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作品名: 灰 景  作者:シエナ

最終回   3

 ふと足が止まったそこは、緩やかに流れる小さな川があり、その周りは咲き誇るネコヤナギに覆われた静かな雪景色だった。
 立ち上る川煙で、うっすらとヴェールを被せたかのような、明度の高いモノトーンの世界。
 雪はどんどん降ってくるのに、川の水の温もりなのか、その流れに次から次へと解けて消えていく……



『綺麗ね』

 21年前と変わらず、優しく響くその声は、いつも俺の左隣にいた千春の位置から聴こえてきた。
 瞬きで「うん」と返事をするように、俺はただじっと、自分の立つ風景を見つめ続けた。


 そういえば、こんな感じだったろうか……
 千春の故郷に行った時に見た風景。
 俺達の暮らす都会の街ではそろそろ春が来るというのに、そこはまるで別世界のように汚れのない真っ白な雪が積もっていた。
 陽を浴びてキラキラと輝く雪に照らされた千春の横顔は、とても綺麗で……

 『いつかまた、一緒にここに来てくれる?』

 そんな千春の言葉に、俺はあの時一緒に暮らすことを決めたんだった。

 姿、声、温もり……
 そのひとつひとつを思い出すたび、21年閉じ込めてきた千春への想いが、時を越えて今、次々と溢れ出してきた。



 どのくらいの時間が経ったのだろう。
 遠い昔の思い出の淵から我に返ると紺色がかったていた雪景色が、いつの間にやら、射しはじめた朝陽によって柔らかい色味を帯びてきている。
 雪も小降りだ。

「千春?」

 自然に口から出てきた、愛する女の名前。
 21年ぶりなのに、なんの違和感も隔たりも感じない。

『なぁに?』

 ネコヤナギに舞い降りた雪が星の瞬きのように輝いている。

「会いに来てくれたのか?」
『“そうよ”って言ったらおかしい?』

 ふわりと吹く風に、チラチラと落ちる雪。

「おかしくはない気がするけど。……お前、もう天国に行ったんじゃなかったのか?」
『ふふふ、 あなたを置いては行けないわ、私』

 冷たい吐息が、俺の左耳をかすめたようだった。

「馬鹿だな、お前。いつまで俺を待ったって、俺達は同じ所には行けやしないよ」
『それもそうね、このままじゃ。』

 やがて顔を出した朝陽に照らされた雪景色は、あの時の千春の首筋よりも白く、眩しく、目をつぶらずには立っていられなくなった。

『ねえ、覚えてる?』
「ん?」
『一緒に暮らそうって言ってくれた時のこと』

 ついさっきまで、長い間記憶の片隅に追いやられていたことを見透かされたような千春の質問に、つい鼻で笑ってしまう。

『あ。今、笑ったでしょ?』
「え? あ、いや……」
『ふふふ。忘れたなんて言わせないわよ?』

 久しぶりに聞くその声は、昔、まだ俺達が毎日を笑って過ごしていた頃の軽やかさをまとっている。

『ねぇ、アキ?』
「ん?」
『私はあなたの隣にいたいわ、ずっと』
「……ずっと?」
『そう、ずっと』
「本当にそう思うかい?」
『あの頃も、今もこの気持ちに変わりはないわ』
「変わらないって……」
『今もあなたを愛してるもの』
「そう……。俺は……」
『俺は?』

 急にどこからか、積もった雪を巻き上げるほどに強い風が吹きつけた。
 思わず風下に顔を背けると、そこには俺が命を奪った愛しい声の持ち主が立っていた。
 微笑んだ千春が、俺の隣で灰色に浮かんでいる。


「千春? 俺、今ならお前をちゃんと愛せると思う」
『そう』
「だから、いつかまた、どこかで巡りあえないだろうか、俺達……」

 ふと、俺の左手が凍てつくように冷たくなった。

『いつか? ふふふ、ずいぶん遠い先のことみたいな言い方をするのね。今、せっかく繋ぎなおした手をまた自分から離すつもり?』
「いや……」
『私、言ったじゃない。ずっと変わらず愛してるって』
「……うん」
『あなたと一緒にいられるのなら、私はそれだけでいいの』

 俺の目には、もう既に、千春の笑顔しか入って来なかった。
 まっすぐに俺を見つめ、優しい笑顔を湛えたままで。


『あなたがいずれ、奈落に堕ちるというのなら、私も付いていくだけよ』
「でも……」
『これだけ待ったんだもの、嫌なんて言わないでね』
「言わないよ」
『そう、ならよかった』
「でもさ、俺これから……」
『アキ? もう何も言わないで。後は私が私のできることをすればそれでいいの。心配ないわ、側にいるから』



 千春は笑っていた。
 綺麗だった。
 あの時と変わらず――



 真横から射すように再び陽の光が俺達を照らしだした。
 まばゆいばかりの雪景色――
 それが、俺の目にした最後の光だった。





***********





『では、次のニュースです。

 今朝7時頃、白鷺町の林道脇の沢に男性が倒れているとの通報がありました。
 駆け付けた警察官によりますと、男性は既に死亡していたということです。

 亡くなったのは同町に住む、田鎖明芳さん、52歳。
 死亡したとされる時刻は早朝5時半頃。
 着衣に乱れもなく、争った跡もないことなどから当初自殺とみられていましたが、口腔内に無数のネコヤナギの花穂が詰め込まれているなど不審な点もあることから、他殺の可能性もあるとみて、さらに捜査が進められる模様です。

 さて、続きまして……』










おわり


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