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作品名:いつもそこには、君がいて 作者:シエナ

第1回   月曜日(1)

 タチバナハム・樋口中央営業所。

 この営業所に配属になって、来月2月でまる3年。
 予想通り、来月あたまでの異動の辞令がおりた。
 “せめてあと1年”と、残留の希望を出してはいたが、そうそう叶えられるものじゃない。

 わかってはいたけれど、自分に残されたここでの時間があまりに少ないことに、俺は正直焦ってるんだ。
 このまま、沙織さんに自分の気持ちを伝えずに異動したら、俺、絶対後悔する……

 このままじゃ、ダメなんだ。



**********



「フジコちゃ〜ん!!、これ、本部から来てたよ。じゃ、お疲れさん」

 いつだってにこやかな副店長は、A4の薄っぺらな茶封筒を事務所の机に座る私の目の前にひらりと置くと、後ろ向きで手を振って事務所を後にした。

「あ、お疲れ様でした」

 緑色のブルゾンを着たまま帰っていく副店長の背中は、うらやましいくらいに元気そう。
 その背中にてらてらと張り付いた、「Bic Mart」という店の名前の黄色い文字がやけに似合う。


 私が働く「Bic Mart」は、食品小売業、いわゆる“スーパー”を展開する県内最大手の会社。
 ここ、樋口北店では毎週月曜日の夜に、青果、鮮魚、精肉、惣菜、グロサリー等々各部門のマネージャーを集めて会議が行われる。
 毎回それが終わるのは、閉店も近い夜8時半を過ぎるあたりで、今日も結局残業だ。

「フジコちゃん、僕も先に帰るから。お疲れ様」
「あ、はい、お疲れ様でした……」

 ふぅっとため息をついたところに、隣席のマネージャーに声をかけられ、私もすぐに席を立った。



 バックヤードへと向かって歩きながら、封筒の中の書類に目を通す。

 やっぱり……
 そこには来月2月末の人事異動の部門内示が記されていて、そこには私の名前もあった。

・峰 沙織
  旧:樋口北店
    精肉部門マネージャー
  新:本部 広報室

 でも、この紙には今まで何度も見てきたそれとは違う点がひとつ。

「広報室か……」

 なんの感慨もなく、乾いたようにつぶやいてみる。
 大卒から10年あまり、精肉部門一本でやってきたが、ここに来て配置転換。
 全く畑違いの部署への異動の内示だった。
 とは言え、不意を突かれたわけじゃない。
 この異動の話は事前に私に打診されたもので、“他部署へ”というのも私自身の希望ではあったのだが、こうしてそれが現実になると、なんとなくぽっかり胸に穴があく感覚がある。

 私のこの10年は、結局なんだったんだろう。
 そんな、ちょっとした虚しさ……



 ふと手元へと目を落とすと、赤いボールペンで書かれた、長いこと見慣れているきたない文字が並んでいて、思わず顔がほころんだ。

『フジコ、これでいいか? 三上』

 私が入社した時からお世話になっている上司・三上さんの文字。

 三上さんは、苗字が「峰」だというだけの理由で、私のことを「フジコ」とあだ名で呼ぶようになった。
 それ以来、みんなから「フジコ」と言われるようになり、「沙織」という本名を知らない人さえいるくらい。

『見てくれは全然“不二子ちゃん”じゃねぇなぁ』

 背も低いし、くびれもたいしてもっていない私に向かって、こんな意地悪な言い方をする人だが、仕事上では誰よりも頼れる父のような、兄貴のような上司なのだ。
 今では、本部付けの精肉チーフバイヤーになった三上さんのメッセージが、歩くたびに自分自身の問い掛けとなって頭の中を満たしてくる。

 これでいいのかって言われたって、もう引き返せないじゃない……



 精肉のバックヤードには、もう誰も残っていないのに蛍光灯だけがジリジリとうるさく光を放っていた。
 日中は他の社員やパートさん達とひしめき合いながら騒々しく作業するここも、夜もこんな時間になると“ひとりきり”をうるさいほどに演出してくる静寂に包まれる。

 自分のデスクにうなだれるように両手をつくと、ガサついた指先が見えた。
 この頃はハンドクリームを塗るのさえ億劫で、ひびが切れそうなほどになっている。

 なんか、もう、疲れちゃったな……

 そうやってまたひとつ、深いため息をついたその時だった。


「毎度どうも、タチバナハムです!」

 いつも元気にやってくる、タチバナハムの福田さんの声が背中側から聞こえてきた。

「はいはーい、どうも」

 自分の顔を仕事用の表情にむりやり戻してふり返る。
 すると、売り場側のスイングドアから入ってきた福田さんは、冷凍の500g入りのナゲットを4袋も抱えていた。

「あれ、それってもしかして……」
「ああ、日付です。あさってで切れちゃうんで赤伝切っておきますね」

 福田さんは手慣れた様子で、くすんだピンク色の伝票に原価と数量をササッと書き込み、残品処理を手早く済ます。

「いつもすみません。パートさんにチェックお願いしてるんですけど、なかなか……」

 ハムやソーセージなどの加工肉は、賞味期限が生肉に比べて長く商品それぞれで異なるため、チェックしきれていないことが結構ある。

「ああ、別にいいんですよ。これもうちの商品ですから」
「でも、福田さんの仕事じゃ……」
「へ?、ああ、いいんです、いいんです。どうせ同じ営業所なんですし、ね」

 業者自身が直接店舗に納品した加工肉に限っては、こうして“赤色伝票”という形で残品を引き取ってもらうのだが、生肉担当の福田さんにとっては業務外であり、しかも1日置きに来てもらう度にこうだと、なんとも申し訳なくなるのだ。

 そんな私の苦笑いの向かい側で、福田さんは1日の疲れを感じさせない穏やかな笑顔を見せてくれる。

「営業さんのお仕事って、大変ですね。笑顔じゃなきゃ仕事にならないんですから」
「いやいや……。どの仕事もこんなもんでしょ。それに、俺の取り柄ってそこだけなんで、これで飯食えるだけでもありがたいですよ」

 そう言ってはにかむ福田さん。
 その笑顔は私の数少ない癒しのひとつだ。
 彼の笑顔はその辺の、いわゆる“イケメン”と言われる類の男の子にもひけをとらない……と思う。
 もちろん“誰が見ても”というわけではないだろうけど。

「そうはいっても、頭にきたりすることありません?」
「んー、そりゃもちろんありますけど、その時は営業車でウップンはらしますから。あ、ここにお願いします」

 伝票を書き終えて、私に確認のサインをするように促す福田さん。
 こうして近くに立たれると、背の高さがあまりに違うので、せっかくの笑顔が全く見えなくなってしまう。


「……はいっと。もしかして、うちにきた後、車でウップンはらしちゃったりしてます?」
「いやいや、そんなことぜんっぜんないですよ!」

 伝票の冊子をバタバタと振って、全力で否定するところがちょっとかわいらしい。

「ほんとですか?」
「あ、菊川さんだけの日はたまに……なんて、ね」

 サブマネージャーの菊川くんと福田さんは同い年で、趣味も似ているらしく、いつも仲良く話をしているが、その分よく言い合いもしている。
 そんな彼らをふたつ年上の私がいさめる場面が、今までに何回もあったのだが、これがまた“どんぐりの背くらべ”的にしょうもない小競り合いで、思い出すだけで笑えてくるのだ。


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