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作品名:ドッペルパスはかく語りき 作者:175の佃煮

第7回   7
 雲ひとつ無く澄んだ空。広大な面積を持つ森。見渡す限り、地平線で分かたれた青と緑が続く。森の中では一億以上の多様な生態系が息づいており、気の遠くなるような回数で出生と捕食が繰り返されている。
 木々の間にぽつりとレンガ造りの家屋が建っていた。その家を中心とした一帯だけは生物の気配が感じられない。中にある隠し階段を降りると地下室に辿りつく。壁、床、天井は金属で覆われており、地上のひなびた雰囲気とは異なった冷たい様相をしている。
 地下室では一人の女が椅子に腰掛けていた。彼女は真剣な眼差しで、壁に並べられたモニターを眺めている。モニターの一つには、黒い画面を横断する細い緑の線が表示されている。線が僅かにパルス的に上下し、女が眉をひそめた。

 クチザムの密度に微弱なノイズが見られた。『あちら』から『こちら』への転移が生じたと判断して問題ないだろう。別の計器からの情報と合わせると、質量は七十キログラム程と予測される。緊張が走った。
 大質量の転移は、逆方向なら昔から幾例も確認されていたが、あちらからの転移は最近まで一切なかった。水が下に向かって流れ、暖かいものが冷たいものに熱を受け渡すように、不可逆な現象なのだから当然のことだ。にもかかわらず、エントロピーの減少はここ数日で二例も確認されてしまった。
 境界が曖昧になっているのかもしれない。恐れていたことが現実になりつつある。

「サミアゾグオヤホウ」

 地上階から声が聞こえた。どうせ契約に関することだろう。世界の存続に関わる大事件が起きつつあるというのに、のん気なものだ。とはいえ、私はこうして計測結果を見ることしかできないし、土地を使わせてもらっている以上彼らの頼みを無下にもできない。

「今行き――、ツタモツトィテ!」

 日本語を喋ろうとしていたことに途中で気付き、慌てて言語を変えた。階段を駆け上がって客の応対に向かった。



 既にほとんどが忘却の彼方へ落ちていった、幼少の記憶。両親の顔。中学で出会った友人達。高校の修学旅行。村田と共に受ける大学の講義。
 まどろみの中、流れる走馬灯。ようやく自分が死に向かっていることを実感する。
 淡々とした日常が一変した、ライオンの化け物と遭遇した交差点。再び面接で出会うことになった、山下さんと愛さん。勇気を振り絞って人間鳥を引き付けた。犬の化け物の退治から魔術の勉強が始まった。頻繁に現れる神の使い。その中でも格が違った、オフィオモルフォスと呼ばれるドラゴン。エアケントニスに拉致され、阿部警備の三人が助けに来てくれた。
 最近の記憶の回想も終わりに近づく。魔術で生み出した鏡の中に飛び込み、そして私の生涯の記録は終わった。後にはひたすらに闇が続いている。
 ……終わった、はずだ。遥か前方から差し込んでくる光。その眩しさに、思わず手をかざした。
 身の毛のよだつ、大きな高周波音。

 闇が千切れて霧散する。まるで電気が流れたように、頭の先から爪先までの感覚が一気に戻る。目を見開き、体を跳ね起こして立ち上がった。
 猿とも鳥ともとれない聞いたことのない鳴き声を残して、羽の生えた生物が飛び去っていった。
 見上げた木漏れ日の空から、葉々が舞い落ちている。湿った土の匂いが肺を満たす。見渡したところ、濡れて光る腐葉土や苔むした大木が目についた。私は、某滞在記や公共放送の教育番組の中でしかお目にかからないような原生林の中にいた。

 自分で巡らせた思考に、既視感を覚える。そういえば鏡の中に飛び込んだ後にも、この光景を目にしていた。
 振り返って背後に立つ大木を見上げる。だんだんと意識がはっきりして、昨日のことを思い出してきた。昨晩は、それ以上考えることが億劫になり、この木に寄りかかって野宿したのだった。
 再び木の幹に寄りかかって座り、考察を再開する。私は自分に魔術を使って、人生の幕を閉じたつもりだった。しかし今尚こうして脳を回転させて考え事を続けている以上、肉体が死んだとは思えない。そこで二つの可能性を打ち立てた。一つは私がまだ死んでいない可能性。もう一つは死後の世界とやらが存在する可能性、である。
 間の行程無くして、自分の部屋から見知らぬ森に場所を移したのは疑いようのない事実だ。現実離れした現象が起こっている時点で、天国や地獄といった死後の世界にいる線が有力ではないだろうか。確かダンテは神曲の中で、自殺者は地獄のだいぶ下層にある第七圏で木にされると記していた。彼の言葉を信じるなら、自殺と木の関連性からしてここは地獄の可能性が高い。もっとも和やかな景色のせいで実感はわかないが。
 トンデモ世界説を肯定するなら、他にも赤元の言っていたことが真実で、ここはプレーローマだという可能性もある。

 ぎゅるぎゅると、お腹が緊張感の無い音を鳴らした。そういえばエアケントニスのせいで昨日から何も食べていなかった。肉体を失っても腹は減るのかと、げんなりさせられる。生物がいて植物があるということは、食料や水もあるはずだ。だらりと立ち上がり森の中を彷徨い始めた。

 柔らかい地面を踏みしめて歩く。頭上に赤く熟れた果実が見えるが、木に登る体力はない。諦めて歩く。複雑に入り組んだ角を生やした哺乳類が遠くで耳を立てているのが見えるが、捕まえる体力はない。諦めて歩く。草むらから幾つか葉をむしってみたが、どれが食べられるのか分からない。諦めて歩く。
 視界が狭まり、意識がぼんやりしている。ふと何かにつまづいた。体勢を立て直すことができず、前のめりに倒れこんだ。
 上体を起こして一帯を眺める。足を引っかけたのは、湿った地面に残された大きな窪みだった。先端に五つの小さな窪みを持ち、中央でくびれて足跡みたいな形をしている。こんな足のサイズの人間がいたら、もはや生物の枠を超越している。大きさから身長を概算し、風景とシルエットを重ねてみる。森を突き抜けた頭を想像して笑った。
 立ち上がらずに、地面の上で横になった。動く気力がわかない。このまま餓死したら、今度はどこに行くのだろう。現世に戻ったりしたら、無限ループに陥るんじゃないだろうか。腹が減っているせいで、阿呆な考えしか浮かばなかった。



 人間の声が聞こえた気がした。最後の気力を振り絞り、声の聞こえた方向に向かって這って進む。低木を掻き分け顔を突き出した。森が開け、差し込んだ眩しい光に目を焼かれた。
 目が順応し、景色が見えてきた。舗装されておらず、土手に草花が生えた道。一階建ての土壁の家。数世紀さかのぼったような昔ながらの村だった。

 草を踏み分ける足音が聞こえ、そちらに視線を移した。警戒心をあらわにした三人の男達が近づいてくる。皆個性無く、目の粗い薄い黄色の布地をした、半袖のシャツと長ズボンを身に着けている。短い髪は黒く、よく日に焼けて茶色がかった肌をしており、頭身のバランスからも東洋人のようだった。
 先頭にいた男が威嚇するように手の平をこちらに向けて話しかけてきた。

「アモエ、ヅタヨヌカルウィソノコダ」
「え、なんですか?」

 聞き直したが、男達はさらに険しい顔になっただけで繰り返してくれなかった。

「ここはどこですか? やっぱり地獄なんでしょうか」

 やはり言葉が通じているようには思えない。男達は眉間にシワを寄せて顔を見合わせ、言葉を交わし始めた。

「ヅオィアニズウタガボトカ。クキエテルルミソヤロコトニエッネサ?」

 会話の間に出てくる単語一つすら聞き取れない。日本語ではないようだし、英語でもないと思う。天国や地獄で使われている言語だろうか。バベルの塔の影響はこんな所にまで及んでいたのか。死んでからも言葉を勉強しなければならなくなるのかと思うと、気が重くなった。

 話がまとまったようで、先頭の男が何やら喋りながら、さらに距離を詰めてきた。やはり手の平をこちらに向けている。どうやら彼らの文化では、これが脅しに相当するようだ。手の平を相手に向けないように両手を広げて無抵抗をアピールすると、選択は正解だったようで穏やかに腕を後ろで組まされ、手首を縄で縛られ拘束された。



 前後に立つ男達に従い村の中を歩く。足を止める道行く人。道の両脇に並ぶ畑では、作業を止め見上げる人。皆不安そうな表情をして私達を見守っている。一際大きい建物の前に差し掛かった時、背中を押され中に入るように促された。
 てっきり村の外観から、内装は自然物で構築されていると思っていたのだが、この建物には思考を乱された。青いバケツ、薄型テレビ、パチンコ屋の看板。場違いに見えるものが並んでいる。製造を行える環境が整っているようには見えないのだが、どうやって作っているのか不思議に思う。
 建物の一番奥にある扉のついている部屋に通された。窓がなく薄暗い。部屋の中央に置かれた机の上にある、器に入った仄かな火によって辛うじて部屋の中を見渡すことができた。壁にはずらりと本棚が並び、全てが古そうな本で埋まっている。目が慣れ、中央の机に肘をつき椅子に腰掛けている男の人相が見えてきた。

「ルミソヤナッ、セッナニアチミアニズウタガボトカラユオヅチオク」

 私に縄をかけた先頭の男がその、ガタイのいい体格をしており、乾いた顔に人懐っこい笑みを浮かべたおじさんに話しかけた。態度から判断すると私のことを相談しているように見える。彼が村の有識者なのだろう。
 おじさんは恥ずかしいくらいに私の顔を注視してきた。他の人間が見せる嫌そうな目ではなく、子供のように瞳を輝かせている。彼は私の顔や手に触ったり、服に手を伸ばし指をすり合わせて材質を確かめていた。

「ナスオルコッ。サヂアチムアギトテラエラヲムオクタキ、ナヅオサカタヒエスオナクラエッネッニノニアケソナリタエ」

 おじさんが満足そうな顔をして返事をした。すると男達は緊張が解けたようで、縄を持つ手を緩めた。何やら警戒されていた誤解を解くことができたらしい。
 おじさんが私の方に向き直り、口を開いて言葉を発した。

「――俺の名を言ってみろ!」
「……え?」

 言葉が通じないはずの相手の口から、あまりに状況に対して浮いた言葉が発せられた気がする。ぽかんと口を開けて彼の顔を見つめた。

「うむ、何か間違っていたかな。資料の中では、こうして初対面の挨拶をしていたんだけど」

 おじさんの話している言葉は、話し方がぎこちなく発音がところどころおかしいが、日本語に聞こえた。増してぽかんと口を開けて彼の顔を見つめた。

「君のところの言葉を話せてるかい? 通じてる?」
「は、はい!」

 やはり日本語を喋っていたようだ。慌てて頷いた。

「やはり日本人だったようだね。私の名前はルミソヤだ。日本風に、†虚空の記録を司る賢人†とでも呼んでくれ。君の名前は?」
「カズマです。えっと、ルミソヤさん? なんであなたは日本語を話せるんですか?」

 ルミソヤさんは無言で背後を指差した。棚に並んだ本の背表紙をよくよく見てみると、見慣れた日本語が並んでいた。

「この村の周辺には学者でも説明できないようなものがよく落ちていて、皆が私のところに持ってくるんだ。こうして喋っているのも、それらのお陰というわけ」

 言語学者が石版や写本から古代文字を解析するように、この本棚に並んでいる本から日本語を習得したらしい。本のタイトルを追っていくと、専門書や文学は見当たらず、漫画や雑誌といった俗っぽい本ばかりであることが分かった。どうりで言葉のチョイスに違和感を覚えたわけだ。発音は、漫画の登場人物の口の開け方から推測したと教えてくれた。

「ここは地獄ですか? それともプレーローマですか?」
「地獄というのは、死んだ後の世界のことかな。それなら質問の答えは「ノー」だよ。私も君も生きているし、ここはアフウシの村と呼ばれている。プレーローマというのは聞いたことがない言葉だね」

 てっきりここは地獄だと思い込んでいたので、否定されて混乱した。赤元の話していた言葉自体エアケントニスが当てはめたものである可能性が高く、まだここがプレーローマという説は否定しきれていない。アフウシ村の所在は保留にすることにした。

「言語は覚えたけれど、こうして日本人と話をするのは初めてだよ。カズマ君はどうしてこの村に来たんだい?」
「目的も何も、どうしてここにいるのかすら分からないんです」

 ここがどこかも分からない。どうして来たのかも分からない。どうやって来たのかも分からない。情報も足りなければ、するべきことも想像できない。ルミソヤさんの質問に対しては肩をすくめるしかなかった。

「――訳ありのようだね。とりあえず、すぐには戻らないということでいいのかな。よかったら、しばらくここで生活してみないかい? ぜひ日本とやらの話を直接聞かせて欲しいと思うんだけど」

 ルミソヤさんはそう言って、握手を求めるように手を差し出した。日本の文化を真似してくれているのか、これが元々村の文化なのかは分からないが、手の平を見せることを嫌がっているこの村の人間からすれば、これが信頼の表現方法になっているのかもしれない。私は迷わず彼の手を握った。



 塩気の薄いパンを食べさせてもらった後、ルミソヤさんと警備の男二人に村の中を案内してもらうことになった。改めて建物に注目してみるが、雨風を防ぐ機能しか存在しておらず、電気、水道、下水といったあらゆるインフラが整っていない。ルミソヤさんによれば、こうした家屋が村の中に三十軒ほどあり、百人近くの村民が住んでいるそうだ。隣の村までだいぶ距離があるため、村という区切りが日本よりも強く、外とはあまり関わりをもっていない。
 男が木の鍬を使って畑を耕している現場に通りかかった。村の面積の大半を占める畑から生産される作物で食料はまかなわれているらしい。耕している男の横では、見慣れないバネみたいな形をした道具が地面の上を転がっていた。

「君に見せるのは恥ずかしい限りだが、日本の技術を真似てみたんだ。一気に効率を上げることができて、村の皆にも好評だよ」

 ルミソヤさんが説明してくれた。螺旋状の刃で土を砕いて掻き混ぜる、耕耘機のような機能を備えているようだ。しかしよくよく見てみると、器具の後ろを歩いている操縦者らしき女性は手を触れていない。

「まさか魔術……?」

 思わず声を漏らしたが、すぐに違うと考えるに至った。エネルギーの無駄が多いので、わざわざ農業に魔術を使うとは思えない。それに彼女は魔法陣を使っていないし、詠唱も行っていない。

「そう、魔術だ。日本では、忍術や仙術と呼ばれる魔術が使われているそうだね?」

 漫画から知識を得ているなら誤解されても仕方が無いと思う。夢を壊さないように苦笑いだけを返しておいた。結局あれが私の中の定義と同じ魔術なのかどうか分からないまま、散策を続けることになった。
 ルミソヤさんとニンジャの話で盛り上がりながら村の中を歩く。手から水流を生み出して農作物を洗う光景。手から火花を飛ばして組み木に着火する光景。魔術の定義を改めざるを得ないほどに、ここでは魔術が生活の中に溶け込んでいるようだった。

 ルミソヤさん達が村人に連れられ家の中に姿を消し、私は一人道端に残された。拘束されていない今でも、道行く人々は私から距離をおき疎ましそうな目で追っている。しばらくここで生活をすることになりそうなのに、心が挫けかけた。

「アモエ、ノヒンツタッナチカラケ?」

 ふと幼い声が聞こえた。視線を落とすと、五歳くらいの女の子がすぐ側に立っていた。返事をしようとしたが、ここの言語が分からないことに気付き言葉に詰まる。

「アンネチククハンナ」

 会話が通じていないことは気にしていないようで、子供は私の服の裾を引っ張って喜んでいる。子供の相手は苦手なんだよなと途方に暮れていると、女の子は走ってきた親らしき大人に連れて行かれた。喚き声はすぐに遠くなった。
 どこの国でも、子供は無邪気で親は振り回されるものらしい。少しだけ和み、少しだけここで暮らしていけそうな気がした。



 仕事が一段落したので、日が沈みかかりオレンジ色に染まった村の中をぶらぶらと歩いていた。仕事といっても私は村の人達みたいに器用に魔術を使い分けられるわけではないので、ルミソヤさんの部屋にある漫画の翻訳を行っている。昔の漫画を楽しめ、アフウシの言語を覚えられ、食べ物も貰える一石三鳥の作業である。
 既に村に居ついてから一週間が経過していた。一日の体感時間は変わらず、およそ六時間ごとに三回の食事をとる生活のリズムも同じで、とても生活しやすかった。

 村人達が組み木を立てているのを横目で眺めながら歩く。こちらに気付いたように見えたので頭を下げたが、彼らは何事も無かったかのように作業に戻った。一週間経っても、まだ人々との関係はぎこちない。
 この村で魔術を使ってみて気付いたことがある。この村は奇跡の粒子の濃度が非常に高い。容易に奇跡の粒子が共振するので、村人は魔法陣や詠唱なしに魔術を使うことができる。さらには脳の浅いところで共振が生じているようで、思考する内容によって複数の種類の魔術を使うことができる。もはや魔術とは体系が異なるので、魔法とでも呼んだ方がいいのかもしれない。
 頭薬を何と擦っても点火できる黄燐マッチが魔法に、側薬と擦らなければ点火できない安全マッチが魔術に似ている。魔法は便利だが大きな危険を伴う。私も使ってみようとしたが指を火傷して諦めた。ルミソヤさんによれば子供の頃からの訓練が必要らしい。

 村の入り口付近に差し掛かったところ、人だかりができており何やら騒がしかった。

「何かあったんですか?」

 集まっている村人の中にルミソヤさんの姿を見つけ、駆け寄り声をかけた。

「リオネモが遊びに出かけたまま帰ってこないから、ロリコンどもが心配しているんだ」

 ロリコンという単語を、『子供を慈しむ人』から転じて『親や近所の人』という意味だと勘違いしているらしい。後で教えてあげなければと思った。それを踏まえてルミソヤさんの話を日本語に再変換すると、どうやらリオネモが遊びに出かけたまま帰っていないため、親や近所の人が心配しているらしい。リオネモは私が村での生活を始めた際に、真っ先に話しかけてきてくれた女の子である。
 ルミソヤさんの手ほどきのお陰で、村の言語で簡単な会話をする程度ならできるようになった。人だかりに近づき、辛うじて単語から会話の内容を聞き取る。それによれば最後にリオネモが目撃されたのは昼頃で、神の森に入っていった可能性が高いとのことだった。話は堂々巡りしていて、それきり進んでいないようだ。

「こうして話している間にも、探しに行けばいいのに……」
「あの山には、天の柱『ポリュペモス』が住んでいる。神の地に踏み込みでもしたら無事に帰れる保障はないし、容易に助けに行けないんだ」

 この村の人々は神を行動原理にしている。時間を作っては神を崇め、神が伝えたという言葉を忠実に守り、神の思想を拠り所にする。神の意思に逆らうことは身の破滅をもたらすと本気で信じている。今日の晩に催される祭りだって、神を宥めるとかいう目的があったはずだ。
 神なんていない。神を称した過去の残酷な出来事が現在では愚行と判断されているように、少なくとも人の命よりも尊いものではない。――自分の考えを村人達に知って欲しいが、満足に話せない言葉で伝えられるとは思えない。歯痒く思う。しかし今は、時間を費やすべき対象が違うと思う。記憶を頼りに言葉を組み立てた。

「サミキアゲロウ」

 村の言葉で「俺が行きます」という意味だ。村人達の間から驚きの声が上がった。

「しかし、ポリュペモスの祟りを受けるぞ?」

 ルミソヤさんを始め、村人はおかしな物を見るような目で私のことを見ている。それだけ神聖な地に足を踏み入れることは恐れ多いことなのだろう。
 私は神の森に背を向け、親指で指差した。

「大丈夫ですよ。俺はあそこから来たんですから」


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