馬車に揺られながら見る風景とは、代わり映えの無いものであっても、どこか心を躍らせてくれる。 ランドファーマーの少年、アイムにとってもそれは同様であり、揺れる風景を見るだけで、自分は旅をしているのだと実感していた。 また、少し前までが慣れない船旅だったせいで、彼が風景の一部として見る地霊を普通に見る事が叶わぬ状況であった事も、この馬車から見る景色を好ましく思う要因の一つであった。 地霊とはランドファーマーだけが見れる精霊の一種であり、大地に多く棲む。大地には地霊が存在して当たり前であり、一方で海ではあまり見る事ができない存在でもあるので、船旅が終わり、地霊が豊富に見れる大地が、再びアイムの目に飛び込んできた事は本人にとって嬉しい事であった。 さて、そんな船旅を終えたばかりのアイムが何故、今度は馬車に乗っているのかというと、同乗者に原因がある。 本来であれば、アイムとその旅仲間であるツリストのリュンは、船が着いた港町で一泊し、早朝に町を出発する予定であった。 それはもちろん徒歩での旅であり、旅の商売を始めたばかりの二人にとっては、金の掛かる馬車に乗るつもりなど無かったのである。 ところが船から降りてすぐ、同じ船に乗っていたもう一組の客、セイリスとフラウという女性の旅人が話しかけてきた事で状況が変わった。 「船の時はありがとうね。何かお礼が出来ればいいんだけど。こちらで何かできる事は無いかしら。」 確かフラウの方がそう言って、アイムに話しかけてきたはずである。 お礼はとは船であった事件の際、アイムがその解決に少しばかり力を貸した件の事を言っているのであるが、アイム自身、自分はそれほどの事をしたつもりが無いので、当初はお礼など結構であるという旨の言葉を返していた。 ただ、話の途中で彼女達の目的地についての話が出た時、アイムの相棒であるリュンの目が変わる。 どうにもリュンも同じ目的地を目指すつもりだったらしく、彼女達がその目的地へ向かうのに馬車を使うという話を聞いた時点で、フラウが申し出たお礼が、その馬車に同乗させて貰うという事になったのである。 何故、自分へのお礼を相棒が決めてしまうのか、少し疑問に思ったアイムであったが、自分にとっても利益がある話だし、これでお互い貸し借り無しで気分良く、話を進められるならそれでも良いかという気持ちになったのだ。 それに、その目的地にも興味があった。何故ならこれから向かう目的地は、この大陸でもっとも大きな力を持つと呼ばれる、大陸中央の国家、フィルゴ国であったからである。
「港からフィルゴ国までは、どれくらい時間が掛かるんですか?」 馬車からの景色も、そろそろ見慣れてきたので、アイムは隣に座る相棒のリュンに話しかける。 「そうだな、歩いてだとシライからヒゼルまでの距離と同じくらい時間が掛かった気がするが。」 「馬車なら明日の朝には着くと思いますわ。」 リュンが言葉を返したすぐ後に、目の前に座る少女、セイリスが話しかけてくる。小さな彼女は、その見た目に反して旅慣れた人物であり、リュンの発言も合わせると、信憑性のある話であった。 ちなみに、彼女の相棒であるフラウは馬車の御者をしている。どうも、乗り合い馬車を馬車ごと借りたらしい。貸した側は彼女を信頼して任せてくれたらしく、彼女がいったい何者なのか少し気になるところであった。 「へえ、案外近いんだ。大陸の中央ってくらいだから、もっと内陸にある物だと思ってたな。」 「ヒゼルは大陸西側から出っ張る半島の様な形になっていますから、そこから大陸に沿って南下していけば、自然と東の大陸中央側に入り込んで行く形になりますの。ちょうど、その半島の根本あたりにあの港がありますから、フィルゴに船で向かう上で、もっと近い場所だったという事になりますわね。」 なるほど、ならば、あの港はフィルゴの海側の玄関口と言ったところなのだろう。 「お嬢さんは、随分と地理について詳しいが、旅にはそんなに慣れているのか?」 リュンが口を開きセイリスに話しかける。そう言えば、彼がセイリスに話しかける所はあまり見ない。いったい、何を聞くつもりなのだろう。 「ええ、物心付いた頃にはもうあちこちの足を運んでいましたわ。」 旅に慣れていると言っても、自分より少し経験がある程度だと思っていたので、思った以上に経験がある事に驚く。 「もしかして、フィルゴが故郷だったり?」 何故その様な結論になるのか分からないが、どうにもリュンは確信しているらしく。あくまで確認のために聞いているといった顔をしながら、セイリスに問いかける。 「あら、どこかで喋ったのかしら。その通りですわ、実を言うとフィルゴへは仕事を終えて帰る途中で。この馬車を貸して頂いたのも、相手が顔見知りだったからですの。」 これで謎が一つ解けた訳だが、一方でリュンが何故、セイリスの故郷を言い当てたのかという謎が追加される。 「そうだったのか。」 それに反して会話はここで終了してしまい。アイムの疑問は深まるばかりであった。疑問の答えが聞けたのは、日が落ち、夜が来てからの話だ。
日が暮れてくると、馬車の御者をしていたフラウが、御者を交代して欲しいと言ってきた。 「せっかくタダで載せてあげたんだ、それくらいはやって貰ってもいいんじゃないかしら。」 その様に話すフラウの提案を、既にリュンは想定済みだったらしく、素直に御者席へと向かう。そう言えば、昼間なのにリュンが馬車内で仮眠をとっていたのを思い出し、こういった事への備えだったのだとわかり感心する。 ただ、それと同時にアイムにも御者席へと来る様に施したのは、アイム自身にとっては想定外の出来事であった。 「こいつに馬車の動かし方を教えたいんだが、連れて行ってもいいか?」 どうにもそういう意図があるらしいが、それだけでは無いとアイムは直感する。それほど長い訳では無いが、これまでの付き合いの中で、リュンが自分にとって意外と思う行動をする時は、きっと一癖も二癖もある事を考えているに決まっていたからだ。 フラウはリュンの意見に特に反対する様子も無く同意して、自分とリュンは御者席へ向かう事となった。 御者席は客席から布で区切られており、布自体も結構な厚手なので音もある程度遮られている。元々、乗り合い馬車用なので、客と御者をしっかり区分けする様に出来ているのだろう。 この様な場所へと二人で移動したのは、客席へ残る女性二人に隠す必要がる話をするつもりなのでは無いだろうかと考えたが、移動してすぐは、フラウに言った様に馬車の動かし方についての説明を実演も交えて教えてくれるだけであった。 説明が一通り終わる頃には、かなり夜も更けており、客席を覗くと目を閉じ寝ているフラウとセイリスが居た。 そうしてアイムが再び御者席に戻った時である。リュンは口を開いたのは。 「どうして、中の二人の故郷がフィルゴ出身だと俺がわかったのか聞きたいか?」 突然そんな事を言われ、少し混乱するが、内容を理解すると昼間に疑問に思った事だったので、是非聞きたいと返した。 「あの二人の関係について、船で見てから考えていてな。片方はいかにもな体系で護身用の剣まで持っているのに対して、もう一方はあんな華奢な見た目をしている。だと言うのに華奢な方もそれなりに旅慣れているとなれば、そりゃあどんな関係が気になるだろ?」 「まあ確かに。もしかしてどこかの国のお姫様と護衛だったりとか。」 これはちょっとした冗談であり、リュンも笑いで返してくる。 「それならちょっと浪漫を感じるが、まあそんな風でも無いだろ?実はちょっと心当たりがあって、船から降りてから観察して見たんだが、馬車を借りた時点でピンと来た」 観察とはまた奇特な趣味だが、リュンならそういう事も周りを気にせず出来るんだろうなと思えてしまう自分がいる。 「乗合い馬車を借りられるって事は、信用されている人物で、信用されているのはファルゴ出身者だからって推理ですか?まあ確かにピンと来ますね。」 だが、それだけではただ馬車の貸主と顔見知りで親しくなっただけという可能性もあるだろう。 「いや、それだけじゃあ無い。むしろピンと来たのは彼女らの職業だ。その職業はフィルゴ国特有の物だから故郷もフィルゴ国なんじゃ無いかと推測したんだ。」 「フィルゴ国特有の職業ですか?そう言えば教師みたいな事をしているって言ってたような。」 確かセイリスが船で言っていた気がする。まあ、みたいなものという事であり、正確には違うのだろうが。 「教師か、そりゃあまた上手く言った物だな。」 「やっぱり教師に近い職業なんですか?」 「そうだな、教師に近い、物を教えるという事を仕事としているからな、もしかしたら、教える内容が違うだけで、やっている事は俺達と似たような事をしているかもしれん。」 自分達と近い事をしているとはどういう事だろうか、自分達は町や国を巡り、農業知識を売り歩くという仕事をしている。まあ、仕事と言っても、その商売をした例は一件しか無いし、その報酬も船に乗せてもらうという程度の物であるが。 「つまり、彼女達も自分達の知識を売り歩いていると。でも、なんで彼女達の仕事がわかるんですか?」 「そういう事は本人達に向かって言うなよ。多分、怒るからな。彼女らの仕事がわかった理由だけどな、さっき言った二人の体格の差からおおよそ予想ができるんだよ。片方の体格が大きく、戦闘向きな恰好をしている。それは護衛のためだ。そして、護衛対象は小さな彼女だな。彼女は旅慣れているのに、その様な雰囲気が無い。どこかか弱い様子ですらある。そしてそれは教える側に恐れや敵意を抱かせないため。」 「体格だけで、よくそれだけわかりますね。むしろ、妄想と言われても仕方無いですよ。」 「妄想とは酷い言い方だな。一応、似たようなコンビの旅人ってのは何度か旅先で会った事があるんだよ。そして皆、同じ職業だった。今回のコンビはむしろ分かり易いくらい、役割が分担されてるように見えるな。」 なるほど、前例があるのなら単なる妄想とも言えまい。 「そして、フィルゴ国周辺に一定の信用があるのなら、間違い無く、その職業であると。いったいなんなんですか、その職業って?」 「フィルゴ国にはな、国に直接認められた宗教がある。名前は純血教と言う。彼女達はその教義を他国へ広める宣教師だ。」 宣教師?つまりまさしく教師の一種と言う事か。だけど受ける印象がだいぶ違う感じもする。 「そもそも、純血教って言うのが良くわからないんで、どんな物かもまったく理解できないんですが。」 「純血教についてはちょっと複雑でな、長くなると思うからフィルゴに着いてから説明してやるよ。それより、彼女らに出会えたのはチャンスだ。」 リュンは彼の悪い癖の一つである、嫌らしいニヤリという笑みを浮かべる。この笑みを浮かべるリュンは見ての通り、碌でも無い事を考えているので注意が必要だ。 「チャンスですか?また、何か悪巧みでも?」 「悪巧みって・・・。俺は今まで、癖の悪い事はしてきたが、誰かに危害を加えてきた事は無いぞ。」 どっちにしたって悪巧みに違いはあるまい。 「まあ、それよりこのチャンスだ。彼女らは俺達に似たような仕事をしている。しかも、その仕事は俺達よりずっと経験があるはずだ。これをきっかけにコネでも作っておけば、俺達の仕事にも利益になる可能性が高い。」 つまり、彼女達の仕事経験を盗もうと言うのだろう。 「なにか、気が進みませんね。相手の了承が無ければ、まるっきり悪い事ですし。」 「誰が相手の同意を得ないと言った?むしろ相手に公認して欲しいくらいだ。」 怪しい話である。顔のニヤつきを抑えていない時点で、何か裏があるはずだ。 「そもそも、同意を得るつもりならここで隠す様に話す必要も無いじゃないでしょうに。」 「同意を得るのは彼女らからじゃない。目的は純血教そのものに俺達の仕事を認めてもらう事だ。彼女らには、純血教と話し合えるきっかけを作りってもらいたいのさ。」 ほら見ろ、碌な考えじゃない。アイムはリュンの考えにうんざりしながらも、まあ、それくらいなら良いかな、などと考える自分にも少し嫌気が差しそうだった。
朝になり、フィルゴ国を肉眼で確認できる距離まで近づいた時、心が大きく揺さぶられるような衝撃を受けた。フィルゴ国の回りには壁がどこまでも続いており、どこまでも大きく長いその壁は、まさしくフィルゴ国の力を示す様な物だったからだ。 「この壁って、もしかして都市全体を囲ってたりする?」 アイムは、この国を良く知っているであろうセイリスに詳しい話を聞きたくなった。 「そうですわね、この壁はフィルゴ国の象徴のようなものですから、都市の主要部分を覆っている事は間違いありませんわ。けれど、国が発展すれば、その領土は広がる物ですから、すべてを壁で囲っている訳でもございませんの。」 すべてを囲っている訳では無いと言っても、この光景を見ると、国の大半が壁に覆われている様に思える。 これなら、一目でこの国が大陸で最も力を持っていると納得できようものだ。 「外壁が立派な分、入国の際の審査も厳しいぞ。前に来た時は、1日丸ごと審査に潰されたって言うのに、国内滞在期間は1週間しか許されなかった。」 セイリスの話に追加する様にリュンが続けて話をする。どうにも批判が混ざっているようであるが。 「滞在期間なんてのも決められるんですか?」 アイムにとっては聞きなれない言葉だ。 「外来人に長期間滞在されて、スラムでも作られたら堪ったもんじゃないからね。こうやって壁を作って外からの危険に備えてるのに、内側から国が駄目になったんじゃ元も子もないしね。国内で仕事を見つけて住もうとする前提なら、もっと長い滞在期間が認められるし、一定の信用さえあれば永住権だって貰えるわよ。」 リュンの批判をフォローするのはフラウだ。厳つい体を少し不機嫌そうに揺らしているのは、自分の国をリュンに批判されたと思ったからだろう。 「それでも、滞在期間についてはそうかもしれないが、入国審査については時間が掛かりすぎだろう。前に来た時だって対して荷物を持たない一人旅だったのに、審査のための個室に一日中詰め込まれたんだぞ?今回は倍の二人だから、審査時間も倍か?」 「どうせ怪しい物でも持ってたんじゃないのかい?審査官も無能じゃないんだ、意味も無く審査を長引かせたりしないわよ。」 まずい、口喧嘩に発展しだしたようだ。セイリスなどは、二人の様子を見てあからさまにオロオロしだした。 「その怪しまれた物が商売道具だったんだよ、旅商人が商売道具を疑われたらどうしろって言うんだ。」 「どうせ、その商売道具とやらも碌な物じゃあ無かったんじゃない?入国を足止めされるくらいにはね。」 そろそろ、止めた方が良さそうなので、アイムは少し気を入れて会話に入る事にする。 「まあまあ、二人とも抑えて。実は僕、フィルゴ国には興味を持っているんですが、そうやって入国前から喧嘩をされたら、ちょっと興ざめしちゃいますよ。お願いしますから、ちょっと止めてくれませんか?」 「そうですわ、二人とも。それに今回は私たちが一緒に入国しますから、それほど審査が長引く事もないでしょうし。」 アイムの仲裁に続く様にセイリスも喧嘩を止めようとする。リュンとフラウはお互いの相棒から止めが入ったおかげか、言葉を止める。 「そうそう、いくらいがみ合っていても、外見上は仲良くしておくのが大人ですからね。そのままお互い我慢し合えば・・・って、セイリス、さっき審査が長引かないって言ったけど、どういう事?」 アイムは喧嘩する二人を止めた事で、一定の満足感を覚えたが、それ以上に気になる事をセイリスが話していたので、そちらに気が移る。 所詮、喧嘩の仲裁なんて自分に火の粉が飛ばない様にするのが目的であり、自分の興味を満たしてくれる話の方が、アイムにとっては重要なのである。 「え?あ、はい、私とフラウはこの国の出身者なので審査官からの信頼がありますし、私達と居れば、アイムさん達の入国も早まるのでは無いかと。」 戸惑うセイリスであるが、なんとかアイムの言葉を理解し、答えてくれる。 「ちょっと待ちなさい、セイリス。この二人と一緒に入国する気なのかい?確かにこの二人は入国が早まるかもしれないけど、私たちにとっては遅くなるということなのよ?」 確かに国内出身者だからといって、同行者に外来人を連れていれば、審査官の方も慎重になるだろう。 「でもフラウ。あなたはアイムさんに借りがあるって言っていたじゃない。それって馬車に乗せるだけで返せるものなのかしら?それにどうせ返すなら、逆に向こうが恩を感じるくらいの方が良い関係を築けるというものですわ。」 確かにこちらにとっては嬉しい話である。フラウに貸した借りというのも、正直、それ程の物では無いと考えているので、こちらが恩を感じるという点も正しい。 「だけどね、セイリス・・・。ああ、もう、わかったわ、あなたは決めるとなかなか考えを変えないものね。」 どうにも、入国の際には彼女達の助けがありそうである。 ところで、この問題の原因となったリュンであるが、さすがに気まずいのか、先程から黙ったままだ。 「決まりよ、あんたたち。入国審査の時は、私たちが同行してあげる。これでも、国内じゃあ、ある程度信用がある立場なんだ。審査だって半日もかからず終わるはずだわ。」 話し合いが終わり、今後の方針が決まる。考えてみれば、フィルゴ国に着いた時点で解散するはずだった相手が、この方針のおかげで、もう少し長く居られる事になったのだろう。 ただ、それが吉と出るか凶と出るかは、それこそ相手しだいと言ったところであった。
そして入国審査が終わった現段階では、彼女たちと居られた事は幸運な事であったと言える。 何故なら入国審査の際、こちらを見て警戒感を隠そうともしない審査官が、セイリスたちの目線を移すと、とたんに優しいオジサンと言う様な表情になったからだ。 これほど、外来人と国内人で対応を変える人物を見たのは初めての事である。 もし、セイリスたちと同行して居なかったら、リュンの言った通り、荷物確認だけでも一日掛けて調べ上げられていた事だろう。 まあ、それも仮定の話であり、無事に入国できた現状では、深く考える必要も無いと思われる。 「ということで、これで借りも返したんだから、ここらでお別れという事になるのかしら。」 フラウの言葉で、もう二人と同行する必要も無い事に気付く。 「そういえば、そうですね。今回の事は何から何までありがとうございます。」 「そこまで言われる程の事でもありませんわ。こちらにとっては、それほどデメリットのある事でもありませんでしたから。」 なるほど、確かに言われてみれば、彼女たちがこの国に来るのは、彼女たち自身の意思であり、アイムたちはそれについて行っただけに過ぎない。彼女たちがそれで被った損害と言えば、時間のロス程度の事でしかない。 「それでも、すごく助かったよ。何より、旅が順調に進んだ事が一番の良い事だったからさ。」 未だに船に乗った時の事件が頭に残っているので、フィルゴ国までの道のりが平穏無事に終わったのは、本当に嬉しい事であった。 「あなたにそこまで言われると、こっちが少し申し訳無く感じるわ。あなたが居なければ、命が無かった可能性だってあったんだからね。まあ、そっちのツリストには礼の一つでも言って欲しいもんだがね。」 若干、別れの言葉に挑発が混じっていた事で、空気が悪くなった様な気がする。フラウの言葉で、このまま再びリュンとの喧嘩に発展してしまうのでは無いかと思ったのだ。 「・・・。まあ、この国を悪く言ったのは、こちらが悪かった。だがそれも、前回この国に来た時に結構な扱いをされたからなんだぞ?」 しかし、リュンの口から出たのは謝罪の言葉であり、その事にアイムは驚く。リュンという男は、挑発に嫌味で返すような男であると、アイムはずっと考えていたからだ。 「正直、ちょっとこの国は排他的なところは認めるわ。それでも、良いところはたくさんあるのよ。そこらの所を、滞在中に知ってほしい限りね。」 リュンの言葉に棘が無いのを感じて、フラウも穏便に返してくる。どうやら、これで口喧嘩に発展する心配は無さそうで、アイムは胸を撫で下ろした。 「あー、だったらなんだ、君らの上司にでも礼を言わせてくれないか?純血教徒なんだろ、君たちは。」 ここで、彼女たちの職業にこちらが気づいている事をバラすというのか。リュンの真意を掴めないアイムは混乱するばかりだ。 「やっぱりわかるかい?」 リュンの言葉にフラウはそれ程驚く様子も無い。どうやら、旅慣れている物には彼女たちが純血教徒であるという事はわかり易いのかもしれない。 「入国審査の際に、審査官の信頼が厚い様子を見てな。国内人と言えども、よく旅をする様な奴じゃないと、審査官に信用されるなんて事無いだろ?」 本当はもっと前から気づいていたくせに。そんな言葉を言いたくなるが、リュンは意味の無い嘘を吐く奴では無いので、何らかの理由があるのだろうと、言葉を飲み込む。 「まあね、それで?どうして私たちの上司に礼をするのかしら、私たちに直接言えばいいじゃない。」 「当然、君たちにも感謝してる。だからさっき謝ったんだ。けど、入国審査が上手く行ったのは、君たちが純血教徒である事が大きいからな、とりあえず筋は通して置きたいんだよ。」 「ふむ。旅人ってのはそんなに義理堅いもんかね。まあいいさ。上の司祭に話を通してあげるよ。旅の途中で同行する事になった奴らがこちらに礼をしたいみたいだってね。」 「そうしてくれると助かる。」 あれよ、あれよと話が進む。どうにも彼女たちの上司に会う事になった様だが、これは当初、リュンが予定していた事では無かっただろうか。 そんな事も知らずに、フラウの横に立つセイリスなどは、それは素晴らしい事ですわ。と手を合わせて喜んでいる様子である。 「それじゃあ着いてきな、私たち純血教の本部に案内してあげるよ、」 フラウは話が決まると、その大きな体でフィルゴ国をまさしく我が物顔で進んでいく。その横ではセイルスが小さな体で必死に付いて行こうとしているのが微笑ましい。 そしてこちらは、その二人からそれとなく離れて、小声で話すことにする。 「あの、純血教本部に向かうのって、昨日の夜、話した件についても都合の良い事じゃありません?」 純血教に自分達の仕事を認めて貰いたいのだから、本部に向かえるというのは都合の良すぎる展開である。 「あたりまえだ、そのために態々、意味の無い口喧嘩までしたんだからな。そういう風に話が向かってくれなければ困る。」 「はあ?どういう事ですか。え?あれって演技だったんですか。」 どうにも、リュンらしくない行動をしているなと思ったらそういう事か。 「前来た時に入国審査で邪見に扱われたっていうのは本当だぞ。ただ、それで気分を悪くしたというのは言い過ぎだったな。旅をしている以上、それより酷い扱いをされた事なんて何度もあるんだ。気にもしなかった。」 「じゃあ、その後、柄にも無く謝ったのも、旅人としての義理を果たしたいというのも。」 「まあ、普通に合わせてくれって言っても、怪しまれかねないからな。なんとか自然な方向で純血教本部に向かえないものかなと。」 なんという奴だ。これだからこの男は信用できないのだ。これからは、こいつの行動、一つ一つ注意して見ていかないといけない。 そんな事を考えるアイムは、フィルゴ国に入国したばかりだと言うのに、ドッと疲れた気分に襲われるのだった。
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