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その“王”は今、危機に有るらしい。 大きな戦に敗れようとする王の城へは、いずれ敵軍の侵入を許すだろう。その時、果たして王の権威は守られ得るのか、その保証無しに白旗は差し出せぬ、敵軍の大将が王を見下すことなど許されぬ。もう月も真上に昇りきる中、臣下達の議論は紛糾していた。私はそれを眺め、その“王”について考えた。 王はヒエラルキーの頂に有りながら、実際その城で誰よりも自由は無かった。誰よりも尊い血を持つと設定された王ではあったが、実際その根拠は空白であった。しかしその城は王の存在が無ければ瓦解する虞があった、だからその“王”は王を放棄するわけにはいかなかった。 臣下達の王への忠誠や敬意は本物であったであろう。様々な種類のそれが交錯し、衝突し、乱麻となったが故に、多大な歪曲は生まれた。多勢という妖怪を、私はその時初めて認識した。 しかしその脱線も、その“王”には止めることが出来ない。何故なら王は容易に言葉を表せなかった。王の言葉は絶対であったが故に、王は言葉を恐れていた。王に理解者は居なかった。王を人間扱いする人は居なかった。“君主は国の第一の下僕”と、私は纏まらぬ議論を眺め、そういう言葉を思い出していた。 「王、貴方の御判断を」 臣下達は王を見つめている。議論は絡みに絡んで、ついに王の判断に委ねるらしい。その“王”が王となってから、自分で決めたことは片手で足りる。この決断を行ったら、それが両手でも足りない日々が、自身には訪れるのだろうか。 王は一時の夢想を振り払い、夢は夢だと自嘲した。 「もう、いい」 私はそれだけ呟いて、王である自分へ帰還した。
(孤独の王)
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明日は休みだから、と深夜のカラオケに呼び出されてフリータイム七時間。時間切れで追い出された街は、まだ日が昇ってすらしなかった。 帰りますか、俺は少し前を歩くその人に声をかける。一緒に居た他の2、3人は反対方向に帰ったので、今は俺とこの人と二人きり。明け切らぬ朝の街で俺らは二人きり。 帰りたくねえなあ、と言われても困る。いや今日は休みだから、夜にバイトがあるだけで何も無いんだけど、困る。俺らを帰り道へ運ぶバスの停留所へ座ったけれど、そのまま俺らはバスを何本か見送った。
空が白い。昨日の雨を持ったまま流れている雲だ。
あ、と何気なく思い出したことがある。 「俺、今日誕生日っすわ」 昨日から起き続けの眠い眠い思考回路で、思い出すのは所詮そんなこと。 「ああ、そうだよね」 それでも、隣のその人は当然のようにそう答えた。こんな取るに足らないことを覚えていた。寝不足の鈍い頭でも、少し驚いた。 「朝ご飯、奢ったげるよ」 その人は立ち上がり歩き出す。ので、それに倣い、俺はついて行く。
俺が生まれた同じ年に、万人から愛された歌姫が死去し、万人から愛された俳優が永眠し、万人から愛された漫画家が逝った。愛されなかった王も死んだ。だから暦も変わったけれど、誰も素直には悲しめなかったらしい。結局は誰も、俺の知らない人だけど。 そして同じ年に、東の遠い国の門前で人々が戦車にひき殺された。西の遠い国では分断の壁を人々が自ら打ち壊した。結局はどれも、俺の知らないことだけど。
「マックしか開いてないな」 「どこでも良いっすよ」
ねえ、俺が生まれたとき、あなたは何処にいた。 コンクリートの割れる音が響いた時、俺の産声が響いた夜、あなたはどんな夢を見ていた。 俺は少なくとも、共に居るだけで満足出来る存在と、あなたと今ここで朝の町を歩いて居られるなんて、思っても見なかったよ。
「何食う」 「じゃあ、一番高いやつ」 「朝から食えんのかよ、そんなでかいの」
けらけらと、笑うその人の顔が好きだ。 帰りたくない、先程のその言葉ふと思い出して、俺は静かに恥ずかしくなっていた。
(朝帰り)
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思うに、年の瀬になると人付き合いは希薄になるが、それは全く仕方のないことである。且つ自身が関わりよりも孤独を愛する性分であり、それを周囲に公言している身でもあるのだが、時々どうしようもなく淋しい時はある。それは当たり前に、淋しい時は淋しい。そして将に今、昼食を独りで取らざるを得ないこの状況が、淋しい。
数少ない友人達は、皆就職活動だ、卒業論文だ、実習だ、と目の前からひらりひらりと消えて行った。週が始まって今で三日目、一人暮らしの身分も相俟ってか、今週は未だ誰とも会話をしていない。昨日は遂にテレビの向こうへ話しかけてしまった、けれどアナウンサーはその綺麗な顔で俺を無視して隣のキャスターへ話しかけた。
即ち今、俺は世界でただ一人である。それは所詮こんなものかと、半ばふてくされてパンを千切った。イチゴジャムとマーガリンがたっぷり入ったその菓子パンから、わざとらしいピンク色のジャムが地面に落ちた。あ、と思い顔を下げた。
猫が居た。
夏休み明けから大学構内へ住み着いた猫。友人の噂から、実際移動中に見かけていたその黒猫。友人間でも皆違う名で読んでいたから、きっと名前は沢山持っている。仲間の猫に名前を尋ねられて、「いっぱい有ってな」と答えた猫を思い出した。
地面に付いたジャムを舐め、そのまま俺を真っ直ぐ見つめる金瞳。貴重な食料を分けてやるものかと、普段ならば無視をする自身ではあるが、如何せん、その時俺は淋しかった。ジャムの付いたパンを千切って、猫の前へ放り投げる。猫は当然のようにそれを食べて、また俺を見上げた。俺はまた投げる。猫はまた食べる。猫が食べている間に俺も食べる。同じものを、俺達は食べる。その時俺は、今週一番の幸せを感じた。と、同時に考えた。猫は、会話をしなくても淋しくは無いのだろうか。決まった名前が無くても、不安では無いのだろうか。
パンが無くなった。二つ目のチョコパンを取り出している間に、にゃあ、と鳴いて、黒猫は行ってしまった。チョコパンあるのに、そう思いながらかじり付く。チョコがはみ出て又、地面に落ちた。物の食べ方は下手くそだ。
(淋しいふたり)
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