『こんな時間に突然すみません。どうしても未明さんに聞いてほしくて……』
そんな前書きに続いていた彼女の言葉に、私は目を疑った。 穏やかな言葉でありながら、しかし激しく自分を責めていた。 結婚して以来初めて主人を拒んでしまった、と。
今夜、時を同じくして、はじめて妻に拒まれた私と夫を拒んだ彼女――果たしてこんな偶然が起こりえるだろうか。
カンナ……さん?
私はどうしようもない胸騒ぎに過去のカンナさんとのやり取りを1から読み返してみたのだが、子供の年齢や得意料理、3月上旬だという誕生日も考えてみたら妻と一緒で、大切な日だといっていたのは私と妻の結婚記念日と一致していた。 「カンナさん」は、自分の妻である「環奈」なのか。
私はカンナさんのページに登録してあるもうひとつのブログを開いてみた。
「“ビアンカ”って、これ……」
そこは彼女がブログサイトを覗くようになったきっかけだと教えてくれた、行きつけの美容室のブログだった。 この家から車で10分ほどの場所にあり、妻が使っているシャンプーボトルにあった美容室の名前と同じだったのだ。
「カンナさん」に愛されていながら、それにまるで振り向きもしなかった夫とは、私のことだったのか……
携帯を手に持ったまま、静かに妻の寝ている寝室の扉をほんの少し開けてみると、鼻をすする音が聞こえ、妻の見ている携帯の青白い光が彼女の震える肩を静かに照らしていた。
私はすぐさまここでダイレクトメッセージを送り、その着信で「カンナさん」が妻であることを確認しようかとも思ったが、一体なんとメッセージを書いてよいのかわからず、そのまま静かに寝室の扉を閉めて書斎へもどるよりほかなかなった。
ひとりになり改めて「カンナさん」からのダイレクトメッセージを読み返すと、その言葉のひとつひとつが胸に刺さるようで、今度は私の涙が止まらなくなってしまった。 出会った日に一目惚れのように恋に落ちてから、間違いなく自分は夫を愛してきて、そんな自分を夫はきっと信じていたはずなのに、昨夜、夫に抱かれている間、自分は「未明さん」のことが頭から離れず、どうしようもなく不埒な妻であったと歎いていたのだ。
妻の環奈に寂しい思いをさせたのは、間違いなく夫である私であり、そんな「カンナさん」の胸の隙間に入りこんでしまったのは、きっと「未明」である私だ。 非があるとすれば、それは疑いもなく私の方だろう。 私は妻の寂しさに気付いてやることもできないばかりか、形だけで愛などない夫婦関係だとブログに愚痴をこぼし、あろうことかそれを妻本人に知られてしまったのだから。 妻である「カンナさん」は今日まで1度たりとも、夫に対する不満をこぼしたりなどしなかったのに……
これまで“結婚”というものは私の中で体裁のひとつのようなものでしかなく、愛や恋だのとはねじれの位置にあるものだとばかり思い込んでいた。 自分の生い立ちや前の結婚の失敗から、誰かを愛したり愛されたりする心の余裕の無さがそんな歪んだ結婚観を形づくったのかもしれない。
だがそれは全くの思い違いであったことに、私はこの時初めて気がついたのだった。 私は妻に愛されていたんだ、はじめから……
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