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作品名:いつもそこには、君がいて 作者:シエナ

第8回   金曜日(1)

 沙織さん?
 俺の気持ちは
 どこまであなたに伝わりましたか?

 あなたの笑顔も
 あなたの涙も
 これからもずっと
 見ていたいと思ってたのに

 あんな顔されたら
 言えないじゃないですか

 ねぇ、沙織さん
 俺じゃダメですか?
 あなたの隣にいる男は……



*******



 明け方チラチラと降り出した雪が、アスファルトの上にうっすら積もったせいで、駐車場から店舗裏にある社員出入口まで点々と私の足跡が残っている。


 ――ピピッ、ピーッ!

『セキュリティーを解除しました』

 今日も朝一番に鍵を開けた。
 今はまだ、朝の6時少し前。
 いつもは、あと1時間くらいしないと開けることもないのだが、創業30周年祭の特売初日の今日は、このくらいから準備しないと追いつかない。
 お盆やお正月に次いで忙しくなるはずだから。

 足早にタイムカードを押してから事務所に向かうと、机の上には今日からの3日間のチラシ、それに応じたプライスカードとポップが輪ゴムで綴じて置いてあった。
 それらを手に取り、自分の作業場へと向かう。
 まだ誰もいない店内、聞こえてくるのはジーンという売場の冷蔵ケースの作動音と、自分の足音だけ。
 この静けさが、私は好きだ。

 そんな空間にひとり身を置いて自分の売場を眺めると、今日作るべき売場展開と作業工程がおのずと見えてきて、頭の中で一日のスケジュールもほぼ決まる。

 ――まだ、やれる。

 今日、私はこれを確かめたかった。
 昨日までのここ数日間の私は迷いだらけの状態で、仕事の最中も自分のことで頭がいっぱいだったのだ。

 異動の内示
 精肉への愛着
 マネージャーとしての不安
 自分に対する諦め
 
 そして、福田さんからの告白。
 自分の体に巻き付いた“今”という悩みのつるに、自分の“これから”と、福田さんの気持ちという2本のつるまで絡まって、どうしたらいいのかわからず身動きがとれないでいた。

 不安の海に溺れそうになっていながら、ワラさえつかめずにいた私。
 そんな私をすくいあげてくれたのは、昨夜入った三上さんからの電話だった。





 創業祭の準備のため閉店間際までいたバックヤードで電話が鳴った。

「おう、フジコ」
「お疲れ様です」

 声だけで誰かわかる。

「で、どうすんだ?」

 前置きもなにもなく、いきなりか……
 三上さんの言う“どうする”の目的語はもちろん異動のことで、こんなふうに雑な聞き方をしてくる時は“お前からちゃんと話せよ”の合図だということはわかっていた。

「あの……異動、白紙に戻すってできませんかねぇ」
「“できねぇ”っつったら、お前どうすんの?」

 これもあらかた予想どおり。
 筋の通らない話は嫌いな三上さんのこと、私のこんな変わり身をそうやすやすとは認めちゃくれない。

「そこを“無理にでも”って、お願いしたいんですけど」
「へぇ〜、なんで?」

 どう転ぶかはわからなかったが、私は内示が出てからの自分の有様を、三上さんに包み隠さず報告した。

 本当は納得なんかできてなかったこと、
 福田さんや菊川くんに八つ当たりをしたこと、
 泣いてしまったこと、
 やっぱりこの仕事が好きだということ。


「ふーん」
「だから、ここでまだ使ってもらえませんか?」

 嫌な沈黙……
 でも、引き下がろうなんて気持ちはさらさらなかった。

「うーん、どうすっかなぁ……」
「お願いします」

 ちょっとの間を置いて、三上さんはゲラゲラ笑い始めた。

「あ〜、おかしかった。お前全然変わんねぇんだもん」
「はい?」

 第一声で叱られると思っていたから、なんだか拍子抜け。

「相変わらず素直じゃねぇなぁ、ってこと!」

 三上さんは、数字の落ち込みが続く状況に私が悩んでいたことは、とっくにお見通しだったようだ。

「いつ俺のとこに相談しに来んのかと思ってたら、いきなり異動の希望なんか出して来るからさ。かわいくねぇな、と思って、ははは」
「“ははは”じゃないですよ、もう……。めちゃくちゃ悩んでたんですから」
「だったらそう言え、バ〜カ。たいして強くもねぇ意地をはるからだろうが、まったく」

 あーあ、全部分かられてる。
 でも、そんな意地の張り方を教わったのも、三上さん、あなたなんですけど……と内心毒づいてみたり。

「菊川のこととかさ、もっと周りの奴らを使ったり頼ったりしてもいいんじゃねぇの?」
「……はい」
「こっちでもさ、その店の競合店対策、もっとちゃんとやってやっから、な?」

 なんだかすごくホッとして、ここ数日悩みに悩んでいたのはなんだったんだと思うと、急に疲れが出てくる感覚に襲われる。

「じゃ、あの異動の希望はなかったことにすんぞ?」
「はい……、お願いします」

 なんとも気合いの抜けた声。

「あ? なんか全然嬉しそうじゃねぇんだけど?」
「いえ、別に」

 単に疲れだけじゃない、か……
 今のまま精肉部門で仕事が続けられる、周りの人も助けてくれる、それがわかって胸のつかえがとれるはずなのに、どこか釈然としないのは、きっと、福田さんのことがあるから。


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