鼻に潮風の匂い漂ってくるのに気が付き目が覚めた。この匂いのせいか海を泳ぐ夢を見ていた気がする。体がまだその気分に浸りたいのか、このままベッドで微睡んでいたい心持ちなのだが、今日は組合の仕事がある日だったのでそのまま寝ているというわけにはいかない気分でもあった。 この宿は組合が用意してくれた宿だ。部屋ごとに鍵があり、大きさもなかなかのものだった。自分が寝ていたベッドも上質とまでは行かないが、清潔感があり、旅で野宿する時の寝袋などとは月とスッポン程の違いだ。 たかが旅人にこんな宿を用意してくれる組合とは、それほど裕福なのだろうか。例えその裏に何か隠された意図があるとしても、自分達にとっては破格の持て成しだった。これでは否応無しにプレッシャーが掛かってくる。 頼りになるかならないか、良くわからない相棒は昨夜、話をしてから部屋に備え付けられた安楽椅子に座りながら寝ている。ベッドは部屋に二つ用意されているが、彼はそのベッドでは寝苦しいと、そちらで体を休めている。反対に野宿をしていた時は、結構ぐっすり寝ている雰囲気があったので、要は貧乏性という事だろうか。 「もう起きたのか?」 どうやら自分が起きる物音でリュンが起きたようだ。安楽椅子から少し背を起こし、自分に話しかけきた。 「なんと言っても初仕事ですからね。柄にもなく緊張してるんですよ。」 本当の事だ。体がまだ睡眠を求めているのに、眠る気になれないのはそのせいだ。 「まあ今回は組合と、それに不満を持つ農家との仲裁だ。口先の技術が物を言うから、ほとんどは俺の仕事だよ。お前は俺が知識を必要とした時に何か言ってくれればいい。初仕事だって言うのなら、それこそ、そこまで高望みしていない。」 情けない話だが、その言葉に少し安心してしまった。所詮自分なんて、旅を初めて数日しか立っていない、新米とすら言えない旅人なんだと自覚してしまう。 「でも仕事は仕事でしょう?失敗したら、被害が出るのは自分達だけじゃない。」 組合側や交渉相手側にも被害がでる。別に相手の心配をしているわけではなく、被害がでた結果、自分達に対して相手がどのような態度を取ってくるのか、それが心配なのだ。 「俺達がするのは交渉事だぞ?それには100点満点みたいな結果は無いが、0点なんて結果もない、成功や失敗なんて両極端な結果にはならんだろうさ。心配するならその後の報酬についてだな。これに関しては幾つか要求案があるが、まあそこらへんが今回の仕事の結果次第ってだけさ」。 そうか、所詮自分達は旅人なのだ。仕事の報酬は気にしても、仕事自体にそこまで責任を感じる必要はないのか。 「それじゃあ丁度二人とも起きてしまったんだ。朝飯を食ったら、組合が指定した交渉場に向かうとするか。少々早いが印象が悪くなるという事もないだろう。」 そう言って、リュンは椅子から完全に立ち、荷物をまとめ始めた。大した量では無いが自分の分もやっておこう。仕事がどんな結果に終わろうと、この部屋に戻ってくるという事は無いのだから。
組合が指定した交渉場は町の中心近くに位置する大きな広場だった。広場には多くの椅子が扇状に置かれ、組合と農家達との交渉が始まるまで時間はまだあるが、その椅子には既に何人かが座っていた。 「交渉って閉ざされた密室とかでするものだと思ってたんですが、こんな所でするんですね。周りから丸見えだ。」 実際、広場の周りには交渉を見に来たであろう住人が、疎らではあるが集まっていた。 「組合の伝統でな、自分達の組織運営は出来る限り公開していく事にしているらしい。」 「随分と公平なんですね、昨日下がった評価を少しプラスしてもいい気分になりました。」 まあそれでも農家を冷遇する組合に対して良い印象は抱く訳が無いが。 「組合側の余裕なのさ。交渉といっても始まる前から組合側が優勢だからな。組合は農家が居なくても存続できる上、農家達は組合に自分達の優遇を求めて交渉しているって事はそういう事だ。」 ふむ、なら自分達の仕事も組合側が用意した農家として、ある程度の助言をするだけで上手く行くかもしれない。 「でも、こんなところで交渉をするって事は組合側としても交渉が不利になる訳にはいかないんじゃないですか?」 負けたらそれだけ組合の権威が落ちる事になる。自分達で交渉を公開している以上、言い訳もできまい。 「どうかな?農家側の交渉が上手くいけば、組合側が譲歩する形になるが、それは優位な立場にある側がすると寛大さを示す事と同じになるのさ。実際、組合側だって一方的に農家達を負かそうなんて考えていないのさ。多少、農家側の意見を飲もうと考えたからこそ、この場が開かれたんだからな。」 「でも組合側だって僕達を雇ったんですから、そうそう相手に譲歩するつもりも無いんじゃないですか?」 相手側の知識を知ろうとするのは、相手と対等に渡り合いたいからだろうに。 「逆に俺達旅人を雇ったくらいで開かれる場だったんだ。ある程度の交渉をする努力をしたという格好を見せる必要がある。だが、それ以上の事はするつもりも無いってところじゃないか?」 大した自信だと思う。そこまで組合と農家達との立場は差が広がっているのだろう。 「まあ、それほど組合側も余裕がある訳じゃないだろうがな。」 「なんでです?聞いた限りじゃ、圧倒的に組合側が有利じゃないですか。」 むしろ農家側が不憫になってくるくらいなのに。 「忘れたか?組合はそもそも農家達との争いを外部に隠すつもりだったんだぞ?こんな場所で交渉するのは組合側だって本意じゃないんだろうさ。」 「ああ、そういえば、もともと内々で処理するつもりだったんでしたっけ。ところが、とある旅人の出任せに騙されてこんな事をするハメになってしまったと。」 たかが旅人に知られてるくらいなら、もういっそ見世物にしてしまおう。といったところだろうか。 「組合側も不憫にな。ここまでやったら、どんな結果でも決着付けるしかないだろうに。」 「そうですねー。ハッタリ野郎は恨まれてるかもしれませんねー。」 こんな状況になってしまった原因の一つが同情する権利なんて無いのである。 「言っとくが、どう見てもお前も共犯だからな。こうなったら、とことんまでやってやろうじゃないか。農家達を泣くまで追い詰めてやろうぜ。」 「農家と敵対なんて元農家としては不本意なんだけどなあ。」 まあ、ハッタリ野郎の相棒にもそんな事を言う権利は無いのだろうが。
「我々は自らの仕事の対価を正当に要求しているだけだ!」 農家側の代表者らしき人物が広場で声高に叫んでいる。交渉が始まってしばらく経つが、農家側の要求は特に変わった様子を見せず、組合側に自分達の立場向上を求めるというものみを訴えている。 「こちらとしては正しく評価しているつもりなのですがね。もしあなた方が現状より、報酬をさらに多く要求するのであれば、生産量さらに上げるか、農作業の能率化を図ればよろしい。」 一方、組合側の返答は要約すると、お前たちの要求なんて聞けるかというものである。これも、交渉開始当初からまったく変わっていない方針で、ようするに話し合いは平行線を辿っていると言っていい。 さて、そんな交渉場に組合側の仲介役として雇われた自分達はというと。 「始まってから一切、発言の機会が無いんですよね。」 交渉は両団体の代表者が互いの意見をぶつけ合うだけの状態が続いており、他の人間は静観するか野次を飛ばすかのどちらかであった。 ちなみに前者は組合側が多く、後者は農家側に多い。 「まあ交渉の大半はお互いまったく進歩が無い事を確認する作業みたいなもんだからな。俺達の仕事は両者がそろそろ何がしかの決着を付けたいと考え始めてからだ。」 要するに話し合いに飽きが来たら、まとめ役として出てこいってところか。 「じゃあ、結構重要な役かもしれませんね。今後の方針を左右しかねない立場でしょうし。」 「農家側にとってはそうだな。だが組合側が農家側の要求を拒んでいるのはポーズだからな。別に要求を飲んでしまってもいいって立場だから、まあ俺達がどんな結果を出そうともなんとかなる。」 そう言えばそうだったか。組合側にとって自分達はお飾りみたいなもの。そう考えると癪に障るが。 「それで、どっちに付く?」 「え?どっちに付くって当然、組合側でしょう。僕達の雇用者ですよ?」 「さっき言った通り、その雇用者はどっち有利に転んでも自分達の権威を守れればいいという考えだ。だったら、与えられた裁量の範囲で好きにやってしまおう。そのほうが楽しい。」 楽しいときた。せめて自分だけはこの仕事が組合側から貰える報酬のためのものである事を記憶しておきたい。 「で、どっちだ。」 「そうですね。雇用主は組合側ですけど、個人的に好きになれない感じがするし・・・。」 さてどうしたものか。迷いながらアイムはまだ言い合いを続けている両代表者を見る。 「あんたたちはいつもそうだ!自分達の判断が正しい。不満があるのは怠慢の証拠だとばかりに言う。だが実際はどうだ!」 農家側の代表者は当初からのエネルギーを維持し続けているかのごとく叫び続けている。 「まるで我々の采配に不正があるかのようにおっしゃりますが。それこそ言いがかりですね。我々は組合員に対して公平に対応しています。」 そう反論する組合の代表者は少々疲れた様子である。まあその嫌味たらしい喋り方は幾分も衰えていないが。 「ならば、お前たち組合側に座る者達はなんなのだ!そのほとんどの種族がシーエルフでは無いか、これは組合に意図的な選択がある証拠だ!」 「それは純粋に能力で選んだ結果だと何度も申しております。あなた方が言う意図的な選択とはその程度の事ですよ。」 「その能力が種族に由来するものであるのなら、それはより差別的ではないか!」 話しは平行線どころかお互い反発し合いながらもまだ続いている。こんな話がいつまで続くのか。交渉開始の頃から観客として集まり始めた住人達もちらほらと離れ始めている。 「そちらがそう思っているだけでしょう。我々は種族によって対応を変えた事など、一度として無い。その証拠に今、この交渉の場に置いても、あなた方と対等に話し合うためにシーエルフでは無く農業知識を持った者達を呼んだのですから。」 自分達の事だろう。話に出てきたと言う事は、そろそろ発言の機会がやって来たのかもしれない。 「ならば、ここで話すべきはその者達であってお前たちシーエルフでは無いはずだ!」 「ええ、ええ。最初からそうするつもりでしたよ。ですが、あなた達の我々組合に対する考えが非常に偏った物だったので、その改めのために少々、回り道をした程度の事ですが。」 おたがい、嫌味を言わないと話を進められないのだろうか。そんな事をアイムは考え始めていたが、自分達に関する話なので聞き流す事もできなかった。 「それでは交渉役の方、出てきて下さい。これからは、あなた方が組合の代表として話してもらいます。」 ついに自分達の出番が来た。席を立ち、広場の中心へと向かう。当然、隣に座るリュンも共にだ。 「えー、今組合に紹介された、ツリストのリュンと、隣はランドファーマーのアイムです。各国を回り、旅を続けているような者ですが、この場で紹介されたように農業に関する知識や技術についての商売もしています。」 広場の中心に着いたリュンは農家側を向き話し出す。この話し方だと、自分達は長いこと商売を続けているように聞こえるが、実際には今回が初めての仕事なのでペテンである。 しかし、嘘は吐いてはいないのだから、バレても問題無い。 「私はツリストとして旅の先導や、各国でのガイド、交渉を役割としており、隣のアイムがランドファーマーらしく、農業に関する説明などを行っています。ですので、主に話すのは私ですが、専門的な内容ではアイムが交渉していきますのでご了承を。」 ここまでは農家側からの野次は無い。まあ立場の説明なのだから有っても困るが。 むしろ自分がランドファーマーと紹介された時、少し興味深そうな声が上がったくらいである。そういえば、農家側には自分と同じ種族は居ない。この国にはランドファーマーの農家は居ないのだろうか。 「それでは、これから組合側の人間として、あなた方に対する交渉を始めたいと思います。あなた方が求める、農家その他の仕事に従事する者への立場向上に関してですが、客観的に見て、それを全面的に組合が飲むというのは不可能に近いものです。」 交渉場の中心でリュンが続けて喋る。かなり流暢なものであり、少なくともこれからに交渉を無難に進める事ができそうな雰囲気がある。 「ふん、新しい交渉人が来たと思えば、言っている事は同じではないか。そもそも組合側の者でありながら、客観的とは随分と矛盾した表現を言う。」 相手側の代表は変わらず話を続けており、主張している事もまったく同じ。このままでは、組合側の交渉人が変わっただけという事になりそうである。 「いえいえ、こちらとしてはあなた方の言い分も、もっともな物であるとは思うのです。自分達の立場の向上を望むのは、むしろ仕事に対して貪欲な証拠。そしてあなた方の立場も客観的に見て、他の仕事より不遇に扱われているのは明白です。」 という訳で方針変更が行われる。当初予定した通りではあるが、農家側に対してある程度妥協する方針を取るようだ。 「ほう、我々の要求に対して異存は無いという事か?ならば組合側がそれを飲め無いのはどういう訳だ。」 「組合を組合たらしめている物はその名の通り、商船業であるという事です。あなた方は自分達の立場を不遇と言うが、それは商船業を優遇した結果起こるものであり、その優遇を無くしてしまえば、組合は組合で無くなる恐れすらでてくる。」 言っている事は組合が行っている不均衡の正当化なのであるが、ここまでざっくり言われると、農家側もつい納得してしまうというものだ。 「ならば我々に現状を認めろと?今ある立場を続けて行けと言うのか?」 「それをしてしまいたい。というのが組合側の正直な考えです。しかし、それではあまりにも差別的だ。ですので、あくまで現状、職業差の不均衡を維持しつつも、あなた方の立場の向上を組合としては図りたい。」 職業差別があると認めてしまっているわけだが、もうこの場では問題点にされる事は無いだろう。 「ほう、現状を現状のまま、我々を満足させる案があると?」 なぜなら、農家側はもう自分達がどのような提案を組合側がしてくるかを争点にし始めているのだから。 「ええ、それは商船関係の仕事において、シーエルフ以外の種族に対して、種族的な能力的な不足を考慮に入れつつ、仕事紹介の際、種族差の分だけ他種族を優遇する。というものです。シーエルフ以外の種族に対して、優先枠をある程度設けると言えば、理解しやすいでしょう。」 結局、これが組合側の予定していた考えである。交渉人としての仕事を紹介される際、この案を組合側の最大限の譲歩として、農家側を納得させて欲しいと依頼をされていたのだ。 実際、組合内では商船業を扱う団体へ、この提案は既に通しており、了承するという旨の返答を幾つかの団体から貰っているのが現在の状況である。 つまり組合にとってこの交渉は、どれだけ効果的に農家側にこの提案を聞かせるか、というものなのである。 「ほう、確かに我々にとってそれはチャンスと成り得るものだ。だがその優先枠というものは、どれほどの範囲で与えられる事になっている?もしそれが、最低限のものであるのならば、我々はその提案に納得しかねるが。」 そう言う農家側であるが、内心は組合側の提案を既に飲むつもりであろう。内容が自分達がどれほど優遇されるかという物に変わっているのだから。 「それに関しても、組合側に提案があります。」 「ふむ、それはどのような?」 さて、そろそろ自分の出番だ。 「あなた方は今まで農作業に従事して来た訳です。ならば、それによって組合が得たであろう利益をこの場で我々組合にアピールして欲しいのです。我々がそれに共感すれば、するほど、組合員の方々があなた方を優遇する気になる事でしょう。専門知識に関してはご心配無く、そのために私の相棒がいるのですから。」 ここまでは予定通り、リュンが危なげなく進めてくれた。組合側も自分達がある程度依頼を遂行している事を理解してくれている事だろう。そしてここからは自分の仕事、農家側の意見を自分がどのように返すかで、今後の組合と農家達の方針は大きく変わっていく事になるだろう。
「我々がこれまで、どれほど組合に貢献してきたかというなら、この国がどのような位置条件にあるかという事を見れば理解してもらえると思う。」 組合の代表やリュンに向けて声高に叫んでいた農家側の代表が今度はアイムに向けて話しを続けている。 既に交渉場の中心に立っているのはリュンでは無く、自分であるのだから当たり前だが。 「それは、この国が海に囲まれた半島であるという事でしょうか。」 アイムはこのような場で発言するというのは始めての経験である。しかし、思ったよりも緊張していない自分に驚いていた。 「その通りだ。海に面している以上、潮風が内陸に向けて吹き続けている。それが農作業にどれほどの影響を与えるかは分かるか?」 「そうですね、農家にとって塩害は深刻です。作物自体を駄目にするのも勿論ですが、それ以上に土が農作業に適さなくなる。」 塩害は野菜に塩味が付く程度ならむしろ美味しい話だが、塩だけにそのような甘いものではない。そもそもほとんどの作物にとって、多量の塩は毒のようなものである。多くの作物が塩によって成長を阻害されてしまい、当然それらは売り物になることは無いだろう。 塩がやっかいなのはそれだけで無く、水に溶けやすいという点もある。その性質の結果、土中に染み込み、土自体が作物にとって害になってしまうのだ。 「だが、そのような環境で常に我々は組合が要求してきたノルマを達成してきた。それだけでも、評価に値するものだと思うがね。」 「確かに組合の資料でも作物の収穫量は要求通りの成果を出し続けていますね。それでは、収穫作物の内容についてはどうですか?」 いくら収穫量が良くても、それらの内容が悪ければ目も当てられない。 「麦や稲など、国の根幹を支える物ばかりだ。それらが不要だとはもちろん言えんだろう?」 「もちろん不要です。」 「何?」 やはり収穫作物の内容に問題があった。これでは納得なんて出来る筈が無い。 「麦や稲を育てているから、国の根幹を支えているなんて思い上がりも甚だしい。もしかして、そんな内容で組合の支援を得られるなんて考えていたんですか?」 「貴様!我々のこれまでの成果を馬鹿にするのか!やはり貴様等も組合の一員と言うわけか!」 これまで、ある程度落ち着いていた農家側代表が再び怒鳴りだした。だがまあこれくらいは我慢するしかないだろう。これからはもっとヒートアップして行くのだから。 「あたりまえです。だって組合に雇われている訳ですからね。でもそれはあなた達も同じでしょう?そして組合の一員である以上、組合の利益というものを考えるべきだ。でもあなた方はそれをしていない。」 「先ほど言った事を忘れたのか?これまで農家達は組合の要求通りの事をしてきた!」 農家代表者がこちらを指さしながら、顔を真っ赤にしていく。もう少し近ければ唾が飛んできていることだろう。 「その要求通りというのが問題なんですよ。実際、農家達が皆要求通りの成果を出していても、それほど組合の利益にならないんですから。組合にとって農業は範疇外の仕事なんですよ。だから、その仕事依頼も甘目に出している。それを遂行できたからと言って、優遇策を取っていたら、他の組合員から不満が出てきますって。」 「ならば、どれほどの成果を出せば、貴様等は納得すると言うのだ。結局は難癖を付けて、我々の不満を抑えつけたいだけではないか!」 その通りである。自分は難癖を付けて不満を押さえつけるつもりなのだから。だが、それに反論の余地を与えなければ、自分達の勝ちである。 「納得するには、そうですね、あなた達の作物でこの国の全国民が飢える必要が無いくらい生産できれば、こちらとしては納得できますね。ちなみに今の生産量からどれほど増やせばできるか、そちらは分かります?」 「そんなもの、今の5倍の量を出荷できたとしても不可能だ!やはり無理難題では無いか!」 「逆に言えば、国内で賄える食料は、せいぜいそれくらいという事です。ぶっちゃけ、この国の食料は殆ど、他国からの輸入に頼ってる状況ですから。これで組合側に農業で利益を出そうとするなら、輸入する必要の無いくらい生産してくれないと無理なんですよ。」 この状況が不健全と言う訳では無い。ヒゼル国は商船業での交易で国内の利益を得ている以上、他国から何かを買い付けるという形でバランスを取らないと他国ばかりが損をする事になってしまう。その買い付ける物が食料であるのなら、他国でも十分生産可能であるし、国の生命線でもある食料を他国に依存させておくことで、相手の国に信頼関係を築く事ができるのだ。 こういった形が既に出来上がっている以上、農業で利益を産もうとするのなら、それがすべてを台無しても欲しくなるような利益でなければ意味が無い。それには少なくとも、国内での食糧事情をすべて解決できるくらいの生産量は欲しいところである。 「国内の状況がどうであろうと不可能である事には変わりあるまい!結局は農家不利の状況を作りだして置きながら、我々を不当に扱う組合に責任があるだろう!」 「それは農家側に何一つ選択肢が無い状況でこそ言える言葉でしょう。でも今、この現状は自らが不利になるようにあなた方自身が選んできた結果ですから、文句を言われる筋合いは無い。」 「我々に選択肢があったと?どこにそんなものあるというのだ。我々は常に組合に管理され抑圧されてきた!」 「組合の命令は必要最低限のものでしか無かったはずです。それは常にあなた方側に余力も時間もあったという事。その時間を使い、国内用では無く、国外に輸出でるような作物を生産できるような体制を作るべきだったんですよ。具体的には贅沢品なんかを生産できるようになっていれば一番良かった。国内の食料を輸入で賄えている現状がある以上、それは可能であったはず。」 農業での贅沢品とは、生活にかならず必要にはならない、砂糖や香辛料などの調味料類、果実などの甘味などがそうである。牧畜での肉類などもそうだが、こちらは保存が難しいのであまり輸送には向かない。 ちなみにそれらはすべて生産が難しいから贅沢品なのであるが、この国の農家達には十分に生産してみる価値があるものである。 「だけど、あなた方は挑戦をしてこなかった。それは間違いなくあなた方の怠慢だ。」 組合にあまり利益をもたしていない農家達が、今この場にいるように一端に生活できている以上、組合は事実上、農家達に支援しているのと同義なのである。ならば、農家として新たな挑戦ができる力があったはずなのだ。 何故、それを農家達がそれを選択しなかったのか。それはこの国の農家達特有のある思考に関係があると考える。 「結局はあなた方自身も農業が劣った仕事であるって考えているのが問題なんですよ。農業という仕事を押し付けられた時点で、不満を持っているその姿勢があなた方の立場をより一層、悪くしている。」 この国で組合と農家の対立とは最終的にそこに行き着く。農家と自ら名乗っている彼らも本質的には組合の一員なのだ。組合の価値観で縛られている彼らは、自らの立場を向上する。という考えから、農業の改善という方向に意識を向かせる事ができない。 今、この場所で行われている対立はまさしく、組合内部の対立でしか無いのである。 「我々自身が誇りを持っていないと言うのか。今まで組合に蔑まされてきた我々が!」 「なら、なんで組合に仕事斡旋の優遇を提案された時、あなた方はそれを認めようとしたんですか。あれは本当に農家としての誇りを持っていたのなら怒るべき提案だったのに。あなた方はあの時、鍬を捨てろと言われたんですよ?農業よりもっとふさわしい仕事を紹介してやるからと。それをあっさりと受け入れようとしてしまった時点で誇りなんてものは無くなってしまっている。」 アイムから出てくる言葉に農家代表の表情は怒りから悔しさの表情へと変化していく。アイムの言葉が自分達の本質を突いていると肯定するように。 「別に農業が特段素晴らしい仕事であるなんて言いませんよ。他の仕事だって誇りを持ってできるものは沢山ある。そして別の仕事を優遇するというのは、その誇りを奪ったり与えたりする行為なんです。この行為に正当性を持たせるには、仕事に対する自尊心が必要不可欠なのにそれが無い。元農家として、あなた方の優遇というものに高評価を付けるなんて無理ですね。」 交渉役として、農家側を評価するという自分の仕事はこれで終わった。結局は農家達の要求を組合が完全に跳ね除けた形になってしまったが、アイムは初仕事としてはなかなか良かったかもな。と言った考えが頭の中に過ぎていった。言いたいことが言えたアイムにとっては程々に満足感を味わえる物ではあったのである。
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