「……どう? 」 湖の底を静かに見据えていたヴァルドリューズに、隣に立つマリスは、慎重な様子で尋ねる。 「これまでのいきさつから、この湖の底に異次元への出入り口が出来ていたようだが、今はもう、何も感じない。おそらく、マスター・ソードの力で、消し去られてしまったのだろう」 「それなら、良かったわ。それにしても、あれは、ミドル・モンスターだったわ。魔界の入り口まで開いていたなんて……何者かが呼び出し……!? 」 突然、マリスの言葉が途切れた。 「……ヴァル、……それ、なに? 」 かなり間の抜けたマリスの声で、ケインたちもヴァルドリューズを振り返ると―― 彼の周りを、何かが、ちらちらと飛び回っていたのだった! ちょこんとヴァルドリューズの肩に腰掛けると、こちらを、じっと見る。 ピンク色の肩につかないくらいの巻き毛に、薄いピンク色の衣をまとい、身長より少し大きい、ムシや、蝶に近い形の、透けた羽を生やした、それは、まさしく、手のひらに乗るくらいのサイズの、妖精の女の子であった! 「ミュミュ……! 」 ケインが、大きく目を見開いた。 妖精は、みるみる膨れっ面になって、ケインを睨んだ。 「ひどいよー、ケイン! ミュミュのこと、かんっっっぜんに、忘れてたでしょー!! 」 一同は、驚いて、ケインと小さな妖精ミュミュとを見比べた。 「ごっ、ごめん! だけど、今までだって、急にいなくなったり、しばらく出てこなかったこともあったじゃないか。またかと思ってさ。それに、いろいろあって、それどころじゃなくて……」 「それどころじゃないって、どーゆー意味さー!? しつれいな! ミュミュはねっ、知らない時空で迷っちゃって、一人でとっても淋しくて、泣いてたんだよ! そしたら、ヴァルのおにいちゃんに助けてもらったんだからー! 」 「ヴァ、ヴァルのおにいちゃん……? 」 ケインも皆も、今度は、ヴァルドリューズの方を見る。 彼は、いつもの、無表情で、淡々とした口調で語る。 「瞑想から戻ろうとした時、異次元の空間で彷徨(さまよ)っていたのを、たまたま見付けたのだ」 「……お前なぁ、妖精が、時空で迷うなんてこと、あるのか? 」 ケインが、ほっとしたような、呆れたような顔になった。 「ケインが助けてくれないからだよー! バカー! 」 ミュミュは、ケインの頭を、か弱い拳でぽかぽかと殴った。 「ごめん、ごめん! ホント、すっかり忘れてて……」 「なにぃー!? もーっ! ミュミュ、ケインなんか、知らないもん! ホントに、おこったんだからね! これからは、ヴァルのおにいちゃんに『付く』もん! 」 そう言うと、ミュミュは、ヴァルドリューズの肩に、ちょこんと止まり、ケインからは、ぷいっと顔を背けてしまった。 「まいったなぁ、今度こそ、本気で怒らせちゃったかな? 」 ケインは、苦笑いしながら、頭をかいた。 妖精は、頬を膨らませたまま、ヴァルドリューズの頬に、くっついた。 「あ、あのー、お取り込み中、悪いんだけど……」 マリスが、まだびっくり目のまま、切り出した。 「ケインと、そこの妖精って、……知り合いだったの? 」 「知り合いなんてもんじゃないよー。ミュミュ、ケインがマスター・ソードを持つようになってからだから、二年くらい、一緒にいるんだもん。 ミュミュたち妖精――ニンフの子供たちは、『でんせつのせんし』になる人間に、付くことになってるんだもん! ミュミュ、ケインのこと、『でんせつのせんし』だと思って、くっついてたのに、全然、『でんせつらしいこと』はしないし、ミュミュのことは、ほうっとくし……! もう、『でんせつは、ヴァルのおにいちゃんにする』から、いいんだもん!! 」 「ありゃりゃ、『伝説の戦士』ってのは、妖精の気分次第で決まるのかよ? 」 カイルが、素っ頓狂(すっとんきょう)な声を出した。ケインも、肩をすくめてみせた。 「あれっ? あんたの剣……」 突然、ミュミュが、カイルの剣に、目を留め、ふーっと側に飛んで行った。 「『ここ』には、精霊がいるよ! 何の精霊かは、わかんないけど……」 ミュミュは、カイルと、ケインとに振り向いて、言った。 「精霊だって? 」 カイルが、首を傾げた。 「ああ、でも、言われてみれば、そうかも知れねぇ。この剣は、俺を護ってくれてるような気がしてたんだ。 よくないことや、危険を察知して、なんとなく教えてくれる――そんな場面が、いくつかあったんだ。 それは、この剣に宿る魔力が、そうしてるのかと思ったが……精霊が棲んでたってワケだったのか」 「そーだよ。この剣の『せいれいさん』は、剣の持ち主を、まもってくれるんだよ。 だから、この剣の魔法は、持ち主しか使えないの。他のヒトが、やろうと思っても、ダメなんだよ」 「確かに……、俺以外のヤツには、『浄化』の魔法は使えなかった」 カイルが、感心して、ミュミュを見た。 「お嬢ちゃん、教えてくれて、ありがとよ」 ミュミュは、満足そうに笑った。 「ついでに教えてあげようか? 妖精は、『いろんなもの』が見えるんだよ。『ヒトの守護神』とかも」 すっかり得意気になったミュミュは、マリスの目の前に飛んでいく。 「あんたの名前はねぇ、マリス・アル・ティアナ……えーと、あれ? なんだったっけ?」 みるみるマリスの顔色が変わっていく。 「な、なんで、あたしのことを……」 妖精は、ますます調子に乗って、続けた。 「守護神は、『雷獣神サンダガー』……でしょ? 」 一同、驚きのあまり、絶句していた。 「ケインは、ジャスティ……いたっ! 舌かんじゃった! ええと、何だっけ? もう、いいや。で、ちなみに、この金色の髪のお兄ちゃんは……」 「ミュミュ」 ミュミュがカイルに何か言う前に、普段、寡黙な魔道士が、珍しくその場を遮(さえぎ)った。 「人には、余計なことは、わざわざ知らせない方がいい。知ったことによって、不幸になることもあるのだ。私や、マリスのように……」 甘えた返事をすると、妖精は、ヴァルドリューズの頬に、再びすり寄った。 彼の言葉には、妙に重みを感じ、一同は、マリスとヴァルドリューズをみつめる。 もっとも、ミュミュの言うことは、正確ではなかったので、皆にもわけがわからず、知らされたうちにも入らなかったのだが。 (もしかして、ヴァルもマリスも、特殊な能力を身に着けたため、或は、目覚めたために国を追われたり、魔物と戦わなくてはならない宿命になってしまったとか……? それとも、何か、他にも……? ) ケイン、カイル、クレアが、そのように考えている間、マリスは、うつむいて、唇を噛み締めていたが、キッと顔を上げた。 「あたしは不幸なんかじゃないわ。運命なんて、自分のこの手で変えてみせるわ! 」 静かだが、そう言い切った彼女の横顔を見つめながら、ケインは、なんとなく、自分は、それを見届けるんじゃないか、という気がしたのだった。 (それは、単なる俺の希望なのかも知れないけど……)
「おお、お待ちしておりましたよ。ご希望の品は、こちらでよろしいですかな? 」 夜になっても、湖は静まり返り、その周辺でも、低級な魔物ですら出現しなかった。 異次元への出入り口は、マスター・ソードの力によって、完全に閉ざされたと思われる。 一行は、鍛冶屋を訪れていた。 異様な煙が立ち込め、いつ見ても、不気味なところである。 「さすが、噂通りの良い腕だな。これは、報酬だ」 マリス扮するマリユスは、男言葉に切り替え、大金を支払った。 「こ、こんなに……ですかい!? 」 鍛冶屋は、驚いていた。 見開かれた目は、より一層大きく、相変わらず、充血していた。 「それから、このことは、黙っていて欲しいんだ。万が一、鎧の持ち主に伝わってはマズいからな」 そう言って、マリユスは、口止め料代わりに、更に金額を追加したのだった。
「ふっふっふっ、これで、思う存分、暴れられるわ」 「えっ? 今までのは、違ったのか!? 」 不適な笑みを浮かべているマリスに、ケインは思わず言っていた。 アトレ・シティーに戻るこの道中、マリスは、新品の剣を取り出し、クレアに渡した。 「これは? 」 「クレアは、剣持ってなかったもんね。これ、護身用に使って。メタル・オリハルコンで出来た、あたしの鎧の一部を使って、軽めに作ってもらったから、大丈夫。 ヴァルに魔力を吹き込んでもらえば、魔法剣にもなるわ。それとも、魔法上達したら、自分でやってみる?」 マリスが、ウィンクした。 「マリス、ありがとう! 大事にするわ! 」 クレアの瞳は、潤んで、美しく輝いていた。それを認めたマリスも、嬉しそうに微笑んだ。 「ああ、そうだわ、そこの妖精サン、あたしは、ここでは『マリユス・ミラー』って名乗ってるんだから、人前では、違う名前で呼ばないでね」 ミュミュが、パッと現れた。 「偽名使ったって、わかるヒトには、わかっちゃうのに」 妖精は、ブツクサ言っていた。 「あの、ケイン」 クレアが、小声で話しかける。 「私に、剣を教えてくれるの、今夜からでもいい? 」 「わかった。でも、さっき、回復魔法をかけ続けてたから、大分疲れてるんじゃないのか? 今日はもう遅いし、明日にしよう。疲れを取ることも大事なんだぜ」 「でも、今は、そんなこと言ってられないわ。やっぱり、私が一番足手まといだもの。剣ももらったことだし、もう、誰の足も引っ張りたくないの。寝る前に、ちょっとだけでいいから、お願い」 ケインは、クレアの瞳に、強い意志の光を見た。 彼女も、マリス同様、自分で運命を変えようとしている人に、違いなかったのだった。 「わかったよ、クレア」 ケインは、やさしく微笑んだ。
先に、宿を取っておいて正解だったと、一行は思った。辿り着いたときは、夜中であった。 結局、クレアには剣の握り方と、構え方くらいしか、教えられなかったと、ケインは、振り返っていた。 (今日はいっぱい歩いたし、釣りもしたし、モンスターも倒して、次元の穴を塞いだし、カイルは死にかけるし、ミュミュは見つかったし……いろんなことがあったなぁ。 ロクに観光出来なかった城下町も、明日は、少しは見て回れるかも……) 宿屋のベッドの上で、そんなことを考えながら、ケインの意識は、眠りの中へと、引き込まれていった。
|
|