一同は、村の、マリスが取っておいた部屋に集まった。
「あー、美味しー! やっぱり、マラスキーノ・ティーは、イケるわねー!」
狭い宿の部屋の中では、マリスが紅茶を入れて、皆に振る舞っていた。
魔道士は、それには手を付けず、香を焚いていた。気にならない程度の甘い香りであった。
魔道士たちが、瞑想(めいそう)や、自分の魔力を消耗させずに、結界を張ることに、よく使う代物だ。 だが、今、彼が結界を張っていることは、マリス以外は気付かない。 上級の魔道士には、水晶玉の占いで覗かれたり、話の内容を聞き付けられることもあるので、それを防ぐためが多い。
一人楽しそうなマリスを、じろっとカイルが睨んだ。
「おい、どーゆーことなんだよ。あんた、何モンなんだ? 人間なのか?」
「当たり前でしょ? 正真正銘、見たまんま、普通の女戦士よ」
(いや、全然、普通じゃない……)
喉から出かかった言葉を、ケインは紅茶と一緒に飲み込んだ。
「俺の目をごまかそうったって、そうはいかねーぞ!」
「あーら、あっさり、ごまかされたじゃないの」
凄(すご)んで見せたカイルを、彼女は、いとも簡単にあしらった。
「あの銀の甲冑は、どこか大国の軍のものなのか?」
マリスは、既に甲冑は外していて、普通の町娘のような服装であった。 部屋の隅に置いてある甲冑に、一旦目を向けてから、視線を、質問したケインに移す。
「あなたの言う通りよ。あれは、……ベアトリクス王国のものよ」
「ベアトリクス王国!? あの世界の先端を行く大国ーー北の海を越えた、あんな遠くから?」
ベアトリクス王国を知らない者は、そこにはいなかった。
先進国で知られていることもあるが、同時にワンマンな絶対王政の国としても有名だ。洗練された文化、見目麗しい人種も多いと聞く。
彼女の容姿には、皆、頷けた。
「あたしは、そこで、ある部隊の隊長をやってたのよ」
「ええっ!?」
ヴァルドリューズ以外、一斉に驚き、まじまじと彼女を見詰めた。
どう見ても、そこにいる皆と、そう変わらない年頃である。 この二〇歳前の娘が、軍を率いてたとは、衝撃であった。 しかし、獣神に変身する前も、戦士の腕はかなりのものだったと思い返す。 もしかしたら、本当に軍隊を率いていたのかも知れない、と皆はすぐに納得した。
「いやぁね〜。いくら実力重視の国だったとしても、こんな小娘に、簡単に隊長なんか任せてくれるわけないじゃない。コネがあったのよ、コネが。それが、ちょっと訳アリで、飛び出して来ちゃったんだけどね」
マリスは手を振りながら、ころころ笑っている。
「カイルも、ベアトリクス王国の出なのか?」
「俺は違うぜ。こいつらとは一週間ほど前に、ここの一つ手前の町で知り合ったんだ。それにしても、人が悪いぜ、マリス。女だってこと、何で隠してたんだよ」
カイルが、膨れっ面で、マリスを見る。
「そんなの当たり前でしょ? あんたみたいなナンパ男が、どこに潜んでいるかわからないし、賊にいつ出くわすとも限らない物騒(ぶっそう)なこの世の中、か弱い乙女が我が身を守るために男装する。そんなの常識よ」
しゃあしゃあと、彼女は言うと、紅茶を美味しそうに啜(すす)った。
「ヴァルドリューズさんは、ベアトリクス王国の宮廷魔道士さんなんですか?」
クレアが発言したのは、マリスの印象が強烈だったせいで、影が薄くなっていた魔道士に向けてであった。
(確かに、こいつもただ者じゃなかった! 召喚呪文なんか使える魔道士なんて、そうざらにいるもんじゃない)
ケインは魔道士を見る。
ヴァルドリューズは、既にフードを降ろしていた。
西洋地方の人間に見られる彫りの深い顔立ちに、浅黒い東方系の肌、切れ長の、澄んだ冷ややかな碧い瞳、肩まで伸びた黒い艶のある髪。
見たところ、いろいろな人種の血が混じっているようだが、全体的に東方系の人間ということで落ち着いた。
クレアが注目したのは、彼の額に嵌(は)め込まれた、鮮やかな深紅のカシスルビー、これが、ケインたちも噂に聞いたことのある、宮廷魔道士の証であった。
「彼は、東洋の帝国ラータン・マオの宮廷魔道士だったの。やっぱり、訳アリでね。要するに、国を飛び出して来た者と、国を追われた者同士が出会って、一緒に旅をすることになったのよ」
普通の旅人ではないことは充分伝わっていることであったが、マリスは、おそろしくかい摘(つま)んで説明していた。
カイルが首を捻っていたが、はっと顔を上げる。
「ーーってことは、お前ら駆け落ちだな!?」
ばたっ。
マリスが倒れた。
「そうではない」
ここへ来て、初めて、ヴァルドリューズが口を開いた。
「もう、こんな時ばっか反応するんだから、あんたは」
マリスが面白くなさそうに、ぶつぶつ言いながら、起き上がった。
「召喚獣を呼ぶというのは聞いたことありますけど、神を召喚する(呼ぶ)なんて、どうして出来たんですか?」
多少なりとも呪文が使えるクレアは、魔道に興味があった。冷たく、近付きがたい雰囲気を持つヴァルドリューズに、怖じ気づくこともなく、質問を続けている。
「召喚獣の時と違い、サンダガーを呼んだ時のあなたの呪文は、全く聞いたことのない発音でした。しかも、その呼び出したものを、他の人間に乗り移らせるなんて……有り得ないことです」
ヴァルドリューズが、じっとクレアを見てから、口を開いた。
「神を召喚するには、その神の言葉を用いなくてはならない。他人の身に召喚させるのも、普通では不可能なことだ。マリスにサンダガーを召喚する前に、私は、魔神『グルーヌ・ルー』を一部自分に召喚し、『彼』の力を借りて、呪文を唱えたのだ」
「魔神『グルーヌ・ルー』ですって!? あの、東洋のーー!?」
クレアが、うろたえた。
「……おい、わかるか?」 「……いや、全然」
訳がわかっていないカイルとケインは、お互い顔を見合わせているばかりだった。
ヴァルドリューズとクレアの会話は続く。
「サンダガーに限らず、他の獣神だろうと、召喚することは、上級の魔道士であれば出来ないこともない。だが、それは、あくまでも、己と同化させるのみ。そのもの自体を召喚する召喚獣に比べて、神の化身はコントロールが難しい上に、本人との相性がある。
条件に満たなければ、逆にこちらが意識を乗っ取られ、消滅してしまうとともに、意志を持った化身だけが暴走してしまうおそれもある。このような事態は避けるべく、魔道士協会の書物にも載せられてはいない」
淡々と、表情もなく、抑揚のない声で話す彼と反対に、クレアの顔は青ざめ、明らかに動揺が浮かんだ。
「それって、もしかして、……禁呪なのでは……?」
「そうよ」
堂々と答えるマリスを、一同見詰めた。
「でも、あたしは『サンダガー』を暴走させたことはないし、ヴァルの『グルーヌ・ルー』は、知識を授けるだけに留めているわ。例え、禁呪でも、うまく扱えれば、使ったっていいのよ」
そういうものだろうか? と、ケインとカイルが首を傾げていると、
「だめです! 禁呪を使うなんて! 使えることがわかったのなら、せめて『魔道士の塔』に届けを出してください!」
クレアが強く、マリスに抗議した。
『魔道士の塔』とは、正規の魔道士たちを管理する、上級魔道士の組織であった。 世界的に、支部を持つ。 その組織に認められた魔法アイテムを扱う団体は、『魔道士協会』と呼ばれ、こちらの方が、一般には馴染みがあった。
『魔道士の塔』では、未だ未知数を秘め、危険のある黒魔法を使用するに当たって掟を定め、正規でない魔道士、つまり、登録もせず、法を守らないヤミ魔道士を取り締まってもいた。
神官や巫女の使用する癒しの魔法や、魂を浄化する等の白魔法に関しては、一切干渉していない。
召喚魔法とは、黒魔法の部類であった。
「あのね、『サンダガー』は邪神みたいなもんよ。そんなもの『たびたび呼び出しますが、いいですか? 』なんて言って、許可がもらえるわけないでしょ? いいのよ、届けなんか出さない方が」
マリスに突っぱねられて、クレアは黙ってしまった。
「圧倒的な力を持つには、綺麗事(きれいごと)ばかりではだめなのよ。攻撃には白魔法よりも黒魔法の方が有効なのとおんなじでね」
妙な説得力で、一同、納得せざるを得なかった。
「ちょっと待てよ、さっきの話で、召喚神はコントロールが難しい上に相性があるってことは、マリスとサンダガーの相性が良かったってことなのか?」
ケインが、ヴァルドリューズに向き直った。
「いかにも。もともと召喚神は、媒体(ばいたい)の守り神であるものを呼び出すのが無難だ。それならば、ある程度の条件はそろっているからだ。だが、そうでないものを呼び出すには、余程性質が似ているか、本人の核の部分に、実は、同じような面を持っているか、などが重要になってくる」
「……守護神にしても性質にしても……」 「……結局、どっちにしろ、似た者同士ってことか?」
ケインとカイルが顔を見合わせると、そうっと、マリスから後退(あとずさ)った。
「ちょっと、ヴァル! そういう言い方すると、あたしが、もろサンダガーと同類に聞こえるじゃないの!」
マリスが説明を補足する。
「召喚神を受け入れるにはね、本人の魔法能力にも関係してくるのよ。あたしには、常人以上の魔力が備わっているの。だから、同化できるの!」
カイルが、ふっと笑った。
「ウソつけ。幼い頃から魔法能力の高かった者は、魔道士の教育を受けさせられて、魔道士の道を歩まされているはずだろ? 巫女や魔道士の家系でなければ、そんなヤツはごく稀(まれ)だって言うじゃないか。ま、仮に、お前が王族で、小さい頃から、白魔道の教育を受けてたってんなら、話は別だけどな」
マリスは、指を立てて「ちっちっちっ」と、振って見せた。
「ふっふっふっ。イメージトレーニングや、その他にも、魔力を高める方法はいくらでもあるのよ」
「何っ!? 本当か!? じゃあ、俺も訓練すれば、魔力が備わるってのか!?」
カイルが興奮して目を輝かせた。ケインは、「単純なヤツ」と、呆れて横目で見る。
「時に、あなた」
マリスが、指先をケインに向けた。
ふいに、紫の瞳に捕えられたケインは、ドキッとした。
「見たところ、傭兵のようだけど、なかなか剣の腕が立つみたいね。お手持ちの剣も興味深いわ。クレア(レディー)を置き去りにしたのは、ちょっといただけなかったけど。ま、キミほどの実力なら、助っ人として、あたしが雇ってあげてもよくってよ」
「ええっ!?」
声を上げたのは、当事者のケインではなく、カイルであった。
「おい、俺には、金なんか払ってくれなかったじゃないか!」
「あなたは、勝手に付いて来たんでしょ? その魔法剣に免じて、ゴハン代くらいは出してあげてもいいけど?」
カイルが、がっくりと肩を落とした。
「どう? 一緒に来る?」
もう一度、マリスはケインに尋ねた。
ケインは、慎重な面持ちで答えた。
「その前に、君たちの目的を教えてくれ。悪いことの片棒を担ぐのは、お断りだからな」
マリスは、目を見開いた。 意外に思ったのだった。
まず、その容姿から、おそらく、彼女の誘いをすんなり受け入れなかった者などは、いなかったのだろう。彼は、外見で人を判断しないようだ。
そして、低く落ち着いた声で、自分よりも、実は、彼の方が年上なのかも知れない、と思えた。
腕を買ったことには違いなかったが、傭兵らしくない穏やかな性質と、童顔ではあるが、群青色(ぐんじょういろ)の大きな瞳には、誠実さと芯の強さが表れていたのが、信用出来る人間と映ったからこそ、スカウトしたのだった。
面白い。どうやら、自分の見立てに間違いはなかったと、満足気に微笑してから、マリスは言った。
「もっともだわ。それじゃあ、単刀直入に言うけど、あたしたちの旅の目的は……ヒマ潰しに悪いヤツをやっつけながら、世界を征服することよ!」
マリスが拳を高く掲げた。ヴァルドリューズは、そっぽを向いていた。
もちろん、ケインは本気にしていなかったが、相棒同士であるこの二人のコンビネーションの悪さには、首を傾げた。
「あのなあ、それじゃあ、悪者と目標同じだぞ?」 「冗談よ、やーね」 「……なんか、あんまり冗談にも聞こえなかったけど」
勝ち気な表情で、マリスは、ケインに言った。
「まあ、大方(おおかた)の目的は、魔物退治よ。さっきの洞穴みたいに、魔界と人間界をつなぐ異次元の穴が、最近増えてきてるから、それを塞ぐとともに、原因を調べてるってわけ。そのついでに、悪い奴らを懲(こ)らしめてまわる……って、まあ、こんなところかしらね。なんなら、短期契約にしとく?」
紫の瞳を、くるくると輝かせながら、マリスはケインの顔を覗き込んだ。
もちろん、この二人の目的は、それだけじゃない気もしていた。 知り合ったばかりだが、悪いヤツらとも思えない。現に、さっき魔物を倒したし、俺も、近頃湧いてくる魔物たちには疑問を持っていた。 原因究明したいのは同じだ。魔物退治だって……。
などと、ケインは、合意する理由を考えているうちに、わかったことがあった。
何よりも、マリスの人物像に、興味を引かれた。その強さにも。 そして、なぜだか、光を感じたのだった。
彼女の旅を見届けたくなった。
ケインの答えは、決まった。
「ありがと」
にっこりと微笑んだ後に、マリスは付け加えた。
「ああ、最初に言っておくけどね、あたしが頼みたいのは『護衛』じゃなくて、『助っ人』よ。それと、いくらあたしが雇い主だからって、敬語なんか使ったりしたら、はっ倒すからね。あくまでも、対等でいてね」
「わかった」
「賃金は、四週間でリブ金貨五枚。別途宿代、食事代もね。足りなければ、差し障りのない範囲で、どこかで稼いでくれてオーケーよ」
贅沢(ぜいたく)は出来ないが、生活していくには、困らない条件であった。
ケインが、モルデラに来てから、洗濯の次に、請け負った仕事である。
まさか、それが、思いのほか長く続く、不可思議な、己の人生をも左右するほどの冒険の旅になるとは、その時のケイン、カイル、クレアには、見当もつかなかっただろう。
そして、マリスと、ヴァルドリューズもーー。
星の巡り合わせの如く、噛み合った運命の歯車は、方向を定め、ゆっくりと回り始めたのだったーー!
|
|