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作品名:ドッペルパスはかく語りき 作者:175の佃煮

第20回   20
 事務所のドアを後ろ手に閉じ、下の階にある果物屋に向かう。店番をしていた主人が私に気づき、接客スマイルを浮かべた。

「いらっしゃい」
「こんにちは。これ、滞納していた分と今月の家賃です。待ってもらえて本当に助かりました」

 肩掛け鞄から家賃の入った袋を取り出して渡した。主人はその場で袋から硬貨を出し、手の平に乗せて数えている。

「おう、確かに」
「ついでにツニロください。二つ」

 ツニロというのは、甘酸っぱい林檎に似た果物だ。実は『似た』というか本物の林檎で、品種改良される前の野生種なのかもしれない。主人に追加の硬貨を渡し、かごの中から痛んでいないツニロを選ぶ。

「毎度。最近羽振りがいいみたいだな、家賃を上げてもいいか?」

 二つ選び終わったところで、主人が話しかけてきた。
 私は苦笑いを浮かべて振り返った。主人が目に光を宿し、期待した表情をしているのが滑稽に映る。羽振りが良ければ家賃を滞納したりしない。

「どこ情報ですか、それは。見ての通り明日の生活すらままならない状況ですよ」
「やっぱそうだよなぁ、見ての通り。……悪いな、噂を聞いたもんだから」

 主人が笑い、果物を一つおまけして袋の中に入れてくれた。何でも屋が儲かるなんて、しょうもない噂を流す人もいたものだ。

 果物屋を後にし、二階の事務所へ戻る。受付机に腰かけて留守番をしていたフィオが顔を上げた。

「いいものを持ってるな。おやつか?」
「今日の昼飯だ」

 目を輝かせていた彼女の顔が、眉をひそめて口を半開きにした絶望の表情に変わった。そんな顔をされても、無い袖は振れない。

「朝食はパンと水だけだった」
「野草もな」

 学生をしていた頃は朝飯を抜くこともしょっちゅうだった。人間、二食だけでなんとかなる。食べる機会があるだけマシというものだ。……なんて思っても、腹を空かせた竜の前で口に出す愚行はしない。

「昨日の夜は、汁気を吸った米だけだった」
「リゾットな。ご馳走だったろ」

 以前依頼を受けた遊牧民と偶然町中で遭遇し、山羊の乳を分けてもらえたお陰で贅沢な食事を摂ることができた。それでもフィオは肉が入っていないことが気に食わないようで、終始不機嫌そうにしていたが。

「――もう限界だ、隣村を襲ってくる!」

 立ち上がろうとしたフィオの肩を押して椅子に戻す。ジョークだったようで、すんなり座ってくれた。

「仕方がないだろ、資金難なんだから。またでかい仕事が入ればいいんだけどなぁ」

 最近めっきり仕事が減った。依頼があった場合でも、以前のような額の報酬を提示すると拒否されるようになった。デフレに突入でもしたのかと思ったが、結局理由は分からなかった。
 事務所の扉が開いた。慌ててフィオと交代して椅子に座る。入ってきたのは、ぼさぼさの髪をして無精髭を生やした、ごろつきに見える男だった。

「こんにちは」
「……悪魔がやっている何でも屋っていうのは、ここのことか?」

 挨拶は一方通行だった。男が机に片手をつき、威圧的に話しかけてくる。
 お客様は神様です、と心の中で唱え、大人な対応を試みる。

「そうですよ。仕事の依頼ですか?」

 男は私から視線を移し、フィオの顔をじろじろと眺めていた。しばらく沈黙が続いていたが、表情を緩めて無言で頷いた。

「あぁ。報酬はこれだけ出せる」

 どすんと、机の上に大きな皮の袋が置かれた。緩んだ紐の間から金色の硬貨が覗いている。数えなくても、数年は働かなくても食っていける金額だということが分かった。

「い、依頼の内容は、なんなん何でひょうかー?」

 大金を前にして、びびりの本性が露わになってしまった。見れば、フィオも袋を見ないように絶えず視線を移してそわそわしている。

「俺は金の鉱山の開発をしているんだが、この辺りはだいたい採り尽くしてしまってな。今までタブーとされて開発されていなかった山に手を出すことになったんだ」

 店員の挙動を気にせず、男は受付机の前の椅子に座って話を始めた。

「しかしいざ調査を進めてみると、上位の獣が山を守っていて、そう簡単に手を出せないことが分かった。どうもタブーができたのも、奴がいたかららしい。お前らには獣を追い払うなり殺すなりして、安全に山を開発できるようにしてほしい」

 小宇宙の神話や物語がそうだったように、宝と美女には獣が付き物だ。今回の依頼は、長年金を守護してきた獣の退治らしい。報酬が高い理由が分かった気がした。

「上位の獣、ですか。種族は分かります?」
「獣の中の獣、ドラゴン。さらにその中でも頂点に君臨する、竜の中の竜、ワイバーンだ」

 ワイバーン。その名を聞いた途端、フィオが尾を揺らして反応したのを私は見逃さなかった。

「相談するので、少々お待ちください……」

 男に断りを入れてフィオを連れて隣の部屋に向かった。場所を移しても彼女が言いずらそうにしているので、それとなく尋ねてみた。

「ワイバーンなんて、そう国に何匹もいる獣じゃないよな。もしかして知り合いだったりするのか?」
「親父だ。あいつが言ってるのは、ミサゴダサ山のことだと思う」

 名前に反応したことから近しい関係ではないかと思っていたが、まさか親族とは予想外だった。こういう仕事をしている以上、いつかこんな日が来るのではないかと思っていたが、よりによって高額の報酬が提示された時になるとは運が悪い。

「……追い払うくらいならできるかもしれない」

 私の沈黙を違う意味に受け取ったのか、フィオが焦った様子で口を開いた。

「いや、親子で戦うことなんてない。今回の依頼は残念だけど断ろう。大金が出てきた時点で、おかしいと思ってたんだ」
「ごめん……」

 謝られる理由はない。優しく頭の上に手を乗せ、男の待っている部屋に戻った。

 大金の入った皮の袋を返し、頭を下げた。

「そういう訳で、今回の依頼は引き受けることができません。お力になれず大変申し訳ありません」
「……あぁそうかい。人が大金をもつのは我慢ならないってわけか?」

 男は袋を仕舞って椅子から立ち上がると、去り際にそう言い捨てた。バタンと大きな音を立てて扉が閉まった。

 男が最後に喋っていった言葉が気になる。彼とは初対面だが、あちらは私達の話をどこかで聞いていたようだった。どうやらそのことで見解の相違があったようだ。
 最近の依頼の減り具合といい、嫌な予感がする。果物屋の主人が言っていた噂のことを確かめてみようと思った



「ずいぶん小賢しいことをしてくれていたみたいだな」

 噂の正体が判明し、フィオは怒りの表情を浮かべた。
 主人から聞いたのは、私達が依頼人から法外な金を巻き上げて儲けているという噂話だった。さらに情報の出所を探った結果、噂を吹き込んで回っているのは姿恰好から、ウィツタクと思われる人物であることが判明した。以前の戦闘で絶対に許さないと言っていたが、このような形で報復されるとは思ってもみなかった。

「小賢しいといっても、噂は怖い。対象が有名だったら尚更な」

 ウィツタクの噂話は、町中どころか国中に知れ渡っているらしい。どうりで仕事の依頼が減った訳だ。それに気になるのは、噂が広まる途中で尾ひれがついて、私達がサライの町を裏で牛耳っているとか、交易の調子が悪いのは私達のせいだとか、とんでもない設定を聞いた人もいるということだ。

「これ以上、何も起きなければいいんだけどな……」

 仕事が減ったことは既に痛手だが、悪い噂はさらに不幸を引き起こしかねない。
 事務所に戻る前に、少しでもフィオの気を紛らわせようと、懇意にしている酒屋に向かった。

「――悪魔のやってる何でも屋――けど――」

 店の前に立ったが、中から私達の話題が聞こえた気がしたので、扉の前で足を止めた。

「儲かっているらしいな」
「前は食料だけあればいい、みたいなことを言っていたくせに、調子のいい奴らだぜ」

 陰口を叩いているようだ。そっと扉を開いて覗くと、二人の男がテーブルに向かって酒をあおっていた。

「それなら、余った分を俺達に回してくれたって良さそうなもんだけどな」
「町の人間のことなんて、気にも留めてもいないのさ。そうそう、今の不景気だってあいつらが元凶らしいじゃねぇか」
「確かに、あいつらがこの町に来てから、何もかも上手くいかなくなった気がするな」

 人に恨まれるのは苦手だが、現実と違うことで恨まれることはもっと辛い。音がしないようにそっと扉を閉じた。

「あいつら、好き勝手なことを言って――」
「いや、いいんだ。止めてくれ」

 殴り込みに行こうとしたフィオの肩を掴む。力は彼女の方が強いはずだが、大人しく引き下がってくれた。

「――だいたい、あいつらどういう関係なんだ? 奴隷と主人か?」
「馬鹿かお前。男と女の関係なんて決まってんだろ」
「ちょっ、まじかよ。男の方は逆玉の輿――みたいなもんじゃねぇか。……いや、あの様子だと尻に敷かれてんのか」
「お前、ほんと見る目が無いよな。ベッドの中では男がリードしていると、俺は見たね」

 興味半分で聞き続けてはならず、さっさと立ち去るべきだった。免疫のないフィオは顔を赤くして肩を震わせている。ただでさえもウィツタクの一件から微妙な空気が流れているというのに、私達の関係はさらに悪化しそうだった。

「こんなの、おかしいだろ……」

 去り際に呟かれたフィオの言葉に、私は返事をすることができなかった。



 二日後、私達は久しぶりの仕事を終えて町を歩いていた。噂は依然として流行中だが、私達のことを信じて仕事を回してくれる人達もいる。この調子で仕事を続ければ、噂を鵜呑みにしている人々もいつか分かってくれると思う。今日は心が温かかった。

「うお?!」

 急に肩に痛みが走り、視界が揺れた。正面から歩いてきた男がぶつかったようだ。
 こちらに気づいた途端に歩き寄ってきたようだった。明らかにわざとだ。

「――町から出てけ」

 男はそう言い捨てて、謝りもせずに歩き去る。

「もう一度言ってみろ!」
「止めろ!」

 男の背中に飛びかかろうとしたフィオの肩を掴む。今度は力がこもっていて止めることができず、引きずられながら説得した。

 人は誰しも、他人が自分よりも良い状態になることを疎ましく思う感情、妬みを持っている。それは、はかどらない仕事や苦しい生活に後押しされ、他人を悪へと昇華する。悪を非難し、自分と同じ場所までひきずり下ろすことが善と見間違える。
 彼らと同じ場所に立っていることを証明すれば納得してくれるのだろうか。いや、悪の言うことなんて信じてもらえないだろうし、こちらは悪くないのに要求に従わなければならないのも釈然としない。結局私達は、いつも通りに行動することしかできないのだった。

 事務所へ向かう道には、いつもよりも多くの町人がいた。ある者は隣人と話しながら小走りしていて、ある者は空を見上げている。不思議に思い、彼らの視線の先を追うと、空に吸い込まれていく黒い煙が見えた。

「……どうしたの?」

 激しく揺らいでいる煙が不安を煽る。フィオが喋ったのを無視し、事務所への道を全力で走った。

 二階建ての家屋が燃えている。轟々と煙と炎を吐き出しており、消し止めるのは大変そうだった。町には木造の建物が多く、事務所まで火が移らないか心配だ。風が強くないことがせめてもの救いだった。
 通りにあるはずの事務所を探す。道は野次馬でごった返していた。見つかった宿屋の右側、靴屋の左側。震える指で指差し数えなおす。焼けた果物の匂いがやけに鼻についた。

「そんな……」

 自分の声とは思えない弱々しい声が喉から漏れた。
 宿屋と靴屋の間。果物の入った木箱が並ぶ一階の店舗。見間違えようがない。火に包まれているのは、事務所だった。
 事務所がある二階の窓から炎が上がっている。手作りの看板も、お気に入りだった受付机も、お古の事務用品も、お礼の手紙も、全て燃えて空へ上っていく。

 人はあまりに絶望を感じすぎると、悲しむことが出来なくなってしまうらしい。急に冷静になり、頭が冴えてきた。
 そもそも、なぜ火事が発生したのだろう。私達は出かけていたので、二階は火元ではない。主人の性格からして、一階の厨房とも考えにくい。
 先程肩をぶつけてきた男が脳裏に浮かぶ。まだ全然状況を把握できていないし、証拠はない。しかしこんな状況になったら、噂を鵜呑みにしている人間が犯人だと思わざるを得ないではないか。

 フィオが鋭い目つきで野次馬達を見回し、大きな声で叫んだ。

「あたしは今まで、やりたい放題やって不便なく暮らしてきた。それでもカズマの言うことも一理あるかと思って、人間の生活に合わせてやったんだ。それなのに――、それなのに、この仕打ちは――あんまりだろ!」

 フィオも犯人がこの町の人間だと思い当たってしまったらしい。証拠もなく思い込むのはおかしいことだと分かっている。しかし、どうしようもない怒りにはぶつける先が必要だ。私達の中で何かが崩れている。これがウィツタクの思惑だったのだろうか。
 居合わせた町の人々は、ある人は話が分からずに疑問符を浮かべ、ある人は申し訳なさそうに顔を伏せっていた。

「これがお前達の答えなら、あたしにも考えがある――!」

 目をぎらぎらと光らせたフィオが、翼を横に広げた。飛び上がろうと地面を蹴る。

「止め――」

 このまま彼女を行かせれば、きっとこの町はいつぞやの村のように、跡形もなく燃え尽きてしまうだろう。頭に浮かぶのは、自業自得という四文字。私達の本当の姿を見ようとせず、一方的に恨み妬んでいたのだから、そんな結末も仕方がないのではないだろうか。
 空に手を伸ばし、浮かび上がっていくフィオの尻尾を掴もうとする。思考を巡らせた為、手を出すのが一瞬遅れてしまった。赤い尾が手の中をすり抜けていった。



 私達はサライの町を後にし、フィオの居所だった洞窟へと戻っていた。真っ暗な空間の中央で、蝋燭の火が淡い光を放っている。
 私は寝ることができず、膝を抱えて地面に腰を下ろしていた。眠りにつく度に脳裏に赤い炎が浮かんで目覚めてしまう。冷や汗と手の震えが止まらない。

「――起きてるか?」

 部屋の隅で、背中をこちらに向けて横になっているフィオに声をかけてみる。彼女は尻尾を揺らして返事をした。

「尻尾、もう治ったみたいだな」

 均整のとれている、赤い鱗に覆われた尾を見つめる。私が魔術で切ってしまった尾は、切れ目だった場所が少し不恰好になっているものの、すっかり先っぽまで再生していた。
 地面に手をつき、重い腰を上げて立ち上がった。フィオに背中を向け、洞窟の出口へと向かう。彼女は何も言葉を発しなかった。



 和真がフィオの前から立ち去った頃、森の中にある湖畔に建つ家屋では、時代の変わり目になるかもしれない出来事がひっそりと起きていた。
 チヒロが二つの木のカップにお茶を注ぎ、同じ部屋にある机に運ぶ。机にはルクアが腰かけていた。背もたれに当たっていた翼をずらしている。

「粗茶だけど、どうぞ」

 チヒロがカップをルクアの前に差し出し、自分も椅子に座った。

「粗茶、ですか? それなりの質のものに見えますが……」
「あぁ、気にしないで。あっちの世界の挨拶みたいなもんだから」
「そうでしたか、おかしな挨拶ですね。……最近姿を見ませんでしたが、どうかされましたか?」

 ルクアはカップを口に運んだが、飲む前に口を開いた。彼はここ数日、毎日チヒロの家を訪れていた。

「どうも、和真君がまたこっちの世界に来たらしくてね。あちらこちら探していたのよ」

 チヒロがカップから口を離してため息をつく。

「カズマさんが? あなたに会いに来ないなんて水臭いですね」
「まぁ今度会ったら水に沈めるって言ってたから、仕方ない気もするんだけど」

 二人は引きつった笑顔を浮かべて顔を見合わせた。

「そういうことだから、もし会う機会があれば、無理やりにでもここに引きずってきて」
「分かりました」

 会話が止まる。ルクアがお茶を口に含み、カップを机の上に戻した。

「で、何の用? 任務の話ではなさそうだし、世間話をしに来た訳でもないんでしょう?」
「はい、では単刀直入にお話しします。例の件ですが……」

 ルクアが前傾になり、真剣な様子で話しかける。

「とうとう始めるのね。――前にも話したけど、私は無理よ。あなたを助けてあげたい気持ちはあるけど、私の私情以上にここは大切な場所だから」

 チヒロが首を振ると、ルクアは姿勢を戻した。

「そうですか……。残念です」
「次会う時は敵同士かしら。お手柔らかに頼むわね」

 ルクアが頷き、席を立った。家を後にした彼の瞳には、普段の誠実な姿に似つかわしくない荒い炎が宿っていた。


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