水平線が薄青く白み始めた。 バラムの浜辺はサラサラと打ち寄せる波の音とともに、いつもの穏やかな表情で朝を迎えようとしている……その浜辺に人が4人打ち上げられていた。ビクとも動かない──と、その4人の身体の上を先程から薄墨の靄が覆っては離れ、一人づつ移動していった……そして、一番小さい身体に移動してから靄は動かなくなった。 <この身体だけ生体反応がある> そう確認すると、身体全体をすっぽりと覆い始め、やがて吸い込まれるように身体の中に消えていった── <君、君……分るかい> 反応が無い── 靄は、脳に張り巡らされている神経細胞──シナプスに微量電流を送った。 身体がビクッと反応した。 <君……聞こえるね> ──うう……誰、父さん? 少年はぼんやりとした意識の中で返事をしたが、声にならない。 <君は今、生と死の境にある> ──生と死?……僕の事…… <そう、君だ。でも、私が君の細胞に力を与えよう> ──えっ、細胞って……僕の身体のこと……僕……誰と話してるの?……父さんは、母さんは…? <君は今、海岸に倒れている。君の他に三人の人が同じように倒れているが、もう生体反応が無い> ──三人……海岸……ああ、海、暗い海……警備艇が来る!… そうだ! 僕達はマライから逃げたのだ!……それから……それから、風が吹いてきた。漁師のおじさんが──危ない!って……父さん! 母さん! どこ! アマトは意識がだんだんはっきりしてきた。怖かった一夜のことも蘇ってきた。でも風が強くなってきたまでは記憶にあるのに、その後の事が思い出せない! どうして海岸にいるのかも…… ──父さんー ──母さんー 意識の中でアマトは必死で両親を呼んだ。 <父さん、母さんというのはどうやら一緒に倒れているうちの二人のことのようだね……残念だけど生体反応が無い……息をしていない。細胞がすべて止まってしまっているのだよ> ──息をしていない……嘘だ! そんなの嘘だ! 僕だってこうして生きているじゃないか! <君、今そんなに興奮しては、脳細胞のコントロールが難しいよ、君もまだ細胞が危ない状態だからね> ──細胞、細胞ってさっきから何を言ってるんだ……夢……僕、夢を見てるのかな。そうだ、夢の中なんだ! 起きなくっちゃ。 <あっ、君、まだ無理だよ> ──痛い!──頭が! <ほら、シナプスがまた切れた> ──痛い!──誰なんだ 先程から話しかけてくる相手の声が、耳から聞こえていない気がする……頭の中からのような…… <私はこの星の生物ではない。今は君の体の中にいる> ──えっ、?……僕の体の中だって! <今の君には理解することは難しいだろう。地球にいる間、私は君の体を借りることにする> ──えっー嫌だ! 僕の体は貸さないよ、出てって! <仕方ないんだよ、そうしないとこのままでは君は死んでしまう。君はさっきから興奮し過ぎている。これ以上何も考えないほうが良いから、暫くの間、君の意識を止めることにする> ──止めるって! 何をするんだ。やめてよー <その前に伝えておこう。今はこうして私は君に呼びかけているが君のこれからは意識がある時と無い時が起こる。ある時は、君自身の意識で動くが、無い時は私の意識で動くことになるから> ──えっ? え?……どういうこと……分らない、やめて! <怖がらなくてもいいんだよ、私はこれからずっと君の体を守ることになるから>
バラムの村長、ダセはぐっすり眠り込んでいた。 夜中に突風が吹いて、妻が戸口や窓の蔽いがパタパタと暴れるのを、押さえに駆けずり回っていても起きようとさえしなかった。 夜明け前の爽やかな空気に包まれて、小鳥たちのさえずりでゆっくりと目覚めることがダセの気持ちよい一日の始まりなのだ。もしもその前に起こしようものなら、ダセの不機嫌極まりない顔と対面する羽目になる。村人は良く心得ていて、損なことはしない。 ところがそんな習慣を踏みにじることなど平気なのが一人いた。 「ダセ! ダセ! 大変じゃ」 突然、外で声がした……耳障りなだみ声だ。ダセの眉がピクッと動く。 「ムムム……」ダセは声を無視してそのまま眠り続けた。 「ダセ! 起きろ──ダセ!」 声は止むことなくわめき続けている。 隣で寝ていた妻がダセを小突いた。 「あんたを呼んでるよ」 ──誰だ! こんな時間に騒ぎおって! ダセはしぶしぶ布団から出た。眠たい瞼をこすりこすり戸口に向かった。 無理やり起こされて腹が立って来た。むらむらっと怒りが喉まで来た。 戸口に垂れている布の蔽いを勢いよく腕で払いのけ、怒鳴り返してやろうとしたダセは 「うっ!」と喉を詰まらせた──魔物! ──か?…… 伸び放題の灰色の縮れ髪、皺だらけの顔、歯があるのか無いのか分らない落ち窪んだ口元、足元まで垂れ下がっているぼろ服を纏った老婆が、目だけはぎょろつかせて、薄闇の中でダセを睨んでいる。 ──なーんだ、こいつは占い婆じゃあないか 正体が分ってホッとしたとたん、脅された事に腹が立ってきた。ただでさえ起こされて機嫌が悪いと言うのに…… 「婆、なんの騒ぎだ! 真夜中だぞ! 」 「何を寝ぼけとる、もう朝じゃわい」占い婆はダセの気持ちなどお構いなしだ 「ダセ、大変じゃーお告げだぞ! 占い玉が光ったのじゃー村に何か起きるぞ! 」 「光った? 何が」 「わしの家に古くから伝わる占い玉じゃ」婆はいらいらとダセを見上げた「お前も見たじゃろう、あたり一面すごい光に包まれたじゃろう! 」 「光……? わしゃ知らんぞ、婆、寝ぼけたとちがうか」こんな事を言うためにわざわざ山から下りて来たのか、あほらしい! 「寝ぼけてなどいないわい、村のためを思って来てやったのになんていい草だ!」 二人の言い合いを布団に横たわったまま聞いていた妻が「そういえば稲妻が光ったわ……」寝たままぼそりと言った。 「稲妻?」この時期、夜中にか……ダセは首をかしげながらも「婆、聞いたか、そりゃあ稲妻じゃ」 「稲妻なもんか、わしの玉が光ったのじゃ! 」 「婆、そりゃあな、稲妻の光が玉に当たって、そう見えただけじゃ」 もうこれ以上取り合ってもしょうがない。ダセは一時も早く寝床に戻りたかった。 「もういい、帰って寝ろや」そう言うと手で上げていた覆いを降ろしてしまった。 「ダセ! 待てダセ─! 村の者を集めてお祈りするんじゃー」 「うるさい! わしゃ、まだ寝るんだ、帰れ! 」
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