一人暮らしを始めてからわかったことがいくつかある。
まず、魔眼は直接でなくても効果を発揮してしまう。
一番の大問題だ。
一人暮らしを始めたころ、僕は一本の映画を見た。
深夜に放映していた、いかにもB級といった感じの映画だ。
ピラミッドに眠る宝を盗賊達が盗もうとするが、呪いで一人残らず死んでしまう、という如何にもな内容だった。
翌日、ニュースでこの映画の出演者全員が死んだと知った。ニュースキャスターは画面に映っていなかったので多分死んでいない。
この映画は本当に呪われているということになって、二度と放映されることはなかった。所謂お蔵入りだ。
この事実が示しているのはつまり、映像だろうが写真だろうが、僕が見てしまうとその対象者は死ぬということだ。
以来、映画は古い作品しか見ていない。対象者が既に死んでいるなら問題はないのだ。
僕が大学に来てから若干アニメオタクになりつつあるのも、この辺に問題があると睨んでいる。
次に全身を隠しているなら効果はないということ。
生身の部分を一部分でも見ると殺してしまうのだが、着ぐるみや箱に入っている人は大丈夫(透明はダメ)。
この仮説には自信があったので、遊園地に行った時こっそり試したのだ。要は僕の視線が相手の生身に届かなければいいらしい。
ということは、マジックミラー越しなら魔眼と見つめあっても問題はないことになる。しかし、わかったところで誰がそんなことをするのか。
そして、はっきり確認できる距離に居ないと魔眼の効果はない。遠くに見える人影程度では死なないのだ。
この辺りは結構いいかけんで、僕にも基準が分からない。
「色がはっきりと識別できる範囲」が基準だと思っているが、こればっかりは検証する気にもなれない。
眼隠しをしていない時に人影が向かってきたら、僕が目をつぶってやり過ごすか、まわれ右して遠ざかるしかない。
わかったことがあればわからないままのこともある。
魔眼は自分自身に効くのかどうか。
自分の手足を見ても死んでいないから、おそらくは大丈夫なのだろう。
しかし、鏡で自分と向き合う勇気はない。もし効くのなら、僕はそこで死ぬことになる。
それに魔眼をもつ魔物と対峙する時はいつだって鏡がつきものだ。用心するに越したことはない。
あれこれ考えているうちに頂上近くまで登ってきていたようだ。
風がよく通っている。近くに展望台でもあるのだろう。
体に感じる太陽の光は既に夕方だ。
周りに人の気配は感じなかった。
「誰かいますかー!?」
大声で叫ぶ。返事はない。
「よし」
僕は目隠しを取り、ゆっくりと目を開く。
「すっげぇ・・・」
目を開けると幻想的な景色が広がっていた。
太陽は西の空。街は黄昏に染まっている。
遠くに見える海がキラキラと眩しい。
車、電車、船。遠くから見るとこんなにも美しいのか。
景色が動いている。その全てに人が乗っているのだと思うと、なんだか少し胸が苦しくなった。
なんて命にあふれた風景だろう。視界全体から生命力を感じる。
ここ数年、僕の視界に生きている物はいなかった。でもここからなら生きている街を見ることができる。
ふと、理沙のことを思い出した。
「この景色、理沙にも見せたいな」
そのまま、景色に見惚れてぼーっとしていた。
「そろそろ帰るか・・・」
いつか理沙と一緒に来よう。誘う理由は風が気持ちいいとかでいいだろう。
僕は目隠しを付け直そうと頭に手をやった。
その時。
「直・・・?」
理沙の声。なんでこんな所にいるんだ?
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