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作品名: 灰 景  作者:シエナ

第1回   1
あら?
ちょっと寝汗をかいているのね。
真冬だっていうのに……

あなたはあの頃とちっとも変わらないわ。
体の右側を下にする寝姿も、
右腕で腕枕をするのも……

ほら、寝ながら自分の髪の毛をクルクルいじる癖さえ変わってないのね。
なんだか、嬉しい。
変わらないのは、わたしだけじゃなかったのね、ふふ。


あなたは覚えてるかしら?
今日がわたし達にとって、とっても大事な日だってこと。
だから、わたしはこの雪の中、あなたに会いにきたのよ。

どうしても、忘れてほしくないの。
あれからどんなに月日が流れようと、わたしの気持ちは確かなまま、あなたに繋がっていたいから……

わたしは、あなたを愛してる。
永遠に――


流しの脇に、翌朝使うマグカップと、インスタントコーヒーを準備して寝るのも、昔と一緒なのね。
砂糖もミルクも入れない、濃いめのコーヒー。

タバコを吸いながらコーヒーを飲んで、物思いにふけるあなた。
たいした会話がなくたって、そんな朝が迎えられる毎日が愛おしいのよ。

だから、お願い。
これ以上遠くに行かないで。
誰かを愛したりしないで。




わたしはマグカップに手をかけた。





*******


――!


 ガシャンと何かが割れたような音で目が覚めた。
 起きぬけ、寒さでぶるっと体が震える。
 おそらく今日も氷点下の朝だ。
 もうだいぶ慣れた気温とはいえ、やはりこの寒さは体にこたえる。
 俺は布団を出て、パーカーを羽織ると、音がした方へ足を向けた。

 狭い台所に居間と寝室、築30年はとうに越した2Kのこんなぼろアパートだ。
 音の正体なんてすぐわかる。
 夜明け手前の薄暗がりの中、俺は居間と台所との仕切り戸をそろりと開けた。

 どうやら、流しの脇に置いていたマグカップが床に落ちて割れたらしい。
 そういえば前にも割れたことがあったが、その時も冬だっただろうか。
 そこら辺のホームセンターで数百円で売っているような、壊れてもたいして惜しくない代物ではあるが、こうも簡単に何度も壊れるとそれはそれで嫌なものではある。

 明かりも付けず、一つずつ割れたカップの破片を片付けていると、シヅカが戸に手をかけながら眠そうな声を出した。

「どうしたの?」
「あぁ……、カップ、割れたんだ」

 片付けの手を止め、シヅカに目をやった。

「また?」

 瞼はまだ半分以上閉じたままだ。

「うん、また」
「これで3回目だよ?」

 寒いのか、両腕をさすりながら眉間にシワを小さく寄せてシヅカが返す。

「そうだっけ……なんでだろうな」

 “なんでか”なんて考えたこともないくせに、ついそんなことを口走ってしまった。

「さぁ」

 そんな俺の心の内を知ってか知らずか、シヅカは「なぁんだ」と言わんばかりのため息をついて、また布団に戻ったようだ。
 7時前に仕事に出るとは言え、起きるにはまだまだ早過ぎるってところだろう。

 俺はまた、破片を片付け始めた。
 安物だからかどうかはわからないが、割れた陶器が重なる音は少しの繊細さも感じられない鈍い音。
 俺みたいなのが使うにはちょうど良いという証なんだろう。


 これで3度目、か。
 そういえば“なんでか”なんて考えてもみなかった。
 割れるのは、いつも俺のマグカップ。
 3年前、このアパートでシヅカと暮らし始めてから毎年……
 考えてみたら、流し台のほぼ真ん中に置いていたのだから、自然に落ちたとはなかなか考えづらいものがある。

「あっ」

 鋭く尖った破片が右手の人差し指に刺さり、冷たくなった指先から血がじわりと出てきた。



血か……
 ――寒い朝  マグカップ――



血。
 ――割レチャッタワ  ゴメンナサイ――



血だ。
 ――オ前ノ顔ナンテ  モウ見タクモナインダ――




 千春……
 昔、愛した女を思い出す。


 指先に小さく丸く広がった赤い鏡に、昔の自分が映っている。
 死んだような目付きをした俺が。



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