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作品名:メビヤとヒーリヤ 作者:サヴァイ

第1回   1

 都心でも裏通りに入り込むと夜の闇に呑まれたようなはやらない酒場通りがある。これから向かうのもその類だ。
 「ここまで落ちぶれたんですかね」と大木が言った。
 「おまえは知ってるのか。俺は覚えがないな」
 「そりゃあ、出たと思ったらすぐ引っ込みましたからね」
 政治記者目指した俺に振り当てられたのは芸能記者だった。その不満がいまだに尾を引いて
芸能人のスキャンダル探しやスクープに身が入らないのは当然だと思っている。
 今朝1番、デスクに呼ばれて、ともみが今話題になっているから行って来い! それぐらいの情報は掴んでなきゃだめだろ! とどやされて間抜けにも
 「ともみ? だれですか、それ」なんてうっかり応えてしまいデスクの雷が落ちた。
 ここに回されてまだ1年しかたってないのだ、昔の歌手なんか知るか、と腹の中で毒づき、苦い顔で突っ立つ俺を大木が笑いをこらえた目で見ていた。
 大木は俺の相棒でカメラを担当している。もう3年もここにいるからいろいろ詳しいので俺は助かっている。俺の腹を見抜いていて
 「新井さんよ、芸能の中に政治ありだ。ばかにしちゃいけないよ。裏を見抜く力をつけるにはもってこいだ」とおだてるのもうまい。
 その大木と、ともみが歌っているクラブに向かっていたのだが探す手間もなかった。人だかりの中におなじみの記者たちが手を振っていた。芸能プロの顔も見える。
 「やはり噂になってるらしいですね」
 大木がカメラを構えながら言った。
 「噂ってなんだ?」
 「歌を聴けば分かるそうですよ」
 「あんたはもう聴いたことがあるのか」
 「いや、今日が初めてで、楽しみですよ」
 ステージといっても小さなクラブなので3人がやっと立てるぐらいの舞台にくっつくように客席が続いている。
 だがその客席の面々を見て内心驚いた。有名な芸能プロ関係者や名の知れた俳優までいるのだ。
ステージが暗くなると同時に小さなその舞台に明るすぎるくらいのスポットライトが当たり、横から
小柄な女が出てきて明かりの中に入ると、小さくお辞儀をして顔を上げた。
「ああ、これか」見たことはあるが乱立する新人歌手のうちの1人だったぐらいにしか印象はない。
ともみは愛嬌たっぷりの笑顔でこの満席に応えている。だが少しはにかんでいるような様子も見られる。
降ってわいたような人気に本人の方がわけも分からず戸惑っているという感じだ。
前奏を聞いて、ああ、と思い出した、なんとなく聞いたことがある。流行したしたわけでもなくいつか消えていた歌だ。
歌いだしはなんの変哲もない。口を開いたともみに向けてフラッシュがいっせいに飛んだ。大木も移動しながら何枚も撮っている。だが歌が進むにつれフラッシュが止み始めたのに気が付いた。気が付きながらも大木に声をかけることを忘れた。
俺の耳が歌を焦がれているような、変だが歌に思考が吸い込まれてしまったような状態になっていた。
俺だけではない。客席の全員がそうに違いない。なぜなら私語一切が聞かれなかったからだ。
持ち歌だけでなくその後続いて歌われた他の歌も同じだった。
歌い終わったともみは拍手もなくしーんとした客席の反応に困ったような笑顔でお辞儀をすると横に消えていった。
誰かの咳がきっかけで目が覚めたようにざわつきが戻った。
「おい、裏口だ!」
急に立場を取り戻した記者とカメラマンがバタバタと裏口に駆け込んだ。
 俺の頭は走りながら混乱していた。何を質問したらよいのだ。特別声が良くなっていたわけでもないし。
 裏口ではすでにともみをガードするマネージャーと、ともみを、記者が取り囲んでいる。
 「ともみさん! 歌い方に何か特別な仕掛けでもあるのですか!」
 仕掛けか、うまいことをいうやつがいるな。
 「なにもありません。同じように歌っているだけですわ」
 「でもこれだけ人気が出て、聞きほれてしまうんですよ。なにかあるでしょう」
 「さあ、わたしにもわけが分かりません。どう違うのかみなさんに聞きたいぐらいですわ」
 ともみは頬に人差し指を当てながらちょっと顔を傾けてしおらしく見せた。25歳にしてはあどけないしぐさをする。
 「いつからこんな歌い方にしたのですか」
 「いつからって……」
 垂れ目を空に向け、いかにも考えるふうに見せたが
 「うーん……わかんない、マネージャーに聞いて」
 「えっ、そんな」
 隣に控えていた中年の域に入る女性マネージャーが、自分に質問を振られ慌てた様子で答えた。
 「えーとですね。こんなに人が入るようになったのは、2,3週間前ぐらいだったかしら」
 このマネージャーにしてピシッとしていない。売れない歌手にさえないマネージャーありだ。
 車の運転手が早く来いとばかりに手招きしているのに記者たちをさばきかねている。
 「ともみさん、テレビ出演も当然ですよね」
 「そうなればうれしいわ」
 素直に目を輝かせて答える姿に俺は苦笑した。その笑顔は質問する気をなくすような邪念の無いというか幼いものだ。
 「さあ、さあ、みなさんどいて下さい。次の会場に行きますので」
 マネージャーはともみをせきたてようやく車に乗せた。
 去っていく車をみながら俺は腕組みしながら考えた。
 「大木さん、歌を聴いてどうだった。撮るのも忘れて聞いてたみたいだが」
 「おう、それなんだよな。分からん。手に気が向かないというのか。歌が聞きたくてそんなこと忘れてたような。不思議なんだ。今までこんなことなかったな」

 社に戻ると記事にかかった。『会場を魅了させるともみの歌声』ではありきたりすぎるな……
 歌い方は以前と同じだ。鼻にかかかった甘い声もだ。なのにどうしてか……考えても分からないならありのまま書くか。
 大見出しはこうだ『聴くと虜に!ともみ謎のカムバック』中身は…あのほっぺに人差し指の写真を大写しにして本人の取材の様子を載せて完了。
 早速記事をゲラに回すとやれやれと窓を見た。
高速を流れる車のライトがビルを写し出しては去っていく。
 そのライトからなぜかともみが浮かんだ。いつもなら記事が終われば頭はもう次に向かっていてこのように尾を引かない。俺は自分の感傷に戸惑った。正直に言おう。もう1度聴きたいのだ。この妙な感情に自分でもつかめないなにかがあの歌の中に隠されてでもいるのだろうか。

落ち目のともみを雇ったクラブは人気に慌てて専属契約を結んだ。うらぶれたクラブは一気に客であふれかえるようになった。俺と大木は取材にかこつけ何度も足を運んだ。今や人数制限まで出すありさまだ。
大手の芸能プロやテレビ局も黙ってはいない。クラブと交渉し大金をコネにともみをメディアに登場させた。
いまやともみの歌が流れないところがない。その現象はついに海外にまで波及した。評論家が不思議がる。
だが不思議がる彼らもともみの歌に魅了されているありさまだ。
わけの分からないオカルト現象だ。機器を通しての歌よりもクラブでの生の声はより強烈に陶酔される。
クラブはいまやチケット制で俺と大木はチケットを手に入れるのに躍起となった。
今夜もようやく取れたチケットに興奮して大木と2人で電車に向かう途中でポケットの携帯が鳴った。
着信相手はT病院だ。まさか何か異変が……
「ちょっと待て」大木を呼び止めて俺は携帯を耳にあてた。
「もしもし、新井です」
「ああ、良かった。私です、田部です」
「先生、弟がどうかしたのですか」私の緊張した声が伝わったのか
「いや、その後も変わりはないのですが、ただちょっと不思議な様子が見られるようになったので、お知らせしようと思いまして……お忙しいこととは思いますが1度来られませんか」
「不思議とはなんですか、よい兆候なのですか」
「いえ、なんともいえません。とにかく来ていただければわかりますから」
「分かりました。週末に伺います」

携帯を切るとすぐ近くに大木がいた。
「なんだ、弟さんの様子が悪くなったのか」
「いや、そうでもないらしいが……よく分からんが来てほしいとのことだ」
「もうどのぐらいになるんだ」
「1年とちょっとだ」
「ずっと意識は戻らないのか」
「ああ、戻らん」
あれから弟は1度も目覚めない。このまま植物人間となってしまうのか。
ともみのことで占められていた俺の頭に割り込むように弟の姿が浮かんできた。
弟は東京の某大学に入学準備のため、両親とともに実家の長野から父の運転する車で高速を飛ばしていて大型の車に衝突された。前の車もトラックだったためサンドイッチになり、前席の両親は即死だった。弟は後部席にいて全身を打ち、そのまま意識が戻らない。点滴で持っているようなものだった。原因はトラックの運転手の居眠り運転だ。俺はこの手の事故が絶えないことに憤り、社会問題にしてやると必死でトラック会社やそこに働く運転手の状況を調べ上げ記事にすることばかり考えていた。
あの時の俺はやりきれなかった。怒りや悲しみをそのまま記事にぶつけていた。たぶんそれだから記事は没にされた。そして芸能部に回された。頭を冷やせということだろう。だが俺はあきらめないぞ、泣き寝入りの目に合っている家族や俺の無念をいつか記事にする。


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