妻に対する申し訳なさと、自分に対する情けなさをしみじみ噛み締めながら、その時私は決心をした。
今まで隠し続けてきた自分の弱い側面もさらけ出し、ありのままの自分で妻に向き合ってみよう。 夫として妻を、環奈を全力で愛そう、と。 そして、これ以上妻を傷つけないためにも、「未明」が私であることは絶対に気付かせてはならないと心に誓った。
私は「カンナさん」の心がそれ以上「未明」に向いてしまわぬように、あくまでも「未明」としてダイレクトメッセージを書いた。
『メッセージ受け取りました。 ありがとう。
カンナさん、あなたはきっと寂しさが募り過ぎてしまったんですね。 僕があなたの頭から離れないのは、ここ数ヶ月、僕があなたのブログにご主人の目線で慰めるようなメッセージを書いてきてしまったからでしょう。
僕も同じです。 いつしかあなたのことが頭から離れなくなってしまいました。
でも、お互いにわかっていますよね。 僕たちに受け止められるのはそれぞれの言葉だけで、決して僕たち丸ごとではないと。
現実には守るべきものがあり、帰るべき場所があります。 僕たちはそろそろ、現実と向き合うべき時を迎えたのかもしれません。
僕は妻に、あなたはご主人にここでつぶやいてきた気持ちを伝えるんです。 どんなに小さな思いでも。 少しずつ、少しずつ。
カンナさん、あなたの誕生日は3月の始めでしたね。 その日までにお互いここを卒業しませんか?
きっと大丈夫、あなたはあんなにもご主人を愛しているのですから』
送信ボタンを押す前に、再び寝室の扉を開けると、妻はどうやら泣き疲れて眠ってしまったらしく、ベッドに近づくにつれ規則正しく小さな寝息が聞こえてきた。
――送信。
程なくして、妻の携帯が羽毛布団の上で震えだし、サブディスプレイにはブログサイトのアドレスが表示されていた。
「環奈……」
「カンナさん」が妻の「環奈」であったという事実に、こそばゆさと胸苦しさが交錯した私は、ただ、寝ている妻の頬を優しく撫でることしかできなかった。 私はあんなにも妻に愛されていたのか。 それに対し16年もの間知らぬふりをしていた自分が腹立たしくてやりきれなかった。
「ごめんな」
妻の寝息とそう変わらないほどの音量で、私のつぶやきはほの暗い寝室に溶けていった。
私はその日以来、ブログを更新するのをやめた。 「カンナさん」が妻だとわかった以上、「未明」という男に妻の心を奪われたくはなかったのだ。
私は赴任先に戻ってからすぐ本社への異動願いを出し、勤務体系もオンとオフとのけじめをつける家庭と両立した形へと変更した。
「仕事だけできても充実なんてしないだろ?」 そんなことを言っては部下を驚かせ、 「私の妻は相変わらず綺麗でね……」 こんなことを言っては同僚の苦笑いも誘った。
妻のために仕事をし、今までの仕事ばかりだった自分を変えるんだと思ったら、あからさまなそんな言動も、不思議なくらい恥ずかしくなくできてしまった。
「今度の春の人事異動で本社に戻るけど、そこに僕が戻っても君は構わないかな?」 「何言ってるの、当たり前じゃない。ちゃんと掃除しておくわね」
電話ごし、妻の声は軽やかで、そんな小さな彼女の変化にようやく夫として気付いてやれたことが嬉しかった。
1年前のその日はちょうど妻の誕生日。 夫として、プレゼントのつもりの電話だった。
そしてその日は、あの約束の日。 私は「カンナさん」への最後のメッセージを送り、彼女から返事を受け取った直後、サイト登録を解除した。
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