「もうっ、このくそ親父!!」
つい、いつものくせで出た三上さんへの小さな暴言が、福田さんの耳にもしっかり入ってしまった。
「ははは。峰さんも、なかなか言いますね」 「あ、すみません。いっつもこんな感じなんです」
あ。 私の向かいで笑ってる福田さんの髪の毛には、まだピョンと寝ぐせが残っていた。
「ふふふ、福田さん、寝ぐせついたままですよ?」 「あ……、とにかく急いで出たんで、すっかり直すの忘れてました」 「ほんと、朝っぱらからご迷惑おかけしました。ごめんなさい」
「いえいえ」と相変わらずニッコリしたまま、持参した真空ブロックを整理し直して帰り支度を始めた福田さん。
「ま、悪いのはあの人ですけどね」 「ははは。でも、朝から峰さんに会えたんで、俺はかえってラッキーでしたけど」
そう言って笑った福田さんの横顔…… このまま遠くにいってしまうと思うと、やっぱり胸が苦しくなる。
――ケリをつけろ
三上さんのしてくれた余計なお節介は、臆病な私にはまたとないチャンスなのかもしれない。 今、しかないかも……
「あの、福田さん?」 「はい?」 「一昨日のお話なんですけど……」
福田さんから笑顔が消えかかったのを見てられなくて、下を向いてしまった。
「私、福田さんが居なくなるとめちゃくちゃ困るんです。笑っていられなくなるっていうか……だから、その、できればこれからも……」
福田さんはふいに持っていた段ボールを床に下ろし、そのまましゃがみ込んでしまった。 下を向いていた私の視界の底で、大きな体を小さく小さく丸めている。
「あの、福田さん?」 「すみません、なんか力が抜けちゃって、はは、は……」
そう言う福田さんは、さっきより柔らかい顔をしていて、なんだか、ちょっとふぬけたその姿がとてもかわいらしかった。
「福田さん、かわいいですね、ふふふ」 「あー、見ないでください。情けなくなりますから」
耳まで真っ赤になった福田さんは、「ふぅ」っと大きく一息つくと自分の頬っぺたを両手でバシンと叩き、スッと立ち上がってこう言ってくれた。
「沙織さん? 俺、あなたの隣にいたいです。あなたに隣にいて欲しいです。こんな俺ですけど、これからずっと一緒にいてくれませんか?」
嬉しいような、くすぐったいような、なんだか不思議な気分。 でも、自分じゃうまく伝えられなかった言葉が、福田さんの口から出てきてくれて、胸がじんわり満たされていくような温かさがあった。
「はい」 「あー、よかった」
福田さん? 今の私は、笑えてますよね?
なんだかお互いちょっと照れ臭くて、つい口元がゆるんでしまう。
「ふふふ、こちらこそ、よろしくお願いし……」 「おう、それはその……なんだ、プロポーズってことでいいんだよな?」
私の言葉がすべて出るのを待たずにスイングドアが大きく揺れたかと思ったら、あのいたずら親父が、菊川くんと連れ立ってバックヤードに入ってきた。
「ちょっと、三上さん!! なんでここに来てるんですか!?」 「ガミガミうるせぇな、まったく。朝っぱらの“間違い電話”、謝りにきたんだろうが?」 「はぁ!?」
さっきまでの雰囲気を掻き消したな、このジジイ。
「それに、だ。こんなこ汚ぇ場所で襲われちゃ、お前だって嫌だろ?」 「何それ!! 馬鹿なこと言わないでくださいよ、もう」
昨日の電話がまるで嘘のような、馬鹿のひとつ覚え的発想で、付き合うこっちがほとほと疲れる。
「んで、どうなのよ、福田ちゃん?」
ニヤニヤしながら私を軽くあしらったくそ親父。
「はい、俺はそういうつもりなんですけど……あ、なんかまずかったですかね?」 「ほらな?、フジコ。これで事が一気に片付くってもんだ」
三上さんの得意げな顔が、思いっきりシャクにさわる……
「なんですか、その言い方。人をお荷物みたいに」 「お前がこのまま行き遅れたら、俺らじゃ責任とれねぇからなぁ、菊川?」 「あ、はい。おっかなくて、俺なんかじゃ絶対無理です、へへへ」
二人とも、完全に私をからかって遊んでる……
「ちょっと、菊川くん、早く準備しなさいよ。今日は忙しいんだからね!」 「ほら、これだ。こわい、こわい」
そう言って私の腹立たしさをヒラリとかわし、菊川くんは冷蔵室に入って行った。
「うるさいっ。後で覚えてなさいよ。三上さんも、こんなところで油売ってると遅刻しますよ、もう!」 「お? じゃ、帰るかな、しゃぁねぇ」
三上さんは私にチラリとも目を向けず、手をヒラヒラさせながら、さっさと通用口から出て行ってしまった。 直接様子を見にくるなんて、ふだ付きのお節介だ。
妙な空気に取り残された福田さんと私。
「なに、あの態度。なんかムカつきません?」 「でも、三上さんのおかげですね、全部」 「うーん、そういうことにしておきますか、ふふふ」
まあ、言われてみればその通りだし、あのままふたりきりだったらちょっと照れ臭すぎただろうし。 これで良しとするか。
「あ、福田さんも、そろそろ行かないと!」 「……っと、そうでした。じゃ、また夜、巡回来ますから」
段ボールを抱えると、福田さんも通用口から出るところだった。
「はい。よろしくお願いします。寝ぐせ、直してくださいね」 「あ、はい。じゃ、失礼します」
福田さんの笑顔。 今までよりももっと近くで、これからも見られるんだ、そう思ったらすごく嬉しくて、また、今日一日を頑張れそうな気持ちになる。
うっすら積もった雪の上。 足早に仕事に向かう、大きな背中。
泣きたいほどに辛いことがあったとしても、隣にあなたがいることが、なにより私の力になるんです。 これからも、きっと、ずっと。
どんな時も、そばに居てもらえますか?
福田さん。
私、あなたが好きです。
『いつもそこには、君がいて』
おわり
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