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作品名:ドッペルパスはかく語りき 作者:175の佃煮

第28回   0122:劣等の意地
 戦場と化したボギ砂漠は、喧騒に包まれていた。味方の本陣の中でシタヌ王国の親衛隊の兵士達が暴れている。奮闘しているア・バオ・ア・クゥーのお陰で、味方の被害は小さく収まっているようだ。
 洋平が手の平から炎の球を放つ。兵士が真っ先に修得するという魔法弾。彼の引力と斥力の魔術だけでは、火は扱えないはず。やはり魔法を使っている。
 洋平が指をくっと曲げると魔法弾の軌道が変わり、弧を描いて私の方に向かってきた。こちらは彼の魔術だ。しかも詠唱も魔法陣も詠唱省略(インタープリター)する高等な技術を使っている。

「我は汝に啓示を与えるもの」

 そんな芸当は私には無理だ。カードを顔の前にかざし、軌道上に正方形の鏡を生み出した。炎の球が鏡面に吸い込まれていった。

「要塞は自壊する、コマホン」

 洋平がカードを取り出し、私と同じように顔の前にかざして詠唱する。
 突然、視界が急速に流れた。
 落ち着いて現状の把握を試みる。水色の空、雲一つない快晴。そして砂漠の地面が眼下に広がる。体が宙に浮いているようだった。
 地面との斥力を増大させ、私の体を上空に飛ばしたらしい。下は柔らかい地面なので落ちても怪我はないと思うが、さすがに身動きが取れない。
 洋平は容赦せず、自身の周囲に十を超える炎の球を生み出した。

「攻城兵よ来たれ、メティスラー!」

 魔法弾を同時に放ち、カードを裏返して次の詠唱を行った。ばらばらの方向を向いていた炎が軌道修正してこちらに向かってくる。

「ケルビム達の頭上を天翔けるもの!」

 カードを代えて詠唱する。足元に鏡が現れた。自由落下して鏡面を通る。
 洋平の背後で、地面と平行に現れていた鏡から現れ着地した。詠唱を省略したので、短い距離しか跳ぶことができない。

「おかしな魔術だな。以前城に忍び込んだ時にも、それを使ったのか?」

 洋平が振り返りながら口を開いた。忍び込んだと言われると、語弊がある。

「まぁあの時は洋平のことを探しに行っただけで、城の中まで行くつもりは無かったんだけど」

 転移先を変えながら鏡を回転させて縦にし、後ろに跳んで再び鏡面をくぐった。後方に転移し、さらに洋平と距離をとる。
 洋平がボクシングのように腰を浮かせてステップを踏んだ。

「大烏は舞い上がる、ローラー」

 聞いたことのない詠唱だ。直後、彼の体が地面と平行に跳び出した。自分に魔術をかけて飛んでいる。本陣に向かってくる時に使っていたのは、この技のようだ。
 再び鏡面をくぐって間隔をあけるが、あっという間に距離を詰められた。その手には魔法弾が作られている。

「火から土を、粗雑なるものから精妙なるものを分離せよ」

 即座にカードを代えて詠唱する。放たれた炎の球を、先に生み出した一枚の鏡で分断した。

「――これあらゆるものの中で最強の力なり!」

 続けて周囲に百の鏡を生み出した。様々な方向を向いた鏡面が眩く光っている。さすがに洋平も顔色を変えて足を止めた。
 惜しみなく鏡を次々に放つ。万物を切断する白銀の刃の雨。回避するほかに術はない。

「大烏は舞い上がる、ローラー」

 洋平が側方に飛んで避ける。動きが速く、狙いをつけるのが難しい。絶えず鏡が砂漠に着弾し、砂を巻き上げた。
 周りに浮かんでいた無数の鏡は、いつの間にか一枚も無くなっていた。あっという間に撃ち尽くしてしまった。

「我は汝に啓示を与えるもの」

 詠唱して背後に鏡を生み出す。お互いに魔術を知っているため、とてもやりづらい。作戦を考えようと思い、小宇宙に逃げ込んだ。

「異なるものの愛を、ターファー!」

 拳を構えた洋平が、鏡を通って追いかけてきた。自身を危険に晒してまでは攻撃してこないと思っていたので、魔術を使って迎撃するタイミングを逃した。
 片や静止し、片や十分に加速した空中戦。条件は圧倒的に不利だ。上段に突き出された洋平の左拳を、とっさにガードを上げて防いだ。
 肺の中から空気が絞り出された。がら空きになっていた腹に洋平の右拳が食い込んでいた。視界が狭まっていて二発目が見えなかった。
 仰向けに吹き飛ばされ、硬く冷たいコンクリートの地面の上に転がった。

 むせ返りながら周囲を見渡す。鉄骨が露わになっている天井はかなり高い。壁際に設置されたクレーンは、建物中に積み上げられた四角いコンテナを運ぶためのものだろう。そこは港の倉庫の中のようだった。
 洋平が手を掲げたが、何も起こらずに舌打ちをしていた。炎の球を生み出そうとしたようだ。
 奇跡の粒子の濃度が低い小宇宙では、魔法は使えない。大宇宙での生活に慣れてしまったせいで、こちらの世界の戦闘は勝手が違って大変そうだ。頭を切り替えた。

「攻城兵よ来たれ、メティスラー」

 正式な魔術の様式に則り、洋平がカードを掲げ詠唱を行う。彼の横に置いてあったコンテナが地面を離れて飛んできた。
 慌てて起き上がりながら走る。背後を通り過ぎたコンテナが、別のコンテナに当たって激しい金属音を立てた。

「まだこっちのエネルギー源は有効みたいだな……」

 洋平が背中からたくさんのカードを取り出し、広げて扇状に持った。彼のエネルギー源が残っているということは、阿部警備の皆はまだ健在だということだろうか。

「火から土を、粗雑なるものから精妙なるものを分離せよ」

 どこからコンテナが飛んでくるか分からない。警戒して、自身の周囲に十五枚の鏡を生み出した。

「覆い尽くす混沌、シナー!!」

 洋平が大きな声で詠唱した。其処彼処から金属音が聞こえてきた。
 洋平の周りでは、コンテナが全部浮かんでいた。振り返ると、後ろのコンテナも全部浮かんでいた。

「おいおいおい!」

 素早く周りに視線を走らせる。無数のコンテナが四方八方に動き出していた。十五枚くらいの鏡で、どうにかなるわけがない。
 こちらに飛んできたコンテナを避ける。倒れてきたクレーンを鏡で切断する。コンテナを切断して軌道を逸らす。
 行き交うコンテナ。倒れる柱。崩れる壁。巻き上がる煙。倉庫の中は地獄と化していた。指示能力が失われ、建物が崩壊した。



 敵陣の中で対峙している二組のうち、一組はチヒロとアスウィシである。アスウィシが拳を振りかぶり、地面を蹴って駆けだそうとする。

「瞬間に向かって私は呼びかける。時間よ止まれ、お前は美しい」

 水色の光を放つ魔法陣を周囲に展開させ、チヒロが詠唱を行う。五本の氷の柱に囲まれたアスウィシは、一切の思考と動きを止めた。
 チヒロが歩いて背後に回り、指を鳴らして秘術を解く。アスウィシの走った経路に砂が巻き上がった。舞い落ちる砂のせいで、チヒロはアスウィシの姿を捉えることができない。

「場所が悪いわね……」

 チヒロは呟きながら浮かんでいた魔法陣を切り替えた。
 雨のように降り注ぐ砂の中で、アスウィシは真後ろを向いて跳び出した。速度をもった物体は慣性の法則に従うので、絶対零度でも止まることはない。つまり秘術を使っても動きを封じることはできない。
 チヒロは両手の平を横に向けた。水流を放ち、その反動で側方に跳んだ。
 降り注いでいた砂の中から彼女の立っていた場所へ向かって、ほぼ同時に砂の柱が上がった。

 アスウィシが動きを止める。彼女の白い肌は破け、鮮やかに赤い筋繊維が覗いていた。中程で千切れてぷらぷら風に揺れいてる。
 チヒロはルクアから、木柱の秘術を使っても十回近くは運動に耐えられると聞いていた。しかしアスウィシが使ったのはたったの二回である。耐久力には元の筋力も影響しているのだろうかと考えを巡らせた。
 とはいえ、アスウィシに限っては木柱の秘術の短所はカバーされている。アスウィシが息を整えると、筋繊維がくっつき、皮膚が塞がり、元のような綺麗な肌に戻った。

 アスウィシが再び拳を振りかぶる。

「瞬間に向かって私は呼びかける。時間よ止まれ、お前は美しい」

 今度は地面を蹴るよりも早めに凍結させた。その場から動かずに、手の平を時間の止まった空間に向ける。

「うねれ、水の精ウンディーネ」

 集った水蒸気が凝結し、きらきらと光を乱反射させる。光が集い、アスウィシの周囲に十三本の氷の槍が現れた。

「ウンディーネは音を立てて流れ寄れ!」

 それぞれの柄の後方で相転移を起こし、圧力で槍を押し出す。氷の槍が一斉にアスウィシに向かって放たれた。同時に五本の氷の柱が砕け、秘術が解除される。

「くッ!!」

 意識の戻ったアスウィシが、視界に映る白槍を捉えて自分の置かれた状況を把握する。逃れる隙間は無い。腰を落として構え、強化された両腕を振るった。

 アスウィシは四本の氷の槍を手で掴み取っていた。滴った血が、地面の黄色い砂に吸い込まれていった。残りの九本が背中や首、足に突き刺さっていた。
 筋肉に押し出された槍が勝手に抜け落ちる。みるみるうちに傷口が埋まっていった。
 何事もなかったようにアスウィシは行動を再開した。チヒロに向かって拳を構え、地面を蹴る。

「瞬間に向かって私は呼びかける。時間よ止まれ、お前は美しい!」

 荒い息をしたチヒロが詠唱し、氷の柱がアスウィシを囲って突き上げた。チヒロがアスウィシの後方を目指して歩き出す。
 氷の柱が砕けた。指を鳴らすのを待たずに途中で秘術が解けていた。

 秘術は何度も使えるような効率的な魔術ではない。チヒロは体に負担をかけすぎていた。
 跳び出したアスウィシの拳打が擦れる。右腕が半月状に抉れ、砕けた肉が飛び散った。チヒロは左手で腕を押さえた。

「魔法のキレが悪いですね。もう限界なのではないですか?」

 消耗した筋肉を回復させながら、アスウィシが口を開く。チヒロは無言で睨んだ。

「今度は私が言う番ですね。勝負ありました――」

 自爆が代償である一撃必殺の秘術を持つ彼女にとって、攻撃の当てられない相手との相性は最悪だった。しかし自爆の代償という短所がなくなれば、こうして相性は逆転してしまう。
 しかし窮地にあるにも関わらず、チヒロはへの字になっていた口の端を上げ、不敵に微笑んだ。

「え、ごめん、何だって? ――リバースエンジニアリング完了。その回復の魔法は、前後の組織構成から予測して損傷箇所を修復しているのね。……ということは、小さい傷を治すことはできても、原型が分からなくなるほど破損したら修復できないんじゃない?」

 リバースエンジニアリングは本来、魔術師の詠唱と魔法陣を解析して、相手がどんな種類の魔術を使っているのか特定する技術である。しかし魔力の様態を解析して、魔法使いに対して行ったのは過去の歴史の中でも彼女一人だけだろう。

「……あなたは一体?」

 仄かに浮かんでいた嗜虐的な笑みを止め、アスウィシが尋ねた。

「自分で言っていたでしょう。あなたに近い側の人間よ」

 チヒロは右腕の傷を氷で止血し、手を離した。

「そ、そこまで知っているなら、あなたが勝てないことも分かったのではないですか? あなたの魔法の火力は、四柱の中でも一番低いのですから」
「そうみたいね。今まで必要が無かったから、そんな魔術は考えたこともなかったわ」

 緊張して額に汗を浮かべているアスウィシと対照的に、チヒロは爽やかに笑って見せた。

「それなら大人しく――」
「あぁ、今思いついた」

 アスウィシの言葉を遮り、チヒロはあっけらかんとした声を出した。
 アスウィシを囲って、五本の氷の柱が地面から突き出した。即興で編み出された、二の秘術。彼女の白い顔から血の気が引き、文字通り青ざめた。

 柱に囲まれた五角形から空まで続く空間が、無数の眩しい白い光を放つ。日光を散乱して輝く細氷が凝結していた。

「天才は天才でも、所詮は田舎の天才よね。見聞を広げて出直しなさい」

 チヒロは眼前に巨大な魔法陣を浮かべた。

「諸氏に勝利を確約する。秘められた静かな闘志をもって、北方の若き勇士よ戦いに赴け!」

 初めて紡がれた詠唱を受け、光が収束し氷の柱を形作る。さらに次々に光が集い、氷を肉づけしていく。
 アスウィシは呆然として天上を見つめた。圧倒的な存在感をもつ氷の円盤が太陽の光を妨げている。
 巨大な円柱状の氷は雲の上まで続いている。成層圏の上、ぎりぎり空気が存在する中間圏まで続く、氷の槌。

 氷の大塊が落下していく。アスウィシは腰を落とし、両手の平を空に向けた。秘術で両手足を強化し、受け止めようとしている。

「中間圏までの空間を凝結させた5.8キロトンの氷槌よ。筋力をたかだか数百倍強化したくらいで、受け止められるわけがないじゃない」

 チヒロが言い終える前に氷は接地していた。氷の槌は天蓋を支える柱のように砂漠に突き立っていた。



 敵陣の中で対峙しているもう一組、ルクアとクーハの戦いは、一方的に進んでいるように見えた。
 ルクアが目にもとまらぬ速さで突きを繰り返す。クーハは腰から手を離さず、地面から放たれた砂弾で短剣の切っ先をずらし、最低限の動きで避けていた。
 回し蹴りから後ろ回し蹴りへのコンビネーション。ルクアの長い足が一蹴りで砂の壁を抉り、二蹴りで崩す。続けて、翼で体を浮かせて放たれる後ろ回し蹴り。再び現れた砂の壁に遮られた。
 ルクアが足を引いて着地した。その目は、砂地に戻る壁を恨めしそうに睨んでいる。

「いい動きになってきたな。それでは、カウントダウンを始めよう」

 クーハは満足そうに頷き、一般人でも分かるほど膨大な魔力が放出させた。恐らく石の秘術が来る。ルクアは範囲を見極めて退避しようとした。
 砂漠の地面を掻き分け、灰色をした石の柱が一本だけ突き出した。
 出す場所を間違えたのではないかというくらい遠い位置に見える。ルクアは不思議に思い、ぽかんと口を開いた。

「何ていう顔をしているんだ? 秘術はもう、始まっているぞ」

 敵の兵士達が慌てて走り出した。彼らのいた場所に二本目の柱があった。柱と柱の間隔がやけに広い。
 ルクアは嫌な予感に突き動かされ、見渡す範囲を広げた。
 三本目。四本目。そして五本目。五角柱の空間は、軽く町を囲える広さを持っていた。

「これが、大魔法使い……」
「こんな馬鹿でかい範囲で魔法を使えるのは、俺以外にはいないだろうがな。俺は四柱の中でも最大の魔力を持っている」

 クーハは秘術が始まっていると言っていたが、ルクアの体に変化はない。短剣を構えなおした。
 振り上げた短剣の切っ先から竜巻が巻き起こる。砂漠の砂を巻き上げ、黄色い風が吹き荒れた。

「近接が駄目なら、魔法で来るか?」

 竜巻の径が広がり、クーハの元へ強風が襲い掛かる。しかし傷つけるほどの威力はない。彼は手をかざし、細い目をしてやり過ごした。
 黄色い風が急に掻き消えた。風に紛れて間合いを詰めていたルクアが、側方からクーハに斬りかかる。

「いえ、『どちらも』です」

 鋭い突き。しかしそれでも防御の先を行くことはできなかった。短剣は砂の壁に突き立っていた。
 短剣を突き立てたまま、剣先から無数の風の刃を放つ。砂の壁が内側から砕かれた。
 続けて放たれた風の刃は、瞬時に作り替えられた砂の壁で遮られた。

 がむしゃらに攻撃しても、クーハの防御を破ることはできそうにない。ルクアはいったん距離を置いた。
 何かが音を立てて砂の上に落ちた。クーハを警戒しながら視線を向ける。それは崩れ落ちた、短剣の柄だった。おかしいのは剣だけではない。よく自分の姿を見てみると、服がかさかさと音を立てて破れていた。

「これは……」
「場所が幸いしたな。砂漠でなければ、破滅の光景を見せてやれたんだが」

 これが石の秘術の効果らしい。理由は分からないが、早々に倒して秘術を解く必要がありそうだ。ルクアはすぐさま腰を落とし、柄の短くなった短剣を握り直して正面に構えた。

 地面を蹴り、急加速して突進する、亜音速の剣撃。短剣の刃は砂の壁で防がれていた。
 ルクアが翼を羽ばたかせ、壁を飛び越える。身を翻し半回転してから空中を蹴り、急加速して突進する。二発目の亜音速の剣撃。

「――実におしい」

 短剣の刃は、クーハを囲って生み出された半球状のシェルターに遮られていた。圧縮されてかなりの硬度を持っており、傷すらついていない。
 砂の殻が崩れ落ち、クーハの顔が露わになった。

「間合いの内で防御を解くなんて、血迷いましたか!」

 ルクアが声を張り上げ、追撃しようと短剣を引いた。

「え……?」

 しかし急に眩暈が襲ってきたため、ルクアは思わず片膝をついた。
 重力の感覚が麻痺し、立っているのか横になっているのかすら分からない。視界がぼやけ、その中でクーハらしき人影が歪んでいた。

「俺の秘術は、風化だ。肌で感じ取れないほどの短時間に温度変化を繰り返し、数秒で数十年分の劣化を引き起こす」

 風化によって地上の物質は物理的、化学的に破壊される。これは代謝機能をもつ生体とて例外ではない。温度変化により血圧は大幅に変化し、血栓ができやすい状態になる。また脳も急激な温度変化に弱いため、意識障害を引き起こしやすくなる。
 ルクアは激しい運動を繰り返していたせいで血栓の症状が進行し、末端の脳細胞の虚血を起こしていた。

「その体ではもう、まともに戦うことはできないだろう。俺の勝ちだ――」

 クーハが手を掲げると、両脇で砂の柱が巻き上がった。

 ルクアは朦朧とする意識の中、クーハの後ろに視線を向けていた。幼い頃見ていた、戦う父の姿が網膜に浮かぶ。その身の半分にウィツィロポチトリの血を宿した、歴代最強の騎士団長。御された締まった筋肉を持った男が、逆三角形の広い背中をこちらに向けて立っている。
 ――ルクアは無意識の内に立ち上がっていた。

 背中から生えて左右に広がっているのは、宝石のような光沢を放つ緑色の気高い翼。その羽ばたきは音の速さで身体を運び、敵陣の中を縦横無尽に駆け抜けさせる。
 ――地面を蹴り、翼を猛スピードで羽ばたかせて急加速する。クーハとの間合いが一気に詰められた。

「何度その技を繰り出しても無駄だ!」

 クーハが腕を正面に突き出すと、二匹の砂の蛇がルクアに襲い掛かった。

 そんな彼が得意としたのは、風を自在に操る魔法。魔力は少なくても巧みに剣術と融合させ、纏わりついて敵を翻弄する。
 ――風に乗って身を翻し、急降下してきた砂の蛇をかわす。空中を蹴って地面に向かって突進し、もう一匹を縦に裂いた。そのまま膝のばねを解放し、跳び上がって砂の壁を越えた。

 その手に持たれたのは、丁寧に磨かれ白銀色の刀身をした短剣。敵に間を与えず攻撃を続け、切れ味を増した刃で鎧を引き裂く。
 ――砂の半球の前に着地する。一閃。短剣が金属音を立てて弾かれる。二閃。三閃。四閃。繰り返す度に速度と刃の振動が増していく。
 五度目の鋭い突きで砂のシェルターが砕けた。威力は削がれていない。中のクーハを突き刺し、シェルターを完全に崩して吹き飛ばした。

 クーハは地面に背中を打ち付け、仰向けに倒れたまま動かなかった。腹に刺し傷が残っているが、浅く致命傷ではない。硬化した砂の殻に頭を打ち付けたことによる失神だった。
 ルクアは歪んだ視界で、敵が倒れていることを知った。攻撃をする、防御をする、と意識を一つのことに向けてしまうと、それ以外の動作に遅れが出てしまう。心を止めずに行動できるのが達人の境地だと教わっていたが、こんなものなのかもしれない。父親の影を見送り、ルクアは今度こそ倒れた。



 フィオは砂漠に顔を埋もれる直前で目を覚ました。体全体にひんやりとした金属の触感があり、視界の上下がかなり狭まっている。何故か鎧を身に着けていた。
 がしゃりと金属音を立てて立ち上がる。依然、眼前には死神の姿があるが、生命力や魔力を奪われている感じがしない。この鎧が死神の魔法を遮断しているのだろうかと考えを巡らせた。

「この鎧は――、ウィツタクか?」
「死にかけている姿が本陣から見えるんだもの。放っておくわけにもいかないでしょう」

 紅の翼と尻尾がはみ出した奇妙な鎧の元へ、同じく鎧を纏ったウィツタクが歩き寄った。いつも傀儡として使っていたのでフィオは違和感を覚えたが、本来こういう使い方をするものだと気付いた。

「それにしても、あの両目は何なの?」

 ウィツタクが尋ねる。顔は死神に向けているが、直視することができずに焦点は足元に合わせていた。

「生命力を削ぎ取る右目と、魔力を削ぎ取る左目だ」
「なるほど、それで小隊の兵士達が全滅しているのね。そこそこ厄介なようだけど、耐魔の鎧があれば敵じゃないわ」

 死神の座っている台車の後ろに立っていた老人が、眉をひそめ額の皺を増やした。

「ア・バオ・ア・クゥーの甲殻か。邪眼すらも遮るとはの」

 顎の髭を撫でて思考する。これを外せと命令するかのように、死神が腕を動かして鎖を鳴らした。

「それはいかん。お前は儂に従っていればいいんじゃ」

 死神がさらに大きな音で鎖を鳴らし、きりきりと首を横に回す。

「いかん……。こんなところでコレを解放するわけには……」

 死神が双眼で鎖を見下ろした。鉄製の鎖の一部が赤く錆び、砂のように形を崩して腐り落ちた。

「ひっ?!」

 老人が台車から手を離し、ちらちらと後ろを振り返って様子を窺いながら逃げ出した。自由になった死神が台車の上で立ち上がる。解けた鎖が台車の上に落ちた。
 死神が首だけ回して振り向き、自身を拘束していた男を流し見た。
 振り返った老人の目に焼付いたのは、塵も、光すらも逃さず全てを吸い込む、漆黒の瞳だった。最もそれを脳で処理する前に彼は絶命していた。

 死神が一歩進んで砂漠の上に降り立った。手首と足首に垂らしていた枷の鎖が、ちゃりと音を立てた。

「四柱と元世界最強を相手に、近接戦でもするつもり?」

 怯えているのか、ウィツタクの声は少し震えていた。背中に差さっていた剣を抜き、中段に構える。
 二歩目。フィオの視界から死神とウィツタクの姿が消えた。

「やっぱり速い――」

 フィオが振り向いて二人を視界に収める。
 死神がウィツタクの胴を蹴り込んで後退させていた。膝は伸びきっておらず、離れないように力を抑えているようだった。素足にも関わらず、鎧が足の形に窪んでいる。
 死神が足を引いて、代わりに拳を胸板に打ち込む。まだ着地しない。体を回転させた反動で、細い足で鞭のような回し蹴りを放った。鎧が割れ、破片が砂の上に飛び散った。
 フィオが殴りかかってきたのを避け、死神はようやく攻撃を止めて後退した。

「ありがと。……凶悪な魔法を持っていて、近接戦も超一流? 何なの、あいつは。あれだけ強ければ、どこかで名前を耳にしてもおかしくないと思うんだけど」

 ウィツタクが鎧を補修しながら言った。フィオと並んで立ち、守りを固める。

「あいつとは、幼い頃に戦ったことがある。引き分けて再戦を誓っていたのに、それ以来会わなかったから不思議に思っていたんだ」
「魔力減退前のあなたと引き分けたの? どおりで強いわけよ」

 ウィツタクは兜の中でため息をついた。

「でも、なんで獣を目の敵にしているシタヌ王国にいるんだ?」
「だからこそ、じゃない? 拘束している鎖や体中の傷を見れば、招かれたんじゃないことは分かるわ。大方、獣への憎しみを一身に背負わされて、都合のいいように洗脳されていたんでしょう」
「そんな……」

 フィオが怯えた目をして死神を見つめる。当人は無言で、手首の鎖を腐らせて外していた。

「魔力を削がれる以上、遠距離攻撃は無理ね。体から離さないように魔法を使いながら、近接戦で戦いなさい」

 ウィツタクのアドバイスを受け、フィオは手を掲げた。手甲の節の間から炎が漏れ出す。揺らめいていた炎がまとまり、指先に炎の刃が形作られた。

「こうか?」
「そう、上出来よ」

 ウィツタクは腕を突き出し、手の平から鉄の鎖を放った。死神の首に巻きついて動きを封じる。
 鎖を引いて体勢を崩そうとする。しかし死神が鎖を見つめると、中程が錆びて腐り落ちた。均衡していた力のバランスが崩れ、ウィツタクが仰向けに転んだ。

「あの衰弱の魔法も厄介ね……」

 ウィツタクはそう零しながら、掃除機のコードのように鎖を鎧の中に戻した。死神は腕を引き、片手で指を鳴らしている。
 死神が地面を蹴った。音無く、けれども異様な速さで駆ける。倒れているウィツタクに掴みかかった手を、フィオが正面から掴んだ。
 フィオが炎の剣を袈裟に振るう。死神がスウェーで避け、三度蹴りを入れながら鎧を駆け上がる。フィオは思わず手を離していた。死神が空中で身を翻し、バック宙して後退した。

「ハッ、あの寝ずの喧嘩を思い出すな!」

 フィオが間合いを詰め、炎の剣を薙ぐ。死神は、尾を引く赤い剣筋の上で舞っていた。空中から横蹴りを放ち、足刀で首を狙う。寸でのところでフィオがその足首を掴んだ。
 足を斬り落とそうと、炎の剣を振るう。しかし死神は瞬時に片足を鎧にかけて空中で体勢を変え、炎を横から掴んで掻き消した。
 フィオは死神の足を離して両腕に掴みかえた。引っ張りながら後転し、蹴り上げて頭越しに投げる。彼女は知らないが、その技は小宇宙では巴投げと呼ばれている。

「ナイス!」

 ウィツタクが声を上げる。背中を打ち付けた死神の周囲で、五本の鉄の柱が地面から突き出した。囲まれた五角柱の空間が赤く染まる。
 体内の鉄分を動かし、対象の体を自在に操る鉄柱の秘術。死神の体が宙に浮き、両手足が伸ばされた。

「大人しくしないと、引き千切るわよ!」

 ウィツタクが警告するが、死神はぶちぶちと繊維が切れるような音を立てて手足を曲げた。粘性の高い水の中でもがくように、体をねじって赤い空間の外を目指す。

「さすが、あんたの同類ね。とんでもない魔法抵抗」

 ウィツタクがフィオの方を向いて声をかけた。フィオは返事をせず、翼を羽ばたかせて赤い五角柱の真上に飛び上がった。両腕を地面に向けて突き出す。

「こんな形で再戦の約束を果たしてしまって、ごめん。元に戻ったら、また二人きりで戦おう。紅蓮桜花・散華(クオツネルガ・ツナセ)!!」

 押し出された空気が熱気を帯びた風となって吹き出す。フィオの周囲の大気がプラズマ化して光を発し、風景が歪んだ。鎧が赤熱して溶け落ちた。

「ちょ――、今のあんたじゃ、秘術を受けたらただでは済まないわよ――?!」

 ウィツタクが叫ぶ。フィオは彼女に向かって微笑みかけた。
 翼をはためかせ、秘術の真っ只中へ突入する。熱量の塊を拳に収束させ、突き出した。



「まったく……。あんたといると、鉄の心臓と呼ばれた私でも寿命が縮むわ」

 愚痴を零しながらウィツタクが歩き寄る。ぼろぼろになった鉄の柱の中央で、死神とフィオが倒れていた。
 死神は横を向いて気絶している。フィオは仰向けになって荒い息をしていた。

「さすがにしぶといわね。止めを刺しておく?」
「だ、駄目だ! あたしが何としてでも説得する!」

 フィオが慌てて起き上がった。ウィツタクはその返答を予想していたようで、当人から見えないように優しい笑みを浮かべていた。



 港に立ち並ぶ倉庫の内の一つが倒壊している。コンテナに入っていたのは衣類だったようで、燃えて灰色の空に黒い煙を巻き上げていた。私はぎりぎりのところで転移の魔術を使い、脱出していた。
 瓦礫の崩れる音が聞こえた。黒い煙の中から洋平が歩いて出てきた。

「……何でお前らは獣の味方をするんだ?」

 洋平が5メートルほど離れた場所で足を止め、尋ねてきた。

「何が言いたい?」
「人を傷つけても鯨は保護する? 神経のある動物は安楽死させる? お前のやっていることは、過激な環境団体や動物愛護団体となんら変わらない。心を満たすための偽善行為だ」

 どうやら洋平は、オナキマニム王国が獣を守るために行動しているんだと勘違いしているようだった。

「違う。俺達は獣の味方をしているわけじゃない。俺だって、人を傷つける獣は罰を受けて当然だと思ってる」

 大宇宙に来てから、私はポリュペモスを、トロールを、様々な獣を殺してきた。

「それなら、どうしてシタヌ王国の大望を受け入れない? 人を傷つける獣がいなくなるのは、お前達にとっても望ましいだろう」
「お前らは獣を、獣の血を引いている人間すらもこの世から消すつもりなんだろ? 自分達に不利だからと言って、全部取り除くような考え方は納得できない」

 私が答えると、洋平は苦虫を噛み潰すような表情を浮かべた。

「俺には分からねぇ。普通の人間なら、大切な人を危険にさらしたくない一心で、害をなすものをあらかじめ除いておきたいと思うんじゃないのか?」

 彼の言い分を聞いてようやく、目指す国造りに近いにも関わらずシタヌ王国の方針が気に食わない理由が分かった。

「危険な獣は殺す。危険な隣国の人間は殺す。危険な隣人は殺す。自分達に不利なものを全部取り除いていって、信用できる人間だけが暮らす世界にして、それは幸せだと言えるのか?」
「極論だ!」

 洋平が声を張り上げる。

「いいことも悪いことも、全部ひっくるめて世界なんだ。それを全て享受し、逃げないで良い方向へ持っていこうとするのが、あるべき人の生き方なんだと思う」

 カードを顔の前にかざし、魔法陣を目に焼き付ける。

「我は汝に啓示を与えるもの」

 眼前に光の点が現れ、四方に広がり鏡を作り出した。鏡面にはボギ砂漠の砂地が映っている。
 鏡の中に飛び込み、大宇宙へ移動する。移動を繰り返していたせいで元の場所からだいぶ離れており、遠くに味方の本陣が見えた。

「大烏は舞い上がる、ローラー!」

 同じくカードをかざして詠唱した洋平が、鏡を通って後を追ってきた。

「獣の抹消は必要なことなんだ! なんでお前にはそれが分からないんだ! ――復讐の成就を、ケリム!」

 洋平が詠唱すると、私の周囲で砂漠の砂が浮き上がった。砂の礫による全方位攻撃を放つつもりのようだ。
 これだけ頭に血をのぼらせていれば、切り札を使うことができるだろう。冷静に魔法陣のカードを代えた。

「ケルビム達の頭上を天翔けるもの」

 転移の詠唱を行うと、右手の近くに小さな鏡が浮かんだ。鏡面に腕を突き入れる。取り出された手には銃が握られていた。
 装飾のない粗朴な黒いスライド。直線になっているグリップ。グリップの中央に刻まれた星印。コルト・ガバメントに似せて作られているが、よりによって安全装置が省略されている。30口径自動拳銃、トカレフ。どうやって手に入れたのかは知らないが、チヒロから渡されたものである。
 鏡面の映像が洋平の顔に変わる。即座に額に狙いをつけ、引き金を引いた。

 砂漠に銃声が響き渡る。弾き出された薬莢と、私の周囲に浮かんでいた砂が同時に落ちた。

「……残念だったな。それが決め手だったんだろう?」

 洋平の靴の前に、真鍮色の弾丸が転がった。魔術で銃弾と自身の斥力を強化し、威力を殺して防いだのだろう。完全に防ぎきることはできなかったようで、額から血が垂れていた。

「復讐の成就を、ケリム」

 洋平が詠唱し、再び砂の全方位攻撃を放とうとする。しかし何も起こらなかった。

「ふ、復讐の成就を――」
「その弾丸の先端には、お前の嫌いな獣の一つ、ア・バオ・ア・クゥーの欠片が埋め込まれてる」
「あの魔術抵抗の高い甲殻をもつ生物か」

 洋平の言う「あの」は、ベッドの不法占拠者のことを指しているのだろう。

「魔力は頭の中で生成されて、眉間から放出されているらしい。魔術でも、奇跡の粒子と深層心理の干渉がそこで起きている可能性が高いと思っていたけれど、当たっていたらしいな。その欠片が額に埋まっている限り、お前は一生魔術を使えない」
「――くそっ!!」

 洋平は立てた人差し指を見つめた後、傷口に指を突っ込んだ。砂地に血の斑点ができた。

「うぉぉぉ!!」

 指をぐりぐりと動かして傷口を抉り、あまりの苦痛に悲鳴を上げている。あまりに痛々しく見ていられずに、私は目を逸らした。

「もういい。魔術のことなんて忘れて、元の世界で元の生活をしていてくれ。星煌く天は我が顔、海は我が胴、大地は我が足、風が充たすは我が耳、輝く光を遠矢に射る太陽は我が目なり。我は汝に啓示を与えるもの」

 詠唱を行うと、洋平を囲んで鏡の立方体が現れた。立方体が縮んでいき、光の点になって消える。洋平は大宇宙から姿を消した。
 シタヌ王国の王はいなくなった。戦争は終わり、オナキマニム城で協議が行われた。


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