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第2回   1(2)

そして、始めに戻る。
 「あらま、咲ちゃんってば、大胆な。」
 相も変わらず硬直し、見つめ合ったまま動けなかった俺とその人だが、不意に降ってきた第三者のその声は、俺に最低限の理性を取り戻させた。とりあえず退かねばならぬと、あ、とか、う、とか、良く分からぬ感動詞のようなものを発しながら身体を起こしてあたふたする俺を尻目に、その美しい人は突如現れたもう一人へ身体を向けた。
 「心外なことを言うな。」
 「馬鹿にはしていないじゃない。で、ええと…。」
 その人はまるで俺を検分するかのように、上から下まで舐めるように見渡した後、急に空が晴れた時のような、そんな笑顔を俺に向けた。
 「君かな、執行部の新人さんになる人は。」
 「え、あ、はい。二年一組の紺染啓司です。えと、その、宜しくお願いします。」
 「よろしくね。俺は三年で執行部員の鈴鹿、鈴鹿廉太郎です。で、こちらは同じ三年の斐伊川咲ちゃん。」
 「勝手に紹介するな…。その、悪かったな、俺の不注意だ。」
 その、咲さん、という人はそう言って俺に向き直った。綺麗な声だった。
 「そんな、俺の方こそ、すみません。」
 咲さんは暫く俺を見つめた後、何も言わず職員室の中へ消えていった。後頭部で一つに束ねた長い髪を揺らす、その人。
「綺麗な子でしょう。」
心を読まれたかのような声に心臓が跳ね上がる。先ほど現れた鈴鹿さん、という方は楽しそうに笑顔で俺を見ている。
 「いやっ、別に、そういうわけじゃなくて、えっと。」
 「はは、啓司君、おもしろいから合格だね。」
 合格、と問うと、俺の個人的人間検定に、と笑顔で返された。分からないままであったが、じゃあ部室行こうか、そう言って歩き出したその人に慌てついて行く。
 その時目に付いた彼の右耳の光物のことは、数日後にはすっかり忘れてしまっていた。何だろう、何かの印だった気が、するんだけど。


 「姫ちゃんから、うちのことについては何を聞いたのかなあ。」
 姫ちゃんとは、生徒間で流行っている先に話していた姫路先生に対する非公式なあだ名である。先生が生徒に人気のあることを端的に示すものであるが、本人の前でそう呼ぶ人は、きっと多くない。
 鈴鹿先輩に連れられて職員室を離れ、各学年の教室が集まる東棟の二階廊下を進む。俺は、とりあえず執行部は生徒会の補助的役割を担う機関であると理解しているという旨を伝えると、そうだよねえ、と前を行くその人は応えた。因みに、この間延びしたというか、芯のないというか、そういうほわほわとした話し方は、この人特有のものらしい。
 「姫ちゃんの口からじゃ、そう言わなきゃ、駄目だもんねえ。」
 「へ。」
 「んとねえ、まあ後でうちの部長さんが詳しく言うと思うけど、今簡単に説明すると…。」
 曰く、執行部とは名ばかりで、生徒会の補助機関などではなく、むしろ対抗勢力なのだという。例えば生徒会が通そうとする議案は、通例として生徒会と執行部、その他各関連部署や委員会の代表での会議の場で審議を行うが、執行部が執行部としてその場で行うことは、その案に対する出来るだけ厳しい批判と批評。言ってしまえば、執行部とは伝統的に生徒会という与党に反対し攻撃するための野党、もっと言えばアンチテーゼ機関なのだ、と。
 「一党独裁よりはましでしょう。そういうわけで、執行部は創設以来、甚だ以って生徒会とは仲が悪いんだ。まあ、まだ出来て今年で八年だか九年だかの話らしいけどね。」
 などと、呑気にその人は窓を通して空を見上げる。いい天気だなあ、と笑っているが、俺としてはそれどころじゃない。
 「怖い所じゃないか…!」
 「姫ちゃんはあれで、結構な詐欺師だからねえ。」
 啓司君も餌に釣られたんだあ。と楽しそうに笑う。もしかして、先輩も、ですか。
 「あ、ほらここだよ。ちなみにこの一つ上の階が生徒会室。」
 気が付けば目的地であったようだ。東棟二階を突き当りまで進み、左手に現れる短い渡り廊下を進む。渡った複合棟を三階へ昇ったところで、鈴鹿さんはこちらを振り返ってこう述べた。
 「ここには、怖い人が居るから、気をつけてねえ。」
 小声でそう囁きながらノックをして、その人は『関係者以外立ち入り厳禁』という張り紙の付いた扉を開いた。が、ちょっと待て、もう十分に脅され怖気付いているのだから、心の準備位させてくれてもいいじゃないですか。


ガラッ、という引き戸のなる音と共に、部屋の奥、窓辺に置かれた机の前で向かい合う男女が振り返ってこちらを見た。一人はこちらの存在に意を得たような表情で、ああ君が新入部員か、と声をかけてくれたのだが、もう一人の女子生徒の方は、それはそれは物凄く綺麗な方なのだが、こちらを見つめ、否、睨みつけるといえる程の視線を俺にぶつけたままである。
 「あの、初めまして。俺は…。」
 「頭が高い。」
 とりあえず自己紹介を、と思い口を開いた俺の勇気は、彼女の第一声によりあっけなく粉砕した。
 「聞こえないの。話したいなら床に膝をついてからになさい。ここまで言わないと分からないなんて。」
 とんだ木偶の坊を連れてきたのね、鈴鹿。と、その人は腕を組みながら俺に近づき、目の前で俺を見上げた。まずい、怖い。
 「でも、おもしろいよ。ねえ。」
 鈴鹿さんはそう応えながら、適当に彼の傍にあった椅子に腰掛けた。助けて下さい、という念を込めて鈴鹿さんへ視線を向けたが、当の本人はそれに気付いたのかそうでないのか、にこりと笑い返しただけであった。味方ではなかったのか。
 「片倉、初対面なんだから、この辺りで勘弁してやってくれないか。」
 と、助け舟を出してくれたその人は、俺と同じくらいの背丈で、髪は短く、緩くパーマがかかっている様である。とにかく鈴鹿さんとはまた違った感じの良い雰囲気を持った人で、絵に描いたような“優しいお兄さん”であった。この場に来て初めて安堵の念を覚えた俺は、先に職員室前でしたような自己紹介を今度こそ行うに至った。
 「俺は執行部員、三年の渡島航。ここについての説明は。」
 「俺が適当にしておいたよ。」
 「適当に、ね。嫌いな言葉よ。」
 先ほど渡島さんに『片倉』と呼ばれたその人は、そう言って窓辺に置かれた机に凭れ掛かった。
 「私はここの部長、三年六組、片倉真弥美。聞いての通り、ここは現行生徒会への反体制機関と成り得る部署であって、この部署に属する限り、生徒会並びに生徒会役員は敵である事を肝に銘じなさい。そして、長である私には決して反逆の意思を持たないこと、万が一持ってしまったら即刻ここを去ること。紺染といったかしら、貴方は誓えるかしら。」
 このとき俺は、場違いながら今日一日のことを思い出していた。それによってこの状況を半ば逃避していたと言っても過言ではないほどに。全く、今日は一体なんなのだろう。一時間にも満たぬ内に俺の周囲は見事一変し、世界は広がった。目の前には女王様のような人が居て、執行部という存在があって、姫路先生はその顧問で、そう、そもそも俺は留年の危機の為に今日、朝から職員室へ呼び出しを受けて。…そうだ、あの人は、そういえば今日はまだ春休みで、この人たち以外に生徒は居ないはずなのに、あの美しい人は、何故あの場に居たんだろう。
 その疑問は走馬灯のように流れていた俺の思考から、ごくごく自然に姿を現した。俺はある決意をして、顔を上げる。
 「俺には、ある理由があります。頭悪いし、役に立つかどうかは分かんないんですけど、どうぞ、使ってやってください。」
 瞬きを、一つ。
 「それで、良いのよ。」
 それまで敵意以外の一切を窺えなかったその人の表情に、少し、ほんの少しだけ色付きが見えた気がした。俺はここの人間になったのだという、初めての実感を得る。それは不思議と嬉しいような、けれどどうにも心臓の存在を顕著に意識させられるような、そんな奇妙な感覚であった。
 「とりあえず、明日の始業式の後、生徒会の発足式があるわ。まあ貴方に仕事はないけれど、舞台袖には居てちょうだい。雑務くらいは出来るでしょう。」
 部員の仕事については後々教えていくわ。あと、少しでも合わないと思ったら止めてもらって結構よ。邪魔でしかないんだから。他に何か。と、ともすれば傲岸ともとれる言動を貫く女王様、もとい片倉部長様。この部署が何故定員割れなどという状態なのかなんとなく察しが付く。鈴鹿さん曰く『怖い人』とはこの人のことか。
 「あの、執行部には俺を含め五人居るということですが、あとのお一方は。」
 「今日は家庭の都合で欠席よ。」
 「どんな方なんですか。」
 「…渡島。」
 片倉部長は面倒くさくなったのか、先ほどの優しいお兄さん、もとい渡島さんを指名した。渡島さんもその辺りは心得ているようで、少しの苦笑いを浮かべながら口を開く。なるほど、こういう人でないと、ここの部員は務まらないらしい。大変だ。
 「そいつは副部長だけど、お前と同じ二年だよ。名前は漢氏惇って言うんだが…。」
 「え、漢氏、惇ですか。」
 「何だ、知っているのか。」
 「知ってるというか、友達です。」
 この場で初めて知っている名前を聞き、少しの安堵とその事実の意外さに驚いていると、他のお三方は俺のそれ以上に驚いたという顔をして、そのことにまた驚かされた。何だ、何か可笑しなことを言っただろうか。ただ友達を『友達である』と伝えただけなのだが。
 「あの子、友達居たのね。」
 「真弥ちゃん、相変わらず直球だねえ。」
 なるほど。漢氏の性格を知る人なら頷かざるを得ない感想である。
 「そう、あの子と仲良くできるのなら貴方、人を見る目だけは有るのかもね。」
 相変わらず、愛想の欠片も浮かべず、片倉部長はそう言いながら凭れていた机の抽斗から何かの書類を取り出し、その上でさらさらとペンを滑らした。そしてペンの蓋を閉め、その紙を俺へ向けて上から放った。
 「紺染啓司。貴方を本日付けで柊院学園高等部第九期執行部平部員に任命します。」
 A四サイズの白い紙が、空気の抵抗に遭いながらもひらひらと舞い、上手く俺の膝の上へ着陸した。見えた文字は『任命書』、『重要』、『片倉真弥美』、『紺染啓司』、『四月七日』。
 覚悟は、良いわね。彼女は口角を上げる。俺の運命は、回りだした。


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