「おばさん、おはよう! 」 「あれっ、早いね。もう起きたの」 「うん、夕べ早く寝たからね」 「顔色いいけど大丈夫なの? 」 すっきりとしたアマトの様子を見てタネはにっこりとして聞いてみた。 「もう、ほら、もりもりさ! 」アマトは両腕を持ち上げてポーズを見せた。 「ほんと、もりもりだ。よかった」タネまでが合わせて言った「お腹ぺこぺこでしょ。夕べあまり食べてないからね」 「うん、食べる! 」 「じゃあ、腰かけて。今出してあげるから」
アマトは食卓に向いながらタネに話しかけた。 「おばさん、僕、朝、占い婆のところへ行こうと思うんだ」 「えっ、占い婆だって……どうして」アマトに出す皿を持ってタネが驚いたように言って来た。 「ほら、前に、僕とパシカが助かった時に占い婆が腹ペコの僕らに食べ物をくれたこと、おばさん覚えてる? 」 「ああー、そうだったね……」 「きょう、お礼に行こうと思うんだ。ジョセとこからココナッツミルクがもらえたから、ちょうどいいじゃない」 「そうだね……」 タネは忘れたわけではないが、占い婆にはできるなら会いたくない。それで足が向かわず、日が経ってしまった。アマトの申し出は願ったりだ。気がかりなことがなくなるのは嬉しいけど、子どもに行かせていいものか迷いもあった。 「そうしてもらうと助かるけど……でもきょう学校は? 」 「きょうは勉強はない日なんだ。だからちょうどいいけど、ただ音楽でハーモニカをやるんだ。パシカはミセの祭りで吹くのだと張り切ってるから、行けないとなるとがっかりすると思うから僕、ジョセにパシカのこと頼んでおくよ。もし帰りが遅くなったら、そのまままタグラグビーの練習に行くから」 「でもアマト、道を覚えているの、一度しか通ってないのに」 「大丈夫。覚えているよ」アマトはそう言ってタネの出してくれた食事を急いで食べ始めた。早くしなければいけない理由をアマトはちゃんと覚えていた。だれにも言ってはいけないことも…… 「じゃあ、お願いしようかね」 パシカはまだ起きてこない。朝は苦手なのでいつもアマトが大声で呼び、クロが吠えたててしぶしぶ起きて来るのだ。今朝はそっとしておこう。クロはパシカの寝どこから出て来てアマトの様子を見ていた。 タネからココナッツミルクの入った缶を受け取ると「行ってきます」と言って外に出た。クロがその後について来た。アマトはクロの頭を撫で「ついて来てはだめだよ。パシカと留守番してるんだよ」 クロが小さくクーンと鳴いて、アマトがジョセの家に行くのをお座りしたまま見送った。
占い婆の家にはあれから一度も行ってない。なのにアマトははっきりと道を覚えていた。自分でも不思議に思うけど、足は迷うことなく進んで行く。村を出て、畑やあぜ道を行き、山に向かっている。陽はすでに辺り一面を容赦なく照りつけ始めている。額から噴き出る汗をぬぐいながらアマトは黙々と歩き続けた。
その頃、ガイも案内役のディオをジープに乗せて集会所を出発していた。ガイと隊員達は興奮していた。それまでの村には無かった現象がバラムに来て変化しだした。磁気計測器の数値がバラムに近づくにつれ、高くなったのだ。わずかな変化もとらえる精巧な計測器だ。隊のみんなは気持が高ぶっている。昔から注目されてきた異常磁気の発生源に近づいているのだと思うと当然だ。ガイはしかし興奮を表に出さず冷静な顔つきのまま、どんな変化も見逃さないとばかりに計測器を食い入るように見つめている。 ジープは山に向かっていた。道は草地となり車は激しく揺れ始めている。、もう少しで車では無理だ。それからは徒歩でまずマタイの工場跡に向かう予定だ。そこになにかあるのだろうか。 その時、ガイの顔がぴくっとなった。 「見ろ、南北線の地軸がわずかだがずれ出しているぞ」 副隊長が覗き込んだ。 「なにがあるんでしょうか」 「楽しみになってきたな……」ガイの唇に冷笑が浮かんだ。 ジープが止まった。 ディオを先頭に、一行は機材や道具を担いで山に入って行った。
アマトは見覚えのある空き地に出た。外にかまどがある。パシカと空腹にがまん出来ず、ついそのかまどの煮物に手を出してしまったことを思いだした。 「お婆さん、おはようー」 ぼろ小屋に向かって声をかけた。しーんとして返事がない。もう一度と口を開けたとたん小屋の後ろから鳥が飛び出て来た。にわとりだ。それもでかい! 「待てー」すぐ後から声が聞こえて来て占い婆が飛び出て来た。手に棒を持っている。 アマトを見てギョッとしたらしいがそれよりも大事なものが逃げてしまいそうで「おい、つかまえてくれ!」とだみ声が怒鳴ってきた。 アマトはココナッツミルクの入った缶を置くと、パッと鳥の前に立ちはだかって逃げ道をふさいだ。これだけ大きいとたかがにわとりとあなどれない。にわとりは逃げることなくアマトをギロリと睨んでるようだ。アマトは両手を広げ、にわとりの正面から少しづつ横側に近づいて行った。逃げるなよ…… 「えい! 」掛け声を出して、にわとりの胴に両手を回して抑え込んだ。 「よし、そのまま抑えとれよ! 」 にわとりががバタバタ暴れる。すごい力だ。おまけに鋭いくちばしで突こうとするので除けなくてはいけない。その動く首に婆が縄をかけようとしてもなかなかかからないのだ。 「お婆さん、早くしてよ! 離れそうだよ! 」 「よし、もう少しだ」 ようやく首に縄をつけることが出来た時には、アマトも婆もくたくただった。首の縄から逃れようと暴れているにわとりを眺めながら、二人とも息が落ち着くまで声も出なかった。 「おまえが突然大きな声で『おはよう』なんていったからにわとりがびっくりして逃げてしまったのじゃ」婆がようやく声に出してアマトをなじった。 「ごめんなさい、僕、知らなかったから」小屋の後ろの出来事など見えるわけがない。責められて謝るのはしゃくに思ったが、これから婆に頼むことがあるから機嫌を悪くさせてはいけない。 「まあ、捕まえてくれたからよかったがな……」すなおに謝られて婆も声が柔らかくなった「ところで、アマトとか言ったな……朝からなにしに来たんじゃ」 「えっ……あっ、そうだった」にわとり騒動で用事のことが頭から離れていた。 「あのー、前にパシカとぼくがご馳走になったので、お礼にココナッツミルクを持ってきました」そう言って、缶を、置いたところから持って来て婆に見せた。 「ああ、そうか。タネは忘れてなかったか。ココナッツミルクとは嬉しいことじゃ。この年じゃヤシの実はなかなか取れんでのう。暑い中をよう届けてくれた。まあ、中でお茶でも飲んで休んで行けや」
しめた! 婆についてアマトは小屋の中に入った。前の時は陽が沈みかけていて薄暗かった小屋の中が、今は、ごたごたと散らかってほこりが浮いているのがよく見えた。 「ほれ、これに座れや」婆は古い木箱を持って来てほこりをぼろ布で払った。 婆がお茶を用意する間にアマトは前に見た古い木机を目で探した。あの時布がかけられていたがその机の上に置かれた物は『球体』だと、感じ取っている。確か、あそこのはずだけど……と見ると、布も物もない木机だけがあった。どこにいったんだろう…… 「なにを見てるのじゃ? 珍しいものでもあったか」 「あっ、いえー」アマトは急いで目を婆に向けて「ずいぶん古い物がいっぱいありますね」 「ああ、昔の物もそのままだからな」婆はアマトにお茶の入った陶器のコップを渡した。口元が欠けてひびが入っていて、おまけにろくに洗ってないのだろう茶色い汚れがべったり付いていてアマトはゲッと一瞬顔をしかめたけど我慢して受け取った。 「このお茶はな、果物と薬草を混ぜ合わせて作ったのじゃ。うまいぞ。飲んでみろ」 「あっ、ありがとう……」 婆が自分のをおいしそうに飲んでいる……飲まないと機嫌を悪くするだろうな……仕方なく息をつめて一口飲んだ。とたんに甘酸っぱい味が口の中に広がった。薬草と聞いて覚悟してたけど予想外においしい。 「うまいじゃろう……」アマトの顔に満足して「これはな我が家に昔から伝わる秘伝のお茶じゃ」
婆は飲みほしたコップを小屋の真ん中にある小さな円机に置いた。その机の中央に台座に乗った透明な水晶玉があった。アマトはその水晶玉を見た。こんなんじゃないな…… 「お婆さんは占い師だって聞いたけど、これで占うの? 」 「ああ、そうだ。これは高価な水晶玉でな。よく当たるんじゃ。といってもバラムの連中は信用しとらんようじゃがな」 「今も、占い、やってるの? 」 「ああ……ごくたまじゃがな、町に行ったときに他の占い師と一緒にやるのじゃ」 「ねえ、いまここで僕を占ってよ。うーん……そうだ! 僕、こんどタグラグビーの試合に出るんだ。勝てるかどうか見てよ」 「タグラグビーか……」婆はアマトと水晶玉に目をやり難しい顔をして「試合を占うのは気が乗らんのう。もし負けと出れば、がっかりしてやる気をなくすし、勝ちと出れば気を抜いてしまうじゃろう……それでも見たいか」 「大丈夫だよ、どっちに出ても全力で頑張るから」 「しかたがない。ここまで来た礼じゃ。ただで見てやるか」 「ありがとう! 」 水晶玉をはさんでアマトと向かい合う場に婆は腰掛けた。 「占い玉をよーく見つめているのじゃ」 婆の言葉通りアマトは真剣なまなざしをして水晶玉を見つめた。ほんとうは信じてないことなど感じさせないように……なんとか目ざす球体のありかを知るきっかけが欲しい。 婆は無邪気な少年の希望に応えてやろうと、呪文を唱え始めた……五分……十分…… 何分経っても、その努力のかいなく光も曇りも映らない。婆の声だけ大きくなり、額には汗までにじませて奮闘している。 「お婆さん。何か見えた? 僕にはなにも見えないけれど……」 「まてまて……フム──おかしなことじゃ……いつもならとっくに現れるはずなんじゃが……もう少し待て」 いつもなら? だって。ほんとかな。アマトは可笑しくなって口が緩みそうになるのをこらえて聞いた。あくまで真剣そのもので…… 「お婆さん。きっと、お婆さんのせいだけじゃないよ。僕、見つめながら試合のことだけじゃなく、よそ事も考えちゃったからかな。そのせいで映らない事ってあるの」 「なんだって! よそ事だって。それでかー」フーと溜息を大きくついて婆の呪文が終わった。助かったーという顔が見え見えだ。 「まあ、ずっと念じておるのは、子どもにはちょっと難しいからな」 アマトは吹き出しそうになった。 「よそ事というのはなんじゃ? 心配ごとか」 ようやくきっかけが出来た。 「うん。一生懸命に念じてくれてるお婆さんには悪いかなと思ったけど、この占い玉、ずっと使ってるにしてはきれいだなって……汚れてないし、傷もないし、変だなって占い玉をちょっと疑っちゃたからそれで怒らしたのかな」 「そんなことを思ってたのか。あたりまえだ。どうもこちらの念が通じんでおかしい、おかしいと思いながら必死で念じたせいでわしゃ、もう『気』を使いすぎてくたくただわ」 「ごめんなさい……でも、この占い玉だけでずっと昔から占って来たの? 落としたり割れたりってないの? 他にはないの? 」 「ほかにもう一つあるにはあるが、めったには出さん。ご先祖様から代々伝わってきた貴重な占い玉じゃ」そう言ってから婆はハッと思いだした「見たいか……」 「へー、そんな伝統ある占い玉なの。見たいな」 「そうか……見たいか……そういえばおまえはあの時、布の下にある占い玉を見たいと言ってたな……それじゃがな」
先頭を行くディオの後をガイ、隊員が続いた。計測器は相変わらず狂った方向を指している。まだ低木が多く、陽射しが足元まで届いているので歩くのに不便はなかった。 「もう少し行くと森林に入るので、これからは川べりに沿って行きますから」 ガイは軽く頷いた。時々、バタバタと鳥の飛び立つ音や鳴き声の他にはシンとしている。後ろの隊員が斜め前上空に薄く上っている白い煙に気がついた。
「隊長、煙が見えます。火事ではないでしょうか」 隊員の指さす方向を見て 「ミスターディオ、あの煙はなんですか」 「えっ、煙ですか」 ディオは先に行くことに気を取られ、気がつかなかったが、ガイに呼び止められ、言われた方向を見て 「ああ、あの辺に占い婆が住んでいますから、たぶん煮炊きしてるのでしょう」 ディオの勘は当たっていた。婆は湯を沸かしてあった。それでアマトにお茶を入れたのだから。 「占い婆……あの光ったとか言って村長宅に来た人ですか」 「そうです。一人でこの山に住んでいます。きょうの調査では帰りに時間が取れたら寄って行くことになっていますよ」 「煙が出ているということは今いるようですね」 「そうですね。いないときは何日も出かけたきりです。わたしらには会いませんので、どこへなにしに行ってるのやら分かりませんよ」 ガイは煙を見ながらディオの話を聞いて、隣の副隊長に言った。 「最後の予定だったが、変更して今から行ってみよう。今ならいるようだからな」
これがアマトにとっては思わぬ誤算となった。 ガイがやってくるとは知らず占い婆がどこから球体を持ち出してくるかを注意深く見ていた。 婆が例の木机の隣にある、虫食いで欠けたところもある引きだしに向かった。引きだしは五段あるようだ。というのもほとんど飛び出た服やら布やらで隠されてしまってて堺が見えないのだ。下から二段目らしき中を探っている。どうしてあんなところに移動させたんだろう…… 「これじゃ」 婆が水晶玉の横に置いた。焦げ茶の石ころに見えなくはない。横の水晶と並ぶとなおさらみすぼらしく映るがアマトは一目で宝物と分かった。『球体だ』ここにあったのか…… 「見た目には占い玉とは思えないじゃろ。だがこれは秘めた力を持っているのじゃ……どうだ、手に持ってみろ」 アマトが触れば光るかもしれない。婆は見たかった。不思議な出現をしたこの少年と占い玉が光ったことが関係してるかもしれないと……が、婆の期待を裏切ってアマトの手にある占い玉になにも起こらなかった。わしの思い過ごしだったのか…… 婆の妖しい目付きがしぼんでがっかりしてる様子に 「どうしたの?」とアマトが聞くと 「なんでもないわ……おまえ、どうして占い玉に興味があるんじゃ」 「僕、石に興味があるんだ。父さんが科学者だったから色々教えてくれたからね。この占い玉も不思議な成分だなと思ったんだ」 我ながらうまく言い逃れ出来たもんだ。婆はこれで納得したかな。 「ふーん、そうか」 「お婆さん、この玉ちょっと借りていい? 今度学校の先生か、ケーシー博士って、立派な科学者に成分を調べてもらいたいんだ。終わったら返すから」 「なにを言う。大切な我が家の家宝じゃ。貸すわけにはいかん」 「残念だな……」そう言って『球体』を婆にあっさり返した。しつこくねだるとまた怪しまれそうだ。ここはひとまず引きあげて、婆の留守をねらって取り戻そう……
アマトは婆が玉を元の引き出しに戻すのを見届けると立ち上がった。 「お婆さん、僕これで帰るよ」 「ああ、そうか。またなにかうまいものがあったら持って来いよ」 婆もアマトの後について外に出て来て、さっき持っていた棒をつかんだ。 「なにするの? 」 「御馳走を作るのじゃ。鳥肉とタロイモのな。おまえがココナッツミルクを持って来てくれたのでちょうどいい」 婆がさっきアマトが格闘したにわとりに近づいて行く。 「鳥肉って……それなの」 「ああ、おまえも食べていくか」 「えっ、いいよ。僕遠慮するよ」 その時待てよ、と思って「お婆さん、タロイモあるの」と聞いてみた。 「ああ、畑に行けばあるわ」 しめた! 畑に出るな。その時がチャンスだ。それまでどこかでひそんでいよう。 「じゃあ、お婆さんまた来るね。元気でね」
威勢よく占い婆に別れを告げると帰りの方向の灌木の中に入って行った。帰ったように見せかけて、そっと戻り婆の小屋が見張れる茂みを見つけて外からは見えないように枝で姿を隠した。 婆がにわとりに近づいて行く……棒を構えて──えいっ! という掛け声と一緒に振り下ろした。アマトは思わず目をつぶった。にわとりがぶったたかれて死ぬところなんか見たくない。けたたましい鳴き声に目を開けると、にわとりが紐に繋がったまま暴れ、飛び跳ねている。失敗したようだ。地面を打ってしまって婆がよろめいているのが見えた。 これであきらめるような婆ではなさそうだな……と見ていると、棒をもう一度握り直した婆が暴れるにわとりに向かってゆっくり近づいている。今度はどうかな……アマトとしては早く成功して欲しいがにわとりも必死だろうな。ちょっとかわいそうだけど……と複雑な気分で覗いていたら婆がすくっと背を伸ばして、横手の林の方に顔を向けている。どうしたのかな?……とアマトもそちらに目を移して、あっ、と声が出そうになった。 おじさんだ! ……どうして……占い婆に寄るのは調査が終わった帰りだと言ってたのに…… アマトが動揺してる間にもディオに続いてガイと隊員も次々と婆の庭に姿を見せた。
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