翌日、ケーシー博士一行はダセの案内で、昔あったというマタイの化学工場の跡地に行った。ドゥルパの洞窟とは小川を挟んで向かいになる少し山に入った所だ。 建物の基礎らしい残物が見られるものの、すっかり雑草や低木に覆われてしまっていた。 その跡地の土や、残物などを採取した後、アマトやパシカがいたという小川に降り立った。 「あれがドゥルパの洞窟です……パシカはあの中に置いていかれたということなんですが……」ダセは洞窟の入り口を指差しながら首を傾げた「パシカの言うことはほんとかどうか……?」 「不思議ですね……」ケーシー博士も頷いた「しかもここでアマトと一緒に倒れていたという事も……」それこそもっと不可解だ──両親と一緒に遭難したはずなのになぜ彼だけが助かったのか、それも全く離れたこんな山の中で…… 「ここは海とはかなり離れてるのですか? 」 ダセは顔を横に振りながら手を洞窟のある山に向けた「洞窟の辺りの山の向こうは海です。村の浜からは見えないですが少し回ると見えます。絶壁となっていてとても登れませんよ」 「そうですか……いったいアマトはどうやってここまで来たんでしょうね……」 ケーシー博士の問いにダセも首を傾げている。 アマト本人もどうやってここに来たか全く覚えてないと言う……これ以上聞くことは、彼をまた苦しめることになる……だが、遭難する前のことなら何か覚えているのでは──
博士はハッと気が付いた──この不思議な出来事ばかりに気をとられていて、船の中での事を聞いてない。 ラファンが何か言い残しているのでは…… そうだ! 大事な事を聞き忘れていた! ──腕の時計を見た。もう少しで正午だ。マライの町まで戻るのにジープで一時間。島に敷かれている唯一の道だ。島の中央は鬱蒼とした密林が阻んでいて、海岸に沿ってぐるっと回る形でしか敷けなかったため時間が掛かる。 明日からの予定を考えるとこれ以上はバラムにいられない……陽が落ちる前にバラムを出なければ……アマトを連れて行こう──彼の前途を考えた時、ケーシー博士は即、決意した。 ──ラファン……! アマトのことは私が責任を持つよ……私が親代わりとなって生涯見守っていくからな── ケーシー博士一行は、急いで戻り始めた。その立ち去る後ろ姿を背後で伺っていた男達には全く気が付かずに。 男達はケーシー博士ら調査団の行動を、気づかれないように、後を付け、見張っていた。
パシカが洞窟を抜けるとは全く考えてなかった。 「あの時、縛ったままにしておけばよかったんだ」紐を外し、食べ物を渡したネルスは悔やんだ「目が見えねえからと気を許したのが間違いだったな」 「ああ、それにしたって1人で帰るのは無理だ──あんな少年とやらが現れなければ何とか脅迫出来たのにな」クロに噛まれたテュポが言った。 「犬がいかん、もっとぶちのめしてやればよかった」クロを蹴上げたパラクはその時の格好を真似して悔しがった。 「それにしても、タイミングが悪かったな……あんな騒動がなければ母親に近付けたのに」 「それも遭難したのはマタイの人間だぜ、こりゃあ、島から逃亡したに違いねえ。帰って報告せねばならぬのに、お前誰だか聞き逃したんだろう」 「勝手なこと言うな、村の者には聞けないじゃないか。よそ者はすぐ分る、怪しまれるだろう。さっき占い婆の所に寄って、金を握らせて聞いたが名前までは聞き出せなかった」 「マタイの者か……誘拐作に失敗した上にマタイを逃亡したのが誰かも分りませんじゃ帰ってもお叱りをうけるぞ……なんとか調べ出す手はないかな……」 ケーシー博士一行が帰るのを見届けてから、男達はその場に座り込み、顔を寄せ合いひそひそと話し込んでいた──。
昨日、今日……わずか二日間でアマトの世界は一変してしまった……どうして……? なんで……? 現実に起こっている事がまだまだ嘘のように感じられる……でも、涙が後から後から湧いて出る……父さん、母さんは居ないという事は事実なのだ。さんざん泣いて、喚いて、アマトはいまでは放心状態だった。考えられない……。激しい、苦しい気持ちの戦いが止まってしまった……火葬の儀式から帰ってから、アマトは起き上がれず昏々と眠り続けている……。 <脳細胞がこれ以上の興奮を制御したのか……> 深い眠りに入りようやく収まってきたパルスの様子を見て、靄は脳細胞の点検をした。これ以上激しい電流が流れるようでは、意識を止めなくてはならなかった。だがちゃんと脳は自らの細胞を守るための仕組みも備えているようだ。 それにしても何という強い感情だろう……!我々の仕組みには起こらない種類の感情のようだ。先回、来た時には無かった新しい細胞が増えているのが関係しているのか。 前側、目の上部分の脳がかなり大きくなっている……この大きくなった部分にどんな秘密が隠されているのか……アマト、私は君でもある。だが私の存在を記憶の細胞の片隅に置いたままで、忘れているようだね。海岸で死の寸前である君に呼びかけた私の存在にいつ気が付くのだろう──。
「……アマト……アマト…」体をそっと揺り動かされて、うーん、と生返事したものの目が開けられない……もっと寝てたいのに…… アマトは思いっきり勘違いをした。母さんに起こされたと思っていたのだ。 「……もうちょと……寝かしてよ」 タネは起こす手を止めた。甘えるように呟くアマトの声で母親と勘違いしてるらしいことが分ったのだ……可哀想に…… 「アマト、私よ、パシカよ……」変わりにパシカが声を掛けた。 ケーシー博士にしても何もかも忘れて寝入っているアマトを起こすのは辛い。しかし、大事な事だ。時間も限られている。 「アマト──私だ、ケーシーだよ……。大事な話があるんだ、起きてくれないか」 今度は、はっきりとした男の声が聞こえた。 「……??」母さんじゃない……父さん?……違う! ケーシーって聞こえた! 目を開けてみると自分の部屋ではない……そうだった……ここはバラムの集会所だ。意識が戻ると昨夜の葬儀が断片となって頭に浮かぶ……そして、あの炎……父さん、母さんが天空に向かって翼を広げ、飛び立って行く姿が……『アマト、しっかりして……私達は空からお前をいつまでも見守っているからね』とアマトに微笑みかけながら高く高く昇って行く二人の姿が──。 「目が覚めたかい。本当はもっと寝かしておいてあげたいのだが、私は、陽が落ちる前にここを去らねばならないのだよ」 アマトは体を起こして目の前で自分を見つめるケーシー博士を見た。 「君には本当にすまない事をしたと思っている……君をこのままここに置いては行けないと思っている。君のご両親も君の今後の事が一番心残りだろう……」博士はアマトをぐっと見つめ直した「私は君の父親代わりになろうと決意している──私と一緒に島を出て、私の国へ行かないか? 」 博士の碧い瞳がアマトに呼びかける。父さんと親しい人……会ってまだ間もない人だけど誠実そうな瞳に見つめられるとアマトは父さんに似た感情を覚えた。 「博士の国ってどこ?……」 「スイスだよ。アルプスの美しい雪山に囲まれた国だ。ここよりは寒いけどね。私は そこで国連の仕事をしている。君はスイスの学校に入って沢山の事を学ぶことが出来るだろう……君のお父さんのようにうんと学んで賢くなって、やがて人々の役に立つ仕事が出来るようにもなるんだよ」 「スイス……」アマトは呟いた。思い出した! 父さんが言ってた。アマトが世界地図を広げていたら、ここが友人のいるスイスという国だよ、って。雪を見せてやりたいって……。 アマトは、でも考えられなかった。ケーシー博士の好意は嬉しかったけど、そうなるとここを去って行かなくちゃならないんだ。まだまだ瞼に昨夜の両親の炎が強く残っていて、自分が先、どうするかなんて冷静に考えることも無理だった。 「僕……どうしてよいかまだ分らない……」アマトは博士から目をそらすと俯いた。 ここでは知った人は誰も居ない。かといってマタイに戻ることは出来ないみたいだし……父さん、母さんの魂の眠るこの地から離れるのは嫌だ……僕、まだここにいたい……。 <──そうだ──! ここを出てはいけない> 「えっ……?」 突然の呼びかけに驚き、アマトは顔を起こすと周りの人を見回した。村長のダセは離れた所で誰かと話中だ。タネとパシカの声ではない……でも確かに聞こえたような……それとも自分が囁いたのかな──? 不思議な声に気を取られているアマトの様子が、博士には決めかねているように映ったようだ。 無理もないと思う。一度に起こった悲劇に翻弄されている所へ、先の事など問うほうが酷だろう。 「急に言われても考えられないかもしれないね……今すぐでなくてもいいんだよ。私はまた来るから落ち着いて考えてみて」博士はそう言うとダセの所に行った。
「……アマトはまだ私と一緒に行く気持ちにはなれないようだ……私は近いうちにまた来ます。それまで預かってくれる家はないだろうか」 「そうですね……」ダセは腕を組んで考えてみた。バラムの村は皆家族のようなものだ。それぞれが家を構えているがお互いが助け合って暮らしている。アマトは何処の家でも歓迎されるだろう……でもその中で傷ついたアマトが安らぐ家というと……。 ダセが一軒一軒を思い浮かべていると 「母さん! アマトを私の家で見てあげて! 」と言う声が聞こえた。パシカだ。 「アマトは私を助けてくれたのよ! お願い……」 「パシカー良かったー」タネがホッとした声を上げ顔をほころばせた。 タネはケーシー博士の言葉を聞いた時に自分が世話をしたい思った。でも目の見えないパシカが何と言うか不安があってすぐには言い出せないでいたのだ。タネはパシカを抱きすくめると「母さんもそう思ってたんだよ」と言った。 「村長さん、アマトを私のところで見させて下さい」 タネの力強い言葉にダセとケーシー博士は大きく頷いた。 「アマト! 」パシカはそう言って床に手を置いてアマトのいる方に探りながら這い寄り、アマトの手に触れると両手でその手を握り締めた。 「良かったわね、アマト。私の家に来て。私、良いお友達になるわ」 パシカの目が、見えないはずの目が期待に溢れている……小川で出会ってからの事が思い出された。 不安に泣きながら僕に救いを求めて来た姿や、汗だくになって背負ったこと、二人で椰子の実の果汁を飲み合った事……パシカ……それにまるで母さんのように抱いてくれた暖かいタネ……アマトはとても深い懐に抱かれてるような気持ちになった。嬉しかった……僕、独りぼっちじゃないんだ。 「うん、ありがとう……」アマトはパシカの手を握り返しながら、タネを見た「小母さん。 僕を置いてくれる」 「もちろん! 大歓迎だよ」タネはアマトの横に来ると、感激したようにアマトを優しく両腕に包み込んだ。「わたしの大事な息子だよ」
ケーシー博士一行は車に荷を積み込むといよいよ出発となった。その前に、博士はアマトにどうしても聞いておきたい事があった。 見送りに立っているアマトを見ていると、なかなか言い出せないでいた……ようやく落ち着いたように見えるアマトの心をまた乱すのではと思うからだ。だが、とても重要な事なのだ。エンジンが掛かり、後は博士が乗り込むだけとなった時、博士は決意して、タネとパシカの間にいるアマトの前に立った。 「アマト、どうか悲しみを乗り越えて元気になって欲しい。私はまた来る。マタイの事を調べなくてはならないと思っている。その事で実は君に聞きたいことがあるんだ……」 博士はちょっと言葉を止めたが続けた「ラファン博士は……君のお父さんだが、何か君に言い残した事はなかったかい……? 遭難に遭う前とかに……思い出すのも辛いと思うが、お父さんが無理やり連れて行かれてから、どこで何をやらされていたかを知りたいんだ。バラムで会ったら彼からその事を聞く予定だったがこんなことになってしまって……」 アマトは博士の言う言葉をじっと聞いていた。すぐに思い当たるような事は無かった。父さんは連れて行かれてから何日も帰らず、たまに帰った時には、必ず警備員が付いて来ていた。母さんには何か言ってたかも知れないが、僕は何も知らないのだ……。 遭難の前に父さんは何か言ったのだろうか。 アマトは目を瞑ってあの時の出来事を思い出そうとした。警備艇を無事やり過ごした後、ボートは気持ちよく快調にマライへと向かっていたのに……それからの事を思い出そうとするとアマトの心臓が高鳴って苦しくなる……風がどんどん強くなって海が嵐のように荒れ始めた……漁師さんが危ない!って叫んだ──! それからどうなったんだろう……僕が覚えているのはそこまでなんだ! まだ何かあったような気がするけど思い出せない! 父さん、父さん、あの時何か言ってたの──。 目をぎゅっと瞑り、思い出そうとしているアマトの苦しげな表情を見かねてタネが、無理に思い出さなくてもいいんだよ、とアマトの手を取り優しく微笑んだ。 博士も、また苦しませて悪かった。もし、思い出すことがあったら、その時は知らせて欲しい、とアマトの肩に軽く手を置き、また来るから、その時まで元気でいるようにと言葉を残して車に乗り込んだ。見送りに出た村人達に手を振りながらケーシー博士は去って行った。
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