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寝室を出て郵便受けから新聞を取り出し、パジャマ姿のままダイニングに向かうと、台所からたまごを焼く甘い匂いが漂ってきていた。
「おはよう」
そう声をかけると、妻は卵焼きの火加減を弱めて、コーヒーをカップに注いでくれた。
「おはよう。はい、コーヒー」 「ん、ありがと。あ、誕生日おめでとう」 「え? あ、ありがとう」
食卓で新聞をひろげ、コーヒーカップを手にしながら、ひっそりと妻を眺める。 朝日に照らされ、鼻歌をまじえながら息子の弁当を作る姿は、化粧もしていないのになんとなく綺麗で、ほんの少し嬉しくなる。
この鼻歌……『スターダスト』か。 「未明」が好きな歌だ。
私の妻になって17年も経つのに、1年前まで妻のこんな何気ない美しさに気付きもしなかったんだと思うと、それまでの歳月が口惜しくも感じてくる。 会社に無理を言ってまでも、単身赴任という名の別居を終えてよかったと心から思う。
「今日の晩ご飯、何がいいかしら?」
牛乳を多めに入れたコーヒーの入った左手のマグカップに口を付けながら、妻は私の向かい側に腰をかけた。
「うーん……“なんでもいい”って言ったら怒るだろ?」
食卓で向かい合って朝食を取りながらこんな話しができるようになって1年が経った。 「怒りはしないけど……」と言いながら笑う妻は私の大事な宝物だ。
「じゃ、おでんなんかどう?」 「おでん? 今日は暖かくなるらしいけど、それでも食べたい?」
あれから私達はどちらからということもなく、お互いの気持ちを伝え合うようになったおかげで、今こうして楽しい毎日が送れている。 それもこれも、私達夫婦が「未明」と「カンナ」としてサイトで巡り会えたからなんだと思う。
「これからますます暖かくなったら余計食べられないだろ?」 「それもそうね。じゃ、おでんにしようかな」 「誕生日なのに、おでんなんておかしいかい?」 「ううん、私もおでん好きだもの」 「それならさ、しょ……」 「生姜味噌でしょ? ちゃんと作っておきます」
私の故郷ではカラシのかわりに、生姜のすりおろしに味噌と砂糖を混ぜたものをおでんに付けて食べるのだが、これを妻が知ったのもようやく1年前のことだった。
「こんなに美味しいのなら、もっと早くに知りたかったな」
今では1年前までの関係がまるで嘘のように、こんなかわいい嫌味さえ言ってくれるんだ。
「ごめん。……おっと、そろそろ準備しなくちゃ」 「あ、もうこんな時間。あの子、まだ寝てんのかしら、もう!!」
妻は息子の部屋へパタパタと走っていった。
朝食を終えた私は立ち上がって食卓を眺める。 そこには私と妻のコーヒーカップ。 やっぱり私の帰る場所はここで、妻の居るべき場所もここだと実感する。
環奈、私の妻でいてくれてありがとう。 これからも私の側にいてくれるかい? もう、寂しい思いは決してさせたりしないから。 約束するよ。
カンナさん。 あなたは今、 幸せでいてくれてますか?
私は幸せです。 毎日のように、 妻の笑顔が、 あなたの笑顔が 見られますから。
『 巡 愛 』
おわり
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