それは、偶然のような必然の出会い。
時同じくして、たあいもなく、惹き合った、同志。 運命を共にする者。
炎と風、月、樹の力が、光を護りて、闇を切り開く。
強すぎる光は闇を呼び、闇にあってこそ、最も輝きを増す。
闇は、光に引き寄せられる。 己が滅ぶのを知らずしてかーー。
闇は、光の届かぬ隙間ーー光の通らぬ場所、 時ーー忍び寄る病魔の如く、 心に付け入る悪魔のさざなみーー。
地に住まう者、限りなく光に近く、闇に近い。 異界の大いなる存在に、成す術なく従う。
異界の力、地に住まう者に、限りなき力となる。
さあ、妖精の子供よ、行きなさい。
正しき剣を持つ者に、 正しき心を持つ者に、 悪しき魂打ち砕く為、 その身を委ねん者に、
傷を癒し、心を癒し、 知恵と勇気を授けるのです。
そうして、勇者を伝説へと導くのです。
ーー妖精女王フェアリア
プロローグ
閃光とともに、ドラゴンが駆け抜ける!
マントの男は、眩しさに、思わず目を細める。 見たことのない技であった。
ドラゴンも、覚えにあるものとはどこか違う。なんとも説明もつかない形状である。 強いていうなら、黒く、巨大な影。
魔道士の召喚術ではない。だが、明らかに、魔法であると解釈した。
魔法であるなら、防ぐ絶対の自信はあった。 男は、強大な力を誇る、魔道の士であるのだ。
がーー!
自分の身に起きたことを理解する。 空を駆けていたはずのドラゴンが、瞬時にして、己の身体を通り抜けて行ったことを!
男は、その場に崩れ落ちた。まるで、マントだけが地上に降り立ったかのように、ふわり、と。
「バカな!? 貴様ごときに、この私が……!」
しわがれた呻き声が、息も絶え絶えに、体液を伴って絞り出された。
マントの中から、皺だらけの手が、目の前の青年の背に向かってーー背負った大剣に向かって、伸びていく。
その手は半透明であり、もはや、存在し兼ねていた。
「な、なぜだ……!? 貴様は、ただの……!」
「そう。よろず屋だ」
青年は、背を向けたまま、構えていたロングソードを腰の鞘に納め、去って行った。
ドラゴンは、既にいなかった。 黒いマントだけが、風に吹かれ、残っていた。
第1話 さびれた町
深い緑の山肌が見守る、モルデラの町ーー。 町と呼ぶには規模は小さく、村という方が適切かも知れなかった。
村の大通りでは、人々があくせく働くようでもなく、時折、荷馬車がガラガラと音を立てて通り過ぎるくらいのもので、世間話をしているわずかな人々、道端に腰掛けて居眠りをしている老人などが見られる。 旅人からすれば、長閑(のどか)で、のんびりとした、ゆったり流れる時間の中にいるような思いにかられる。
といって、好感を持つには、少々違う。 その村には、活気があまり見られないことが、どうにも引っかかる点であった。
そこには、ある種のあきらめが感じられるのだった。
「おーい、よろず屋! 今度は、こっちを頼むよ!」
大柄な、村の男が呼び止めた人物が、振り返る。
年の頃は、一八。栗色の髪に、深い青色の、端がネコのように上がった大きな瞳。 背丈は、一八〇セナ以上はあり、辺りの村人よりも高く、細身だが、鍛え上げられ、引き締まった筋肉を防具で囲んだ様子から、一目で傭兵(ようへい)とわかる。
もう一つ、彼を傭兵と決定付けるのが、腰に下げた剣と、それとは別に、背中に背負っている、布を巻き付けた剣であった。
それは、傭兵であっても、各国の騎士たちであっても、見たことのない大剣であった。
地面から、彼の腰まではあろうかという刃渡り、柄は胸まであると思われるその剣は、誰がどのような目的で鍛(きた)えたのか。
異様なまでのその大きさには、恐ろしさを孕(はら)んでいるようで、得体が知れず、村人でなくとも、脅威(きょうい)であった。 青年の、年齢よりも若く見える、幼い顔立ちには、あまりにも不釣り合いである。
否、彼を見た者は、彼が傭兵であること自体が、不釣り合いに思えるのであった。
故に、そのような大きく重厚な大剣を持ってしても、誰もが彼を危険人物とは見なしていないのを証明したのが、村の男の横柄な態度であった。
男は、用事を言いつけると、往来で構えていた、囲いのない店に戻る。
若い傭兵は、溢(あふ)れんばかりの布の入った洗い桶を預かってから、人通りから離れていった。
「今度は、川でせんたくなのー?」
からかうような、呆れるような響きを持って、聞き慣れた甲高(かんだか)い声が、傭兵の耳の近くで聞こえる。だが、姿はない。
「ああ。なんだか、すごい匂いだな。漬け物を絞った布らしいな」
傭兵は、手慣れた仕草で、冷たい水の中、洗濯をこなしていく。
「もー、昨日は畑仕事だったしぃ、その前はどろぼうを捕まえたしぃ……この前の村じゃあ、ブタ小屋のそうじだってしたよねぇ? しかも、いつもいつも『そのために雇ったんだから当然だ』とか言われて、感謝もあんまりされなかったしぃ……。こんなことばっかしてて、どこが『伝説の勇者』なのさ?」
姿は見えないが、その喋り方から、声の持ち主である小さな女の子は、おそらく、唇を尖らせていたに違いない。
「人の役には立ちたいけど、別に、感謝されたくて、よろず屋やってるわけじゃないからさ。いくさがない時はヒマなんだし、こういうことだって、自分を鍛えてることにもつながるんだから」
「……って、ケインたら、そういって、悪いこと以外は、なんでも引き受けてるけどさ、ミュミュはたいくつだなぁ。はやく、伝説らしいことしてよー」
傭兵ーーケインは、苦笑いした。
「だから、言ってるだろ? 俺は、伝説の戦士だか勇者だかなんてもんじゃないって。ただの傭兵だよ。ま、一応、正義の心っていうか、自分の信念てものはあるけどな」
冗談混じりに言うケインに、声は、ため息混じりに返す。
「だったら、ケインのやりたいことって、なんなのさ?」
ケインは、得意気に答えた。
「そりゃあ、俺にだって夢はあるさ! 世界最大の遊園地『ゴールドランド』で遊んでみたいってな!」
しばらく、沈黙が流れる。
が、ケインは続けた。
「戦争が始まったら、こちとら若くても、いつ死ぬかわからない身だぜ? その前に、一度くらいは行ってみたいと思うくらい、いいだろう? ただ、むっっっちゃくちゃ、お金がかかるらしいから、こうして資金を稼いでおかないとさ。……でも、俺って人がいいから、ついつい報酬(ほうしゅう)マケちゃうんだよなぁ。イイ人って、ほんっと、損だよなー。あははは!」
小さなため息の後、
「……もしかして、ミュミュ、間違えたかなぁ……」
「そうそう、ミュミュの勘違い」
「んもう、ケインのバカ!」
声は、そのままどこかへ行ってしまったのか、ケインには、もう気配も感じられなかった。
彼は、たいして気にも留めず、鼻歌を歌いながら、洗濯を続けた。
一方で、人の運命を変えてしまうかのような、巨大な力の動かす歯車が、あちこちでかみ合い、重苦しい軋(きし)みを上げて、ゆっくりと回り出す……!
そのことに、まだ彼は気付いていなかった。
彼に限らず、そのような波動は誰にも感じられはしない、実に、たあいもない出来事のようであったのだ。
ケインは、看板こそあるが、ひっそりと佇む、地味な食べ物屋兼酒場に来ていた。 ウキウキと、夕飯を食べに。
無愛想な店員に、『トリの香草蒸し定食』というのを注文してみた。 が、あまり美味しいとは思えなかった。 店構えからして予測はついたが、美味しいものを作ろうという意欲が感じられない味であった。
(なんか、この町って、どうも退屈なんだよなぁ。さっきの洗濯以外、今日は仕事も来なかったし。明日の朝早く、ここを立つか……)
楽しみにしていた夕食ですら、このような有様で、ケインは、がっかりした。
「何でも、アストーレでは、王女の誕生日のパレードがあるらしいぜ。その警護を強化するために、警備兵の人数を増やすんだとか。普段の護衛じゃ追いつかないから、多少は募集してるみてぇだぜ」
「へぇ。誕生日なんかで、いちいちパレードなんかするのかよ? 王族の考えることなんざ、オレにゃあ、まったく理解出来ねえな。オレの誕生日なんか、誰が祝ってくれたかってんだ」
隣のテーブルでの会話が耳に入った。
(アストーレ王国とは、このモルデラのあるモアール公国の隣だったな。そこなら、もっと大きな国だし、仕事も、もうちょっとありそうだな……)
そう考えながら、ケインがトリを最後までつついて食べていると、
「よおよお、ねーちゃん、何て名前?」
ふと、若いウェイトレスに、ちょっかいを出している男に、目が留まった。
男は、肩まで伸ばしたストレートの金髪に、額には黒いバンダナを巻き、すらりとした体型をしていた。
(へー、なかなかイケメンだな)
さらに、ケインは観察する。 腰には、宝飾品を鏤(ちりば)めた鞘に納めた剣を下げている。随分と高価な代物で、ケインと似たような年頃のその男の持ち物としては、こちらも不釣り合いである。
この男も、傭兵であるらしいことは見当が付いた。
(しかし、軽薄な態度が戦士の風上にもおけないヤツだな。あんな分不相応な高価な剣も、アヤシイし。盗んだとか、奪ったとかか? あの女の子にもっと絡むようなら、よーし、この俺が、少々注意を……!)
と、思ったその時であった。
バタン!
ドアが開き、外からの強い風と共に、二つの黒い影が現れた。 一人は、男にしては小柄であった。黒いマントをはおり、黒い兜で顔は見えなかった。 剣を下げていることから、剣士だということは一目瞭然だ。兜から覗いた鋭い眼光が、辺りを油断なく伺っている。
(こいつは、できる……!)
金髪傭兵のことはさておき、その男と、そして、一歩後ろから入ってきた男の存在感に、ケインは注目した。
後ろの男は、かなりの長身であった。頭からすっぽりとフード付きマントに身を包んでいて、やはり、全身黒ずくめである。ゆっくりと、地を踏みしめる際に、マントが揺れ、浅黒い肌が覗く。
(ふーん、こっちの男は、なりからして神官か、殉教者、または魔道士か……)
だが、ケインの勘では、神官のイメージからは、ほど遠かった。その男からは、白ではない、黒の気配が、決して肌の色のせいでなく、にじみ出ているように思えたからであった。
無言で、彼らを目だけで追っていく。 二人がテーブルにつくと、小柄な剣士のマントの裾から、銀色の甲冑の足が現れた。 雇われ傭兵の身に着ける、部分的な防具と違い、いかにも頑丈な、それでいて軽そうな、かなり良い物であると思われる。
あの甲冑は、どこかの軍で、支給されたんだろうか? こんな村には、軍隊などは、なさそうだし……というと、ヤツは、お忍びでここへ来ているか、または脱走兵か?
それに、あの兜。食事の時も外さないとは。アゴの部分だけ下げられる作りにもなってるな。やっぱり、顔を見られたくない理由があるんだろうな。あれも、安物じゃなさそうだし……。口元だけ見ると、意外と若そうだな……などと、ケインの想像は膨らんでいく。
定食は、どう探しても、もう食べる箇所は残っていなかった。
店を出てから、ケインは体を伸ばした。辺りは、暗くなり始めている。
「さて、それじゃあ、食後の運動と行くか」
昼間背負っていた大剣は、宿屋に置いてきていた。行く先々で人々を驚かせてしまい、警戒されて、店に入れてもらえないのも困るからだ。 大剣は普通の人間には重過ぎ、使用するのは不可能な上に、人目にも付く分、盗まれる心配もしていなかった。
今は、腰に下げた、一見ただの普通のロング・ブレードに見える剣のみである。
辺りが暗くなると、人里離れたところには、下級のモンスターが湧いてくるのは、どの国でも同じだった。山道や、自然の中などに、よく見られる。 ただし、彼が気になるのは、最近、数が増えたことと、下級では済まないものまで出現することもあるということだった。
通常、モンスターを斬るには、剣に、『魔除け』の護符やアクセサリーを付ける、または、神官や魔道士に『魔除け』の魔法をかけてもらうかであった。
しかし、そのどちらも、彼には必要なかった。 彼が持っている剣は二つとも、人の造ったものではなく、魔物にも有効であったのだから。
そして、今持っているロング・ソードーードラゴン・マスター・ソードを手に入れてから、ミュミュと出会い、旅を続けていた。
(ミュミュとの付き合いも、もう二年くらいになるんだなぁ。……そう言えば、あいつ、どこ行ったんだ? 今までも、勝手に消えて、いきなり出てきたりしてたからな。ま、いっか)
そんなことを思いながら暗い方、暗い方へ向かっていくと……。
「もし、そこのお方」
何か声をかけられた気がしたが、そのまま進もうとしたケインに、
「もし、そこの、背の高い、明るい茶色の髪をした、青い服の、見たところ、まだお若い旅のお方」
そこまで形容されては、彼も、振り向かないわけにはいかなかった。
そこには、村人であろう、白いひげを腹まで伸ばした、背の丸い老人が、心配そうな顔で立っていたのだった。
「今から、あの山を越える気かね? 悪いことは言わんから、やめなされ」
ケインは、にっこり笑ってみせた。
「大丈夫だよ、爺さん。俺、こう見えても、一人前の剣士なんだぜ。モンスターの一〇匹や二〇匹、どーってことないぜー!」
老人を、安心させようと、明るく言ったつもりだったのだが、ケインの思いに反して、老人は驚いて目を見開き、声を荒げた。
「何を言うんじゃ! そんなことをすれば、たちまち魔獣ドラド様のお怒りに触れてしまう! いかんいかん!」
「は? 魔獣ドラド?」
拍子抜けしたケインをよそに、老人は、山の方へ目を向けて、一度まじないの言葉のようなものを呟くと、またケインに視線を戻した。
「あの山の、てっぺんにある洞窟の中に棲(す)んでいる魔獣様で、ホッカイグマくらい大きくて、凶暴な肉食獣じゃよ。昔、ある時期になると村へ降りてきて、田畑や建物を荒らしていくので、村長と祭司長様が知恵を絞り、対策を考えたのじゃ。それは、その時期に、魔獣に生け贄(にえ)を捧げることじゃった」
「生け贄……? そんな時代錯誤な……?」
「時代錯誤とは何じゃ!」
老人は、何も知らないケインに、「仕方がないのう」と言いながらも、どこか張り切ったように、くどくどと説明した。
「生け贄には、いろいろなものを試したそうじゃ。ブタやウマ、ヒツジなどの大型動物から小動物、コメや農作物なども。しかし、いずれも効果はなく、村は大損害に見舞われておった。
そんなある時、この村のまだ巫女見習いの少女が、自ら進んで生け贄になったところ、その年は、魔獣が村へは降りて来なかったそうな。そして、時々ちょっかいを出しに来ていたモンスターたちも、姿を見せんようになったということなのじゃ。ありがたや、ありがたや!」
よほど感謝しているのか、老人は手をすり合わせて、目には涙すら浮かべていた。
「以来、毎年、若い女性の生け贄を捧げ、モンスターたちは村へ来なくなり、わしらも山へは入らなくなった。そのような暗黙の契約のもとに、この村は、こうして、魔獣様と共存しておるのじゃよ」
あんぐり口を開けて聞いていたケインであった。
「ありがちな言い伝えだけど、今時そんな話が……?」 「それが、あるんだってさ」
知らない男の声が、老人の後ろから聞こえた。
男が進み出ると、ケインには見覚えのある、先ほどの店にいた、金髪の軟派な傭兵であった。
「魔獣サマは、どういうわけだか、若い女しか食いたくねーんだってさ。人間の男ならともかく、魔獣なんかがよー」
傭兵は、面白くもなさそうに、顔を歪め、下品な笑いを浮かべた。 ハンサムが台無しだった。
「これ、口を慎まんかい! まったく、これじゃから、よそモンは! おお、おそろしい!」
老人は、またまじないの言葉を唱えた。
「じいさん、その魔獣って……本物なのか?」
トボケたケインの質問に、老人は、またとんでもないことを言いおって! という顔になった。
「本物に決まっとるじゃろーが!」
「誰も退治しようとはしないのか?」
それには、老人は、力なく首を横に振り、ため息をついた。
「皆、やられてしもうたんじゃよ……」
同情する間もなく、傭兵が「けっ」と言った。
「腕の立つ男たちはやられ、若く美しい女たちは食われ。どうりで、この村には活気がねーと思ったら……。しょーがねえ、こうなったら、少々不細工(ぶさいく)でも我慢してやるか」
「……おい、何の話だ?」
ケインは、呆れた顔で、傭兵を見た後、気を取り直して、老人に向き直った。
「その魔獣、俺が退治して来ようか?」
ケインの何気ない、親切心から出た言葉に、老人と金髪傭兵が目を丸くした。
「お、お、お前さんなんぞの勝てるお方ではないぞ! ほんに、おそろしいお方なのじゃ! それどころか、魔獣様のお怒りで、この村は全滅し兼ねないじゃろう! やめておくれ!」
悲痛な叫びを上げ、老人はケインの腕をつかみ、揺さぶった。
だが、ケインの中では、ふつふつと熱い思いがこみ上げて来ていたのだった。
「そんなこと言ったって、このまま放っておいていいわけないじゃないか! いずれこの村ごと獲って食われるぞ? ずっと怯えたまま、ただ死ぬのを待つだけでいいのか!? そんなのはだめだ! 誰かが魔獣を倒さなくちゃいけないんだ!」
そばにいた金髪の傭兵は、呆気に取られて、ケインの顔を見つめている。
立派な剣を持っていながら、その傭兵も魔物を退治しようという素振りもないことに、やはり、カッコだけの軟派なヤツだったか、と、ケインは一瞥(いちべつ)した。
「……仕方がない。祭司長様のところに、相談に行ってみなされ。どうしても行くと言うのなら、せめて、『魔除(まよ)け』くらいはして頂けるじゃろうからな」
白いひげの老人は、あきらめたように、ケインを祭司長の家へと案内したのだった。
「何!? 魔獣ドラド様を、退治するじゃと!?」
白い、飾り気のない法衣に身を包み、頭にも白い帽子を被った祭司長が、まじまじとケインを見つめた。
案の定、彼は、そんな考えを持つなと怒られた。 そういうことなら、この町を出て行くようにとも言われた。 ケインなりに説得を試みたのだが、同じことばかりを繰り返す彼らには、途中で無理だと悟った。
本気で取り合うことに、いい加減うんざりしてきた彼は、もう祭司長を説得するのはあきらめた。
「よくわかりました。では、これからこの村を出て、他の国に行くことにします」
深々礼をすると、ケインは、部屋の出口に向かって歩き出した。
「そんなことを言って、本当は山へ行くつもりではあるまいな?」
ケインの足が、ピタッと止まる。
(……鋭いな、このじいさん)
彼の行動は、祭司長に読まれていた。
「おぬしがちゃんと次の町へ行けるように、見送らせよう。クレア、この方をタルムの町まで、ご案内なさい」
その祭司長の呼びかけで、隣の部屋から出て来たのは、淡い色の神官服を着た、ケインと同じ年頃の少女だった。
黒く艶(つや)やかな長い髪に、黒曜石(こくようせき)のような瞳。目鼻立ちが整っているだけでなく、憂えた色を浮かべた瞳が、ますます月のような美しさを印象付ける美少女だった。
ケインは、いったん宿屋に戻り、大剣と荷物をまとめると、宿屋をチェックアウトした。 それから、クレアとモルデラの村を出た。
(タルムの町を越えると、アストーレに出られるな)
そこでクレアと別れてから、また戻ればいいなどと考える。
彼女は、巫女の服装の上に、黒いフード付きのマントを羽織っていた。ケインの大剣には、驚きを隠せないでいたが、おそるおそる切り出した。
「さっき聞こえたのですが……、あなたは、魔獣ドラドを倒しに行こうとしていたのですか?」
「ああ、さっきはな」
もうあきらめたような口調を装う。 しばらく無言で歩いた後、再びクレアが切り出した。
「ドラドを知っているの?」
話しているうちに、魔獣の名前は、村長が名付けたらしいことがわかった。
「いや。さっき、村のじいさんから、クマくらいの大きさの、凶暴な肉食獣だって、聞いただけだよ」
クレアは、憂鬱(ゆううつ)な面持ちになった。
「それも、あくまでうわさであって、今、この村にいる人で、魔獣を見た者はいないんです。でも、毎年、若い娘は生け贄に捧げられてるんです……」
ケインは、ちらっと、クレアを見た。
「……私の番だって、……いずれ回ってきます」
「えっ? きみ、祭司長の娘なんでしょ? 例外なしってわけ?」
思わず立ち止まるケインに、クレアは、首を振った。
「いいえ、私には、身寄りがなくて。ただ、祭司長様のお手伝いをしているだけですから……」
言ってから、クレアは足を止めると、一層思い詰めた顔になった。
「私……、こんな状態、もう耐えられないんです!」
彼女は座り込んで、両手で顔を覆った。
「村の人たちは、どうして平気でいられるのか、わからない。次は、自分たちの娘や孫が食べられてしまうかも知れないっていうのに、なぜ、何も手を打とうとしないの!?」
ケインは、片膝を着くと、クレアの肩に手をかけ、静かに尋ねた。
「きみは、魔獣ドラドを倒すことに、賛成なのか?」
クレアは、それには答えなかった。
「ドラドの情報が正しいのかどうか、偵察(ていさつ)に行くくらいは構わないだろ?」
明るい調子のケインの声に、クレアは思わず顔を上げた。何かを決心したような顔だ。
「もし、……あなたが行ってくれるというのでしたら、私もついて行きます」
「えっ! それは、ダメだ。危険だよ!」
焦るケインに、クレアは強く、首を横に振った。
「どちらにせよ、もうすぐ食べられてしまうんです。何もしないうちに、そんなのって耐えられないわ!それに、私、剣は使えないけど、白魔法ーー傷を癒す呪文は使えます。いれば、何かとお役に立てると思います」
なるほど、おとなしそうに見えたけど、意外と芯はしっかりしてるのかも? と、ケインは感心した。
その時、
「誰だ!?」
ケインは、クレアを後ろへ庇い、いつでも抜けるようマスター・ソードの柄を掴むと、気配を感じた道沿いの木を睨(にら)み据(す)えた。
すると、木の周りに生えている草を踏みならしながら、ひゅ〜という口笛が聞こえる。
「俺だよ、俺」
例の金髪の傭兵が、にやにやしながら出て来たのだった。
「何のつもりだ?」
ケインは、油断のない目で、まだ剣に手をかけたまま、傭兵を見る。
「おいおい、俺は敵じゃないって。そんな物騒なマネなんかすんなよ」
傭兵は、困ったように笑っている。
「お前が、魔獣を倒しに行くんだったら、ヒマ潰しに見学でもと、ここで張ってたんだよ。そしたら、こんなかわいい女の子付きなもんだから、びっくりしちゃってさ」
(驚いたのはこっちだ!)
ケインは、傭兵のおどけた調子に、多少の警戒心は解いたが、完全ではなかった。
「冷やかしなら、やめろよ。魔獣ドラドは、どんなヤツかわからないからな。偵察するだけとはいえ、お前も怪我をする前に帰れ」
真面目なケインの表情とは対照的に、傭兵は面白そうな顔をして、また「ひゅ〜」と口笛を鳴らした。
「よぉっ! にいちゃん、カッコいいぜー!」
彼は、手を叩いて、喜んでいるような、冷やかしているような、であった。 呆れているケインの横で、クレアが、キッと傭兵を睨みつけた。
「ちょっと、あなた、私たちは真剣なんです。からかわないでください!」
傭兵は、バツの悪そうな顔をして、からかう素振りはやめ、小さく呟いた。
「……だからさ、……俺も手伝ってやるよ」
気恥ずかしそうな彼の態度と言葉に、ケインは驚いた。
「は? 魔獣退治を、か? お前が? 何で?」
「安心しろよ。この剣にかかっちゃあ、魔獣だろうが何だろうが、ちょちょいのちょいだぜー」
傭兵は、なんだか意気込んでいるが、ここで、ケインは素朴な疑問を投げかけた。
「それはすごいが、……お前、強いのか?」 「お前こそ」
三人の間に、沈黙が流れる。
まあ、いい。今は偵察なんだ。こいつが弱いとわかれば、本番で連れて行かなきゃいいだけだと、ケインは思い直した。
「とにかく、この件では、この三人が仲間ってことだな。俺は、ケイン・ランドール。見ての通り、旅の傭兵だ。よろしくな」
「巫女のクレア・フローディアです」
「俺は、カイル・アズウェル。よろしくな!」
と、長髪をかき上げて、彼は、クレアに言った。
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