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木枯らしが吹く頃、僕は盛んに思想する。 隣の彼女のイヤフォンから漏れた音の奔流。 電車の揺音。 遠くの笑い声。 僕の思想。 隣から聞こえた一筋の声、恐らくそれは、彼女の神なのだろう。
山に投じられた雲影の動向。陰陽のコントラスト。 低い日差し。 僕は思想して、思わず夢へ攫われる。
冷えた突風に煽られ、思わず悪態を吐こうと見上げた空には、甚だしく真白い月。 『月が綺麗ですね』といつか言えたなら、僕の世界は果たして。 そう思考して、それは後回しにした。 もう一度見上げた夜、冬の星空は僕の友人である。
(待望)
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この引き金を絞れば、何かが変わるのだろうか。 あの老人を撃ち抜けば、世界は変わるのだろうか。 亡国の信仰者たるを望み、しかし私は今ここで照準を合わせる。 許せはしない屈辱を受けた。その憤怒は忘れない、決して忘れられはしない。 しかし、屈辱を強いたのは本当にあの老人か。屈辱を受けたのは、本当に私か。 私の神に国はない。しかし今私を突き動かすものは、それは疑いなく国である。 一体、私は、
騒音がした。私は撃ち抜いた。撃ち抜いていた、筈だった。
(暗殺者)
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生の強要 それは自殺志願者
生の強要 それは多額負債者
生の強要 それは日常
生の強要 それは円滑な歯車
生の強要 それは主人公
(生)
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正午を過ぎたのと同時に降り出した雨は、日付を超えた今になっても止んではいなかった。 耳について離れないのは、『もうこのまま、止まないんじゃないか』、或る人は笑って言う。 『方舟に乗らないと』 いつか世界が海になる日、その日が来ればあの子は泣けると、過ぎた日に読んだ小説を思い出す。 水に沈んだ街があった。沈まぬ為に家を重ねた老人も居た。雨が海を作り出す、それらの空想が実現する、可能性の雨。その時私は、この雨が止まずにいれば良いと希った。
深海に帰る夢。
並び立つ公孫樹並木に金緑が乱反射。抜けるような花色の空にそれは映えて、しかし風は強く冷えている。水溜まりに映る空が本物のそれよりも美しいと何時も思うのは、何故だろう。 結局、やはり、何も変わらず雨は止んだ。世界は水没せず、今日も国道では車が動く。 『髪を切ったんだ』 或る人が快活に笑いかけた。別世界の笑顔である。今日は晴れていて、寒く穏やかな日。
(雨上がり)
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ばたばたと騒がしく音を立てて、分厚い突風が街を襲った。 駐輪場の屋根の下、僕はその音に顔を上げる。遠くから連れてこられた枯れ葉が、トタン屋根を叩く音。それがいやに長く続いて、ようやく雨だと気づいた。 駐輪場の親父は、快く傘を貸してくれた。感謝を述べて開いた傘は、骨が歪がんでいる。
駅につけば、一切予期せぬ雨に途方に暮れ、立ち竦む人々。皆一様に雨雲を見上げ、その中で幼児は一人自身の靴を触っていた。 電車は突風により遅延している。元々遅刻気味であった自身には、遅れの責任を電鉄へ押し付ける事が出来る故、役得であるが、しかし、風の吹きすさぶホームで体は冷えた。
待ちわびた電車が到着する、それと同時にレールに陽が差した。 何処か残念がるように、人々の無音の溜め息が聞こえる。風雨に大騒ぎする自分を恥じる、そんな声。
真夜中の豪雨、雨具を付けずに空を仰いだ。久し振りに自然の水分で濡れてみたかった。 子供の時は抵抗無くできたことが、どうして今は憚れてしまうのだろう。 黒しかない夜空。僕は雨上がりを想像した。公孫樹の黄色だけが煌めいて濡れていた。
(ずぶぬれ)
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