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作品名:いつもそこには、君がいて 作者:シエナ

第2回   月曜日(2)

 ひとりでニヤッとしていたら、福田さんに顔を覗き込まれてしまった。

「ああ、よかった。今日の峰さん、なんだか元気ないみたいだったんで」
「え? ああ。えっと、実はね」

 歳が近く、しかも私ひとりの時間に来ることが多いためか、福田さんは私の相談相手みたいになっていた。
 いつからだろう……もう、けっこう前から。
 愚痴っぽい話でも、違う会社で働いてるからこそ言えたり聞けたりすることもある。
 そして今日もこうして、さっき渡された内示のことを誰よりも先に話してしまうのだ。

「あらら、異動ですか。あ、でも、峰さんの希望通りならよかったんじゃないんですか?」
「うーん、それはそうなんだけど」



 そう、これは私が希望した結果の内示なんだと思う半面、煮え切らない自分がいることも動かしがたい事実。

「福田さん、ちょっと話聞いてくれます?」
「はい。……あ、ちょっと待っててくださいね。すぐ、来ますから」

 福田さんはそう言うと、薄手の小さな段ボールにガサッと入れた返品のナゲットを抱えて、小走りでバックヤードの通用口から外へ出て行った。
 重い金属製の扉が開け放たれたその一瞬、流れ込んできた空気は思ったよりも冷えていた。

 外気とは無縁かのように温度管理された室内で、私は一体どのくらいの時間を過ごしてきたんだろう。
 暑い夏も、寒い冬も季節なんかまるでなかったみたいに……
 明日だって、公休日なのに何ひとつ予定なんて入っていない。
 なんだか無性に寂しくなった。



 それから5分ほど、私が菊川くん宛ての作業引き継ぎ書を書き終えたあたりに、福田さんは息を切らして戻ってきた。

「お待たせしました。はい、これどうぞ」

 見ると福田さんの手の中で、暖かそうなココアの缶がこっちを向いていた。

「あ、すみません、いただきます。あれ、そこの自販機にココアってありましたっけ?」
「ないから、ちょっとそこのコンビニまで……」

 “そこのコンビニ”と言っても、ゆうに数百メートルはある。
 その距離の分、1月の底冷えの風を受けた福田さんの鼻と頬は、うっすら赤くなっていた。

「え、そんな、わざわざ。いつものコーヒーで全然構わないんですよ?」
「いや、いつも峰さんコーヒー残してるし、疲れた時には甘い方がいいでしょ。だから俺もなんです。ほらね」

 いつもブラックしか飲まない福田さんが見せてくれた、そんな心遣いがとても嬉しくて、“甘さひかえめ”なはずのココアがやけに甘く感じた。
 こんなさりげない気遣いができる人って、何となく憧れる。

「で、話ってなんです?」
「あ、そうでした。じつは私、今回の異動なんですけど……」

 私は胸に絡まったもやもやを、ゆっくりほどくように話しはじめた。



 前にも言ったが、今度の異動に関しては、私自身の希望が反映されている。
 “希望”といえば聞こえは良いが、正直なところを打ち明ければ“逃げ”なのかもしれない。
 私にはもうこの店で、この仕事でやっていく自信などなくなってしまったのだ。

 この10年、私は半分意地でここにいた気がする。
 時勢とは言え、しがみつかなくては自分の居場所をなくしてしまいそうだったから。

 私が就職した時期はかなりの氷河期で、4大卒といえど就職出来ずにいた人が結構いた。
 そんな中での就職は希望職種に就くことより、とにかくどこかに身を置こうとする決断を優先することが、就活者の見えないルールみたいで。
 もちろん私もその例外とはならず、とりあえず一番先に内定をくれた第4希望のこの会社に就職したのだ。

 “県内最大手の食品小売業”という肩書きのついた会社に入ったことを、私は私なりに納得したつもりでいたが、いざ、内部の人間になってみると、その裏側も見えてくるわけで、半年と経たずに嫌気がさしたのも事実だった。

 ほぼ、毎日のようにある残業。
 あまりに長い拘束時間。
 定まらない公休日。
 やり甲斐よりも利益や売上を求める数字のプレッシャー。

 朝から晩まで毎日続く、体力も気力もすり減らすような仕事に、あげればキリがない不満が、次から次と湧いて出てきた。
 それと同時に不器用な私はどんどん余裕を無くし、学生時代から付き合っていた彼氏に一方的に別れを告げたり、他愛もない話をしていたはずの友人たちとも連絡を取らなくなってしまっていた。

 自分の思い描いていた、社会人としての自分は、果たしてこんなだったろうか。
 あの頃、寝ても覚めても私の頭に充満していたのは、そんな地に足の付かないような疑問符ばかり。

 結局のところ、彼氏や友人達と自分を比較してしまい、自分だけがこんな思いをしてるんだという勘違いから、どうしようもない惨めさに捕われていたんだと、今ならわかる。
 たびたびの休日出勤だって、1日たりとも消化できない有給休暇だって、この業界ではなんら珍しいことじゃないのだから。

 日を追うごとに卑屈になっていった当時の私は、自分の教育係だった三上さんに、ふとしたことからすべての不満をぶちまけてしまった。
 辞めたい、そうも言ったっけ……


 その時だった、初めて人からガツンと叱られたのは。

『おい、フジコ、お前言い訳ばっかしてんじゃねぇよ』

 いつもヘラッと笑ってる三上さんの真剣な顔を見たのは、それが初めてで、同情してもらえるだろうとたかをくくっていた私には衝撃的なひとことだった。
 よく考えれば、入社してたった半年の私がやり甲斐だとか、プレッシャーだとかを口に出したのだから、長年勤めあげてきた三上さんには、くそ面白くない話だったはずだ。

――言い訳ばかり

 ろくに肉もさばけない、ろくに売り場も決められない、すべてはそんな私の中途半端な仕事ゆえの愚痴なのだと、三上さんにこてんぱんにやり返された。
 返す言葉なんてもちろん見つかるわけもなくて、虚しさと悔しさが込み上げてきて危うく涙を流すところだったっけ。

『なあ、フジコ。悔しかったら一人前になってみろ』

 三上さんのあの時の一言で、私は今、ここにいるんだと思う。
 未熟者の背中を押してくれるには、十分重みのある言葉だった。

 
 それからの2年は、三上さんに手取り足取りしごかれる毎日だった。
 肉の扱い方から売り場の展開、利益の確保や社員・パートの人時管理にいたるまで、あらゆることを惜しむことなく教えてもらったおかげで、給料もポジションも年齢とともに、人並みにあがることができた。

 長い間この部署においては、女性はパート社員のみだったせいで、女であることが若干ハンデでもあったのだが、それもなんとか自分なりに乗り越えてきたつもりだった。
 日常的に交わされる男くさい会話は、セクハラまがいの下ネタ話だってあるのだけれど、それだって今じゃ軽く受け流せてしまうのだ。



「でね、この店に来て2年ちょっとなんだけど……」
『♪〜、間もなく閉店のお時間でございます。ご来店のお客様、お買い物は……』

 聞こえてきたのは、店内放送の上品で無機質な女性の声。
 情けない身の上話をしている間に、時刻は閉店の9時になろうとしていた。


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