アマトは病室のベッドに横たわったままでまだ意識が戻らない。 顔や腕に描かれた鳥模様がまだそのままだ。 博士は窓のカーテンを開けた。もうすっかり朝だ。疲れの濃い顔が朝日を受け眩しそうにゆがんだ。 ダセは村長として祭りの後始末もあるのでアマトに付いているのは博士とディオ、ティムの三人だ。どうしても付いて行くと泣きじゃくるパシカを家に帰らせた。もうだいじょうぶだから後から来ればよいと言い聞かすのに苦労した。 ディオとティムを先に別の部屋で休ませている。
「まだ意識が戻りませんか」
医者が心配そうに傷の様子を見に来た。
「怪我の方は骨折を残してあとは心配ないのですが……」もぞもぞと博士に言いにくそうにささやいた「ひょっとして頭を強く打ったのが影響してませんか」
それは博士も心配していることだ。顔色も身体も状態は悪くない。ただこんこんと眠ったままだ。意識が戻らないということをのぞけばもう丈夫なのだが。それを調べたくてもここでは脳を調べる設備が無い。アマトの中にいるものとは何者なのかも気になる。
「このまま意識が戻らないようならパモナの町病院に移った方がよいでしょう。そこならもっと設備が整ってますから診察出来ると思いますよ」
医者はそう言うともう一度アマトの顔を見て首をかしげながら出て言った。
博士はベッド横の椅子に腰かけて大きな溜息をついた。身体が重い。こんなことになるならスイスに強引に連れて行けばよかったのだ。クラノスがこうまで執拗に息子を狙ってくるとは……なぜなのだ。知られてまずいことをラファンにさせていたのか。この子はなにも知らないというのに― 疲れがどっと押し寄せ朦朧として来た。まぶたが重くてたまらなくなり、ついに博士は頭を垂れてしまった。
アマトの意識を回復できないのは靄がまだ格闘していたからだ。怪我や骨折の対応はほぼ完了していた。ところが思わぬ敵があらわれた。怪我から入り込んでいた外敵がアマトの血管に入り脊髄から脳にまで忍び寄っていた。アマトの筋肉がふるえたり熱が出始めている。
〈外敵から守っている白血球にいるミクロの戦士たちよ。敵が何者かを調べ攻撃を開始せよ〉
T細胞がすかさず敵の細菌に向かう。細菌の種類を急いで見極めると脳に知らせた。 敵は『破傷風菌』だ。強敵だ。早くやっつけないとアマトの身体は死に至る。細菌を食べるマクロファージ―や破壊するリン細胞を大量に送りこまなければ……
靄もミクロの戦士と一緒になって電気攻撃を開始した。全エネルギーを当てた。『破傷風菌』の勢力がどのくらいなのか分からない。なにしろアマトは全身に傷を帯びたのだ。 『破傷風』に対抗できる薬が人にあるのか。
〈博士、博士、聞こえてますか〉
返事がない……眠ってしまったようだ。呼びかけが届かないほど深い眠りになっている。 もっと強力な呼びかけで目を覚まさせることは出来るがそれに使う余分なエネルギーがない。 その時、病室のドアが開けられパシカがタネに手を取られ入って来た。
「アマト! わたしよ。だいじょうぶ? 」震える声でパシカが言った。
「パシカ、アマトは眠ってるのよ。声を出さないで」タネがパシカの口に指を当てた。
「博士もお疲れのようだね。起こさないようにしましょ」
博士はドアからパシカやディオ、ティム、ジョセ、サキが続いて入ってきてもまだ椅子に持たれたまま目を覚まさない。 「博士、変わりますよ。隣の部屋で休んでください」ディオが肩に手を当てそっと揺り起した。
「まあ! ちょっと見て! アマトの手が! 」タネがびっくりして叫んだ。 「こりゃ―なんだ! 震えてるぞ……いや、まるで痙攣してるみたいだ! 」 「それに額から汗が出てる! 」タネは急いで額に掌を当てた「熱い……熱があるんだ! 」 「こりゃあ、いかん。医者を呼んでくる! 」ティムが病室から飛び出した。
「母さん! どうしたの。アマトがおかしいの」パシカがタネにすがった。
「……う、うーん……」あたりの騒々しさに博士が重い目を開けた。村の人達がいる。 「あっ……ああ、みなさんでしたか……」博士は眠気を飛ばそうと頭を人振りしてみんなをもう一度見た。様子が変だ……パシカが泣いて母親にすがっている。ジョセやタネもアマトを心配そうにのぞきこんでいる。 はっ! どうした。なにかあったのか!
急いで椅子から立ち上がりアマトを見た。
「博士、アマトが―熱を出しています」パシカを抱きとめながらタネが不安な声で言った。
博士はアマトの顔を見つめた。熱がありながら口があえぐことなくきつく噛んだように閉じられている。──咬筋硬直の症状だ。まさか―
〈博士、目覚められましたね。アマトは『破傷風』の菌に冒されています。かなりの量です。抗薬はありませんか。〉
また声が聞こえた。やはり破傷風だ。急がねば!
「どうしました! 」医者が入って来た。アマトの容態を見て医者の目が曇った。 「博士これは……」 「そうです。破傷風です。こんなに早く症状が現れるのはかなりの菌に冒されているからでしょう。ドクター、薬はここにありますか」
「島で置いてあるのは町の病院だけです。すぐ連絡して取りに行かせましょう」 「お願いします」 医者が出ていくとサキが恐る恐る「博士、『破傷風』って言ってましたよね。それって恐いんでは……昔、村の子が大怪我をしてそれで亡くなったことがあるんです。まさかそれと同じですか― 」 「そうです……でも、今ではよく効く薬がありますから早く手当てすれば助かります。そんなに心配はいりません……町から届く薬を待ちましょう」
今、アマトの中にいる物が破傷風菌と闘ってくれている。身体の中にあるミクロの戦士達のことは医学を学ぶ者ならだれでも知っている。ささいな病気や怪我ならその戦士がやっつけてくれるから治るのだ。その力の及ばないような感染力の強いものや未知の細菌が入ると対抗できなくなる。『破傷風』がそうだ。感染しないように小さい時にワクチンが接種されるようになってかなり発症が減少した。が、こうした小さな島国まではワクチンが回って来ないのだろう。 アマトが接種してなかったことが残念だ。
「アマト……がんばるのよ。薬が来るからね」パシカがベッドに寄り添いアマトの手をさすった。 医者が入って来た。顔付が暗い。博士に近づくと「今、連絡しましたが……薬がちょうど切れて頼んであるのが来るのが三日後になるそうです……」 「三日後―ですか……」博士は呻いた。持ちこたえるだろうか……
「そんな!―船で取りに行ったらどうですか。近くの島ならあるでしょ」ディオが医者に食らいついた。 「遠洋の船でも同じくらいかかります……マタイならすぐですが―」 「マタイだって! とんでもないよ! クラノスのせいでこうなったんだよ」サキがマタイと聞いて興奮して言った。
「サキさん、気持は分かりますが病気に対しては手を取りあわなければいけませんよ」 博士はつとめて冷静になってマタイに助けを求めようと言った。クラノスには怒りを覚えるが、医者同士は国境を越えて助け合わなければいけない。
「町の保健課から首相に話してもらってマタイに連絡を取るよう頼んでみます」医者がまた出て言った。
みんな黙ったままアマトを見守った。マタイだなんて……サキがまたぶつぶつと言った。 「博士、マタイがもし断ってきたら三日もこのままでアマトはだいじょうぶですか」 「菌の勢力にもよりますが、普通ならなんとか安静にしていれば持ちこたえるでしょう」 「でもさっきドクターにかなりの菌が入ったと言ってましたよね……」 「……」 「ディオ、気を落ち着けて待ちましょ。博士も辛いのよ」タネがいらいらするディオをなだめた。みんな心配のあまり落ち着かないのは一緒だ。
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