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作品名:ドッペルパスはかく語りき 作者:175の佃煮

第29回   0123:近いは遠い、遠いは近い
 倒れてこないかと心配になるような、ガラス張りの高いビル。片側三車線を埋めている色とりどりの鉄の車。奇抜なファッションに身を包んで闊歩する若者達。新宿の街は相変わらずだった。
 私はというと、久しぶりに吸った排気ガスのせいで喉の調子が悪くなっている。
 久しぶりに穿いたジーンズのポケットから、メモ帳の切れ端をつまみ出した。几帳面な字で日用品の名前が箇条書きされている。
 要するに、小宇宙くんだりまでやって来たのは、おつかいの為なのだ。チヒロにこの紙と金を渡され、今日一日観測者の仕事は休みにするから、リストに載っているものを全部買ってこいと命令された。
 再びメモに書かれている品目に視線を走らせた。トイレ用洗剤。漂白剤。粘着ローラー。消臭剤。ヤ○ザキのパン。地下の移住空間で使うものだろう。だが、別に今日買う必要があるとは思えないものばかりに見える。ここ数日、顔に出るのを隠せないほど嬉しそうにしていたし、何か大切な用事があって私をフリーにしたくなかったのかもしれない。

 横から来たサラリーマンにぶつかられ、バランスを崩した。男はさらりと謝罪の言葉を述べて足早に通り過ぎていった。
 何をそんなに急いでいるのだろう。いや、これが元来の小宇宙の姿だった。考え方がだいぶ大宇宙側に毒されたというか偏った気がした。
 こんな所まで来た私も悪い。学生の時のテンションで、はりきって新宿まで出てきたが、よくよく考えてみると近所のホームセンターで済ませられた。ため息を吐いてからデパートに向かって歩き出した。



 デパートの中には映画館が入っていた。もちろん小宇宙にそんな魅力的な娯楽はない。どんなタイトルが上映されているか気になり、まずは映画館のフロアに来てしまった。
 メモに載っている品目の合計金額を、一年前の価格で概算してみる。暗算できるようになっていたことに、さらりと驚いた。チヒロから預かったお金には、だいぶ余裕があった。
 勝手に使ったら怒るだろうか。軽蔑の目を向けているチヒロの顔が脳裏に浮かんだ。

「――よし、止そう」

 弁解できる気がしない。回れ右をして歩き去ろうとしたその瞬間、脳裏に浮かんでいた顔と一致する人間の姿が見つかり、思わず足を止めた。

 黒髪が後ろで一束に尻尾のように垂らされ、前髪はふわりと目にかかっている。ぱっちりとした眼はすわっており、大人びた雰囲気に見せる。服装はいつものフードつきのマントではないが、間違いない、チヒロだ。ショートパンツで細い脚を見せた、小宇宙の若者みたな格好をしていた。
 歩き寄ろうとしたが、私は再び足を止めた。
 チヒロは斜め横を見上げて笑みを零していた。その視線の先、彼女の隣には男が立っていた。ひょろっとした体型と垂れた眉が頼りない感じを醸し出す、四、五十歳に見える中年男性。
 オナキマニム王国の革命の際に、チヒロは私と同じ魔術を使える人間がいると話していた。小宇宙に出かけてまで会う必要がある人物は限られている。それが彼のことなのではないだろうか?
 私は呆然として遠くからチヒロの顔を見つめていた。彼女が見せている表情は、普段私に見せていたものとは違うように見える。胸の奥はもやもやするし、頭には血が上っていた。
 チヒロと男は映画館の中に入っていった。私はメモをポケットに仕舞い、後を追った。



 上映されていたのは、今更なケータイ小説が元になっている作品だった。親族間の禁断の恋がテーマだったらしいが、内容は全く覚えていない。見入っている二人の後頭部を眺めていたら二時間が終わっていた。
 プライベートまで詮索するのは良いことではない。それは分かっているのだが、中毒性や依存性があるみたいに目を離すことができない。獣が出たときに二人の邪魔をさせないように追っているのだと自分に言い聞かせて、無理やり納得させた。

 その後デパートを出た二人を追いかけ、ファミレスや服屋までついて回った。結果、そわそわしていた心は徐々に落ち着いていった。親密そうに顔を見合わせたり、ボディタッチを交わすこともあるが、思っていたような男女の関係とは何かが違う。気遣いや、距離感のせいだろうか。お互いに向けられているのは、『慈しむ』という感情に見えた。



 夕飯を食べた後、二人は店の前で別れた。男はほくほくした顔をして駅の方へ向かっていった。対して、チヒロはこちらに視線を向けて苦々しい顔をしていた。ストーキングしていたのがばれていたようだ。

「いつから見てた?」

 歩き寄った私に向かってチヒロが話しかけてきた。

「デパートの映画館……から……」
「つまりほとんど全部ってことね。やられた。勘付かれないように、おつかいをさせたんだけど裏目に出たわね……」

 チヒロはわしゃわしゃと頭を掻いた。頬がほんのり赤く染まっている。

「ごめん。肝心のおつかいも、パンくらいしか買えてないや。一緒にいた人って誰?」
「義理の父親よ。私と同じく観測者で、小宇宙側の扉の管理をしているわ。あぁやって一月に一度は顔を合わせろってうるさいの」

 いかにも迷惑だったように話しているが、会っている最中のチヒロは嫌がっているようには見えなかった。彼女も毎月の再会を楽しみにしているのではないだろうか。恐ろしくて口に出すことはできないが、そんなことを思った。

「てっきり前に言っていた、俺と同じ魔術を使う人間なのかと思ってた」
「あら、ひょっとして気になってついてきてくれたの? 次元間干渉の魔術を使えたのは私の祖父よ。あいつは大した魔術が使えないから、こんな所に左遷されているの」

 図星をつかれ、今度は私が顔を赤くする番だった。
 義理の父やら、彼を超えてしまった娘やら、次元間干渉の魔術を使う祖父やら、観測者の一族は複雑な家庭らしい。唯我独尊の性格はその賜物だろうかと考えていると、チヒロは意地悪そうに口の端を吊り上げて笑っていた。

「聞きたいことはそれで終わり? 釈明の時間には質疑は受け付けないわよ」

 気前よく話してくれていたので、今回の件は見逃してくれるのかと思っていたが、そんなことはなかった。相変わらず執念深い。身も凍る理詰めの追及を受けながら帰路についた。

 チヒロの家に帰ると、玄関で飼い主の帰りを待つ犬のようにフィオが半泣きで立っていた。



 私は林を背にして湖畔に立ち、じっと彼女が来るのを待っていた。

 オナキマニム王国の革命が成功してから、私はよくチヒロと一緒にいる。観測者の仕事を手伝うと約束したのが理由の一つだが、彼女の方が何かと理由をつけて一緒に行動しようとしているせいもある。ある時は魔術の訓練であり、ある時は作りすぎた料理の処理、四柱の会合の付き添いなんていうのもあった。
 態度も以前より柔らかくなった気がする。前は馬鹿だの阿呆だの言いながら面倒くさそうに私の面倒を見ていたが、最近は一転して、親バカみたいに細かいことまで気を遣ってくる。正直、過度に馴れ馴れしいと思うこともたまにある。

 何故対応が変わったのか、私なりにいろいろと考えてみた。一つ目は、私のことを認めてくれたという線だ。自分で提案しておきながら断言できる。これは絶対にない。
 二つ目は、普段の私達の関係を見かねて、誰かが口出ししてくれたという線だ。ルクアならしてくれる気がするが、多分チヒロは聞き入れない。これも違うと思う。
 三つ目は、私に気があるという線だ。これも考えにくいが、考えれば考えるほど、あれは露骨なアピールだったような気がしてきた。きっとそうだ。

 自分の気持ちはどうなのだろう。先日チヒロの後をついて歩き、いもしない男の影に怯え、もやもやした気持ちになってみて痛感した。私は彼女のことが好きだ。きっとそうだ。
 そんな問答を自分の中で繰り返し、とうとう私は告白する為にチヒロを呼び出していた。

「忙しいのに、呼び出してごめん。どうしても話しておきたいことがあるんだ」

 歩いてきたチヒロに話しかける。一瞬彼女の顔が引きつったように見えたが、すぐに戻った。

「何よ、改まって。バイト代を上げて欲しいの? 別にいいけど……」
「いや、そうじゃなくて」
「分かった、ジャストインタイムを本格的に教えてほしいんでしょう。一筋縄じゃいかないわよ。覚悟はできてる?」

 私が話を切り出そうとすると、チヒロはその度に無理やり言葉を遮った。無理やりな笑顔を浮かべて、慌てているように見える。
 まるでチヒロは私の話す内容が分かっているかのようだった。いや、察しのいい彼女なら本当に分かっているのかもしれない。しかしそれなら何故、私に続きを話させてくれないのだろう。

「いや、俺は――」
「まさか秘術を? それは無理よ。あなたも知っているでしょう、あれには一子相伝っていうきまりがあって――」
「お前のことが好きなんだ!」

 もう我慢することができなかった。チヒロが喋っている途中で口早に叫んだ。
 瞬間に浮かべたチヒロの表情を見て、私は後悔した。

「……ちょっと待って」

 チヒロは目を閉じて眉間をつまんだ。

「確かに最近の私の態度は悪かったと思うわ。勘違いしてしまっても仕方がないと思う。ごめんなさい」

 その謝罪は、勘違いさせたことに対するものなのだろうか。それとも私の発言に対する返事なのだろうか。

「何で――」
「ずっと黙っているつもりだったけれど、やっぱりそう都合よくはいかないわよね……」

 チヒロは胸に右手を当て、私の目を真っ直ぐに見つめた。

「私の名前は永田千尋。母は永田裕美。父は永田和也。つまり、あなたの異母兄弟よ」

 すぐには意味を理解できなかった。何故私の父の名前が出てくるのか不思議に思っていた。
 イボキョウダイ。チヒロの父が私の父と同一人物であるなら、彼女と私は腹違いの姉と弟ということになる。つまり、異母兄弟。

「そんな馬鹿な……」
「和也は代々小宇宙を監視していた家系、永田家の長男で、行く行くは観測者になるはずだった。でも彼は私を生んでから、母と私を捨てて家から逃げ出したの。そして私はスケープゴートとして、あの男の代わりに観測者として義理の父に育てられた」

 彼女の目は私を通り越して遥か遠くを見ているようだった。

「逃げた和也は観測者という束縛から逃れ、自由と新しい家庭をもった。そして生まれたのがあなたよ、和真君」

 父の過去はよく知らないし、父方の祖父母に会ったこともなかった。今まであまり疑問を感じていなかったが、改めて思い起こしてみるとおかしいことだ。彼女の話は辻褄が合っていた。

「あなたは私にとって、大切な弟なの。男女間の関係はあり得ないわ」

 振られたことには動揺したが、それ以上にショックなことが色々ありすぎて、訳が分からなくなってしまった。
 私は返事をできずにチヒロの顔を見つめていた。

「しばらくお互い頭を冷やしましょう。明日から、観測者の手伝いはいらないわ」

 言い捨ててチヒロが立ち去る。私は呆然と立ち尽くし、彼女の背中を見送っていた。



 チヒロの家の地下では、家主とフィオが椅子に座って向かい合っていた。白い壁に貼られているモノクロのレントゲン写真には、横から見た頭蓋骨が写っている。
 チヒロがボールペンでレントゲンの一部を指した。頭蓋骨の額部分、白い輪郭の中に黒い小さな石のようなものが紛れ込んでいる。

「人間離れした治癒能力が災いしたみたいね。頭蓋骨と完全に一体化しているわ。これじゃ、小宇宙の現代医学でも取り除くのは不可能ね」
「そうか……」

 チヒロはフィオの額に埋め込まれたア・バオ・ア・クゥーの欠片の状態を確認していたのだった。
 フィオは蚊の鳴くような声で返事をした。診断を始める前からずっとテンションが低いままだった。

「そんなに落ち込まなくてもよさそうなものだけど。もう昔みたいにやんちゃする気はないんでしょう。今の力で十分じゃ――」
「カズマから告白されたんだろ。何で断ったんだ?」

 チヒロの言葉を遮り、フィオが口を開く。チヒロは目を見開いて驚いたようだったが、すぐに眉をひそめて迷惑そうな顔をした。

「見ていたの? 私の周りは、どいつもこいつもストーカーばかりね」
「家の前でやってるのが悪い。で、何でなんだ?」

 物怖じせずにフィオが追及する。

「私と和真君は、姉と弟の関係なの。血が繋がっているのよ。そんな不純な提案、受け入れられるわけがないじゃない」

 チヒロが言い捨てる。フィオはぽかんとしていたが、すぐに口を開いた。

「血が繋がっているからどうしたんだ。姉弟の夫婦なんて山ほどいるぞ」

 呆けていたのは、二人の血が繋がっていることを聞いたからではなく、それを理由に断ったことに対するものらしい。今度はチヒロがぽかんとする番だった。

「あんた達は古い文化を持っているから、そんなことを言っていられるのよ。私達の世界は違う。もちろん結婚なんて民法第734条で禁止されているし、近親交配には障害のリスクがある。付き合うことだって、倫理上の問題で白い目を向けられるわ」

 チヒロが立ち上がってまくし立てる。

「何をそんなにむきになってるんだ? この国にはミンポウなんてものはない。別にあたし達だって変な目で見たりしない。問題ないじゃないか」
「分からない人ね! あんた達みたいな原人とは、考え方が違うのよ!」

 チヒロは取り乱し、荒い息で呼吸をしていた。その顔を、椅子に座ったフィオが冷静に見つめていた。
 しばらく沈黙が続いた後、チヒロが頭を抱えて椅子に座った。

「言い過ぎたわ。ごめんなさい」
「こっちこそ、ごめん」

 地下室に再び静寂が訪れた。フィオは椅子から立ち上がり、チヒロに背を向けて歩き出した。

「チヒロの気持ちはどうなんだ?」
「え?」

 フィオが去り際に出口の前で声を発した。チヒロが伏せていた顔を上げる。

「なんで真実を知らせたきりで、自分の気持ちのことは伝えなかったんだ? カズマのことが嫌いなら、ありのまま言えば血の繋がりのことを隠したままで済んだんだから」

 返事を聞かずにフィオは部屋を出た。残されたチヒロは退室に気づかずに視線をさまよわせていた。



 和真はオナキマニム城の一室にいた。会話もままならない状態で城を訪れ、一人で閉じこもってしまった。扉の前でルクアとヌト、ウィツタクが心配そうな表情をして聞き耳を立てている。

「なんとかしてよ、団長。悪い空気がここまで漂ってくるじゃない」
「いやぁ、僕もこういうのは苦手で……」

 ウィツタクとヌトがあたふたしていると、扉が開いた。土気色の顔をした和真が顔を出す。

「気を遣わせたみたいで、すみません。もう大丈夫です」
「とても、そうは見えませんが……」

 ルクアが声をかける。和真は大丈夫だと機械的に繰り返した。
 半分開いていたドアの隙間を押し広げて、ア・バオ・ア・クゥーも部屋から出てきた。彼は戦争の後、名前の一部を取って『アクー』と和真により名付けられた。

「――いいところにいた」

 横から声が聞こえ、四人と一匹が振り向いた。フィオがずかずかと廊下を歩いてくる。部屋の前まで来ると、和真の肩を押して中に押し込み、後ろ手に扉を閉めた。
 廊下に残された三人と一匹が顔を見合わせた。



 フィオの運んできた椅子に、向かい合って座る。部屋に閉じ込めて二人で話す機会を作ろうとしていたくせに、当人は背をぴんと伸ばして膝の上で手を握り、固く口を閉じていた。
 沈黙が辛い。何故私が気を遣わなければならないのか分からないが、こちらから話しかけた。

「どうした? 俺はもう大丈夫だぞ」
「当たり前だ。あのくらいでどうこうなるような弱い奴じゃないことくらい知ってる」

 『あのくらい』とは何のことを指しているのだろう。嫌な予感がせり上がってくるが、その前にフィオが言葉を続けた。

「カズマと初めて会ったのは、あたしがアフウシの村を震撼させた時だったな」
「違う違う。でかい図体で見境なく暴れているのを見たのが最初だ」

 小宇宙で暴れていた時のことは黒歴史なようで、フィオは不満そうに眉をひそめて、ノーカウントだと言った。

「来る日も来る日も、あんたを殺すことばかり考えてた」
「そう面と向かって言われると怖いな……。まぁなんだ。あぁいう出会い方をしたんだから、仕方がないよな」
「出会った人間は皆いなくなる。だから一人の人間に執着する経験自体、初めてのことだったんだ。その気持ちが掛け替えのないものだと感じるようになってしまったせいで、止めを刺すタイミングを計れなかったり、再開した時には思わず自分の側に置いてしまったんだと思う」

 執着の理由はともかく、悪い気はしなかった。照れ臭くなって頬を掻いた。フィオが言葉を続ける。

「サライでは、今までしてきたのとは正反対の生き方をしなくちゃいけなくて苦労したけど、振り返れば一番充実していた日々だった」
「俺は心臓をすり減らされたけどな。……でも、フィオは本当によく頑張ってくれた。あれがあったからこそ、俺はオナキマニムを変えたいと思ったんだ」
「恥ずかしいからやめろ。有耶無耶になったけど、あの時あたしは求婚のことを真面目に考えて始めていたんだぞ」
「ほんとにすまなかった」

 今度は冗談として、手を合わせるジェスチャーを見せた。フィオが顔をくしゃくしゃにして笑った。

「オナキマニムで再会してからは、前よりも一緒にいる時間が減ったな」
「前は日がな一日一緒に行動していたから、それと比べれば減ったかも」

 こちらに来てからは、チヒロと観測者の仕事をしていることが多かった。明日からは来なくていいと言われていたことを思い出し、心が痛んだ。

「……サライの暮らしが充実していたっていうのは、やりがいがあったっていうのもあるけど、カズマといたっていうのが一番大きかったんだと思う。だからあたしはカズマと、ずっと一緒にいたいんだ」
「何度も言ってるけど、俺もそのつもりだ」

 肯定の返事にも関わらず、フィオは表情を曇らせた。

「違うんだ。尻尾の先の代わりとか、何でも屋とか、ただの戦友とか、そういう意味ではなくて……。なんだ、難しいな」

 フィオは言葉を切り、せわしなく顔の向きを変えた。赤い尻尾が椅子の後ろでのたうちまわっている。

「――好きだ。ずっとあたしの一番近くにいて欲しい」

 フィオの言葉を頭の中で反芻する。意味を理解し、息を呑んだ。

「思ってくれることは、とても嬉しい。ありがとう」

 返事をしなければいけない一心で、なんとか口を開く。その時、私の脳裏にはウィツタクに襲われた時の記憶がよぎっていた。

(好きとか愛とか、そういうのは正直分からない)

 当時私はそう言った。フィオはあの時から思いを曲げず、私のことを好きになってくれたのだ。それに対して、私は彼女ではない女性を好きになってしまった。あんなことを言っておきながら、彼女の思いに答えることができなくなってしまった。胸が苦しくなった。
 フィオのことは好きだ。しかしそれはチヒロに対するものとは異なっており、例えるなら――

「でもごめん。俺の中でフィオは、世話を焼きたくなる女の子で、気兼ねなく腹の内を言い合えて、そんな妹みたいな存在なんだ」

 怒られたり叩かれたりしても仕方がない返事だと思う。しかしフィオは何故かそれを聞いて笑った。

「そうか、まだ機会はあるっていうことだな。兄妹だからなんだ。姉弟だからなんだ。二人とも難しいことを考えすぎなんだよ」

 『二人とも』とはどういう意味か。チヒロのシルエットが脳裏に浮かぶ。嫌な予感が形になった。

「――まさか聞いていたのか?」

 告白を見られていたのは明白だった。フィオは無言で肯定した。

「だいたい、チヒロは血が繋がっているって告げただけだろ。カズマのことが嫌いって言ったわけじゃない。どうして諦めなくちゃいけないんだ?」

 フィオが椅子に寄りかかり、なげやりに言った。
 彼女の言うことはもっともだ。あの時は焦って告白して、勝手にショックを受けて、それ以上話すことができなくなってしまった。本当に情けない。

「フィオは告白しに来たのか? 応援するために来たのか?」
「そんなの分かんない。だいたい血が繋がっているって言ってたけど、二人とも全然似てないだろ」

 自身に関わることだから自信が無かったのだが、他人に指摘してもらってはっきりした。やはり私とチヒロは似ていない。顔も、性格もだ。改めてチヒロとの関係を見直してみると、他にも気になることがあった。

「それは俺も思った。そうだな。こんなところで落ち込んでいるよりも、行動している方が何倍もマシだな」

 魔法陣の描かれたカードを取り出した。魔術は五次元間干渉。

「我は汝に啓示を与えるもの」

 カードを顔の前にかざして詠唱した。浮かび上がった光の点が四方に広がり、長方形の鏡が現れる。

「フィオ、ありがとう!」
「礼を言うくらいなら、あたしを選べ。馬鹿」



 和真が鏡をくぐって姿を消した。チヒロの元ではなく、小宇宙に向かったようだ。
 フィオは一人部屋に残され、しみじみと天井を見上げた。

「そう。別に嫌いって言われたわけじゃない。どうして諦めなくちゃいけないんだ……」

 自分に言い聞かせるように呟いた。


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