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作品名:メビヤとヒーリヤ 作者:サヴァイ

第3回   3

その日のクラブはまたひどく混んでいた。ともみが海外に行ってしまう前にと殺到したのだ。
歌い終わって裏口から帰るともみを捕まえるのはカメラマンの数をみてまず無理だろう。一言聞くだけだ。
小さな舞台から去るところを追うことにした。
だが歌が始まるとそのことも忘れそうだ。俺と大木は手の甲に「追う」と書いた紙をテープで張り付けた。
これは効果あった。案の定、歌ってる最中は思考がストップした。だが終わって手に張り付いた紙を見たとたんにやるべきことに気が付いた。
ともみがお辞儀をして去りかけた。
「行くぞ」
隣の大木に囁き、外に出る客と反対に舞台横に向かった。

「ちょっと待ってともみさん!」
ともみに声は届いたようで歩みが止まった。だがクラブの店員が呼び止めた俺を遮ろうと前に立ちはだかった。
 「取材は外でお願いします」
 「取材じゃないんだ。ともみさん! メビヤってなんですか」
店員の肩越しに俺は声を張り上げた。
 「俺の弟はヒーリヤと言ってます。関係あるのですか」
強引な質問だが賭けだ。関係あることならともみは振り向くはずだ。
 「何言ってるんですか。外に出てください」
店員が押し返そうと俺の肩に手を掛けてきた。
 「ちょっと待って!」
そう言ったのはともみでなく先導していたマネージャーだった。あの冴えないマネージャーにしては大きな声が出たなと感心したほどだ。
マネージャーはともみとなにやら話してるようだ。店員は肩に置いた手をひっこめた。
「あのー、ちょっとこちらに来ていただけますか」
さっきの威勢の良い声はどこへやら、マネジャーはあたりを不安げに見まわし、俺と大木を舞台隅に来るよう手招きした。ともみも付いてきた。
「さっき、メビヤとかヒーリヤとか弟さんとかおっしゃったようですが、どういうことでしょうか」
マネージャーが聞いてきたので俺はこれまでのいきさつを話した。ついでにテープで聞かすのではなくてともみさんの生の声をきかせたいと付け加えた。ひょっとしてそれで弟はもっとはっきり意識が戻るかもしれないと考えたからだ。
「じゃあ、ともみがそのメビヤとかいう波長の音を出しているからみんながひきつけられるんじゃないかとおっしゃるのですか」
「そうです。ともみさんはわかっているのですか?」
お疲れ気味のともみはぽかーんとした顔で俺の質問の意味が分かってないようだ。
「ともみ、あんたメビヤって知ってるの」
マネージャーが聞いた。
「メビヤ…さあ、わたしはそんな発音してないし、意味も知らないわ」
やっぱりな。
「わたしもなんで歌がこんなに売れるのか不思議なんです。おかげで忙しくって。ともみも倒れそうですわ」
マネージャーはため息を1つつくとはっとしたように腕時計を見た。
「もう時間がありませんがお話では弟さんに直接歌を聴かせてほしいとのことでしたね」
「そうです。ぜひお願いします」
「ともみは近いうちに海外公演に行ってしまいますが」
「なんとかその前に時間が取れないでしょうか」
俺はマネージャーにぺこりと頭を下げると名刺を渡した。

そのマネージャーから連絡があったのは海外公演の迫った2日前だった。何とか半日時間が空けれたからということで俺は編集長に拝み倒して休みを取った。いや正確にはともみの取材ということでOKが出たのだが。
大木はどうしても外せない取材に随行とあって残念がった。
その日の午後、指定してきたテレビ局の地下駐車場で待機した。車の前に立つ俺に知らないおばさんが2人近づいてきた。
「お待たせ、さあ急いで」
その声はマネージャーだった。よくも変装したものだ。
2人を乗せると俺は1番近いインターから高速道路に入り弟のいる長野の病院へと飛ばした。

病院に着いたときはすでに日が落ち始めていた。
変装のおかげでばれることなく病院のロビーを抜け、無事病室に入ることが出来た。
田部医師と看護師、俺、ともみとマネージャーは弟のベッドを囲んで立った。
窓に夕日が当たり始めた。少し離れたところの高い山並みも茜色に染まっている。
昏々と眠り続ける弟を見るとここまでする価値があるのかという不安に襲われた。
「それではともちゃん、歌いましょ」
マネージャーに促されてともみが歌う。伴奏も無い生のともみの声が弟に向かって行く。
歌い始めの1小節目で弟の目と眉がピクッと反応した。そして2小節目には口が動いた。歌が進むにつれその変化に目を見張った。先回のような細々とした息の流れなんかじゃない。弟の口ははっきりと息を吐き出し吸い込むのだ。
何が起きるのかと心臓が高鳴る。医師は血圧計や心電図の機器を見やりながら弟の変化を真剣に見つめている。
歌の終わりが近づいたころ、突然弟の身体がびくっと動いた。それはまるで電気に触れたような一瞬だった。
「ともちゃん、手を取ってあげたら…」
マネージャーがともみを促す。なるほどもっと効果があるかもしれないと俺はマネージャーの機転にまた感心した。
そのともみが弟の手を取って歌い終わると、ぐにゃりと床に座り込んだ。
「ともちゃん!」マネジャーが慌てて体を支えた。ともみは失神したかのように頭をぐらぐらさせている。
「先生!」俺が叫ぶのと田部医師がともみの脈をとるのと同時だった。
ともみは目を閉じたままだ。だが顔色は変わらない。
脈を取り終え瞳孔を調べ息遣いを見て田部医師は、
「大丈夫だ。とにかくベッドに寝かせて少し様子を見よう」と、看護師にタンカーを寄こすように言った。
「先生、先生、本当に大丈夫でしょうね。明後日には海外へ出発ですのよ」
マネージャーはおろおろしながらタンカーにしがみついている。そのマネージャーに俺はひたすら後ろから謝るしかなかった。


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