「ふふふ、だいぶとまどっていらっしゃるご様子ですな」 博士の反応を楽しんでいるようなクラノスは、やがて元いた場所に戻った。 「目的は伝えました。博士、あなたはこのすばらしい崇高な事業に携わることが出来ることに大いに感謝していただきたいものですな。話はこれまでです。すでに実験室が用意してあります。その、指示書通り、早速、取り組んでいただきます」 そう言うとクラノスは首長室のドアを開け、近くで待機していた兵士を呼んだ。 「ラファン博士を研究室にお連れしろ──いいか、大事なお方だ、丁重に扱え」
連れて来られたのが、この地下工場だった。博士に与えられた実験室は中央通路の一番奥にあった。通路の両端は壁で、中から機械音が聞こえ、何かを製造しているようだった。 単純な中から生まれるという物は何なのか? 酸素製造機? すでに一ヶ月近く続く実験からは何も生まれてなどいない。 「あと一週間で実験はいったん、停止になるから、その時帰宅できるよう頼んでみよう」 若い技師は博士の言葉に少し慰められたのか、持ち場に帰っていった。 その時、突然、博士の背後でドアの開く音がした。 「ラファン博士、出てきてください」 先程の半眠りの警備員がドアに立ち、博士を呼んだ。 通路に出ると、銃を持った二人の警備員が博士を待っていた。 「息子さんが急病で病院に運ばれました。今から病院まで博士をお連れします」 「えっ、アマトが! 」 息子の容態を聞いても、我々は知らない、ただ、お連れする役目だけだからと答えるのみで、彼等の用意した車に乗せられ、夜の道を走った。
着いたのは島で唯一の入院設備がある病院であったが、夜間なので担当医がいなくて、アマトは救急治療室に運ばれていた。 警備員は治療室の前の待合室で待機し、博士は一人治療室に入っていった。 アマトの呻く声のする側のカーテンを開けると、ベッドの上で体を折り曲げ苦しんでいるアマトがいた。脇で目を泣き腫らしてアマトの背をさすっていた妻のレアが、博士を見ると、ああっ……と博士のほうに飛んできた。 「どうしたんだ。何の病気だ! 」 妻を抱きとめながら、博士はアマトと、様子を見ているまだ青年のような救急当直医に眼を向けた。 博士に問われて、当直医は戸惑ったように 「激しい腹痛ということで、一応の検査をしたのですが、特に、異常は見受けられませんでした。痛みのほうも,少し引いてきているようなので、このまま様子を見ていきたいと思います。明日になれば専門の担当医がいますので、痛みが続くようでしたら、しっかりと検査していただけるでしょうから」 と、誠意のこもった言葉で説明をしてくれた。 「アマト、大丈夫か? 痛みはひどいのか」 博士はアマトの顔を覗き込みながら優しく声を掛けた。 妻のレアに似て、口元は、きりっとしていながら、目尻が下がり気味なので愛嬌のある顔をしている。そのアマトが、額に汗を掻いて、赤い顔でハアハア荒い息を吐きながらも嬉しそうに博士を見つめてきた。 アマトは十二歳になる。ちょうど成長期に入り、体がいろんな現象を起こすこともある。博士も似たころ、原因不明の腹痛を経験したこともあるので、アマトの顔色がそんなに悪くないのを見て、少し安心した。 レアは博士が来てくれた事で、気持ちが落ち着いたのか、涙も止まったようだ。 看護婦が、ベッド脇に用意してくれた椅子に二人は腰掛けた。 父親が来てくれた事で安心したのか、それからのアマトの容態は急に良くなっていった。 救急室の壁にある電話機が鳴った。椅子を出してくれた看護婦が受話器を取り、ハイ、ハイと応えている。 「先生、また救急です。頭部打撲で出血しているそうです」 「えぇっ、またか──今日は重なるな─」 当直医は思わず口から出てしまったぼやきに、自分でもハッとしたらしく、博士の方を向き、 「すみません、嫌味でいったんじゃないのです。珍しいんですよ、この島では」 と弁解してきた。 博士は苦笑して、頷いた。 救急車の音が止まった。まもなく、搬送する担架の音と、痛い痛い、という喚き声が聞こえ、救急隊員二人と患者の担架が入ってきた。患者は男性で、ぐるぐる巻かれた頭部の包帯が血に染まっている。 博士達との間に仕切られた間仕切り用カーテンの向こうで当直医が救急隊員から説明を受けながら、看護婦に器具の指図をしている。患者はあたりかまわず大きな声で喚いている……と、器具を床に落としたのかガシャーン、という音、さらに大きな患者の声──にまぎれてドサッという音が続いて聞こえた。そして急に静かになった。 どうしたんだろう──訝しく思って博士がカーテンに目を向けていたら突然、その仕切りが開けられた。 「ラファン博士、助けに来ました。事は急ぎますので、我々の言う通りに従ってください」 さっきの救急隊員だ。 博士は妻と息子の前に立ち塞がった。 「君達は誰だ! 」 「安心して下さい。ケーシー博士の使いです。島から脱出の準備中に博士が連行されてしまい、こんな非常手段を使うことになったのです」 「非常手段だって。息子は今、それどころではないんだ」 博士がそう言った時、妻が後ろから博士の背中をつついてきた。 「あなた、ごめんなさい心配させて。これ、芝居だったのよ、こうでもしなければあなたを連れ出せないと思って……」 「父さん、驚かしてごめんなさい」 アマトもそう言って、ベッドから降りてきた。 「さあ、詳しい話は後にして、急がなければ」 救急隊員に成りすました男は、博士達を隣に招き入れた。部屋の隅に、当直医と看護婦が手足を縛られ、猿ぐつわを咬まされて座らされていた。目が怯えている。 博士は、彼等の所に行き、驚かして申し訳ないと詫びた。 「少し手荒いが仕方ありません。いずれ警備員が気が付くでしょう。早くしないと」 男の指示で、博士は先程の患者になりすまし、頭部から顔半分まで、包帯で覆って、担架の上に横たわり、布団を深く被った。妻のレアは看護婦の服装に、頭はかつらで髪型を変え、メガネをした。 「うん、これなら大丈夫,分らないだろう」 男は満足そうに言うと 「さあ、アマト君だ」 別の男が布団の入ったワゴンを引いてきた。 「少し窮屈だけど足を曲げて横に寝転んで」 仮病から開放されたアマトは男の言われる通りにワゴンの底で丸まった。 「これでいいの?」 「いいよ。上に布団を乗せるからね。今から病院を出るまでは声を出さないように出来るね」 「うん」 「奥さんはワゴンを引いて下さい」 男は、用意が出来たのを確認すると担架の前に立ち、もう一人の隊員と、患者だった男が横と後ろに付いた。 「では、行きます。警備員を見ないで、無視して突き進んで下さい」 男はそう言うと、ドアを勢いよく開けて担架を誘導し、ワゴンがそれに続いた。 ドアが開けられたので、警備員が、ハッと振り返り、近寄ってきた。 「危ないです。病室に急ぎますのでどいて下さい!」 男のいかにも急を要するような迫力ある声に押され、警備員はその場で立ち止まって、担架の上の包帯巻きの患者に目を向けた。 患者が、博士の息子ではなく、先程運ばれた怪我人だと思って安心したのか、警備員は
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