「ちっ、しまった! 」
ネルスは大きく舌打ちして駆けよった。崩れた岩とともにアマトが落ちてしまった。 「あ、兄貴! そんなに近寄ったらあぶないぜ!」テュポが慌てて言った。 「うるさい! 」
ネルスは崩れたぎりぎりのところまで近寄り下を見下ろしたが落ちた岩の音もアマトの悲鳴もすでに止んでいてシーンとした暗闇の中から水の音だけが聞こえて来た。
「とんだことになったな」
クラノス様がアマトにひどく執着しているのだ。先回の誘拐も失敗に終わりそれを知った時のクラノス様の怒りに狂ったような視線に恐怖さえ覚えた。
「この谷を降りて確かめるしかないな……」 「ええっ! 兄貴、この真っ暗な中を降りるなんてむちゃだ」パラクが反対した。 「そうだよ。パラク兄いの言うとおりだ。あいつはきっと死んだよ。音からしてかなり深い谷底みたいだったじゃないか」 「だめだ! 死んだなら死んだことを確かめないと。もし生きて助かったとなると俺達はクラノス様から今度こそお叱りだけでは済まなくなるぞ」 「それでも……いくらなんでもこの真夜中は危険だ。なにが起きるかわかったもんじゃない。兄貴、夜が明けてからにしょうや」 「ばか! 時間がないんだ。夜明けを待ってたら俺達の方が捕まってしまうんだぞ。今でも村の連中が気が付いて大騒ぎになってるかもしれんのだ」
ネルスは決心した。
「行くぞ! 」 崖に沿ってこの山を降りていくしかない。そう思って今来た林に戻りかけたネルスの足がピタッと止まった。じっとして動かない。
「兄貴、どうしたんだ」後ろに付いていた二人が怪訝な声を出した。
「しっ、黙ってろ! 」
言われた二人は黙って顔を見合わせた。
「……犬だ。犬の声がする……」 「犬だって? 」 二人も遠くの音を聞き洩らさないよう耳をそばだてた。
「ほんとうだ……犬だ」 「こんな時間に犬がいるとなると……」ネルスの眉がゆがんだ。 「兄貴、まさかあの犬では……あのクロとか言う犬」 「あり得るな……もう気が付いて捜索を始めたのか……」 「あの犬は俺達を知ってるぞ。兄貴、まずいことになったな、どうする」クロに咬みつかれているテュポはおろおろしだした。 「犬だけならなんとかなるがきっと村人が付いて来てるだろう……まずいな」ネルスは「くそっ! 」と舌打ちした「ここまで追い込んで来たのにちくしょう! 」 吐き捨てるように怒鳴って「おい、回り道で車まで引き返すぞ」 「でも兄貴、犬が追ってこないか? 」 「あいつらの目当ては坊主だ。あの犬は谷底まで探しに行くはずだ。その間に逃げるのだ」
犬の声がますます大きくなってきた。こちらを嗅ぎつけたことはもう疑う余地がない。三人は慌てて山の中に入って行った。
クロがはげしく吠えたてている。もう近いのか。木々がうっそうと茂るこんな山の中にまで入り込んで、いったいあいつらはどうする気なんだ―。
「村長―、博士―こっちだこっちだ!―」 クロの後を先頭で追うティムはクロを見失わないように必死で付いて行った。前方に薄く月明りを見つけた。クロがそっちに向かって行く。その月明かりの場所になにが待っているのか……ティムはみんながそろうのを待った。犯人がそこにいるのかもしれないのだ。
「クロがあそこに行きました……」
ティムの指差す方向の月夜の射す場所をしばらくみんな見つめたままだ。いきなり踏み込んでいいものかどうか……。
「音を立てないように行きましょう」 博士がティムに変わって先頭に立つと姿勢をかがめ、足音に気を付けて歩み始めた。後ろに続く者も同じようにした。 クロが吠えた。今までと違って遠吠えのように長く響く声だ。
「どうしたんでしょう……クロの声しか聞こえないですね」遠吠えのような声以外はしーんとしている。クロが犯人と格闘している様子もない。博士の目に恐怖が走った。 嫌な鳴き方だ―。
近くまで忍び寄った一行は、目の前の光景に呆然となった。木々が消え、岩の高台がむき出しになっている。その先端で月の薄明かりを浴びて頭を上げ、遠吠えを繰り返すクロ。
「どうしたんだ……だれもいない―」
用心して周りを見渡しながらゆっくりクロに近寄った。 「クロ……おいで」ティムが手招きした。クロは吠えるのをやめてティムを見て来た。 「クーン、クーン……」クロは顔を下げて崖の先端を嗅いだ。求めていた探し物が消えてしまったとばかりにそこから動かない。 「ちょっと見て来ます」ティムはそっとその淵まで行った「これは!―」
「どうした! 」ダセが不安げに聞いた。
「崩れたみたいだ。下の方から滝のような音が聞こえる……」 「ティム! 戻れ、危ないぞ 」
ダセに言われてティムはそろりと後ずさりした「クロも来い」 うろうろしていたクロがティムのところにやって来た。クロの口元になにやらぶら下がっているものがある。
「なんだ……」ティムが手を出したらクロが口から離した。よく見ると羽根だ。鳥の羽根だ!
「村長! クロがくわえて来ました! 見て下さい―」
ティムの掌にある羽根がダセの懐中電灯に照らされた。 「これは!―」ダセが目を見張った。 鳥衣装に使われた鷲の羽根―。誰が見ても分かった。バラムの少年の鳥装束に使われた物だ―。 「アマトの物に違いない」ティムの顔がゆがんだ。羽根採りに一緒に山に入ったアマトの顔が浮かんだ。僕、強そうな鷲の羽が欲しい、と岩肌にへばりついて、採れた―! と俺に見せて来たときの嬉しそうな顔が……
「まさかー」博士が苦しそうに言った「ここから落ちたのか……」みんな返事も出来ずにうなだれた。
「まだはっきりしたわけではないぞ。がけ下に行ってみようではないか! みんな! アマトが待ってるかもしれないんだぞ!―」
叫んだのはディオだった。飲んだくれている間にアマトが連れ去られてしまったのだ。気がゆるんでいた。息子のジョセだけ責められない。日が経つにつれ村のみんなに緩みが出来たのだ。
「そうだ、ディオの言うとおりだ」ダセが顔を上げた「この崖淵にそって降りて行こうではないか」
ダセの掛け声に博士は胸が詰まった。ダセの手を取り「ありがとう……みなさんもありがとう。たいへんな目に合いながらここまでアマトを守ってくださっていたことに感謝しています」博士の目が潤んでいる。
「さあさあ、博士、探しに行きましょう。わしらにとっても村の大事な息子です」 みんな立ち上がった。
「どうやら犯人はあそこからにげたようだな」 「追ってとっ捕まえてやろうか」村人の一人が意気込んだ。 「いや、待て待て。それよりも今はアマトを見つけることの方が大事だ。ここから落ちたとなるとそうとうの怪我をしてるかもしれん……急がねば」ダセはみんなを促した。
「クロ、アマトを見つけるんだ。行くぞ! 」ティムがクロを呼んだ。クロはいまいましそうに唸り声を残してパッと戻って来ると、まるで行く場所が分かったように谷に向かって降りはじめた。
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