に着いた。 ダミアスのように、当然、結界を作って中に入るものとばかり思っていたケインとクレアは、ヴァルドリューズの側に寄るが――!
どがっ!
彼は、いきなり手を翳すと、魔法で煉瓦の壁をブチ破ったのだった!
「……! 」 「……! 」 ケインもクレアも、驚いて後退ったが、ヴァルドリューズは何のためらいもなく、さっさと中へ入っていく。
「誰じゃあ、貴様らは!? 」 そこにいるものを見て、クレアとミュミュが悲鳴を上げた! ごつごつと、茶色い大きな岩が合わさって出来た巨人が、頭をこちらに向けて座っていたのだ! ところどころ緑色の苔にまみれ、伸び放題の雑草や、枯れた草なども生えている。 背には、大きな傘の形をした、紫色に黒い斑点のキノコのようなものまである。 先程のムシ男に比べれば、気持ちの悪さではましであったが、やっていることは、非人道的であった! クレアやミュミュは、それに対して叫んだのだ。 岩巨人の座っている前では、大きな壺の中に、身体の半分を漬け込まれた、明らかにヒトの形をしたものだった! そのヒトは、口まで、ぐるぐると縛られていたため、呻き声くらいしか上げられず、彼らに助けを求めるように、恐怖に見開かれた目だけを、じっと向けていた。 「クレア、奴の足に攻撃魔法を。倒すことは考えなくていい。ケインは、奴の気が反れている隙に、ヒトを救い出せ」 ヴァルドリューズが、彼らを振り返らずに、小声で指示した。 「いきなりってことは、……やっぱり、話し合いはないわけね? 」 「そういうこったな」 クレアとケインは肩をすくめると、クレアが呪文を唱え始め、ケインも身構える。 「勝手に人の結界に入ってきおって……! お前らもついでに食ってやる! 」 「ヒトを食うようなヤツに、まともな話は、やはり必要ないか」 肩をすくめたケインに、準備の出来たクレアは微かに頷いてから、視線を岩の怪物に向け、両手を翳した! 「あぎゃああああああああ! 」 ヒトの頭ほどもある火の球が、怪物の足に直撃した! それと同時に、ケインも走り出し、壺から、ぐるぐる巻きのヒトを、引き抜こうとするが、抜けない! 仕方がないので、壺ごと引き摺るが、予想外に重さがあった。 それでも、ケインは、ずるずる引き摺っていく。 岩の巨人は、火球が当たったところから煙を出しながら、起き上がった! 「小僧、ヒトの食い物を盗もうとは、いい度胸だ! 貴様も一緒に食ってやる! 」 ケインは壺を背に庇うと、剣を抜くと同時に、迫り来る大きな岩の手を斬りつけようと、体勢を立て直した! そこへ、瞬時に空間を移動してきたヴァルドリューズとクレアが、ケインの目の前に飛び込む!
ごおぉん
両手を正面に翳しているクレアの防御結界に、叩き込んだ岩人間の腕が、鉄の壁でも殴ったかのように、跳ね返った音であった。 「クレア……! 」 クレアは、ちらっとケインを振り返って微笑み、また別の呪文を唱えていた。 岩人間は、どこが顔かわからず、その表情は読み取れないが、いまいましそうに、クレアの結界に、炎や水の攻撃を浴びせる。 一般的な魔法を使っているところを見ると、やはり、もとは人間の魔道士だったのだろう。 クレアの、長めの呪文が終わると、ケインたちの周りに出来ていた結界が、あっさりと消えた! 「ふふん、結界が解けたな! 」 岩巨人は、手と思われるところから、バチバチと雷のような技を放電させ、その稲光は、徐々に規模を増していく。 それが、ヒト一人分にまで膨れ上がると、岩の手は、彼らに向けられた。
その時、クレアが呪文を発動させた!
両手を押し出すようにして、見えない球を巨人にぶつけたのだった! 「おわあぎゃあああああ! 」 岩巨人は絶叫と共に、白い煙に包まれ、完全にケインたちからは見えなくなってしまった! ただ、大きな石や岩が、高いところから落ちてくるような、ごんごんという音と、振動が伝わるだけであった! 絶叫も収まり、振動も終わり、白い煙も引いてきた頃、視界が開けた。 岩の破片があちこちに散らばっている。 あれほどの巨人を造っていた、すべての岩の塊とは思えないほど、少量であった。 中央には、小人くらいしかない小柄な人間が、裸でうつぶせに倒れている。 途端に、ケインが引き摺ってきた壺の中のヒトを縛っていた草のツルが解け、壺も自然に割れた。ヒトは、どさっと倒れ出る。 「大丈夫ですか!? 」 ケイン、クレアは、普通の町民のようなその男を抱え起こし、顔を覗き込む。 彼は、まだ恐怖から立ち直っていないようで、がたがた震え、彼らを見ても、ぱくぱく口を開くが、声にはなっていなかった。 「待って下さい。今、回復魔法をかけますから」 既に、彼女は男に両手を翳している。 「クレア、さっきの呪文は……? 」 「ムシのおじさんにかけようとした、元の身体に戻す呪文を、あの岩の魔道士にかけたの。今度は気持ち悪くなかったから、落ち着いて、唱えることができたわ」 彼女は、回復魔法をかけながら、ケインに説明した。 「技を放つタイミングは、ヴァルドリューズさんが『心話』で教えてくれたの」 アストーレでは、ケイン、カイルにも覚えのある、自分たちにだけ響いていた声と同じく、ヴァルドリューズは、クレアに聞こえるように伝えたのだった。 「今度は成功したな! やったじゃないか、クレア! 」 「ええ! ありがとう! 」 ケインは、嬉しそうにクレアの背を叩いた。クレアも、笑顔で応える。 一方、ヴァルドリューズはというと、素っ裸になって倒れている小人を見下ろし、「遠くまで無駄に伸ばしている結界を解き、ヒトは食うな」と今更のように、淡々と 言い聞かせていた。 小人になってしまった、もと岩人間は、俯せのまま、頷くことすら出来なかった。 エサにされていた町民の男も、元気になり、町へ帰っていった。 ケインたちの取り締まりは続く。
クレアは、時々、またしても思った魔法と違うものを放ってしまったり、先のように、ケインに当てはしなかったが、目標から外してしまったりしながらも、なんとか頑張っているのだが――
どごおおおぉぉぉんんんん! 「ああ〜ん! ごめんなさあい! 」 また、家一軒崩壊させていた――。
その家の魔道士も、気味の悪いクロオオダコのようなものだったため、一目見た途端、悲鳴を上げ、大技を放ってしまったのだった。 明らかに、威力を増していたが、とっさにヴァルドリューズが周囲に結界を張ったので守られた。そうでなければ、家の五軒ほど崩れていただろう。 ケインは、クレアの魔力が、以前よりも増えたように思えた。
どしゃーん! がらがら……!
彼らのいるところとは離れた方向からも、破壊音が聞こえてくる。 (あれは、多分、マリスたちだろう。あっちは、クレアみたいな魔法攻撃は出来ないだろうから、きっと、マリスがぶっ壊してるんだろう。おそろしい女どもだ! ) ケインは、密かに思った。
「あら……! 」 何十軒目か向かって歩いていると、マリス、カイル、ダミアスのチームと出くわす。 夕方で、辺りは薄暗くなってきていた。 「マリスたちもここへ……? ――てことは、あの家が最後だな? 」 ケインの言葉を聞いて、マリスが、にやーっと笑った。 「早いもん勝ちよ! 」彼女は、ターッと走っていく。 「待てよ、マリス! 」ケインも後から追いかける。 「たーっ! 」 ばこおっ! マリスの飛び蹴りを受けて、煉瓦の壁は崩れ去った。 「お前……、『破壊』がひどくなってない? 」 横目でマリスを見る。 「そう? そんなことよりも、さ、行くわよ」 彼女は、しれっとして、壁に出来た穴に、親指をくいっと向けた。
「何だ!? 貴様らは!? 」 そのあいさつは、もう何十回と聞いた。 だが、家の中にいたのは、意外にも、フードを被った、典型的な魔道士の老人だった。 しかも、知的さを感じさせ、学者のような雰囲気だ。 マリスもケインも、思わず呆然として立ち止まっていた。 「人の家に無断で、しかも壁を破って入ってくるとは、なんたる無礼な! 」 「すいません、すいません! 」 ケインが、ぺこぺこと頭を下げている隣で、マリスは部屋の中をきょろきょろ見回していた。 「ねえ、ケイン、ここは結界張ってないみたいよ。なんだか、普通だわ」 マリスの言う通りであった。そうでなければ、壁を破ったにしても、外部からそう簡単に侵入出来るはずはなかった。 「結界が、どうかしたのかね? 」 長い白髪の、青いフード付きマントに包まった老人の怪訝そうな顔が、二人に向けられている。 「あのう……、最近、紅通りにお住まいの魔道士の方々の結界が、広範囲に渡って張ってあるそうなので、それをやめて頂こうと、お願いに上がったのですが、……張っていらっしゃらないというのなら、僕らは、これで帰りますので。……お邪魔しました」 ケインは取り繕うと、マリスを促し、もと来た壁から去ろうとしたのだが――!? (壁が……崩れてない!? ) ケインは、目を疑った。 どこをどう見ても、赤い煉瓦の壁は、罅(ひび)さえ見当たらないのだった! 「しまった! ケイン、罠だわ! 」 マリスの声と同時に、二人の足元が、ぐらっと揺れた!
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