夜明けの陽がうっすらとあたりに射し始め、近くの木々や遠くの林から鳥達がさえずりを始めた。 パシカ達は昨夜、ダセが町から帰って病院に来たついでに一緒に家に帰った。病室にいるのは博士だけだ。壁の長椅子に横になり眠っている。
靄は破傷風菌を根絶したことを確認すると、アマトの身体の状態を調べた。傷口もふさがれ、内出血も分解した。残るは折れた骨の回復のみとなった。意識を回復させれば痛みも戻るが仕方がない。あまり長く意識を止めていると、さまざまな刺激を処理する伝達物質が働くのをやめてしまうおそれがある。靄は止めていた電気の回路をつなげた。
「うっ……うう―」
自分のうめき声に呼び覚まされてアマトは夢の中にいるような遠い意識を覚えた。その意識にはちくちくとした痛みがあった。それがどんどん大きくなって来て耐えられない。
「痛い―痛い! 」ついに口に出していた。
アマトのうめき声にハッと目を覚ました博士はあわてて長椅子から起き上がってアマトに駆けよった。
「……痛い! 」顔が痛さで歪み身体を無理に動かそうとしたためさらに痛みが大きくなったようだ。
「つっ! 痛い! 」 「アマト、痛いのか。私だよ。ケーシー博士だよ」
麻酔が切れかかったように痛がるアマトに声をかけた。
「今、痛み止めを打つから我慢して」博士はベッド脇に用意しておいた注射器に薬を入れるとアマトの腕に注射した。 痛さに悶えて、荒く息を吐いていたのがしばらくしておさまった。 痛みがスーッと遠のくとアマトは目を開けた。ぼんやりした視野の中にケーシー博士の顔があった。
「気が付いたね……」
博士が優しい声で微笑んでいる……その笑みを見てアマトはようやくはっきりと目が覚めた。博士以外の病室が写った。僕、ベッドにいるんだ。
「博士……」かすれた声がアマトから洩れた。
「よかった。助かったんだよ」博士はうんうんと頷きながら言った。
「僕……あの時、崖が崩れて落ちたんだ……」生々しい出来事が急激に蘇った。
三人に迫られた時の恐怖も! 一枚一枚の絵がめくられていくようにその時の様子が頭の中を駆け巡り、最後に崖が崩れた時、落ちながらまるで閉じられたカーテンがパッと開けられたみたいにある光景がよみがえった。あの時……父さんが叫んだ―
「博士……僕、思い出しました。海が荒れてボートが転覆しそうになった時、父さんが大声で、言っておきたいことがある、って……」
両親の死は思い出したくもなかった。考えると辛くて悲しくなるからだ。パシカや村人との生活のなかで少しづつ辛さも悲しみも薄くなって来た。なのに父親の叫ぶ姿が強烈に浮かんできて、アマトはその時の感情の渦に舞い戻ってしまった。
──父さん……母さん……僕はどうしてこんな目に遭うの―
甘えたい……怖い目にあってばかりいる僕を抱いて欲しい。 アマトは初めてそんな気持ちになった。でも父さんが伝えてくれって頼んだんだ。しっかりしろ……アマトは心の中で甘えたい自分と十二歳なんだしっかりしろと励ます気持ちとを交錯させながら口を開いた。
「父さんは、マタイの工場の地下で密かになにかを作っていると言ってました……」 「記憶が戻ったんだね」 アマトは軽く頷いた。 「思い出すのは辛いだろう。教えてくれてありがとう……」博士のいたわりの声が分かった。僕の気持を受け止めてくれている。アマトの心にじわっと温かい物が流れた。
「工場とはどこなのかアマトには分かるかい」 「知ってます。マタイで工場と言われている場所は一つだから」 「そうか……お父さんはその地下でなにかをやらされていたんだね」 「僕も母さんもなにも知りません。父さんはたまにしか帰って来なかったし教えてくれませんでした」 「そうか、きっと家族を危険な目に合わせたくなったからだろう」 「博士……父さんは知られては困ることをさせられていたの?……だから僕が知ってると思ってクラノスは狙って来たんでしょ? 」 「そうだろうね」博士にも見当がつかない。なにをやらされていたかは。 「でも、もう君を狙ってくることはないだろう。犯人の三人はあの晩逃げるところを捕まって、今は町の刑務所に入ったからね」 「ほんとう! 」アマトは嬉しそうについ声に力を入れ過ぎた「痛たた!」 「まだ動いてはだめだよ。骨折してるんだから。今は痛み止めが利いてるから楽なだけだよ」 「パシカは心配して泣いただろうな」 「昨日も来ていて、村長と帰って行ったよ。またきょうも来てくれるから。パシカのクロがいてくれたおかげで君を救うことが出来たんだよ。賢い犬だ」
アマトは博士と話しているうちにだんだん気持が落ち着いて来た。 その時まだ眠そうな顔で医者が様子を見に来た。
「これは驚いた! 気がついたんだね」
医者が目を大きく開けて言った「強い子ですな―破傷風にも負けず、怪我もあっという間に治っている! 不思議ですね―」驚きを隠せずアマトを見つめている。
「特異体質ですからね」そう言い逃れて「骨折が治るまでよろしくお願いいたします」
医者は博士にお願いされると「はい」と答え「ゆっくり養生して下さい」と言うと朝の診察の準備があるからまた後で傷を見に来ます、と出て行った。 アマトは医者の言葉に引っかかった。
「博士、いま破傷風って聞こえたけど、それって恐い病気の『破傷風』のこと? 」 「そうだよ……まだ話してなかったけど、君は傷口から破傷風菌が入ってしまったんだ」 「僕が! 」 「でも、だいじょうぶだ。それは治ったから」 「治ったの! 僕、全然覚えてない! 薬があったの? 」 「いいや……今も医者に言った通り君は特異体質らしい。それと―」博士は意味ありげな目で「イダスの占い爺のまじないの力も借りたんだよ。だがこれは医者には内緒だ」 「特異体質? まじない? 」アマトには意味が分からない。ただ……もうひとつ、胸に引っかかるある疑問……これは博士に言ってない。マタイから脱出して遭難から僕一人だけ助かったこと……タグラグビーで驚いた自分の体力……試合で誘拐された時、みんなと同じように睡眠薬入りジュースを飲んだのに早く目が覚め助かったこと……そして今度も考えてみれば不思議なことだ。あの断崖から落ちて助かり、しかも破傷風にかかっても治ったなんて……
落ちる時に戻った記憶の中には妙な会話をしたことも含まれていた。それは夢の中の出来事だと思っていた。博士に言える中身ではなかった。でも……あまりに不思議なこれらの出来事を考えると、アマトは夢なんじゃなくて本当かもしれないと考えてしまう。たしかあの時「君を守ってあげる……」と言っていたような。
まさか……僕の中に本当にいるのか?
「どうした? 痛むのか」
アマトが黙りこくってぼーっとしているので博士が聞いてきた。 博士に話したら笑われるかな。頭を打って可笑しくなったじゃないかと疑われるかな。 博士はそんな迷ってるようなアマトの様子を注意深く見守った。アマトの中にいる者はアマトが目覚めたら聞いてみるよう言っていたが、できればアマトの口から言うのを待ちたい。なにか思い出したのだろうか……
「博士……」アマトは博士の目を見た。 「うん、何だ……」 「僕の身体って変じゃないですか」問いたげにじっと博士を見たまま「前の僕の身体はこんな丈夫じゃなかった。タグラグビーだって僕は弱かったし、怪我だってこんなに早く治らなかった……僕じゃないみたいだ」
「うーん、たしかに普通ではびっくりするぐらいの回復力だね」博士は言葉を慎重に選んだ。アマトは言いかねているのだろう。 「アマト……世の中にはまだまだ分からない不思議なことはたくさんあるんだよ。騒いだことで気違い扱いされてしまうこともある。でも、言わなかったら分からずじまいで解決しないで終わってしまう。納得できないことがあったら恐れず言えばいいんだよ」
博士はアマトの顔を見ながら諭すように言った「なにか気になることがあるなら話してごらん。私なら安心だ。話を頭から否定するような固い人間ではないつもりだからね」
博士が優しく見つめて来る……その眼差しはなにを話してもだいじょうぶだよと言いたげだ。喉まで出かかっている疑問が言葉になってアマトは話し始めた。
「海で嵐にあって遭難した僕は、海岸に倒れていたんだ。その時、父さんも母さんも漁師のお爺さんも一緒だったけど……三人はもう死んでるよ、って声が聞こえたんだ……」 話しだしてみるとその時の記憶がはっきりとしだした。 「僕も危ないって言ってた……僕は、だれ? ってその声に聞いた。そしたら……その声は僕の中からだって―」アマトは博士がどんな反応をするか不安げに見つめた。
博士はこっくりと頷いてくれた。
「アマトの身体の中から話しかけてきたんだね」
「うん。その声は自分はこの星の生物ではないと言ったんだ。地球にいる間僕の身体を借りるって……僕は、嫌だって言ったけど、そうしないと僕の命も助からないからと……」
アマトは思い返しながら、これまでの不思議な出来事がようやくなぜか分かって来た気がした。
「博士、僕がなぜドゥルパの洞窟近くの河原に倒れていたか、ずっと、不思議に思ってたけど、僕の中のその……宇宙人がそうさせたと思うんです。この星の者ではないということは宇宙人ですよね。そいつが言ったんです。僕の意識を止めるって。これから、その宇宙人の意識で動くことがあるって。博士、信じます? こんな話―」
博士はさぞ驚くだろうと思っていたのになぜかあいかわらず眼差しは優しいままだ。
「普通なら、とても信じられないことだ。だが、私は君の怪我や病気が見る間に回復する様子を目の当たりにしている。それに……」博士はアマトに微笑んだ「君が意識を失っている間にその宇宙人が私に呼びかけて来たんだよ。断崖から落ちた君を助けるために力になって欲しいとね」
気を失ってる間に起こったことを博士はアマトに聞かせた。宇宙人がアマトを守るためにどんなにがんばってくれたかを。イダスの占い爺の杖の由来とその杖の力を得て破傷風を退治してくれたことも。
「そうか……本当にいるんだ。夢だと思っていたけど……僕は僕の中の宇宙人に助けられていたんだね……ほかの人も知ってるんだよね。僕の身体の中に宇宙人がいるってこと」
博士は首を振った「いいや、知らない。呼びかけられたのは私だけだ。みんなは神木の力とアマトの『特異体質』のお陰だと信じてる。知られない方がよい。そんなことが分かったら大騒ぎになるからね。『特異体質』といえばその通りだ」
博士が知っていてくれる。アマトはそう思うと気持ちが楽になった。あり得ないことを一人で抱えて悩むとこだった。宇宙人なんて言ったら気が狂ったかと思われてしまうだろう。きっと分かってくれない。どんなに人の良いバラムの村人でも。博士が知ってて分かってくれている。それも科学者だ。
「これは二人だけの秘密にしておこう。いいね」
「うん」アマトは小さく頷いた。その時顔を動かしたことで痛みが襲った「うっー」
「まだ、骨折してるところが治ってないから動くと痛むだろう。しばらくは安静だ。痛みが我慢できなくなったらまた痛み止めを打ってあげるよ。さあ、少し休みなさい」 博士は立ち上がると「私はちょっと顔を洗って外へ行ってくるからね。そのうちパシカや村の人達もやってくるだろう」 博士が出て行くとアマトは窓の外の景色に目を向けた。祭りの出来事が嘘のように静かな青空が広がっている。遭難してからこれまでの短い間に自分の身に起きたことをことがつぎつぎと浮かんだ。そういえば占い婆の玉をどうしてあんなに欲しがったのかも不思議だ。夢のお告げみたいに取りつかれていたっけ……あれは自分の意志だったのか……それとも……
〈アマト、ようやく思い出しましたね〉
声だ! あの時の―
──君は僕の中にいる宇宙人なの?
〈そうです〉
アマトは一瞬言うべき言葉が浮かばなかった。
──自分の中に別の者がいるなんて信じられないんだ。でも僕は君のおかげでなんども命を助けられたんだよね。
〈そうです。始めに約束したように私はあなたの命を守ります。それにしてもこれほどなんども危ないことが起きるとは驚きます〉
──助けてくれてありがとう。僕を襲った犯人は捕まったからもう危ない目に遭うことはないと思うよ。
声なき会話が不思議だ。それも自分の頭の中で。それに僕はいったい誰と話しているのか、姿も見えない相手なのだ。なんで僕の中にいるのかも分からない。
〈疑問だらけかもしれませんが、これからわかってくるでしょう。今はまだ語る時ではありませんから〉
ギョッとした。僕の考えていることが分かってしまうのだ。
〈球体探しは私の意志です。でもアマトの意識を止めてはいません。私は人の夢を使って行動を促したのです〉
──どうしてあの玉が欲しいの?
〈あれはとても重要な役目を持っているからです〉
──重要な役目って?
〈答えるにはまだ難しい時期です。ただ地球のために必要なのです〉
──地球のため?……なんだかよくわからないけれど。君は僕の中にいると言うけれど姿は見えないの?
〈姿ですか? 人からは見えないでしょうが存在はしています〉
見えないけれど存在してるなんて、まるで幽霊のようだな。といっても幽霊なんてまだ見たことがない。
〈これで会話は切ります。あなたの身体は休む必要があります〉
頭の中でぷつーんと止まった感じが残った。なんだか眠くなって来た。窓の景色がぼーっと薄くなってきてまぶたが下がってきた。
そのころ博士は洗面を済ませて外に出ていた。一人でゆっくり考える必要があった。強い日差しを投げかける青空を、手をかざして眺めた。ここは地球……宇宙衛星がとらえた青い海と白い雲、緑の森、茶色の大地……おそらく広い宇宙の中でも生命が生まれている素晴らしい星に違いない。とそこまで思って、ふと、これも人間の勝手な狭い考えなのかなという考えが浮かんだ。見えない宇宙人の存在を知ってしまったのだ。地球を君臨している者は私達、人間だろう。その人間の頭脳では理解できない存在……。信じられない、という言葉は使いたくない。だが私も人間なのだ。科学者として不思議な宇宙人がいることもあって当然と冷静に受け止めなければと考える傍らで信じられないと言う心の声がしている。正直いって頭をガーンと殴られたような衝撃を受けているのだ。
──私もまだまだ未熟だな……
自分に苦笑しながら大きく伸びをした。私でさえこんなだ。アマトはもっと大変だろう。自分の内に未知の宇宙人を抱えてしまったのだから。 アマトにはあなたが必要です。力になってやって下さい。私にも必要です。と言ってたな。これからなにが起こるのか……宇宙人はアマトの中にいてなにをするつもりなのか。 考えても分からないのだ。その時に対応するしかない。ラファン、……私は想像もつかない世界を知ることになりそうだよ―
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