「いいか、はじめ坊。この町にはな、月のしずく、っつう幻の花が咲いてるんだぞ」 僕の家の台所でりんごに噛り付きながら、高畑さんは物知り顔でそんな話をした。 「どこに、咲いているの?」 僕はいつものように問いかけた。 「場所は知らないんだよなぁ」 しゃり、っとりんごを齧りながら、適当に答えを返した。 (だったら、初めからこんな話切り出すなよ) 心の中で自分が思いつく限りの悪口をはいたけど、実際に言葉に出しはしない。いちいちそんなことをしていたら、高畑さんと会話することなんて出来ないからだ。 「誰からその話を聞いたの?」 「んぅ〜? 昔うちの婆さんから聞いたんだよ」 「昔ってどれくらい?」 「確か俺が子供のころだったから、40年も前だったな」 齧り終えたりんごの芯を水切りネットの中に投げ入れて言った。 そんな昔だったら、なおさら高畑さんの話がもっと信用できなくなった。40年前と言えば、迷信がまだまだ残っていたころだし、しかも迷信ではなくても、40年も前のことであれば、記憶があやふやになってしまっている可能性だってある。 「じゃあ、今あるかわからないじゃん」 「そうだな」 そう言った高畑さんは何かを考えるように、後ろの窓ガラスの先の針葉樹林が生い茂る山を見ていた。 いつもだったら、こんな会話はすぐに忘れていたと思う。高畑さんの話はいつも現実味がなくて、適当で、どうでもよさそうに話していたから。 でも、この時の会話だけは、5年経った今でも鮮明に覚えている。 この会話をした次の日、高畑さんは消息不明になってしまったからだ。
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