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作品名:ランドファーマー旅行記 作者:きーち

第35回   十でおしまい(1)
 ホウゼ国。大陸最北に位地する農業国家である。農業を生業とするランドファーマーが建国した国として知られ、その食料生産量は大陸中に生きる人々の半分を賄える程だと噂される。
 実際はそこまででも無いのだろうが、来期の事を考えず、ただ生産量と効率だけを考えて農業を行えば、それが実現できるかもしれない能力をランドファーマーは持っている。
 大地の霊を見る力。農業を行う上で、他の種族より抜きん出た成果を出せる理由がそこにあった。いかに育て、いかに収穫するかを、その能力は自らの目で教えてくれる。
 ランドファーマーは種族でその能力を隠していた。隠す理由を、彼らは種族の奥の手を、他種族に教える事は種族としての損になると話す。
 しかし、他種族がその能力を知っている事が稀にあり、そこまで厳密に秘密が守られてはいない事を知れる。まるで、もっと別の能力を隠すためのカモフラージュの様に。

 トアト国からホウゼ国まで、それを道程と呼ぶのも遠慮する様な短い旅であった。元々が隣国であり、良く物品の輸送が行われる関係上、その道も整備されていた。
 野宿の準備もしていたアイム達であったが、朝にトアト国を出て、夜にはホウゼ国に着いて居た事を考えれば、無駄な事だった様に思えてくる。
「国の外周から既に畑や水田が見られますわ。中心地はもっと多くの作物が育てられているのかしら」
 ある程度、旅慣れているセイリスであるが、彼女もホウゼ国は初めてらしい。そして意外なことにリュンも同様に、国内に入るのは初めてだそうだ。
「興味はあったんだがな。ちょっとした噂も気になったし。ただ、機会が今まで無かったんだよなあ」
 噂と言うのは、ランドファーマーの地霊を見る能力の事だろう。もしかしたら、アイムに出会わなければ、ホウゼ国で旅仲間を見つけるつもりだったのかもしれない。
「じゃあみんな初めての国なんですね。聞いた話によると、農作地が広がるのは、外周とその内側付近だけだそうですよ」
 旅に出るまではシライ国を出たことが無いアイムの話は、あくまで元々この国に住んでいたと言う祖母から聞いた内容である。
「へえ、じゃあ中心地にはもっと別の何かがあるのか?」
 新しい国に来た時、説明役はいつもリュンかセイリスだが、この国についてはアイムの方が知識を持っている様だ。
「それがですね、ホウゼ国の中心には、作物が何も育たない砂漠があるそうです」
「砂漠ですの? まるで砂浜の様な土地が広がる大地と聞きますが……」
 見た事も無い物を想像しようとして、首を傾けるセイリス。この国に来た以上、直に見る事も出来るのだから、そこまで考えなくとも良いと思うのだが。
「大陸の一大農業国で砂漠とは不思議な話だな」
「それもただの砂漠じゃなくて、黒い砂漠だそうですよ。辺り一面、黒い砂だらけで、草一本生えていない」
 祖母に何度も聞かされた話なので、良く覚えている。アイム自身、実はその砂漠を見るためにこの国に来たと言う理由があった。
「ふうん。随分と詳しいんだな。砂漠の由来とかも知ってたりするのか?」
 リュンの疑問は、何気ない会話の延長線でしかなかったのだが、何故かアイムはびくりと肩を震わせた。
「え、いや、なんで知ってると思うんですか?」
「いや、それもお婆さんから聞いているのかと思ったんだが……。知らないのか?」
 仲間の様子が急に変になったので、リュンは当然訝しむ。ただでさえ聡い彼である。アイムが何かを隠しているのではないかとも疑っていた。
「あー、そうですね。知っていると言えば、知っているし、知らないと言えば知らないのかな」
 ここでただ隠しただけでは、すぐにバレそうだと考え、はぐらかすだけにして置くアイム。
「結局、どちらですの?」
 アイムの様子は、セイリスの目にもおかしく見えたらしい。リュンと似た様な目線をこちらに向けてくる。
「ううん。その話については、ちょっと待って欲しいんだ。ちょっと、この国で見て回りたい事があって……。多分、それが終わったら話せると思う」
 アイムには、こう言う事が精いっぱいであった。まだ秘密を話す決心は着いていない。
「……まあ、良いけどな。それより今は、食糧輸出について交渉できる相手を探さないとならない」
 アイムの考えを汲み取ってか、リュンは話を別の方向へと進める事にした様だ。
「その件ですが、フラルカさんから何か聞きませんでしたの?」
 要塞が中心となって、食糧輸送の話を進める以上、要塞側から要望があって然るべきだろう。
「ホウゼ国の農家の代表みたいな人物が居るらしいから、まずそこに話を通す様にとは言われているな」
 ホウゼ国で農家の代表をすると言う事は、要するにこの国の統率者の一人とも言えるだろう。
「母屋って言うそうですよ。あと誰かじゃなくて、一族を指している言葉だそうで」
「でしたら、特定の一族が中心となってこの国を動かしていらっしゃるのでしょうか?」
「いや、詳しい事は知らないんだ。やっぱり、一度顔を見ないと分かり無いみたいだね」
 祖母の知識も、輪郭をなぞる程度の物でしかない。三人とも、ホウゼ国に対する知識が曖昧な以上、まず行動してそれを知るしかないのだった。

 ホウゼ国の農家達を取りまとめる母屋は、その機能を果たすためか、ホウゼ国の中心近くに存在する。思った以上にこじんまりとしたレンガ造りの家であった。
 そうして、中心地に砂漠が広がる国である以上、母屋の近くには砂漠が存在していた。と言うよりも、砂漠の端に母屋が建っていると言った方が良い。
「うわあ。本当に黒いんだ。これが全部……」
 アイムは大地を埋め尽くす黒い砂を掬い上げる。砂はまるで水の様にアイムの手から滑り落ち、ほんの少しだけが手のひらに残った。
「失礼かもしれませんけれど、正直、不気味さがありますわね」
 まだ空が晴れており、その青色によって不気味さは薄まっているが、これが夜や雨の日になれば、黒色の砂がより一層の怖さを演出するだろう。
「気にするこたあ無いさ。ここに住んでいるアタシだって、良い風景だなんて思った事は無いんだからさ」
 セイリスの言葉に答えを返すのは、母屋の主人であり、ホウゼ国農家の代表でもある、オーキナと言う老婆であった。
 オーキナはアイム達の来訪を快く出迎えてくれた。なんでも、自身に会いに来る人物を断らないのが信条だそうだ。
「そうして、この国に来る人物には、必ずこの砂漠を見せる事にしているのさ」
 老婆は目蓋に刻まれた皺を動かし、目を細めて黒い砂漠を見る。
「この家が砂漠の近くにある以上、婆さんに会いに来る場合は、砂漠を見ない様にする方が難しいと思うが……」
 苦手そうに老婆を見るのはリュンだ。彼にしてみれば、早く交渉事を始めたいのだろうが、オーキナがそれを制し、まず砂漠見学が始まったのだった。
「ケッケッケ。そのために、定期的に家を引っ越していてね。常に砂漠の近くに家を建てていたいからさあ」
 年を経た人物に有りがちな、深見のある表情で笑う老婆。
「それで家が小さいのですね。定期的に引っ越さなければならない程、砂漠のある土地は変化をしていますの?」
 セイリスは老婆の話を気に入った様で、何度も様々な事で疑問をぶつけていた。
「この砂漠はね、少しずつだけど年々小さくなっているの。だから、家も砂漠から少しずつ離れて行く」
 何故かその事を嬉しそうに話すオーキナ。引っ越しの手間が増える事だろうに。
「砂漠が小さくなるって、どういう事なんだ? 土地が変化するのか?」
 砂漠はいつまでも砂漠のままなのでは無いかと考えるリュン。土地が大きく変化すると言うのは、あまり考えられない事だ。
「緑化させているのさ、この国の農家達が持ち回りで頑張ってね。砂漠が植物に覆われれば、そこはもう砂漠じゃあ無くて、畑を作れる立派な土地だ。黒い砂漠が広がっているより、よっぽど助かる事だよ。そこの坊やもそう思うだろう?」
 老婆の声は、アイムに向けられていた。黒い砂漠に関しての話は、何故かアイムに向けられた物の様に思えた。
「この砂漠、小さくなっているって事は、昔はもっと大きかったんですか?」
 アイムは老婆の話を聞いて、そんな事を考えていた。今でも、砂漠はホウゼ国の三分の一程を覆っていると聞く、しかしそれでも、少しずつ緑化しているのだ。
「そりゃあそうさ。ホウゼ国があるこの土地はね、昔は人っ子一人住めない砂漠だらけの土地だったから」
 それはつまり、ホウゼ国その物が、黒い砂漠であった事を意味している。これを人の住める土地にするのに、どれだけの労力を費やしたのだろうか。
「僕の祖母はこの国出身だったそうで、やっぱりこの砂漠を見て育ったんですかね」
「そうだねえ。この国出身者で、この砂漠を知らない奴は居ないだろうから、そうだったんだろうさ」
 言葉が途切れる。いつのまにか、老婆が砂漠を見る表情と似た様な物を、アイムも顔に浮かべていた。
「それより婆さん。そろそろ良いか? 一応、この国には仕事で来ているんだが……」
 沈黙に焦らされてか、リュンは砂漠を見る老婆に口を開く。
「まったく、最近の若者がなんて言葉を使いたくないけど、もう少し我慢できないのかい?」
 そんな憎まれ口を叩きながらも、オーキナ自身そろそろ家に戻ろうと思っていたのだろう、母屋への足を向ける。
 アイムとしては、もう少しこの砂漠を見て居たい気分だったが。

「それで、トアト国から何か要望があって来た事はもう聞いたよ? いったい何が目的で来たんだい?」
 家に入るや否や、すぐに広間の机へと向かい、椅子に座った後に話を進めるオーキナ。
 突然の展開と言えば展開だったが、こう言った事にはリュンも慣れた物で、すぐに自分達の目的を話す。
「トアト国の食事は、はっきり言って他国人には酷な物で、なんとか改善したい一派が居る」
「だから、ホウゼ国にはトアト国が望む作物を生産して欲しいってのかい? 随分と都合の良い話に思えるけどね」
 リュンと老婆の間では、既に何度か言葉が交わされているが、交渉上手なリュンと比べても、饒舌な印象を受けるオーキナ。これは年の功なのか、それとも生来の物なのか。
「それ程、手前勝手な話でも無い。この国にだって検問はあったが、それを行っているのはトアト国が輩出している兵士じゃないのか?」
「まあね。そりゃあ隣国がそう言う商売をしているんだ。雇わない理由も無いだろう?」
 だけれども、それでこちらがトアト国の言う事を聞かないといけない理由も無いと続ける。
「義理不義理云々で言えば、金銭を出した時点で果たしてる。まさか、トアト国が無償で兵士を貸し出しているだなんて思っちゃいないだろうね」
 椅子の手すりに肘を掛けて、体を斜めに傾けるオーキナ。長期戦でもなんてもかかってくるが良いと挑発しているかの様だ。
「こちらだって、食糧関係の輸入にはそれなりの対価を払っているさ。そこに少しの手心を加えてくれるだけで良いんだ。それも出来ないのか?」
「少しの手心で、安定した作物の輸出が出来るのなら、農家なんて職業は存在しないさ。アタシ達が、みんな楽して仕事をしていると思うのなら、この国を見学してみると良い」
 話は常に平行線を辿る。しかし、オーキナの言葉にアイムは違和感を覚えた。確かに農業は一朝一夕には出来ない仕事だ。だが、安定した供給が出来るかどうかは、作物の種類によって決まるのであり、最初から無下に断る理由にはならないのだ。
 リュンには交渉を成功させなければならない理由がある。それが仕事だからだ。ならばオーキナには何が有る?
「本当に、トアト国が望む作物の輸入は出来ないんですか? この国が生産する作物の量なら可能な様に思えるんですけど」
 アイムは交渉に口を挟む。この場に茶々を入れたかった訳では無く、単なる疑問が口に出た形であった。
「そりゃあ、やろうと思えば出来るだろうね。だけどそれは、こっちの労力が増してしまう事になる。それを、この国の農家達に強いるだけの対価を、あんた達は用意できるのかい?」
 単純に解釈すれば、輸入の際に払う金銭の値上げを要求しているのだろう。交渉役となる以上、トアト国の要塞からは、それを許可する権限は確かに貰っている。
 だが、それはあくまで最低限の物である。そもそもトアト国は、その食料生産をほぼ他国に任せきりであり、輸入代が値上がりすれば、生まれる負担も到底無視できない物となるだろう。
 それに、交渉をまだ続けなければならない関係上、早めに代金関係の話題を出せば、どんどん値が吊り上る可能性もある。なので、輸入代金に関する話は、もっと交渉の後に回したい。リュンはそう考えているはずだ。
「対価か。それより前に、交渉を断った場合のデメリットがあったりするんだが、そっちを聞いてみる気は無いか?」
 遂にリュンは、今回の交渉で奥の手を使うつもりになった様だ。
「ハハッ! 脅しのつもりかい? いいさ聞いてあげる。好きなだけ話すと良い」
 相手のオーキナが些かもたじろがない以上、脅しでは無いと思う。
「トアト国は今、空前の食事ブームでな。しかも特定の作物を使って、今までにない料理を作ろうなんて代物だ」
「ふうん。そりゃあ作物供給をもっと安定させろなんて注文が来る訳だね。それで? こっちに何か嫌な話でもあるのかい?」
「嫌な話も何も、起こったブームのせいで、トアト国は食料を自給しようなんて話が持ち上がっているのさ。それが意味している物くらい、そっちは分かるだろう?」
 トアト国が自ら食料を調達できてしまえば、トアト国が持つ兵力と言う力を、自活できてしまう事になる。それは国家間同士のバランスを崩しかねない事柄だった。
「ほう、確かに大きなデメリットだ。上客の取引相手を失いかねない理由まで付いてくる」
 実際は、トアト国側も争い事まで持ち込む意思は無いのだが、それは国同士の話し合い。上手く話を進めるためにはハッタリだってかましてしまう。
「どうだ? 少しくらいは前向きに検討してくえたって良いと思うんだが」
「どちらかと言えば、後ろから押されて検討しろって言われてるみたいだね。まったく、そう言う手を使うかい?」
 リュンは楽し気に笑い返す。交渉の成功を確信しているに違いない。だが、オーキナの返答は意外な物であった。
「やっぱり無理だね。食料輸出は現状維持のままだ」
「なっ!」
 珍しくリュンが驚く顔を見る事になった。自信満々だったその表情には、驚愕のそれが混ざっている。
「お婆さんは、トアト国の現状を理解しているのでしょう? それでも断るのには、理由が必ずあると思うのですが」
 セイリスはトアト国の現状を楽観視していない。この場で食料輸入の話が進まなければ、本当にトアト国が食料生産を始めてしまうかもしれないと考えていた。
 一過性のブームによる後押しでは無い。トアト国には、国の食料事情に不満を持つ一団が存在しているのだ。現状のままで居れば、その不満は解消される事は無く、いつか爆発してしまうのではないか。その事を危惧していた。
「そりゃあ無駄に長く生きてないさ。隣国の事情なんざある程度は知ってる。ちょっとした手助け程度なら、慈善だってしてやるよ。だけどね、こっちにも引けない線があれば話は別だ。今以上に、食料生産を都合して欲しいなんてお願いは、その線に触れちまう」
 オーキナの意思は固そうである。これに悩むのはリュンだった。いつもの笑い顔を消して、難しそうに口を横一文字に引き締めている。
「妥協点も無いと? それだけ頑なな理由くらいは教えて貰えないのか?」
 相手が何故、この交渉に否定的なのか。その理由を知らない限り、話し合いに発展と言う言葉は生まれない。
「理由ね。今でさえ、こっちは手一杯だってのは理由にならないかい? いくら農業国家だって、その労力は限られてる。アタシ達ランドファーマーの体力も、一昼夜働き続けられる程の物じゃあ無い。出来るだけの事をして今がある。そこに来て、いきなり注文を付けられても、はいそうですかなんて言えるはずも無い」
 それは確かに一本筋の通った説明に思える。しかし、リュンは納得していない様だった。
「こっちが頼み事をするってのは、そっちに迷惑を掛ける事だってのは十分承知しているし、もし作物を融通してくれるのなら、それに見合うだけの対価をトアト国から引き摺り出しても良い。それでも駄目なのか? 余裕が無いと言うが、砂漠を緑化させる事に労力を割くのは余裕があるからだろ?」
 農業以外の事に労力を割くのは、その力に余裕があるからだと言う説得は、一見正しい様に見えるが、緑化の結果、そこが農地になると言うのなら、それは農業の一環である。つまり、今のリュンの話は、説得力に欠ける物なのだ。彼らしくない珍しく焦っているのだろうか。
 しかし、思いもよらず、オーキナは表情を変えた。何か、リュンの言葉を聞いて、考える事があったらしい。
「ふん。そうさねえ。どうしようか」
 オーキナの目線は、こちらを値踏みする様な物になる。ジロジロとしたそれに少したじろぐアイム。
「あの、何かありました?」
 基本的に、アイムはこの老婆が苦手であった。会う瞬間、なんとなく変な感情を持ったが、今になり、それが純粋な苦手意識である事がようやく分かったのである。
 同じランドファーマーとして、老婆はアイムの何倍も上手なのである。話し合いの際の、交渉能力もそうだが、きっと、農業に関しても、アイムの知らない経験を積んでいるに違い無く、自分の考えを見透かされている様に思えるのだった。
「アンタ達、この家に泊まって行くつもりは無いかい? ほら、日がもう傾きかけてる。今から宿を探すのも酷だろう?」
「え? いや、いきなり何を」
 険悪な交渉のムードから一転、いきなり親切そうに自宅へ泊る事を提案するオーキナ。ますます困惑するのはアイム達の方だ。
「なあ、婆さん。こっちだって、遊びでこの仕事をしてる訳じゃあ無いんだ。いきなりそんな事を言われても……」
「煩いねえ。交渉は、今日はもう終わりだよ。年寄りに無理させるんじゃない。泊めたげるってんだから、素直に頷いて置きな」
 なんとも勝手な言い方だが、交渉このままでは進展も無く、宿にも困っているのも事実なので、結局、アイム達はオーキナの提案を受ける形となった。

 夜が更ける。この国に来た目的であるトアト国への食料輸出の改善が、あやふやなまま一日が過ぎようとしている現状、アイムはすっきりしない気分のせいで眠れずにいた。
 横になっていたベッドから起きる。オーキナの家、その客間に置かれたベッドは三つ程あったが、女性であるセイリスは別室の方が良いだろうと、オーキナと同じ部屋を寝室としている。
 つまりこの部屋はリュンとアイムの二人だけが休むための物であり、さらに狭い部屋が苦手なリュンは外に出ている。要するに今、アイムは一人だけで部屋の中に居る。
「なんだろう。落ち着かないと言うか、このまま眠る気にならないと言うか」
 誰かと話せれば気分も落ち着くのかもしれないが、今は自分一人だけであり、それもできない。
「そうだ、もう一度砂漠を見てみよう」
 日が出ていた頃は、ゆっくりと観察できなかったので、眠れないのなら今見て置こうと思い立つ。
 夜の黒い砂漠は不気味な景色と聞く。普通は観光でも見る様な物では無いのだが、だからこそ見て置かなければと言う良く分からない義務感によって、アイムは動き出した。
 母屋は当然、砂漠のすぐ横に立っている。玄関を開ければ、そこに黒い砂漠が見えた。
「うーん。本当に不気味だよ。何かが出てきそうで怖い」
 黒々とした砂に色づけされた大地を、夜の暗さが持つより一層の黒が染める。黒い絵の具を幾重にもぶちまけたその砂漠は、何もかもを飲み込んでしまいそうな雰囲気を持っていた。
「でも、何にも居ないんだよなあ」
「地霊さえもかい?」
「うわっ!」
 玄関に背を向けていたアイムは、そこから出て来た人物に突然話し掛けられ、叫び声を上げた。周囲に何も無く、静かな夜なので、その声は良く響いた。
「なんだい、人が話し掛けただけでそんなに驚くなんて、失礼じゃないか」
 背後の人物はオーキナであった。老婆は腰に手を当てて、穏やかそうにそんな事を言う。
「いきなり話し掛けられたら、そうもなりますよ。ただでさえ嫌な雰囲気なのに」
 砂漠と夜の黒さは、事実がそうでなくても、何がしか穏やかで無い存在が現れるのでは無いかと想像を膨らませてしまう。
「話し掛けるのにいきなりも何も無いさ。それより、同じランドファーマーとして、この景色は来る物があるだろう?」
「そうですね……」
 アイムは黒い砂漠を見る。そこには、地霊が一匹たりとも存在しなかった。そうでない場所には存在しているのにである。
「景色の不気味さと地霊が居ない事と合わさって、本当に落ち着きませんよ。気持ち悪さまで感じそうです」
 ここはランドファーマーとは相性が悪い土地だ。しかし、それでもこの国はランドファーマーの国なのだ。
「アタシはもう慣れたけどね、だいたいは坊やと同じ意見さ。この砂漠は気分の悪い物さ」
「じゃあ、なんでこの砂漠から離れようとしないんですか? わざわざ引っ越しまでして」
 実はなんとなくであるが、アイムにはその理由が分かっていた。それでも聞くのは単なる確認作業に過ぎない。
「この砂漠が自然と相いれない物だからさ。それを作ったのがアタシ達だって言うのなら、この目に焼き付け続けなければならない」
 アタシ達。それはランドファーマーと言う種族全体を差している。そう、この砂漠は、ランドファーマーが作り出した物なのだ。
「僕、この国に来たのは初めてで、この国の事を聞いたとき、絶対にこの砂漠だけは見なければいけないと思いました」
 この場所を見る事は、ランドファーマーとしての義務とすら感じる。こんな不毛な土地を作り出した事は罪である。その事を理解するために。
「ふふん。若いくせに面白い事を言うじゃないか。そんなに砂漠を見たきゃ、この砂漠の緑化仕事を手伝ってみないかい?」
 オーキナは目線をアイムから砂漠へと向ける。
「緑化ですか? 確かに興味はありますけど……」
 それよりアイムはトアト国の交渉人としてここに来ている。それとは違う仕事をするのは、少々気が引けた。
「安心しな。元々、食料輸出について考えて欲しければ、緑化の仕事を一度してみろと言うつもりだったんだ」
 つまり、緑化の仕事も交渉の一環であるので、問題無いと言う事だ。
「どうしてそんな事を?」
「そうさね、若いランドファーマーに経験を積ませるのも良いかなと考えた事が一つ」
 オーキナは指を二本立てて、一つを曲げる。
「もう一つは?」
「もう一つは、坊や、アタシ達の秘密を、あの二人に聞かせるつもりだろう? その良い切欠になると思ったんだよ」
 驚いた。この老婆は、どうしてアイムの心まで読んでいるのだろうか。
「長く生きてるとね、仕草やら視線やらで、相手が何を考えて居るのかを当てられる時もある。それが同じ種族なら尚更だよ」
 秘密を話すのは、種族として禁じられている事なのだが、気にするなと言いたげにオーキナは目を閉じる。
「正直、話せば良いかどうか、今でも迷ってます」
「なら、緑化の仕事をその試金石にしてみな。あの二人がアタチ達の事情を理解できると感じた時だけ、話してみれば良い」
 そう言葉を残し、オーキナは母屋へと帰って行った。
 残ったのはアイム一人。ほんの少しだけ、その場で立ち続けていたアイムだったが、砂漠の夜は寒い。肌の冷えが震えに変わらぬ内に、アイムも家へと戻る事にした。


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