「さて、皆との待ち合わせには、まだ時間がありそうだわ」 日は陰ってきたが、まだ薄暗くなり始めたばかりであった。 そこから、町までは、そう遠くはないだろう。 マリスが、辺りを見回す。 山道はなだらかな斜面になってきていて、ところどころ、大きな岩はあるが、適度な広さもある。 「場所としても、ちょうど良さそうね」 一人納得したマリスは、ケインを振り返り、 「あんなんじゃ、全然ウォーミング・アップにもなりゃしなかったわ。だから、付き合ってもらうわよ」 人差し指を立てて、ウィンクする。 何のことかわかっていないケインに構わず、彼女は、構えを取った。
拳がぶつかり合い、絡み合う。 汗が迸(ほとばし)る。 彼女が大きく打ち込むと、彼の身体は、ふわりと宙に浮き、弧を描いて、岩に着地した。 場所を読んでいたように、間髪入れずに、間合いを詰めてきた拳が飛んでくるが、またしても風のように舞い上がる。 そこへ、高い蹴り(ハイ・キック)が攻めるが、彼は、信じ難いことに、彼女の蹴りを踏み台に蹴り上がり、空を舞った。 彼女も、飛び上がると、着地寸前に、相手の腰の剣を抜いた。 やむを得ず、彼も背中の大剣で対抗することに。 彼女の攻撃を躱(かわ)しながら布を解く。 剣同士がぶつかり合う時、わずかに緑色の火花が散った。
「このくらいで、いいでしょう」 マリスが、剣を降ろした。 着地したケインは、ふうっと息を吐くと、額の汗を腕で拭った。 マリスの予告した、『お手合わせ』なのであった。 真剣同士になった時には、ケインは、正直ヒヤッとしたのだった。 「はぁ〜、やっと、ちょうど良い運動が出来たわ! 」 マリスも汗を拭う。 「確かに、山賊相手より、この方がキツかったぜ」 ケインが苦笑いする。 山賊と揉み合っても息を乱さず、たいして汗もかかなかった二人であったが、それよりも短時間で済んだ『お手合わせ』の方が、はるかに凝縮された鍛錬となったのだった。 「それにしても、あたしの攻撃、全部躱してたわね? 余裕で」 「余裕なんかないよ。当たったら痛そうだったから、必死に避(よ)けてただけで。全部は避けられなかったし」 「当たっても、ちゃんと受け身が出来てたわ。そんな人、今までいなかったわよ。かなり、鍛えてたでしょ?」 「ああ、それは、まあ……」 マリスは、じっとケインを見つめてから、にこっと笑った。 「また頼むわね」 「お安い御用――とまでは言えないけど、俺も訓練になるからさ。いつでも」 ケインも、微笑んで返した。 「ねえ、さっき言ってたけど、これって、『マスター・ソード』なの? 」 まだ手にしているケインの剣を見詰めて、マリスが尋ねた。 剣身の腹の部分は、青銅とは違う青緑色の珍しい金属で、平たく、剣の形に合わせた形をしている。 そこには、一見、模様のような、呪文のようだが、魔法で使われるルーン語とも違い、マリスの見たことのない文字が掘られてあった。 刃はその外側を囲む、両刃の剣である。 他には、ガードと柄頭に質素な装飾があるのみ。 「形状も、その威力も、能力も、すべて謎に包まれている伝説の剣『マスター・ソード』が、見た目、こんなありきたりな、普通のロング・ソードみたいなものだったとはね」 「正確には、『ドラゴン・マスター・ソード』。この剣の存在は知ってたんだ? 」 「ええ。伝説の剣のことは、聞いて以来、自分でも調べてたから。あたしも欲しいなぁ〜、なんて思ったりして。 でも、これのどこが『ドラゴン……』なのかしらね。どこにもそんな装飾はなさそうだし……」 手合わせもそうだったが、剣を眺め回している様子からも、まだ若い少女であり、その整った外見を裏切る、生粋の武人らしさが伺え、ケインは、またもや意表を突かれた思いでいた。 「そういえば、使ってる時、……なんだか変な感じがしたわ。 まるで、――剣の中で、何かが暴れている――ような……? 」 マリスは、言葉を探しながら、ためらいがちに話す。 「正当な持ち主じゃない者に使われて、――剣が嫌がってた――みたいに」 (なかなかいい勘してるな) 彼には、マリスの言わんとしていることは理解していたのだが、今説明することは、下手に彼女を脅(おびや)かすことにもなると思い――とはいえ、怖いものなどなさそうな彼女ではあったが――あえて何も言わないでいた。 マリスは、剣が未だに『落ち着かない』気がしたので、ケインに返した。 「それで、そっちのは、『魔物斬りの剣――バスター・ブレード』よね? 」 「ああ」 「ちょっと触ってみてもいい? 」 ケインは、背中の剣の布を解き、マリスに渡す。 「わっ、重っ! 」 マリスは受け取ると、道端の岩に腰を下ろし、膝の上で、じっと魅入ってから、両手で振り心地を見てみたり、日にかざしてみたりしていた。 ケインは、心の中で苦笑した。 剣を視(み)る時の自分と、同じ見方であることに。 しかも、彼女は、賊たちと違い、剣を手にしても、よろめき倒れることはなかった。さすがに、ケインのように片手で扱うことはしなかったが。 決して、宝飾品のついた、美しく、洗練された剣ではなく、飾り気のない、無骨な剣であったにもかかわらず、マリスは、その銀色の鈍く光る刃に、しばらく、溜め息混じりに見蕩(みと)れていた。 「両刃よりも、片刃の方が切れ味が鋭いもの。思った以上の、良い剣だわ……! 」 女性好みとは思えない剣であるのに、剣の良さを理解する彼女を、本物の戦士だと、ケインは好ましく思った。 「随分、使い込んでるのね。……どうして、こんなすごい剣を、持っているの? 」 「受け継いだんだよ。俺の師匠だった男(ひと)から。その男(ひと)が、今際の際に、俺にくれたんだ……」 ケインは、視線を落とすが、口調は、それほど淋し気な様子はなかった。 マリスは、彼を気遣うように見つめてから、言った。 「ごめんなさい。辛いこと、思い出させちゃって……」 ケインが、焦った。 「い、いや、いいんだ。マリスは、悪くないんだから……」 「マスター・ソードも、その人から? 」 「これは、俺が自分で手に入れたんだけどさ」 マリスの目が、見開かれる。 「ねっ、ねっ、どうやって? 」 「父親と暮らしてた村の近くに、たまたまマスター・ソードの眠る山があって。 早い話が、この剣のマスターから試練を受けて、なんだか合格したから、授かった――ってとこかな」 「それで、それで? どんな試練だったの? 」 マリスの瞳は、ますます興味津々に深く瞬き、岩の上から、身を乗り出す。 そんなマリスに、眩しさを覚えたケインは、それを悟られたくなくて、話せば長くなるから、今は、皆と待ち合わせもしてることだし、いずれ話すと約束して、その場を逃れるので精一杯であった。 マリスは、ちょっと残念そうであったが、約束には漕ぎ着けたので、とりあえずは引き下がった。 「そう言えば、マリスは、自分の剣、最後まで抜かなかったな」 「ああ、これは、切れ過ぎちゃうからね」 言いながら、マリスは、別の岩に腰掛けているケインに、剣を鞘ごと放った。 驚いたことに、それは、意外にも重かった。 バスター・ブレードほどではなくとも、マスター・ソードよりも、普通の剣よりも、かなり重かったのだった。 ケインは、多少の装飾のある、その剣を抜いてみた。 「この剣は――? 」 「ただのロング・ブレードよ」 「えっ? それで、魔獣ドラドの首を、一撃で斬り落とせたっていうのか? 」 困惑している彼に、マリスが微笑んだ。 「コツがあるのよ」 「コツだけじゃ、ああはいかないし、普通の剣じゃあ、魔物は斬れない。この剣には、魔力がかかってるだろ? それも、かなり強力な。魔除け程度では済まないほどの」 マリスが、ひゅ〜と、口笛を吹いた。 「その通りよ」 おそらく、ヴァルドリューズが、対魔物用の魔法をかけたのだろう、とケインは解釈した。 「さっき、手合わせしてみて、剣も見せてもらって、わかったわ。 モルデラでは、あの時、あたしが乱入しなくても、実は、ケインだけで魔獣を倒せたんじゃない? ざーんねん! バスター・ブレードの働きは見れたけど、そっちの剣がマスター・ソードだって知ってたら、余計なことしないで、観(み)てるんだったわ」 「いや、クレアの護身のために貸すのは、バスター・ブレードじゃ無理だろ? もうちょっとモンスターの数を減らしてから、マスター・ソードを使わせてもらおうとは思ってたけど、ドラドの次に出て来た相手があれじゃあ、いくらマスター・ソードでもどうだか……」 「やってみれば良かったのに」 「だって、お前達が獣神召喚して倒したくらいの敵だぜ? あんなデカいヤツ、今まで出逢ったこともなかったし……」 (それに、マスター・ソードは、……まだ『完璧』じゃない) それは、口には出さなかった。 その間に、マリスがケインに大剣を返し、ついでに、ケインの隣に座る。 お互いの剣を、元通りに納めている間も話は尽きそうにない。 「ケインは、左利きなの? さっきも、魔獣と戦っていた時も、左手で剣を使ってたわね」 「よくわかったなぁ。右利きなんだけどさ、動きを偏らせないためもあって。 片方の手でしか剣を操れないと、いつの間にか癖がつくからな。戦場では、相手の利き腕に合わせて、使い分けてるんだ」 「へー、そうなの」 マリスが、目を輝かせて、感心している。 「それにしても、伝説の剣を二つも持っているなんて――。やっぱり、ケインて、ただ者じゃなかったのね。 スカウトしたあたしの目に、狂いはなかったわ」 紫の瞳が、彼のふいを突いて、群青色の瞳を捕えた。 「そ、そんなこと、ないよ」 うっかり、カッと赤みの差した自分の頬に、腹立たしさを覚えながら、ケインは平静を装った。 「それより、マリス、きみの体術は、もしかして……『武遊浮術(ぶゆうじゅつ)』なんじゃ? 」 マリスは、目を丸くした。 「よく知ってるわね。あんまり知られてないのに」 「流れる川の水が、重い大木をも浮かせてしまう浮力のように、力はたいして使わずに、相手の勢いを利用して、自分以上の重さのものをも操る『武遊浮術』――俺も、ちょっとだけかじったことがあるんだ。武術は何でも極めてみたくてさ」 マリスは微笑むと、語り始めた。 「おおもとは、東洋の、とある時の皇帝が、自分の護身にも、スパイにもなりうる女性を、手元に置いておこうと考え、女性の武道家たちを中心に編み出されたと聞くわ。 今では、『武遊浮術(ぶゆうじゅつ)』の担(にな)い手も枝分かれして、皇帝の側にいる者と、独立して外に向かった者とがいるそうよ。 独立した方は、女性が、自分の身を守るためにと、伝授するようになったんですって」 「へえー、そうだったんだぁ? 」 「それと、あれは、女から女へ受け継がれるのに、どうして、男のあなたが使えるの? 」 「え? そうなの? 数年前に、東方の雑技団の女の子と偶然知り合って、教わったんだ。『簡単なのだけなら』って。 言葉があんまり通じなくて、俺が無理矢理頼みこんだから、今思うと、断り方がわからなかったのかも? その子とは、遠征の間しか会えなかったから、日数もそんなになくて、だから、術を極めるまではいかなかったんだけど、男には教えちゃいけなかったんなら、まずかったかな? あの子、怒られなかったかな? 」 マリスは、ケインを改めて見つめてから、言った。 「なるほどね。だから、あなたも、あの重いバスター・ブレードを、簡単に振り回せたってワケなのね? 」 「ご名答! ま、昔っから、重い剣で慣らされてはきたんだけどな」 ケインは、笑ってみせた。 「それで、その東方の女の子は、可愛かった? 」 予期せぬ質問に、ケインは少々面食らう。 「えっ? ……まあ、普通かな? 特別、可愛いとかでは……」 「でも、その子は、ケインのこと、気に入ったから、術を教えたんじゃないの? 」 「ええっ? ……い、いや、そんなことは、ないと思うけど……」 「あたしは、女だから、わかるわ」 マリスは、そこから見える岩山の風景に視線を移してから、続けた。 「彼女は、あなたに……惹かれていたのよ。だから、掟を破っても、教えたの」 「そ、そんなこと……だって、一ヶ月もなかったんだぜ? 俺たち、お互いのことなんか、ロクに話してもいないし……」 「過ごした時間の長さなんて、関係ないわ。恋に落ちる時は」 マリスが、すぐ隣で、ケインを見上げる。 紫色の瞳が潤んでいる。 ただでさえ、神秘的な、紫色の宝石のような美しい瞳は、さらに輝きを増していた。 間近で、彼女のそのような瞳を見ることになるとは、全く予想外だった。 思わず、その瞳に魅入ってしまいながらも、彼女が、何を言わんとしているのか、見当も付かず、ただ困惑するばかりだった。 それには構わず、マリスは続ける。 「あたし、その子が、なんで『武遊浮術』をケインに教えたか、わかるわ。 あなたは、誠実な人だもの。決して、悪用しないって、わかったからよ。 そして、そんなあなたを……好きになったんだわ……」 まるで、彼女自身の告白であるかのように、マリスの瞳が和らぎ、淡く、頬が染まっていく。 (こんなに可愛かったっけ……? そりゃあ、綺麗な娘(こ)だとは思ってたけど……) 野盗相手に遊んでいる時とも、手合わせした時とも全く違う、初めて目にする彼女のそのような表情に、ケインは、心臓の鼓動が早くなっていくのを感じていた。 「ねえ、知ってた? 東洋の時の皇帝は、武遊浮術を極めた女性を、側に置いていたのは、単なる護衛とスパイとしてだけじゃなく、……愛人としてでもあったんですって。 愛人をそのように鍛えたのか、それとも、側にいるうちに、二人の間に愛が芽生えてしまったのか……、どっちが先なのかしらね? どちらにしても、ロマンチックよね」 ため息の後、マリスは、憂えた瞳をケインに向けると、ためらいがちに尋ねた。 「ねえ、ケインは、誰か……約束してる人とか、いるの? 」 「……い、いや……、旅に出た時に、別れた女(ひと)はいたけど、……約束なんかは……」 そのようなプライベートなことは、誰にも明かしたくない彼ではあったが、つい答えてしまった。 だが、当然、心が疼(うず)くと思っていたのが、不思議と、そうでもなかったことに気付く。 「そう。……その女(ひと)とは約束してないんだったら、安心したわ。 それなら、いいかしら? ケイン、あたしは、あなたのことを……初めて逢った時から……」 心臓が大きく反応したのを、彼は、彼女に気付かれたんじゃないかと、ますます焦った。 眉目秀麗な妖精エルフを連想させる、美しく凛々しい、中性的な外見であったはずが、今では、尊敬とも取れる従順な視線を送ってくる、恋する乙女のようであった。 (まさか、まさか……?? いや、そんなはずは……、でも……?? なんで……?? ) まったく、自分の身に何が起きているのか、わからなかった。 彼女の瞳に呪縛されたように、身体が動かなかった。 なぜ、こんなことに……? ただ、こうなってしまったら、もう彼は、自分が逃れられないことはわかっていた。 既に、彼女には捕まっている、と認めざるを得なかったのだ。 マリスの瞳が、やさしく瞬き、彼女の顔立ちの中で、唯一女性的である、淡いピンクに色付いた、整った形の唇が、微笑む。 この可愛らしい、同じ唇が、山賊に向かってあのように口汚く罵っていたとは、とても考えられない。 いったいどのような感触なのか……? などと、ぼうっと考えているうちに、マリスの瞳が、恥ずかしそうに伏せられた。 ケインの心臓は、またもや大きく鳴り、飛び出しそうであった。 思わず、抱きしめたくなる衝動に駆られる――!
――が、 そこで、ぱちっと、彼女の瞼(まぶた)が開く。 「――っていうのが、『武遊浮術』の技の一つ、『愛技(あいぎ)』よ」 唐突に、人差し指を立てて、あっけらかんと言うマリスに、ケインは全身固まった。
「女スパイでもあるわけだから、色仕掛けで相手を油断させたり、口を割らせたり出来るようにって、考えられたんだと思うわ」 もう、普段の彼女の表情と、口調に、戻っていた。 「……技……?」 ゆっくりと、無意識に、ケインの口からこぼれた。 「そう。それで、勘違いした男がふらふら近付いて来たところを、ガツン! とね」 マリスは、拳を振り上げて見せ、にやっと笑った。 「ね? こんな技もあるわけだから、武遊浮術は、男性御法度の術なの」 ケインは、まだ呆然としていた。 マリスは、ころころと笑った。 「やっぱり、知らなかった? 今のは、愛技でも初級編よ」 「……初級……編……? 」 ケインの思考回路は、徐々に機能を回復してきた。
(つまり……、からかわれてた! ――って、ことか!? )
愕然とした後、ふつふつふつ……と、こみ上げてくるものがあった。 何を期待していたのか? どのような言葉を待っていたというのか? 旅に出てからというもの、誰にも話さなかった別れた恋人のことも、思わず白状してしまい、即座に後悔が襲ってきた。 (真に受けてた俺って、完全にアホじゃないか!? しかも、あのまま、触れようもんなら、殴られてたわけだ) 腹立たしいやら、情けないやらで、彼の中で葛藤が起きていることなど、マリスは知りもせずに、無邪気に感心していた。 「それにしても、つられなかったとは、さすがケインね! あたしのこの技が効かなかったなんて。それとも、初級編だったからかしら? 上級編だと、もっとすごい技もあるから、気を付けてね」 と、にっこり。 (……って、誰に気を付けろってんだ? 誰に? お前しかいないだろーが!? ) 途端に、マリスが憎らしく思えた。 だが、彼が一番腹を立てたのは、自分にであった。 いつから、術中にハマったのか? ぐるぐるとさかのぼってみるが、武遊浮術の話からだろうか? いや、剣の話? 実は、最初の出会いから仕組まれていたのではないか!?
などと、疑い出したらきりがないのであった。 そんな彼の心境には気付かずに、マリスは、真面目な顔になって言った。 「あたしは女だから、身体の作りや大きさ、力では、どうしても男の人には、かなわないわ。だから、強くなるには、いろいろと工夫が必要なの。 『愛技』も含めて、武遊浮術は、あたしが旅をしていく上で、最も重要な技だわ」 旅をしていく―― それは、男にだって、過酷である。女には、もっとであろう。 環境の違う土地や、野盗や魔物の出る険しい道のりはもちろん、その上、魔物退治をしていくとなると、より一層危険が伴う。 道案内や護衛が必要なこともあっただろう。 だが、例えただの案内人でも、仲間でも、同行者であれば、魅力的な彼女に、その気になってしまう者もいたのかも知れない。 『あたしが頼みたいのは、助っ人よ』 という言葉を思い出す。 今思うと、それは、友達や、ましてや恋人などは望んでいない、とも取れる。 あくまでも対等な『同志』なのだ。 見透かされたんだろうか? 神秘的な紫色の瞳に魅入ってしまったこと、憧れに近いものを、彼女に抱き始めていたことを――? それ以上の想いに膨らむ前に、バシッと潰された感もあった。 当のマリスに、果たして、そこまでのつもりがあったのか。 単に試しただけなのか、からかっただけなのか、または、本当に無邪気に術の解説をしただけなのか、まったく見当が付かない。 ショックが癒えないままのケインではあったが、とにかく、自分は単なる助っ人なのだと必死に思い直し、なんとか平常な心を取り戻す。 「なんで、そうまでして、戦士なんて危険なことやってるんだ? マリスは、魔法能力だって普通の人よりも高いんだったら、魔道士にだってなれたんじゃないか? 接近戦で少人数相手の格闘・剣術よりも、遠距離戦・複数相手に出来る呪文攻撃の方が、危険が少ないだろ? 偏見じゃないけど、……女の子なんだし、普通は、そっち選択するんじゃないか? クレアみたいに」 マリスは、ケインを改めて見直した。 「ケインは、なぜ戦士なの? 男だろうと女だろうと、危険なことには、変わりないでしょう? 」 少し冷静な彼女の声であった。 「そうだな……、向いてるのか、才能があるのかないのかはわからないけど……、性に合ってるからかな? でなきゃ、旅にだって出ないし、傭兵だって、とっくに辞めてると思うしな。 だいたい、俺から『こいつ』取ったら、何が残るってんだ? 」 と、剣をくいっと親指で指してから、少し照れたように彼は続けた。 「それと、……師匠に追いつきたくて。戦士としてだけじゃなく、人間的にも尊敬できた、彼のようになりたいって、幼心に思ったから……かな」 マリスが静かに笑った。 「あたしもおんなじよ。あたしに武術を教えてくれた人を、尊敬してたし、憧れてた。 その人もあたしも、ただ、女だったってだけ」 彼は、改めて、彼女を見詰めた。 「そうか……、そういうことも、あるんだな……」
恐るべし武遊浮術の『愛技』――初級だとは言うが――を、身を以(もっ)てして体験した彼は、マリスに対し、すっかり警戒心を抱いてしまったが、剣を興味津々に見入っていた彼女のあの様子だけは、演技ではなかったと思う。 マリスがどういう人物なのかは、まだまだ掴めなかったが、同じ戦士としてなら、わかり合えたような気がしたケインであった。
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