船旅も3日目を迎える朝、アイムは部屋に備え付けられた寝具の上で目を覚ます。船の外より、ここで横になっている時間が多いアイムにとっては、早くも飽きてきた光景が回りに広がる。 狭い船室に申し訳程度につけられた調度品と寝具。寝具は布のハンモックが上下2段で壁に掛けられており、部屋をこれ以上狭くする訳にはいかないという心遣いが感じられるものであった。 こういった部屋が気に入らないのか、相棒のリュンは部屋で寝ようとせず、甲板でごろ寝している事がほとんどであった。船員達の何人かも同じように寝ていたので、そんなに違和感を覚えなかったが、それでも部屋があるのに外で寝るというのは、なんとも贅沢な話である。 それらの事柄も男同士の旅なのだから、耐えられないというものでも無い。むしろいちいち気を使う物が無くて気楽な部分もあり、アイムはこの状況を楽しむことにしていた。 そういえば、自分達の部屋以外のもう一つの客室も似たような状態なのだろうか。向こうは女性である以上、自分達より、このような部屋や船旅には嫌悪感を覚えるような気がする。 「ま、旅経験がほとんど無い自分が豊富な方の心配をするなんて偉そうな事なんだけどね。」 昨日、甲板でセイリスと話した結果、彼女が自分よりも旅慣れている事を知ることができた。そんな彼女と話を終えてから、すぐに夕飯の時間になり、それぞれ部屋に帰る事になった。夕飯と言っても、干し肉や乾パンなど、手軽かつ口の中がパサパサになりそうな食事だったので、机に皆で並んで食べるなんて大層な物では無く、部屋に直接食料が届くという形式だったからだ。 彼女の事が気になったのは、教えてくれた話が面白かったからだろう。ドラゴンについての話は確かに、自分の心を揺さぶる物があったのだ。 「でも、会いたいって気持ちは少し萎えちゃったんだよなあ。」 ドラゴンは危険な存在である。という旨の注意もあの時、聞く事になったのでアイムの心情は少し微妙な気持ちであった。 しかし、そのドラゴンに会う機会というのは今日1日が精一杯の事だろう。そうそう会える物では無いのだから、別に気にする事では無いかもしれない。 どちらかというと、今日も部屋の中でずっと過ごし兼ねない自分の状況にこそ不安を感じる。寝起きなので、船酔いで気分が悪いという事も無い。再び甲板に出てみよう。気分が悪くなれば、また部屋で横になればいいのである。 そんな事を考えているアイム自身、少し船旅という物に慣れてきているのかもしれない。
どうにも船というのは、船室と甲板を行き交うのみで一日が終わってしまうものらしい。これで船旅も三日目になるが、同様の行動のみで一日が終わってしまっている。明日には港に着く自分達はそれでもいいが、これからまだまだ、この船に乗る事になる船員達は飽きや退屈に襲われたりはしないのだろうか。 一度聞いてみたくはあるが、それなりに慌ただしく動く船員に上手く話しかける自信が無いアイムは、他に話し相手がいないものかと甲板を探す。 と言っても、現在この船でアイムが気軽に話しかけられる人物と言えば、相棒のリュンと先日知り合ったセイリスだけである。 それでも行き場が限られる船の上では、探せばすぐに見つかる物でもあるので、アイムは少々真剣に探す。話し相手がいない船旅なんて、一日と経たずに飽きが来る物だからだ。 「まあ仕事があれば、そんな事も考えずに済むかもしれないけど。」 「そういう事を言っていると、本当に厄介な仕事をする嵌めになるんだぞ。」 突然、背後から話しかけられるが、それほど驚きはしなかった。何故ならそれは、よく聞きなれた声だったからだ。 「あれ、リュンさん。もう起きてたんですか?」 船旅が始まってからは船上で眠る事にしているらしい彼は、朝早くにはあまり起きず、そのまま船でゴロゴロしている事が多かった。船員達にとっては大変邪魔な存在だろうに。 「どうにも船員達がいつもより忙しそうでな、寝ていたら邪魔だと言われた。」 つまり、船員達の我慢も限界に来ていた様である。 「それでもいつもは何も言わずに避けてくれるんだぞ?あいつらだって何人かは船上で寝てるんだからお相子じゃないか。」 その船上で寝ている船員だって、朝早くに起きて他の邪魔にならない様にしているのであって、昼頃まで寝ている邪魔者とは大きく違うはずだ。 「まあ、それはともかく、忙しいってなんででしょうね。天気もそんなに悪く無いというか、今日も変わらず晴天ですけど。」 空を見上げると、そこには雲一つ無い青空で太陽が暑苦しく海を照らしていた。 「どうにも波がおかしいらしい。風も吹いてない方向から波が揺れてくるそうだ。」 どうにも忙しい理由も聞いているらしい。忙しくする船員達に空気を読まず話しかける様子が目に浮かぶようだ。 「風も無いのに波が?海流って言う奴じゃないですか?」 確か大陸が東には、北から南に掛けて海流が流れていると船旅に出た直後、船員が説明してくれたのを覚えている。そのおかげで、南へ向かう船旅は早く目的地に着く事ができるとも。 「その海流だって大半は風が起こしているものだろう。だが、今回はどうにも違うみたいだな。船員の一人が嫌な予感がするとか言っていたが・・・。」 随分と不安を感じさせる台詞を吐く船員である。客に向かって、そのような事を良く言えるものだ。 「なんだか不安になって来ましたね。昨日もちょっと嫌な話を聞いたばかりなのに。」 「昨日も?」 リュンが聞き返してくる。そう言えば、昨日セイリスという少女に会った事を話していなかった。 「いや、もう一組居る乗客の一人と会う機会がありまして、セイリスって言う名前らしいんですけど、こう、とてもとても小さな女の子で。」 アイムはジェスチャーでセイリスの姿を表現しようとする。ちなみにそれで表現される姿は猫と同じくらいの大きさである。 「ああ、あのデカいのと小さいののデコボコペアか。小さい方はまだわかるが、デカい方も女って言うんだから驚きだな。」 随分とこちらも酷い表現だと思う。もう一人が女性だったのは覚えているが、背に関しては覚えていない。 「船に乗ってからは船酔いで他人にあんまり関心が行かなかったせいで、あんまり覚えてなかったんですよ。だから、会った時も新鮮でちょっと話をしてみようかな。という気持ちになりまして。」 ちなみに一度目に会った時は他人に関心を向けていなかった時の事なので、これは二度目に会った時の事である。 「へえ、まあ小さい方は気の良さそうな感じだったから、話にも乗って来ただろ。」 リュンはそう相づちを打ちながら、海の方を見る。とりあえず、話を聞いていない風では無かったので話を続ける事にする。 「ええ、そうなんですよ。それで向こうの方が旅慣れている様だったから海について、聞いてみたんです。」 「それで?どんな事を話たんだ。」 リュンは視線をそのままに話を続けてくる。少し愛想が悪い様な気もするが、彼の態度が悪いのはいつもの事なので、気にしない事にする。 「海の話を聞かせて欲しいと言ったら、海のドラゴンについての話を聞かせてくれました。」 「あー、そりゃあ嫌な話だな。」 詳しい内容を説明する前なのに、そのような感想を言われるのは驚きだ。 「そんなにドラゴンの話って悪い物なんですか?」 「海のドラゴンに関しちゃあ、性格は凶暴じゃあ無いから、他のドラゴンよりはまだマシな方だがな。」 そう言えば海のドラゴンが居るのであれば、他にもドラゴンが居るはずで、その事についてセイリスも話していた。詳しくは聞かなかったが。 「他のドラゴンは出会った時点で命の危険を考えなきゃいけないが、海のドラゴンはちゃんと気を付けてさえいれば、なんとかなる事が殆どなんだよ。」 「じゃあ、どうして海のドラゴンの話が嫌な話になるんですか?」 聞いた限りでは、それほど悪い様には聞こえない。 「気を付けている限りという話だからな。迂闊に近づかなかったり、巣が有りそう場所を前もって知っておくとか、こっちに関心を持たせない、なんていう努力が必要なんだよ。ただでさえ船旅は気を使う事が多いのに、さらにドラゴンの心配までしなきゃいけないとなれば、船乗りにとっては嫌な話にもなるだろう?」 まあ、確かにそうかもしれないが。 「それに、気を付けていてもどうしようも無い状況というのも、稀にだがある訳だしな。天災みたいなもんだ。平穏な航海の途中で嵐の話をする奴はいない。」 リュンは海に視線を向けたまま、遠くを見るような表情を見せる。もしかしたらリュン自身、そういった災難にあった事があり、それを思い出しているのかもしれない。 「なるほど、でもそうなると、ドラゴンに会いたいなんて願ったのは不謹慎だったかもしれませんね。運が良ければ、ドラゴンに会えるかもなんて思ってましたが、今度は自分が不運な事を祈る事になりそうです。」 ドラゴンに会いたいという気持ちはこの時点で完全に萎んでいた。ここまで、危険である事を教えられればそうなるというものだ。 「いや、多分お前は運が良いほうだと思うぞ。それもとびっきりの悪運だ。」 突然、リュンがそんな事を言い出す。 「はい?何を言ってるんです?」 自分のそんな言葉にリュンは答えるかのように、片腕上げ、指を伸ばしながら、それを海に向けて指す。 「あれを見ろ。」 リュンが指を向けている方向を見ると、海の上に小島が浮かんでいた。 おかしい、あんな所に島なんて無かったはずだ。よく見ると、その島には木も土も無く、滑らかで黒々とした物で覆われている。 「なんですか、あれ。突然、海に現れたような。」 それに不気味さを覚えたアイムは、それを払うためにリュンに答えを聞く。しかし、リュンから帰ってきた言葉はアイムの不安をより一層増大させるものであった。 「あれが海に棲むドラゴンだ。」
船員達が慌ただしく船内を走り回っている。何故あそこまでドラゴンの接近を許したのか。ドラゴンは今どのような様子なのか。そういった言葉も飛び交っているが、皆、その手足を止める事は無い。それほど、ドラゴンは船乗りにとって恐ろしい存在なのかもしれない。 「でもいったい、何が危険なのか今も実感が沸かないんですけど。」 ドラゴンであろう物体は現れた時と同じようにただ、そこに浮かんでいるだけであり、船員達の必至の形相とは裏腹に、何の変化も見受けられなかった。 「とりあえず、今はすぐ何かが起こるという訳でも無さそうだな。今、この船がやっているのは、アレから少しでも船を遠ざけようと、風と波に合わせて、帆や舵を動かしてる状況だからな、船員達はそりゃあ忙しいだろうが。」 ドラゴンの恐ろしさを理解しているであろうリュンがどこか暇そうな様子で、船とドラゴンを観察しているのもいまいち、危機感を覚えない理由の一つである。 「これって、もしかしてですけど、そんなに危機的状況じゃあ無かったりしません?」 「うーん、じゃあアイム、お前、ドラゴンを見て何かに気付く事は無いか?」 そう言われてドラゴンを見る。海の上のそれは、どう見ても、海に浮かぶ不思議な小島であり、それが生物であるとはとても思えない大きさである。様子と言っても、それは現れた時とほとんど変わり無い。あえて、違いを指摘しようとすれば、最初に見た時より、どこかドラゴンが大きくなった様に見える気がすると言ったところである。 「あれ、大きく見える?なんでだ?」 まさかアレが徐々に膨らんでいるという事でも無いだろうに。 「そりゃあ、ちょっとずつ近づいて来ているんだから、大きくなっている様にも見えるだろう。」 なるほど、それなら納得がいく。どうにも、ドラゴンが大き過ぎるせいで、遠近感がおかしくなり、気づく事ができなかった。 「あれ、ちょっとまって下さいよ!近づいて来ているって事は船にぶつかるかも知れないって事じゃ無いですか!」 「ぶつかるかもしれない。というより、ドラゴンがぶつかろうとしているって言った方が正確だろうな。」 リュンの言葉は相変わらず暇そうな雰囲気だが、その内容はかなり過激である。 「なんでドラゴンがぶつかってくるんですか。こっちは何もしてませし、恨みを買った覚えも無いですよ。」 「むこうだって、恨みも無いし、危害を加えるつもりなんて無いだろうさ。アレはただ単に、この船にじゃれ付こうとしているだけだ。」 じゃれ付く。そのあまりにも場違いな台詞に一瞬、それがどういう意味だったかを思い出せなくなる。 「じゃれ付くって、なんでドラゴンが船にじゃれ付いてくるんですか。犬や猫じゃあるまいし。」 「犬や猫じゃなくても、そういう事をする動物はいるだろう。ドラゴンだって同じだ。それにアレはまだ子供だろうから、船を自分の仲間か何かだと思ってるんじゃないのか?」 子供?あの巨大な生物を子供と呼ぶのか。 「あれが、子供ってどういう事ですか。」 「子供は子供だ。あの程度の大きさなら、海のドラゴンの中じゃあ小さな方だからな。船と仲間を区別する知恵もまだ無いんだろうさ。」 なら、アレが大人になったらどれほどの大きさになると言うのだろう。しかし、それより心配なのは、ドラゴンが船にぶつかろうとしているという事だ。 「もしですよ、アレが船にじゃれ付いてぶつかってきたら、船はどうなると思います?」 「ドラゴンの体は頑丈だからなあ。この船よりは柔いという事も無いだろう。でも、向こうは仲間にぶつかるつもりでいるから、手加減もそれなりだろうし、下手をすれば船が全壊するな。」 どうしてその様な事を淡々と話せるのか疑問に思うが、今はそんな事をしている状況では無さそうだ。 「そんな事になったら、ここで僕らの命も終わっちゃうじゃないですか。ドラゴン対策に何かできる事って無いんですか?」 「無いな。」 リュンは本当に何でも無さそうな様子で、そう答える。 「無いって、何も?」 「そうだ、無い物は無いんだ。海の上じゃあアレの方が俺たちなんかより、よっぽど強力な存在なんだ。それに対して有効な策といったら逃げる事だろうが、それは船員達がやっているだろうし、俺たちが手伝っても邪魔になるだろうからなあ。」 「追い払うとかは?」 「下手に攻撃して、敵意でも持たれてみろ。今の勢いの比じゃないくらいの強烈な速度でぶつかってくるぞ。今は仲間だと思われてるからゆっくり、優しくぶつかろうとしているんだからな。」 その優しい触れ合いで船が分解してしまったら、泣くに泣けない状況だろうに。 「そんな事言っても、自分の命が係ってるんだから、こんなところでジッとしてなんていれませんよ。ちょっと船がどんな様子になってるか見てきます。」 そう言って、アイムは船の先頭あたりへと走りだした。おそらくは、まず船がどのような航路を取ろうとしているのか、見てくるつもりなのだろうが。 「それが理想的な航路を取ってたとしても、ドラゴンがその気なら逃げようも無いんだけどなあ。」 結局、海でドラゴンと出会えば祈る事しかできない。これは船員だけで無く、旅人の間でも共通の認識なのだから。
走るアイムはとりあえず、船の先へ。先へ着いて、船がドラゴンがいる方向と正反対を向こうとしているのを確認すると、こんどは船の後ろへ。そこでは帆を動かす船員達が動きまわっており、自分がいれば邪魔になるであろう事は理解できた。なので、邪魔にならない様に再び船の先頭へと走る。 このような無駄な行動を繰り返している内に、アイム自身が何をしても無駄である事に気が付き始めた頃である。 突然、目の前に巨大な壁が現れ、それにアイムはぶつかってしまう。 「おっと。」 壁にぶつかり倒れそうになるところで、突然、壁から声がしたと思うと、その壁から二本の腕が伸びてきた。 その腕にアイムは支えられて倒れずに済んだようだ。よく見ると、壁だと思ったそれは、巨大な女性である。アイムはこれまで生きてきて、女性と関わりを持ってきた事は少ないが、それでも、この女性が他のどの女性よりも大きい体を持っている事がわかるほどのものであった。 「おや、ごめんなさいね。ちょっと、人を探していて前をよく見てなかったから。」 実際はこちらも前方不注意だったのだが、先に謝られてしまう。この巨漢の女性は、服の上からわかるほどの筋肉質な体をしており、その腰にはその体に見合った剣を差していた。それでも、こちらは恐怖を感じなかった。なぜなら、その女性を見る限り、壮年も過ぎた頃であろう年齢である事がわかったからだ。 その今にも力が溢れてきそうな見た目を、年齢による大らかさが上手く隠していると言ったところだろうか。 「ええっと、すみませんこちらこそ。こういう状況だから、ちょっと焦ってて。」 そして、自分が焦ったところで、どうしようも無い状況である事がわかり始めて、茫然としていたところでもあった。 「まあ、ね。お互い仕方が無い事さ。ところで、あんた、もしかしてランドファーマーのアイムって子かい?セイリスが言っていた外見とも合っている。」 突然、セイリスの名前が出てきて驚く。そういえば、セイリスは二人旅であると言っていた。その相方が大きな女性である事はリュンが言っていた気がする。もしかしたら、目の前のこの女性がそうなのかもしれない。 「はい、そうですけど。もしかして、セイリスが一緒に旅をしている女性ってあなたの事ですか?」 「ああ、セイリスから聞いていたのかい?その通りだよ。こんな状況じゃなきゃあ、自己紹介くらいはしてあげたんだけど、今は急いでいるんで、ちょっとごめんなさいね。」 女性はそう言うと、突然、アイムを片手で担ぎ上げて走り出す。 「えっ、え?」 いきなりの展開に混乱するアイムは抗議の言葉も言えぬまま、女性に攫われていく。女性が向かう先は船の前方の様であるが、それよりもアイムは状況を理解するのに必死であった。
「フラウ。いったいこんな時にどこへ行っていたの?昨夜話したランドファーマーの方の容姿を聞いて来たと思ったら、すぐに飛び出して。」 船の前部へと着くと、そこには船で出会った少女であるセイリスが居た。彼女はアイムを抱えている女性に対して話ており、その内容から、この女性の名がフラウという物である事がわかった。 「こんな時だからさ。この危険極まりない状況を解決できるかもしれない、救世主がいるって言うんなら、そりゃあ走ってでも探し出そうとするものさね。」 アイムはフラウの小脇に抱えられたまま、その救世主とやらはもしかして自分の事なのだろうかと、考えていた。 「救世主なんて、アイムさんはそれ程、凄い人物には・・・あら?アイムさん。その様なところで如何したのですか?」 セイリスはようやくアイムの存在に気が付いたらしいが、自分の相方がその少年を抱えているという状況が良くわかっていない様だった。 「いやあ、僕にもさっぱりというか、なんなんだろうね。こんな体験初めてなんだけど。」 実際、今まで女性に抱えられた事なんて、母親以外には無いし、母親も子供を脇に抱えるような人では無かったはずだ。 「説明なら後でいくらでもするさ。でも今はちょっと急ぐからね。悪いけどセイリス、あなたは部屋に戻っておいてくれるかしら。ちょっとこの子に用があるんだけど、あなたがいると話しにくい事なのよ。」 となると、このフラウという女性と二人になるという事だろうか。それは少し不安になってしまう。確かに第一印象は恐怖を感じなかったが、それでもこの巨体は威圧感があるのである。できれば二人きりというのは勘弁してもらいたい。 「なんだか良くわからないけど。フラウが言うなら大事な話なんでしょうね。わかりましたわ。部屋に戻って置く事にします。私が居ても、何かできる状況でも無いでしょうし。」 アイムの願いも空しく、セイリスはこの場を去っていった。フラウは何か自分に用があるらしいが、自分自身に心当たりが無い以上、より一層不安になるだけである。 「あの、とりあえず、ここから降ろしてくれませんか?この状態は少し不安定で。」 ただでさえ船に弱いのに、地に足が着かない状態で抱えられていたせいで、実を言うと船酔いになり始めているのである。 「おっと、そうだね。私も慌てていて抱えたままなのを、すっかり忘れていたよ。」 普通、自分が物を、それも人を抱えている状況を忘れるという事は無いはずだ。 「それで、いったいなんなんですか。なにか僕に用があるとか言ってましたけど。」 アイムは現状を理解しようと精一杯であった。ドラゴンが現れてから自身は混乱しかしていなかったため、何とか自分の状況だけでも知って置きたかったのだ。 「その件なんだけど、あなた達種族の特殊能力に関する話なんだけど、話を続けてもいいかしら?」 突然の話に体が強張る。ちなみにこの感覚は、旅の相棒が自分を旅に誘った時とそっくりであった。 「あの、それってもしかして、その。」 おそらく、地霊を見る能力を言っているのだろうが、具体的に言ってしまえば、自分から能力をバラす事になるのでもどかしい。 「地霊とかなんだとか言ったものが見えるんだろ。知っているよ。その能力に関する話さ。」 なんとまあ、やはり知っている様である。彼女が自分と同種族という事も無いだろうから、他種族に能力が知られるのはこれで二度目である。 「あのー。もしかして、自分達種族の能力って実はバレバレだったりしませんか。」 話したつもりも無いのに、能力を知っている人物にこの短期間で出会ってしまうと、この様な不安も抱いてしまう。 「安心しな。それを知っている奴なんてそんなに居ないし、こっちから他人に話すつもりも無いよ。余計な恨みは買いたく無いしね。」 「あ、いや、それならいいんですけどね。でも想像してたけど、やっぱりリュン以外にも知っている人がいるんだなあ。」 種族的に隠している事なのだが、どこから漏れたのだろうか。 「それに関しちゃ、そっちも色々あるんだろうけどね。今は非常時だ。その能力を隠さず、利用させてもらいたいのさ。できる限りの配慮として、あの娘を部屋に帰したんだ。嫌だと言っても、選択肢は与えないよ。」 どうにも、船がドラゴンにぶつから無いようにするために能力を使うらしいので、反対するつもりは無いのだが、この様に無理矢理な展開だと少し躊躇したくなる。 「あの、地霊が見れると言っても、海の上じゃあ役に立たないと思うんですけど。」 実際、船旅が始まってから地霊をこの目で見たことが無いのだ。自分の能力が役に立つとは思えない。 「それはあんたがまだ、自分の力について良く知ってないからさ。安心しな、その力をどう使うかは、私がちゃんと指示してあげるから。」 そう言われても、ランドファーマーで無い種族に自分達の能力について教えられる事なんてあるのだろうか。 「とりあえず、あの船の先端まで行ってちょうだい。」 フラウは船の前部を指差す。 「え?ちょっとどう言う事が良くわからないんですけど。」 「だから、その船の先から出っ張った場所に行って欲しいのよ。その方が回りを見やすいからね。落ちないように気を付けるんだよ。あなたが落ちたら、どうしようも無くなるんだからね。」 そう言うフラウが指差す先には、船から出た一本の棒がある。あまりにも不安定で、危険なその場所は所謂、舳先と言うものであった。
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