あら? ちょっと寝汗をかいているのね。 真冬だっていうのに……
あなたはあの頃とちっとも変わらないわ。 体の右側を下にする寝姿も、 右腕で腕枕をするのも……
ほら、寝ながら自分の髪の毛をクルクルいじる癖さえ変わってないのね。 なんだか、嬉しい。 変わらないのは、わたしだけじゃなかったのね、ふふ。
あなたは覚えてるかしら? 今日がわたし達にとって、とっても大事な日だってこと。 だから、わたしはこの雪の中、あなたに会いにきたのよ。
どうしても、忘れてほしくないの。 あれからどんなに月日が流れようと、わたしの気持ちは確かなまま、あなたに繋がっていたいから……
わたしは、あなたを愛してる。 永遠に――
流しの脇に、翌朝使うマグカップと、インスタントコーヒーを準備して寝るのも、昔と一緒なのね。 砂糖もミルクも入れない、濃いめのコーヒー。
タバコを吸いながらコーヒーを飲んで、物思いにふけるあなた。 たいした会話がなくたって、そんな朝が迎えられる毎日が愛おしいのよ。
だから、お願い。 これ以上遠くに行かないで。 誰かを愛したりしないで。
わたしはマグカップに手をかけた。
*******
――!
ガシャンと何かが割れたような音で目が覚めた。 起きぬけ、寒さでぶるっと体が震える。 おそらく今日も氷点下の朝だ。 もうだいぶ慣れた気温とはいえ、やはりこの寒さは体にこたえる。 俺は布団を出て、パーカーを羽織ると、音がした方へ足を向けた。
狭い台所に居間と寝室、築30年はとうに越した2Kのこんなぼろアパートだ。 音の正体なんてすぐわかる。 夜明け手前の薄暗がりの中、俺は居間と台所との仕切り戸をそろりと開けた。
どうやら、流しの脇に置いていたマグカップが床に落ちて割れたらしい。 そういえば前にも割れたことがあったが、その時も冬だっただろうか。 そこら辺のホームセンターで数百円で売っているような、壊れてもたいして惜しくない代物ではあるが、こうも簡単に何度も壊れるとそれはそれで嫌なものではある。
明かりも付けず、一つずつ割れたカップの破片を片付けていると、シヅカが戸に手をかけながら眠そうな声を出した。
「どうしたの?」 「あぁ……、カップ、割れたんだ」
片付けの手を止め、シヅカに目をやった。
「また?」
瞼はまだ半分以上閉じたままだ。
「うん、また」 「これで3回目だよ?」
寒いのか、両腕をさすりながら眉間にシワを小さく寄せてシヅカが返す。
「そうだっけ……なんでだろうな」
“なんでか”なんて考えたこともないくせに、ついそんなことを口走ってしまった。
「さぁ」
そんな俺の心の内を知ってか知らずか、シヅカは「なぁんだ」と言わんばかりのため息をついて、また布団に戻ったようだ。 7時前に仕事に出るとは言え、起きるにはまだまだ早過ぎるってところだろう。
俺はまた、破片を片付け始めた。 安物だからかどうかはわからないが、割れた陶器が重なる音は少しの繊細さも感じられない鈍い音。 俺みたいなのが使うにはちょうど良いという証なんだろう。
これで3度目、か。 そういえば“なんでか”なんて考えてもみなかった。 割れるのは、いつも俺のマグカップ。 3年前、このアパートでシヅカと暮らし始めてから毎年…… 考えてみたら、流し台のほぼ真ん中に置いていたのだから、自然に落ちたとはなかなか考えづらいものがある。
「あっ」
鋭く尖った破片が右手の人差し指に刺さり、冷たくなった指先から血がじわりと出てきた。
血か…… ――寒い朝 マグカップ――
血。 ――割レチャッタワ ゴメンナサイ――
血だ。 ――オ前ノ顔ナンテ モウ見タクモナインダ――
千春…… 昔、愛した女を思い出す。
指先に小さく丸く広がった赤い鏡に、昔の自分が映っている。 死んだような目付きをした俺が。
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