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僕らはそろそろ、さようならを言う準備をしなきゃいけない。 そもそもが期限付きだということは分かっていた。それでも分からないふりをして、永々を信じた時間もあった。しかし向かい合わせた瞳に、未来が見えたことは無かった。
さようならを、言う勇気を得なければいけない。 互いが重荷になってはいけない。互いの本分を忘れてはいけない。君は登る。僕は落ちる。振り返ってはいけないし、そうして互いを認めたところで、僕らは何を言えば良い。
さようならを君に、言わせるわけにはいかない。 伝えるのは僕であるべきだ、それは今唯一の確信。そして君は僕を嫌えば良い。だけど君は賢いから、きっと僕を追いかける。そしたら僕は迷わず逃げる。その愚かさがずっと憎くて、堪らなく好きだった事を思い出しながら。
僕らは、さようならを受け止める準備をしなきゃいけない。 だから僕は早く、泣き止まなければいけない、のに。
(赤い糸を解く夜)
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二秒ごとに橙色の街灯は俺達を通り過ぎた。オートバイに乗れば晩秋の風は厳しく、俺はマフラーへ顔を更に埋める。後ろに乗せた人の、俺を抱き締める力が心なしか強まった気がした。凍えてはいないだろうか。
俺達二人の距離を、俺は今、測り兼ねている。 出会った頃と現在との環境の変化が二人の関係を揺るがすものになり得るなどと、俺は露とも信じてはいなかった。しかし彼はそれを恐れていた。それを恐れ、別れる時の約束をした。俺は実際、その約束を軽視していた。別れる時など訪れないと、そんなことの方を本気で信じてしまっていたのだ。 少しばかり俺自身の環境が好転し、彼を置いてきぼりにしてしまった。彼に、別れの言葉を吐き出させてしまった。置いて行かれる寂しさなんて、俺は十分に知っていたのに。彼が本当は臆病で、その臆病故に寂しい時に寂しいと素直に言えないことも、知っていたのに。 彼の別れの言葉を、俺は二時間前に拒絶した。彼は怒鳴って、俺を叱りつけたが、俺はやはり認めたくなかった。ただの我が儘なのだとは気づいていたが、それでも俺には、今にも消え入りそうなその人を手離すことは出来なかった。俺達はまだ、やり直せるはずなんだ。
歪なエンジン音と風の音で騒がしい中、たった一筋、彼の声が聞こえる。明瞭には聞き取れないことを良いことに、聞こえないふりをして速度を上げた。ねえ、もうすぐ俺のマンションが見えるから、その小さな部屋の中で君の言葉を聞かせてよ。このままなら俺達二人が駄目になるとしたって、俺はもう君から離れたくはないんだよ。
(ロードムービー)
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暖かい毛布を顔まで引き上げて、まだ深く眠る彼を後ろから抱き締める。時計が示す午前三時。冷蔵庫の低重音。猫の盛り声に文句は言えない。
俺らは今、決して、してはいけない事を、している。
現在進行形で、俺も彼も本当に沢山の人を困らせている。それは放棄した今日の、今の予定だけじゃない。俺達の関係そのものが、どう俺達を躓かせるかは解らない。俺達の環境を暗転させるかも解らない。 それでも俺は、彼が居るなら小さな世界でいいんじゃないかと、ふと思ってしまうんだ。彼の思いは知らない。確かめることは、驚くほど恐ろしい。 だから俺は、後ろから彼を抱き締める。
‐ねえ、夜が明けたら何処へいこう。 ‐次の月に出会うまで、何処まで僕ら逃げていこう。 ‐君は僕を果たして信じるか。 ‐僕は君を信じているよ。
彼が目を覚ましたから、俺は笑顔で彼の視界に入り込む。彼はぼんやりして、それでもはっきりした力で、俺の掌を握りしめた。そして少し笑ったんだ。小さな世界で、彼が笑った。 時の流れの拙い繰り返しなんて、終わってしまえば良いと思ったよ。
(スモールワールド)
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