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作品名:おいと峠 上 作者:maanantoka

最終回   おいと峠 下
    二章   下働き
   一  通い道
  当時、寺沢には糸より工場があった。周辺の農家から繭を集めて糸よりをしていたのである。新造の問屋に収めることも多かった。串川沿いや相模川沿いには田圃があり、米を作っていたが支流の尻久保川は水が冷たく、田圃にむく地形も殆どない。そのため畑に桑を植えて養蚕をする農家が多かった。
糸より工場には忙しい時期になると数十人の女工が働きにきていた。女工の殆どが嫁入り前の娘である。若くないと糸先が見えないので、手早い作業についていけないからである。工場の一段下の屋敷は大下(おおした)と呼ばれ、女工が寝泊りできる宿舎が設けられていた。
  
 いとはこの工場の近くに住んでいたが手先が器用ではなかったので糸よりの仕事にはむいていなかった。そのことをよく知っていた叔母が青山の糸問屋での下働きの世話をしたのである。糸問屋の新造の叔母と知り合いだったのだ。いとは喜んで通うことになった。
しかしいとは分家の娘でまだ十二歳にもなっていない。世間体は知らない。しょっちゅう新造の叔母であるかつに叱られることになった。それでも持ち前の明るさと屈託のなさで一緒に働く叔母さんたちには可愛がられた。
おかつはいとを憎たらしくは思わなかったが可愛がりもしなかった。叱っても、あっけらかんとしている所が手におえない。しゅんとしてくれれば後で声も掛けようがあるのだがそこにどうにも、もどかしさを感じていたからだ。
 いとが青山まで通うには金原に出て信玄道から行く広い道と雲居寺前の道から散在を抜けて尾根伝いに行く細い道と二通りあったが信玄道は少し回りこむ経路であることと、途中の沢で深く切り込まれている地形のため上り下りも多かった。直線的に行く尾根道のほうが荷物のない歩きなら、楽で近かったのである。
 またこの山道には蝮もよく出るのだが地元の人はここの山の蝮は噛まないから大丈夫と思っている。事実、先代の人達でも蝮に噛まれたという話は聞いたことがないと言っていたし、その後もないのである。
それはその昔、この山では蝮に噛まれて亡くなる人が多かったころ。そこへ雲居寺に偉いお坊さんが住職としてやってきた。余りに犠牲が大きいので蝮の毒封じの護摩を焚いて、蝮が人を噛まないようにしたという言い伝えである。それ以後、蝮に噛まれる人はいなくなったという。
いともそのことは知っていたはずである。安心してこの山道を使っていたであろう。
 
 
   二  小僧
  空が白らんできたころ、寺の小僧が境内に出て掃除を始めていた。掃除とはいっても三月半ば過ぎ、落ち葉などはなく、ただ竹箒の掃き跡を付けるだけである。その跡を付けることが和尚は大事だと言う。
 小僧が山門手前の石段の上で掃いていると、下の道を通るいとが怪訝そうな顔をして小僧を見ながら歩いてきた。いとは山門前まで来ると、いきなり潜り抜けてきて、
「おい小僧、おはよう」と言い、続けて
「お前は誰だ」と訊いた。
「おさむ」と小僧は困ったような顔をして答えた。いとは更に続けて訊いた。
「どこの子」
「小室」
「土沢の子かぁ」土沢は隣の集落で小室姓が多かった。
「そう」
「どうして此処にいんの」
「ここで小僧することになった」
「ふぅーん、そう、宜しく」といって、笑顔で手を振りながら、もとの道に戻り川上へと歩いていった。
おさむはいとの姿が土手から消えるまで、黙って見ていた。そして、その背丈では大きすぎる竹箒を抱えるようにして、左右にふりはじめた。それはとても掃除とは思えない動作である。
 
小僧のおさむは小室家の八番目の男の子だ。和尚が盆の経を上げに行った折、利発な子であることに気付いた。しかし八番目では満足に学校に通わせるのは難しいだろうと思い、小僧に出さないかと言ったのである。寂しくなればいつでも一人で帰れるし、学校には毎日通わせられる。和尚は年老いて雑用が辛くなったので来てくれれば助かると言うのである。親はそれならと、おさむにその場で聞いてみると、行くと言うのである。
四月から学校に上がるので、三月の内から寺には来ていた。いとが下働きを始めたのと丁度かさなっていた。
 
 
   三  施餓鬼祭り
  それ以後、天気のよい日は毎朝顔を合わせることとなった。日によっては往き返りに合うこともしばしばとなり、和尚と三人で会話することもある。
四月になると、二十四日の施餓鬼祭りの準備で和尚は忙しい。そんなとき、小僧の留守番や使い走りは大変やくにたった。当時はまだ電話は普及していない。ちょっとした連絡でも、わざわざ出向かなければならないからだ。檀家総代に来てもらうにも、誰かが来たところで言付けを頼むしかない。それがおさむなら、その場で走って行って来てくれるのである。
檀家が来ればお茶をだしてくれ、片付けもしてくれる。今まで自分ひとりでやっていたことが随分楽になったと喜んだのだ。おさむも教科書と帳面を揃えてもらえ、お使いに出ればたまにお菓子を貰うことができた。母親や兄弟も時々様子を見に来てくれるので、寂しさは余り感じずに済んでいた。
そして祭りの準備が本格化した。檀家総出で境内の整備と馬場となる山門前の道の普請である。道の片側には馬が土手下に落ちないように柵を作る。実際に馬も連れてきて軽く走らせてみる。小石や木の根は全て取り除く。おさむやいとの父親も道具を持って柵の杭打ちを行う。女しも掃除や草むしり、おばんし(炊事)に忙しい。
おさむは嬉しくてたまらない。両親が来て働いてくれているのと、使い走りをするたびに、よく働くね、と誰からも褒めてもらえるからだ。
 
いよいよ施餓鬼祭りの日が来た。朝も早くから人が続々と集まってくる。この日ばかりは集落の人口が何十倍にも膨れ上がる。馬は手綱を引かれてくると、馬場となった道の手前、畑の一角に繋がれていく。檀家では親戚の人達をよんで、ご馳走食べさせてから祭りにやってくる。どこの家でも子供たちは大きな小豆餡の入った饅頭を腹いっぱい食べている。
出店が次々と立てられていく。境内に収まらなくなった出店は馬の繋がれた道脇にまで建てられた。
おさむは親からも和尚からも小遣いがもらえた。今日は使い走りをしなくてよいので友達と一緒に祭りを楽しめる。いとも始めての給金をもらい、その全額を親に渡した。その一部から今日の小遣いはたんまりもらえた。まだまだ遊びたい年頃、同じ年頃の近所の友達と祭り見物である。鼻緒の可愛い下駄を履いている。
おさむ達が怖そうに馬の前で草を突き出して、食べさせようとしている。馬は突然、頭を振り上げて、ヒヒーンと啼き、頭を左右前後に細かく揺らす。それにびっくりしたおさむ達が尻餅をついた。丁度そこに通りかかったいと達が大笑いした。
「おさむ、何やってんの」おさむは尻餅をついたまま、照れくさそうに頭をかいた。その時、バーンと火薬の音と共に喊声が上がった。子供達は
「始まった」といって、一斉に競馬の見られる高台へと走っていった。大人達は既に場所に着いていて、固唾を飲んで結果を見ている。馬場の奥から審判が走ってきて
「あおの勝ち」と叫ぶ。わぁーと喜ぶ者とがっかりしている者がいる。こそこそと御札が動き出す。男たちが賭博をしているのである。勿論賭博は禁止されていたがそこはお祭り、大目に見てもらえる。
山門の横、土手の上には桜があり、その枝に登って子供が競馬を見ていた。あまり馬の走る後姿を夢中で見ていたために、枝からずり落ちて急な土手を転がり、馬場の真ん中に座るようにして止った。びっくりした子供はきょろきょろと周りを見ている。周りの大人は笑い出す。
「早くそこをどけぇ」と怒鳴られた子供は慌てて走り出し、逃げていった。
いと達は山門前では競馬をしているのでわき道から境内に入ってお参りをする。雲居寺は禅宗だ。お参りをするなら戸板が一枚あればよい。しかしそれでは一般信者には有難みがない。そこで仏画や仏像が置かれている。いと達も観音像に礼拝する。だがここまでは形式だ。本当の目当ては年頃の男たちである。みな夫々に小集団を作って話せる機会を窺う。
このころの娘は十五を過ぎれば嫁に行くのが一般的。だから青春は短く、それだけに祭りでの出会いの期待は大きいし、積極的だ。もじもじなどしている暇はない。口火を切るのはいつもいとである。少し年上の男の子たちが狙い目だ。同い年ではまだ子供っぽくて魅力がないのである。早速となりにいた男の子たちにいとが声を掛けた。
「どこから来たの」
話はしたがつまらない、連れの二人も興味はなさそうだ。
「ふ菓子、食べよう」といって、別れ、菓子を食べながら、興味がもてそうな男の子たちを捜す。今度は男の子から声を掛けてきた。
「よぉ、いと、しゃれてんじゃねぇか、」と近所の年上の男の子だ。しかし三人ともまったく興味がない。相手にされないと判ったところで、その男の子に
「おおい、三郎どこだぁ」と少し離れたところから声が聞こえた。
「ここだよ」と男の子はいとたちとは離れながら返事をする。三郎を呼んだ男の顔が見えた。いとは何かドキリとしたものを感じた。少し男前だったのだ。するといとは三郎を数歩追いかけ、袖を掴んで止めた。
「あれ、だれ」三郎はにこりとして、手を横に振って駄目の合図をする。
「おれの従兄弟だよ、駄目だよ、あいつはもてるから相手になんかしねぇよ」といって得意そうな顔をする。しかしいとはまるで気にする様子はない。
「ねぇ、何処から来てるの」
「小倉だよ」
「じゃあ近いね」といとは嬉しそうだ。そこに男前が戻ってきた。
「三郎どうしたんだ。ほう、だれ」
「近所のション便臭え娘」と応えた三郎を無視して男前に見とれながら
「いとです」と少し大きめの声を出した。
「安之です」と微笑みながらの返事が返ってくると、いとには堪らない嬉しさがこみ上げてきた。
「だから、無理だって言ってんだろ。」と三郎は引き離しにかかる。
「なぁ、あっちに面白れぇもんがあったから行って見ようぜ」と言って連れて行ってしまった。
「ふん」と言いながら、いとは後ろを振り返る。連れの二人は銀杏の大木に寄り掛かりながら、やはり手を横に振り、無理だ無理だの合図を出している。
結局この日、それからも声を掛けたり、掛けられたりしたが互いに気に入った相手はいなかった。
三人はゆらゆらと蝋燭の炎のように歩いて、駄菓子を食べながら帰る。その中で一人だけ、下を向いてはにこにこしている娘がいた。もう一人の娘がそれに気付き
「いい人居たんだ」といきなり大声で訊きながら子狐のように飛び跳ねる。訊かれた娘は真っ赤な顔をして、首を横に振るが満更でもなさそうだ。いとにはどうして、いい人が居たと気付いたのか、さっぱり分からない。それもその筈、いとは今までもじもじするようなことはないし、もし、いい人がいたとしても、みんな喋ってしまう性格であったからだ。
その娘の言うことには、
「何処の娘(こ)、」と声を掛けられただけで、
「寺沢、」と言ったら
「じゃあ、天王様のお祭りで逢えるね」と言われて分かれただけであるというのだ。名前と居所が分らないどころか、背丈も痩せているのかも判らないという。見るも訊くもできなかったというのだ。ただ下を向いていただけだと言う。いとにはまったく理解不能であった。二人は呆れた。
やがてその話題も尽きると三人は童謡を歌いながら、ふらりふらりと帰っていった。
 
 
   四  呆れた失敗
  祭りも終わり、いとの仕事もだいぶ慣れてきていた。まだまだ礼儀作法は話にならないが掃除や洗い物、膳の上げ下げはできるようになってきた。
 ある日のこと、いとは朝から腹が膨れてしょうがなかった。昨日の食い物の所為であろう。人の居ない隙に適当に出していた。
今日はお客さんと大事な商談があるというので、旅館を手配したがあいにく空きがない。そこで料理だけを頼み、問屋の座敷で接待することにした。予定通り昼近くに客がきて、商談が始まっていた。料理が届くと、おかつが下働きの女たち三人を集め、誰がどの膳を持つかを決めて、まとめて出すことになった。主の新造から指図が出たので、みんな膳を持っておかつについて行く。いとはこういう席に膳を出すのは初めてだったのでひどく緊張していた。おかつが短い挨拶をして、女たちが順に膳を置いていった。最後にいとが膳を置き、立ち上がった拍子に、ぶりぃー、と出てしまった。いとは思わず
「出ちまった」と尻を押さえて叫んだ。おかつは、
「すみません、失礼しました」と頭を下げ、手は細かく振って早く下がれと合図している。下働きの女がいとの袖を引き、すぐさま三人は出て行った。
 客は知らぬ振りをしているが嫌な顔であることはわかる。新造はいとを睨んでいた。この時から新造はいとのことを快く思わなくなっていった。
 三人が勝手に戻ると他の二人は腹と口を押さえて笑っている。
「だって、出ちまったんだから、しょうがないよ」といとが言うと、一人は目の縁を赤くして、左手でお腹を押さえ、口を瞑った、そして右手を上下に大きく振って、わかった、わかったという手振りをする。もう一人は床にしゃがみこんで必死に堪えていた。そこにおかつがやってきた。二人は笑っている顔を見せられないので、後ろを向いて知らぬ振りをしている。真っ赤に怒った顔をしている。いとは下を向いて
「すいません」と言う。おかつは怒鳴りたいところだが客の手前大きな声は出せない。
「今日はもういいから、お帰り」と言って二人にはお茶の仕度を言いつけて、客間に戻っていった。いとはぐずぐずと帰る仕度を始めた。そこに眼の縁を赤くしていた叔母さんがいとに近づき
「今日のところは帰った方がいい。またお客さんに顔を見られたら拙いからね。大丈夫だよ、明日出てくればそんなに怒られやしないよ」といとを慰めた。もう一人の叔母さんが言う。
「大丈夫さ、たかが屁をしただけなんだから、臭くはなかったよ」といって二人はまた笑いはじめてしまった。
 いとは気が進まぬまま、体を左右にゆすりながら、ぶらぶらと帰っていった。
 
 
 いとが雲居寺の前をふて腐れたように歩いていると、おさむが上から声を掛けてきた。
「いとちゃーん。どうしたの」という。
「うーん」と口をへの字に曲げて生返事である。
「早く帰れたんだから遊ぼう」と言われ、いとはそうだ遊んで行こうと思う。このまま帰ったら、事情を聞かれてまた叱られることに気がついたのだ。ここで時間をつぶせばいつも通りとなる。いとは境内に上がっていった。
 おさむは鬼ごっこがしたいというがいとは遣る気がしない。綾取りならいいといって、おさむに半端な紐を用意させた。いとは鐘つき堂の階段に座り、おさむは立ったまま、二人の身長を合わせて綾取りを始めた。
 暫くすると和尚が庫裏より出てきて、いとが居ることに気付いた。いとに近づくと優しい笑顔を見せながら
「おいとちゃん、どうしたんだい」と訊ねた。いとは
「うん」としか答えない。そこで和尚は
「わしにも教えてくれんか」と十本の指を立てて、二人に向って両手を出した。
「和尚さんが」と二人は口を揃えて、驚いた顔をする。
三人で綾取りが盛り上がってくると、和尚は徐に切り出した。
「おいとちゃん、どうして早く帰ってきたのか教えてくれんかのう」と下からいとを覗くような目をして、微笑みながら訊き出そうとした。いとは
「笑うから嫌」ときっぱり言う。和尚はたいしたことではなさそうだと安心した。今度は和尚はおさむに向って言う。
「笑ったりなんかするもんか、なぁおさむ」
「うん、笑わない」とおさむが応える。いとはそれじぁというように、ぼそぼそと話し始めた。しかし、いとの状況説明がおわり、
「立ち上がったら、その拍子に出ちまった」といとが言うと、和尚は少し緊張して
「何が」と心配そうに訊いた。
「屁、少し音がでかかった」といいながら口を尖らす。それと同時に、和尚の緊張の糸が切れて、ハハハと軽く笑ってしまった。その和尚の笑いを見て、おさむは大きな声で笑い出した。
「ほら、笑ったじゃない」といとは口を尚更尖らせた。和尚は直ぐに
「ご免、ご免」と言い、続けて直ぐに
「それで帰されたのか」と訊き、いとは頷いた。
「そんなもの気にすることはない。明日行って小言を聞けば終わりだ。昔から出もの腫れものところ嫌わず。といってな、お釈迦様だって屁もすれば糞もしたんだ。何んも気にするこたぁない。」と力を入れて言うと、今度はいとが和尚の顔を覗くようにしながら
「じゃあ、よしのさんもするのか」と訊いてきた。
「よしのさん」と和尚は訊き返した。
「旦那様のお嫁さん」
「ああ、あの美人のお姫様のような嫁さんのことか。する。でっかい屁だってする。」と力強くいうと、いとは
「本当か」と訊き返した。
「本当だ。この世には屁をしない人など居らん」ときっぱりと力を入れて答えた。いとは何故か安心した。ただ屁が出てしまった場所が悪かっただけのこと、笑われてもそんなに気にしなくて良いような気持ちになってきた。和尚もいとの気持ちの変化に安心して
「それじぁな」と言いながらいとに綾取りの紐を渡した。そして三歩ほど歩いて一度とまり、ブリッと屁だけを残して山門の方へと降りていった。
 
 
   五  祭礼
  七月十五日は山王神社(八坂神社)のお祭りの日である。この集落では天王様と呼んで親しんでいる。おそらく諏訪神社が移転したころには既にこの地にあったと思われる。
神社が移転することはその地域の信仰の中心が移ったことになる。小田原北条氏が滅び、戦乱は終わり城山の出城の役割も終った。そこで城山城下の中心集落には結束を保つため時代に沿わせた信仰が必要となる。武士の信仰から庶民の信仰に移すことである。それまでの信仰は光雲寺という曹洞宗(禅宗)の教えであった。そこでそのころこの地で最も盛んであった庶民信仰の諏訪神社を移転させることが必要だったのであろう。
しかし移転させられた集落にはその集落単位での結束を維持することも、また必要だったはずだ。そのための象徴として山王神社が祭られたとも考えられる。あるいはそれ以前からあったのかも知れないがいずれにせよ、それ以来、営々として祭りが続けられてきたことは間違いあるまい。
 祭りには集落の栄枯盛衰が反映されたであろう。いとが生きていた当時、それは大変盛んになっていた。
このころの天王様の祭りには根小屋囃子という独自の囃子も伝わっていて、ヒョットコ、オカメの踊りが一日中続いた。女工である嫁入り前の娘が大勢集まっている祭りなので、男たちがそれを目当てに集まってくるのは当然である。若い男女が着飾って集まれば否が応でも盛り上がるのは古今東西変わらぬ光景である。
 いとも施餓鬼祭りの時の三人組みで参加することになる。神社は集落の主要道路を見下ろすように祭られている。その道路に面して小屋があり、神輿などの祭礼用品が仕舞われていた。祭りのときはその横に櫓(やぐら)が組まれ、舞台が建てられる。その舞台の上ではヒョットコ、オカメの名人が踊り、その背後で小太鼓、大太鼓に笛の音が鳴り続く。舞台の下では老若男女が道路一面を覆いつくすように踊っている。 
 いとたち三人もオカメの面をお凸に載せて踊っている。その内の一人が急に恥ずかしそうな顔をして、それから後ろを向いて面で顔を覆った。面を被った娘はあとの二人から踊りながら離れていき、踊りの集団の中からもいなくなってしった。もう一人の娘がいとの浴衣の袖を引っ張る。
「いないよ」という。いくらいとでも察しはつく。施餓鬼祭りの帰りのことを思い出したのだ。二人は踊りから抜け出し、小屋の裏手に忍ぶように廻っていった。いとはそっと角から顔だけを出し確認した。そこには二人の男女の姿があった。いとは後戻りして、もう一人の娘の手を引いていく。
「いた、いた」と小声で手を引く娘に言った。
「大したことない」とまた小声で頷くと、もう一人の娘もいとの顔を見ながら頷いた。二人とも、にんまりして急いで踊りの仲に戻っていった。
 二人は踊りながら、これはという男を捜す。いとの捜している本命は施餓鬼祭りで逃した男前の安之である。しかしその男を連れてくる近所に住む三郎の姿も見えない。もう一人の娘が気に入った男が近づくと面で顔を隠す。男も面で隠すか目配せすれば相思となる。だが中々上手くは行かない。娘が面を被っても相手は知らぬ振り、相手が目配せすると娘が知らん振り。二人は疲れて踊りから離れて休む。最初にいなくなった娘が気になって小屋の裏手に見にいくと蛻の殻。とうに男女は連れ立ってどこかに行ってしまった。
 二人がまた踊っていると、何処からか三郎の声が聞こえる。いとは躊躇なくもう一人の娘に
「行って来る」と耳打ちして直ぐに行動を開始した。三郎に見つからないように面で顔を隠し安之を捜す。案の定、踊りの場から少し離れて祭りを見物する安之を見つけた。こういう時だけ、いとは何故か機転が利く。いずれ三郎と一緒に踊りに入るだろう。そして二人が離れた隙を狙うつもりである。
 そしてその機会は直ぐに来た。いとは踊りながら安之にわざとぶつかり、
「あ、安之さん」と面を外して偶然再会したかのように装う。しかし安之は直ぐに思い出さない。
「いとです」と前回あった時と同じ口調で言う。
「ああ」と思い出し微笑んだ。いとはすかさず
「踊りましょ」と言いながら、三郎の居る方とは違う方へと安之を誘導していった。いとはこの機会を逃すまいと夢中だ。
「あの笛を吹いているのは又一さん。上手でしょ」と話題などは何でも良いから話しを続ける。しかし直ぐにまた三郎が邪魔しに来るだろうから、その前に次の機会を確保しておきたい。
「ねぇ、諏訪神社のお祭りに来ない。お芝居が出るんだよ、有名だよ」と半ば強引な誘いである。返事は返ってこないがそんなことは気にしない。ただ彼のことを根掘り葉掘り訊いたら嫌われるだろうと、いととしては目一杯の気を使い、訊きたい気持ちを抑えてその話題には触れない。今は彼とこうして踊っていられるのが最高の歓びである。
 しかし歓びの時間は早く過ぎる。三郎の姿が見えた。二人で踊っているところに来たら酷く邪魔されるだろうと思い、
「ねぇ、八月二十六日、旗竿のところで待っているから」と言って返事も訊かず面を被って安之から離れた。三郎が安之の所に来て
「何だ、いとに掴ってたのか。あいつも可愛いとこあったんだ」と笑う。
 いとは離れたところで連れの娘と両手を取り合って、またもや子狐のように『やった、やった』と飛び跳ねている。
 
いとは目的を達成して満足である。しかしまだ諏訪神社の祭りで再開できるかどうか判らない。それでも女が押しの強い男に弱いように、男もまた押しの強い女には弱いものである。他に好いた同士の相手がいなければいとにも勝機はある。
結局、消えてしまった娘はその日、いとたちのところには戻らなかった。残る一人は相手を見つけることはできなかったが気落ちすることはない。集落毎の祭りは寺沢が最初なのだから、これからが機会を掴む時節である。
 
 
六  幽霊の話
  七月末になると蒸し暑さも最高潮である。蚕は暑さには強いがここまで暑いと流石に食欲は落ちて、育ちが遅れる。人も同様、動きも悪くなり、店も暇になる。そんな時、昼が過ぎても客が来そうもないのでいとはやることがなく早帰りとなった。帰り道は頭に手拭いを巻いて日除けとして歩く。若いいとにとってはさほど辛いことではない。むしろ楽しい帰り道だ。青山神社を横目に過ぎると木陰はない。一面桑畑である。南向きの長い斜面をいとは息を切らさず、童謡を口ずさみながらを登っていく。畑を過ぎて山道に入れば木陰があるので涼しくなる。ここからは尾根道で足が速い。直ぐにひょうでん丸の上に着き、そこからいっきに下る。ひょうでん丸の下にはいつでもきれいな清水が豊富に流れている。いとはここで一口水を飲み、汗で濡れている顔を洗う。冷たい水が気持ちよい。頭に巻いた手拭いを取り、顔から首周りを拭うと懐にしまった。このまま帰ればなにか手伝いをさせられるかもしれない。そう思ったいとは雲居寺に寄って、おさむと時間をつぶしていくことにした。
 
  松の枝で縁側には木陰ができている。和尚は暑くて畑にはまだ出られず、その縁側で横になっていた。傍ではおさむがつまらなそうに、縁側に腰掛け足をぶらつかせている。そして急に
「あ、いとちゃんだ」と叫んだ。おさむは満面の笑顔である。その声に和尚は横になった体を起こした。
「おお、いとちゃん。今日はどうしたんだ」と訊ねた。
「今日は暑すぎてお客さんが誰もこねぇんだ」と答えた。
「うーん、そうか」と深く息をしながら
「おさむ、麦茶を持ってきてくれんか」おさむは飛び上がるようにしてとりに行った。
「茶碗は三つだぞ」と和尚がいうと
「うん、分ってる」と奥から聞こえてきた。いとは踏み石に登り腰を高く持ち上げて縁側に座る。おさむは片手に鉄瓶を、もう片手には小さな盆に茶碗を三つ載せて戻ってきた。麦茶は生ぬるいが甘くてうまい。蒸し暑いときの渇きにはこれが一番よい。汗は噴出さず、体もだるくならないからだ。和尚がいとに麦茶を進めると
「頂きます。ああ、おいしい。大沢の清水よりもおいしい」といって笑う。
「もう直ぐお盆だね。和尚さん、忙しくなるね」
「今年はおさむがいるから助かるな、頼むぞ、おさむ」
「うん」と嬉しそうに返事をしたが何を手伝うかはまるで判らない。
「おさむ、お盆といえば」いとは怖そうな物言いで、おさむの方に顔を近づけ、手を前に出して手首から垂らす。
「ひゅーどろどろどー」という。おさむは少し怯えたような顔をする。
「幽霊が出るんだぞうー」
「ほんと。和尚さん、ほんと」とおさむはいとに返答してから、和尚に訊いた。和尚は軽く笑いながら答えた。
「見えない人には見えないが見える人には見えるんだろうな」
「和尚さんには見えるの」と今度はいとが訊く。
「見えん」とあっさり答える。
「なんだあ、和尚さんなら見たことあると思ったのに」とがっかりした顔をする。
「幽霊はな心の鏡に映って見えるんだ。だから見たい見たいと思っていると見えるかもしれんな」と和尚がいうと、いとがまた訊いた。
「じゃあ、和尚さんは見たくないの」
「そんなもの見たくない」と笑う。そして
「もっと他に見たいもんがあるからな」ともったいぶって応える。
「なに。それ」といとが言うと、おさむも知りたそうな顔をする。
「仏様じゃ」二人はなるほど、といった仕草で納得する。
「今見える」といとが訊く。
「見える」
「どこどこ」と二人はきょろきょろする。
「目の前にな」と言うと二人の動きが止った。
「心の目で見なければ見えんよ」と和尚は笑う。
「心の目かぁ」といとがつぶやく。おさむは腕を組み、偉そうに考える振りをする。それを見たいとが指でお凸を押して
「お前に判るわけないだろ」という。おさむは後ろにのけぞった。
「ねぇ和尚さん、どうやったら見えるようになる」
「簡単さ、そのまま放っておけばいいんだ。考えようとせず、見ようとせず、感じようとせず、何もしなければ心が自由になって、自然に仏様が見えてくるようになる」
「ふうーん」といともおさむも全く判らないという顔をしている。
「人はな、あれが欲しい、これが欲しい、ああもしたい、こうもしたい、あれは嫌だ、これは嫌だと考えてるから心の鏡が曇ってしまう。だから仏様が見えないんだ。そんなことは考えず、心がやった方がいいと言えばやればいいし、やらない方がいいと言えばやらなければいいのさ。心に素直になればいいだけだよ」と和尚は易しく言ったつもりだがいとには意味は理解できない。ただあれは嫌だ、これは嫌だ、の言葉だけが引っかかった。
「じゃあ、手伝いが嫌でも、手伝った方がいいのか」といとが和尚に訊いてきた。
「そうだな。手伝った方がいいという心があれば手伝えばいい」
「うん、そうか」いとは何か気付いたようすである。
「じゃあ仕方ない、帰って家の手伝いでもするか」といって晴れ晴れとしている。おさむがもう帰るのかと思い、遊んで欲しいという顔をして両手を開いて出してくる。いとはその手に自分の手を打ちつけ、
「せっせっせーのよいよいよい」と歌いだした。歌が一頻りで終わると
「和尚さん、ご馳走様。おさむ、またね」と手を振って家へと帰っていった。その姿を和尚は見ながら
「素直なよい娘(こ)だなあ」と呟いた。するとおさむは
「ぼくは」と訊く
「ああ勿論、お前も素直な良い子だ」と言うとおさむは喜んでいる。
 
 
   七  虫けらの命
  盆が過ぎて漸く暑さが和らいできたころ、冬野菜の種まきの準備である。和尚も境内から道に降りて、更にその下にある寺の畑を耕している。和尚は鍬を持つ手を止めて背中を伸ばし、片手で背骨の辺りを叩きながらゆっくりとあたりを見回した。すると散在の方から人が歩いてくるのが見える。どうやら歩き方からいとらしいと分かった。しかし帰ってくるにはまだ早い時刻である。そこえ石段の上からおさむが
「和尚さん、お茶」と大きな声をかけてきた。急須に茶碗そして、ふかし芋を盆に載せて石段を降りてくる。和尚は鍬を置き山門まで上がっていく。   
 山門は日陰になって涼しく、お茶をとるにはよい場所である。和尚は山門に着いたおさむに
「もう一つ茶碗を持ってきてくれんか」という。おさむは不思議な顔をしながらも急いで湯のみ茶碗をとりに戻った。
 いとが山門の前に現れた。丁度、おさむも湯のみをもってきたところだった。おさむは成る程という顔をすると、いとと合えて嬉しそうな顔に変わった。和尚はお茶をいとに勧め、三人は山門の下に座り込む。大きな薩摩芋を三つに割り、その一つづつをいととおさむに渡した。
「今日は早かったね」と和尚がいとに訊いた。
「ここのところずうっと遅くなるまで働いたから、今日は早く帰っていいと言われた」と答えた。しかし本当のところは上等なお客が来ていたので、またへまをされては困ると、おかつが気を使って帰したのである。
 お茶を飲み、芋をほうばる。沢風が山門に吹き込み、いとの髪を揺らし、和尚の襟が開き、おさむの裾がなびく。三人とも黙っているが心地よいひと時である。
 いとのふくらはぎに蚊のような大きな虫が留った。いとは蚊と思い、叩いて潰そうとした。
「これこれ、殺してはいけない。追い払えばいいんだ」と和尚が言う。
「どうして」といとは払いのけながら、不思議そうに和尚に尋ねる。
「それはな、同じ命だからだ」と諭すように答える。
「いとの命も虫の命も同じ命だ。兎角、人というものは自分の都合ばかりを考えて他の命を気にしない。だがな、虫にも命があってわしらと同じ時を生きているんだよ。必要もないのに殺すのはよくないことだ。必要になれば殺さなければならなくなる。お蚕も、糸を取り出すときに殺さなければならないだろ。」
「ふうん」いとには言っている言葉はわかるのだ意味は皆目解らない。それを察して和尚は続ける。
「今しかない命は大切だ。だから食べるのに必要な分だけ殺せばいいんだ。それ以上に殺す事はない。」
「うん」と相槌だけを入れる。
「わしらは魚を食べる。何度も何度も食べる。魚は川の虫を食べる。何度も何度も食べる。だから一つの命はたくさんの命で支えられているんだよ」
「うん」ここはいとでも理解できたようである。
「命を大事にすればたくさんの命を支えられる。たくさんの命があればわしらもたくさんの命で支えてもらえる。分かるかな」
「うん、うん」
「ははは、難しいことを言ってしまったな。まあ、良い事をして、悪い事をしないことだ。殺すことのない虫を殺しても良い事ではあるまい」と言って、和尚は首を斜めにしながらいとの顔を見た。
「何となく分かった」といとが応える。
「余計な殺生はしないのが一番」と和尚が言うと
「そうだわ、そうだわ」とおさむが頭を上下に振りながら調子を合わせる。いとは立ち上がって両手でおさむの頭を押さえ
「お前に分る訳ないだろ」といいながらおさむの頭を大きく前後にゆする。おさむはまたそれに合わせて
「そうだわ、そうだわ」と言う。これにはいとも堪らず笑い出す。そして三人とも大笑いを始めてしまった。
 山門の上の桜にとまった油蝉が痛いほどの声で鳴きだした。和尚は畑に戻り、いとはおさむに手を振って帰っていった。
 
 
   八  再会
  いよいよ諏訪神社の祭りの日が来た。下働きからは神社の祭りに行くと言うと少し早めに帰してくれた。まだ明るいうちに家に着こうとした時道で三郎が待っていた。
「いと、安之はもてるんだからな。お前なんか相手にすんか分かんねぇぞ」と言ってきたが
「ふうん」と、いとは当然という顔をしている。
「だから、今日だって来るかどうか分かねぇんだぞ。いいな」と言って三郎は行ってしまった。三郎なりに、いとが振られたら可哀想だと思ったのであろう。いともそこは何となく気がついた。だがいとは振られることなど全く気にしていない。そうなったらそれまでだと思っているのである。
 いつもの三人組みで暗くなる前にそそくさと出かけていく。約束の旗竿の横で三人は駄菓子を食べながら相手が来るのを待っている。暗くなり始めたころ、男の子が三人の方をちらりと見て、鳥居を潜って境内に入っていく。三人のうちの一人の娘が慌ててその後を追いかけていく。
「じゃあね」と手を振り、いとたち二人も小さく手を振る。
 すっかり暗くなって芝居が始まり出したころ安之は現れた。提灯の明かりなので暗くてよく見えないが月明かりが手伝ってくれて顔の輪郭で判った。連れは居なかった。
「こっち、こっちと」と声をかけ、いとは走り寄って神社の境内へと案内する。鳥居の先には出店が並び明るい。顔も確認できる。まずは立ち見で芝居見物だ。
 いとの連れの娘も知り合いを探して、一緒に芝居見物である。この神社での祭りは若い二人が寄り添うには最善の場所だ。出店と芝居小屋周辺以外は人は少なく提灯も少ない。そして巨木の杉がまばらに立っている。その巨木の裏に廻れば誰からも見られない。
 いとは安之と芝居を見ているだけで胸が一杯である。それは夢の中で幸福を味わっているような気持ちである。芝居の内容など全く解らないがそんなことはどうでもよい。今は下に見える安之の手で自分の手を握ってもらいたいだけである。寄り添っているだけでは幻で終わってしまうような気がするからだ。芝居の流れが一区切りついたところで、いとは本殿に御参りしようと誘う。
本殿前には手摺のない急な石段がある。勿論、足元は提灯でよく見えるようになっている。普段のいとならこの位は駆け上がれる。それが何故か怖いと感じた。それまで安之を先導していたいとが急に安之を前にすることになった。先に階段を踏んだ安之が階段を怖がるいとに手を差し出した。いとの胸が高鳴った。手を引かれたとたんに、このまま極楽まで登っていけるような気がした。手の感触が堪らなく愛しくなる。石段の一段一段に幸福を感じるのであった。このまま永遠に階段を登り続けたいとも思った。
二人で本殿の前に立つと、いとは『これはきっと神様が導いてくれたんだ』と思う。
そして鈴を鳴らしお祈りをする。神様に感謝し、安之との付き合いが続くことをお願いした。
芝居を見に戻る途中で巨木の裏に廻るがそこには先客がいた。そ知らぬ振りをして次の巨木の裏に行く。そこは空いていた。
 いくらいとでもこの場ではしおらしく下を向く。しかしそれでもいとはいとである。安之の手が見えると、その手をそっと握りもう離さない。そして二人はゆるりゆるりと会話を始めた。
 芝居が終わりかけたとき安之が言った。
「暫くは逢えないけど正月には三郎の家に行くから、その時また逢おう」
そう約束したのだ。いとには長い長い月日と感じるが約束は神様の庭でしてくれたことである。絶対に嘘はないと信じられる。それだけで今のいとには充分である。まだ安之の傍にいるのに、正月が待ち遠しく感じてしまういとである。
 
 幸福と感じるほど時間は早く過ぎるものだ。芝居が幕となり、皆が帰りはじめる。いとも旗竿の前に集合である。三人娘のうち一人はまだ来ていないが三郎が隣に居る。いとは慌てて安之に『先に行って』と言って
安之と三郎が話し始めたところで出て行った。三郎に何か言われそうな気がしたのである。しかし三郎はなにも言わず安之と共に先に帰っていった。
 直ぐに三人目の娘が嬉しそうな顔をして出てきた。そしてにこにこしながら言う。
「見たよ、いと、二人で目の前通ったでしょ」と言うのだった。
木の裏の先客は彼女たちだったのである。
 
 
   九  障子の穴
  彼岸も過ぎてすっかり涼しくなったころのことである。いとはいつもの通り問屋でおばんし(炊事)をこの近くの家のときさんと二人でしていた。すると表から怒鳴り声が聞こえてきた。どうやら商売で揉め事が起きたらしい。おかつが対応しているがおかつには商売の事情は分らない。ひとまず主が帰ったら伝えると言ったが聞き入れられないらしい。憤懣やるかたない客は今にも暴れだしそうである。そこでおかつは店の手前もあるので、新造が帰るまで座敷で待ってもらうことにした。下働きのいとら二人を呼び急ぎ座敷の準備をさせると、客を案内した。しかし客の剣幕に動じる風はない。直ぐに使いの者を出すから待っていて欲しい言って出てきた。下働きの二人にはお茶を出して置くように言って、自分は使いの男を捜しに出ていった。
いとが急須に湯を注ぐと、ときは急いでその急須から湯のみに注ぐ。湯のみを盆に載せ恐る恐る客に出しに行った。客は興奮しているためか出された茶をまだ熱いだろうに一口で飲み干してしまう。怖くて客の目を見られないときはそのまま、そそくさと炊事場に戻ってきてしまった。
 四半時(三十分)も経つのにおかつはまだ戻らない。工場で使いの遣り繰りをしているのだろうか。座敷では客が苛着いて
「まだかぁ」と怒鳴る声がする。ときは困った、困ったと言いながら
「そうだ、もう一杯お茶を出そう」と独り言のように言った。直ぐに茶を淹れ客間の前まで来て障子を開けようとしたときである。客が座卓を大きな音をさせて叩いた。ときは驚いて茶碗をひっくり返してしまい、その弾みで障子は濡れて親指ほどの穴が開いてしまった。
「すいません。すいません」といって慌てて近くの雑巾をとり出して床を拭くと炊事場に戻ってきた。
「いとちゃん、すまないけど、あんたお茶を出してきてくれないか」と訊く。いとは頷く。
「あたしは手が震えて行けないよ」というのだ。いとはもう一度茶を淹れて、恐る恐る近づいた。障子の前まで来たとき、中の様子が気になって、先ほどお茶で開けてしまった穴からそっと中を覗いて見た。すると客と眼が合ってしまった。客は血相を変えて怒り、立ち上がって勢いに任せて障子を開けた。
「何の積もりだぁ」といとに向って大声で怒鳴った。いとは動けない。眼を真ん丸くしてのけぞってしまった。丁度そこへおかつが戻ってきた。おかつは客の振る舞いに怒りを覚えたがそれを抑えて客の目の前に立ち、毅然とした態度で言った
「お客さん、年端も行かない娘を怒鳴るんですか」
客はいとを見て跋の悪さを感じた。いくらなんでもこんな小娘を怒鳴ったのでは大人気ないと思ったのだ。客はそそくさと元の場所に座った。ときさんはいとの袖を引いて炊事場に連れて行く。
「すまないねぇ、怖い眼にあわせちゃって」とときはいかにも済まなそうだった。
「ああ、驚いた」といとは胸元を撫でている。ときは座り込んでしまう。いとは出がらしのお茶を二杯注いで一杯はときに渡してやった。もう一杯の茶を飲みながら
「ほう」といい、ときの顔を見て笑った。
 おかつはそのまま障子を閉めて、客と話を始めた。今度は客の大声は聞こえない。
 暫くして主の新造が帰ってきた。最初は話が違うと言って揉めていたが最後には不満ながらも納得して帰って行ったようだった。
 その後、新造はおかつを呼び話し始めた。客が障子の穴から覗かれたと話したのである。またいとだと訊いて腹を立てていた。いとに暇を取らすようにおかつに言ったがおかつは全く取り合わない。おかつはいとを庇っているわけではない。暇を出すほどのことではないと思っている。このくらいのこと、どこの小娘でもやっていることだと言うのである。
しかし新造には商売の足を引っ張る憎たらしい小娘と思えてきたのである。自負心の強い新造は一旦そう思えてくると、どこまでもそう思い込む。強い自負心は自分に逆らう相手と決めてしまうと、その者を決して許そうとしない性格を生んでしまうのである。
 
 
   十  空を飛ぶ
  秋が深まり始め、夕暮れは釣る瓶落とし言うが確かにお日さまが山に隠れると時をおかず空まで暗くなる。このころはまだこの地に電灯はきていない。暗くなると仕事は仕舞いとなる。いとの帰りは早められ、早足で帰るがそれでも暗がりのほうが早い。家に着くころには真っ暗である。家の中は囲炉裏(ひじろ)の炎と火皿に点した明かりしかない。日の出も遅いから暗いうちに家を出て明るくなり始めたころには問屋に着く。
 
十一月三日は天長節で問屋も閉め、休みである。家の手伝いもしなくてよいので小春日和というのに、いとにはやることがない。日差しが強まってきたところで寺に行った。ここのところ和尚にもおさむにも会っていないからである。
 境内では和尚とおさむが落ち始めた木の葉を掃き集めていた。
「おさむー、元気」といとが遠くから声をかける。
「あ、いとちゃんだ」とおさむは和尚に向って言った。
「今日は祝日だからな、まだ早いがお茶にでもするか」と和尚はおさむに言う。
「うん」と返事をしていとに駆け寄り、手を掴んで振り回す。
「和尚さんが今日は祝日だからお茶にしようって」おさむは庫裏の方にいとを引っ張り、途中から自分だけ駆け出し、お茶の用意に行った。
「和尚さん、しばらく」
「しばらく見なかったね」
「うん、直ぐ暗くなっちゃうから」
「そうだな、この下を通るのは暗いうちだからな」といって二人は縁側に座る。和尚は奥に向って
「饅頭も持ってきてくれんか」という。檀家で祝い事があり、わざわざ持って来てくれたものである。
 お茶を飲み始めると、いとはおさむに向って言った。
「東京でね、飛行機が飛んでるのが見えたんだって。人間を乗せて空を飛ぶ機械なんだよ。知ってる。」
「うん、知ってる。聞いたことある。見たいなぁ」
「ねぇ、見たいね。あたしも一度でいいから空を飛んでみたいな」と言って今度は和尚の方を見て
「和尚さんも飛んでみたい」と訊く。和尚は首を横に振りながら
「いいや、わしは時々飛んでいるからな」と関心のなさそうな顔をする。「えぇ」と二人は一瞬驚いたが直ぐに怪しそうな顔になる。すると和尚は平然として正面の寺向こうを指しながら
「この前はあの赤松の上あたりから城山の上まで飛んだ。その前は金丸を越えて荒川まで行ったぞ。いつぞやは小倉山の上を廻って帰ってきた」と至極真面目に応える。いとは笑みを浮かべながら怪しいという顔で
「本当」と訊く。
「本当さ、嘘なぞ言うものか」といたって平静に応える。
「どうやって飛んだの」
「心で飛んだ」
「なんだぁ、やっぱり夢かぁ」と微笑んだ顔でいとが言う。
「夢などではない。本当に飛んだ」
「じゃあ、どうやって」
「ふうん、人はな、見るも聞くも触るも心で感じている。だから心を閉じれば何にも感じることができない。その代わり、心を大きく開けば今よりたくさんのことを見ることも聞くことも触ることもできる。普段はな、体を通して感じているから、それ以外は感じることができないだけだ。分るかな」といとに微笑んで訊き返してみる。
「ふん、何となく」と分るような分らないような気持ちであるが本当は皆目解らない。それでも構わず和尚は話を続けた。
「だからな、心を体から自由にしてやればいいんだ。そうすれば心は行きたいところ行き、聞きたいものを聞き、触れたいものに触れられる。空を飛ぶこともできるし、川の底に潜ることもできる。遥か遠くにだって行ける」
「ふうん」と全く分らない風である。
「今日は陽気がいいから、いとちゃんなら飛べるかもしれないぞ。やってみるか」
「うん」といとは半信半疑でも興味の方が強い。
「おさむも一緒にやってみよう」と和尚が誘う。
「うん」と話に入れなかったおさむも喜んだ。
 和尚は縁側に腰深く座るように言い、背筋を伸ばさせる。手は軽く合わせて太腿の間に置き、ゆっくりと目を瞑らせる。それから丹田で呼吸をさせ、心は放っておけと言う。落ち着いたところで薄目を開けさせた。
 陽気は眠くなるほどにゆったりしている。空では鳶(とんび)がピーヒョロロと気持ちよさそうに鳴いている。和尚は呟くように、
「あの鳶になってみるか」と言う。
 するといとの心は鳶に集中していく。空中で鳶をみている気持ちだ。次第しだいに鳶に近づき、ついに鳶の中に入ってしまった。翼で風を受ける感覚が感じられる。青い空のなかに真っ白な筋雲が見える。風を受けて旋回すると次々と山が見えてくる。そのまま下に向いてみると寺の屋根や境内の大木が小さく見える。旋回するたびに屋根や木が小さくなっていく。正面には城山の頂が見え、その横には峰の薬師が見えて、その下の荒川域には青くきれいな三工区が一望できる。
真下を見れば金丸の畑道を米粒のような大きさで、だれかが歩いている。翼の力を抜いて風を逃がし、高度を下げてみる。久米の爺さんだ。今度は川に向ってみる。沢風が西から吹いてくる。それに逆らって寺の方へと向ってみると、小僧が鐘を打つところだ。
鐘の音が聞こえ、目の前には松の枝があり、庭がある。いとはここに居たことに気がつき、ここに居なかったことにも気がついた。横を向いて和尚をみると、微笑んでいる。
「空は飛べたかな」と訊いてきた。
「飛べた。心って凄いな」と言って縁側から飛び降り、おさむの鐘つきを手伝いに走って行った。
 
 
    三章  変調
   一 
  寒さが増していくと共によしのの体調は悪化していった。殆ど寝てばかりとなってしまった。今までも医者を探しては見てもらっていたのだが病名はその都度違い、一向によくならない。一時的にはよくなることがあるのだが暫くすると悪化してしまう。
横浜での知り合いに漢方のよいところあるというので、そこで勧められた熊胆(ゆうたん)という漢方薬も飲ませていたが効き目は現れない。高くても構わないからといってもう何年も飲ましているのに、一向によくならないことに腹を立て、新造は漢方医に食って掛かった。しかし漢方医はこういうことには慣れている。では月の輪熊では効かないのでしょう、と言い羆(ヒグマ)の熊胆を渡した。これは特別高いのだが同じ値でいいと言うのである。もしこれが効かなければもう他に漢方薬はないと止めの言葉を付け足した。
春先から飲まして少しは良くなってきたと思っていたところ、ここにきて急速に悪化してしまった。もう良い手立てがない。新造の落胆は大きい。横浜にいても商売に気が入らない。自然、仕事が終われば気晴らしに呑みに行くようになった。
そんなある日、新造が呑んでいるところに猟師くずれと言う男が現れた。彼は山で猟師をしていたが獲物が減ってしまって食えなくなったので横浜に出てきたという。話を訊くと熊胆のこともよく知っていた。その取り出し方から乾燥の仕方まで事細かく説明する。効能は万能だと自慢した。
そこで新造は知り合いの嫁のこととして、熊胆を飲ましているのにちっとも効かないという話をした。相手は慌てるだろうと予想したが案に図らず、彼は困った顔一つ見せずより真剣な顔になった。
「旦那さん、そりゃあいけねぇ、いけねぇなあ。そりゃ相当わりいんだなぁ。」と言いながら新造の顔を見て反応を確認する。眼は睨んでいる。これは拙いと察した男はすかさず
「熊の胆が効かねぇとすると、もうあれしかねぇなぁ」と口から出任せを言った。もともとみんな聞いた話に尾ひれをつけているだけである。
「あれって何だ」と新造がきつく訊くと
「そりゃあ、ちょっと」ともったいぶる。新造は酒を注いでやる。するとあたりを気にして、急に小声になる。
「そりゃあ旦那、売っちゃあいけねぇもんですよ。後ろに手が廻ります。」
「だから何なんだ」小声だが苛ついた声で訊く。男は仕方なさそうに
「そりゃあ、人間の胆ですよ」と更に小声で言った。新造は嘘だという顔をして
「ふっ」と言いながら横を向く。
「いやいや、だんなぁ」と言いながら男は続けた。
こういった時のこういう男は実に口が上手い。ありもしないことを如何にも実際に有ったように話す。猟師の間では常識だと言ったり、若ければ若いほど良く効くなどと言う。昔の公家ではそういった病になると貧乏な百姓から子供を買ってきてはそうやって治したなどと聞いたこともない作り話を聞かせ、それが証拠にこんな昔話があると、さも在りそうなことのように話すのである。
 傍で聞いていればよくぞそこまで呆れた嘘が出てくるかと思うのだがまともに聴いている新造にはその分別がなくなっていた。羆の熊胆が効かなかった衝撃と妻を亡くしてしまうという恐怖が新造にまともな判断力をなくさせていた。
加えて致命的であったのが彼の性格形成である。彼の異常に強い自負心は彼に反する意見をするものを敵とみなし、たとえそれが正しかったとしても二度と味方とみることはなく、悪として排斥しようとする。一方、己の自負心をくすぐる者はどんなに稚拙で愚かであっても味方と思い、無意識のうちに信じようと思うのである。彼は意識しないうちに元猟師を信じようと思ってしまったのである。
この元猟師のような類の男は良心を持たないが故に、実に巧みに自負心を高揚させられるからであった。強い自負心は味方か敵かで、信じるか信じないかを決めてしまうからである。
 
   二 追い剥ぎの依頼
  新造はその後もこのことを考え続けていた。こんな話を他の誰かに話せるわけもなく、一人で考え続けた。それも元猟師の話しを一度も疑っていない自分に気付くこともなく。
一人で考えれば考えるほど自分が望む方向、よしのを熊胆で快癒させることしか考えられず、視野は更に狭くなる。自縛に嵌り考えを広げられない。それでなくても商売の鬱積が堪っている。自負心が逆に焦りを生み、時間が経てば経つほどに彼は決断のできない自分を責めたててしまう。何でもいいからこの追い詰められた状況から逃れたくなった。そして彼は何も考えを整理できないままに決断を下してしまった。
下民なら誰でもいいから殺して肝を取り出し、よしのの病気を治そう、そう思ってしまったのだった。
そして下民などに命の価値などないと、自分に言い聞かせると、なんの抵抗もなくその通りだと感情は応えた。彼の差別感が犯罪を助長してしまうことになった。差別は状況により殺人を正当化してしまう。
妻であるよしのは彼とってはその気品が自分の尊厳であり象徴である。だから、よしのが回復すれば全てが解決するように思えた。それは根拠のあるものではなく、感情からきた漠然とした思い込みだ。自分のこの心情の辛さはよしのの病からきていると思っていた。彼の自惚れは万物によって人も己も生かされていることを知ろうとしない。その心根から心情の辛さが来ているとは悟れない性格となっていたのだ。
 
正常な判断能力を失っている新造は人の胆嚢をよしのに与えれば病は快癒すると思い込むようになっていた。自滅の心身状態では最早その道しか残されていなかった。ただひたすらに犯行の実行方法だけを考え始めた。そんなとき彼にとっては役に立つ男がいた。与七である。
例の魚臭い呑み屋に向った。あいにく与七は居なかったが店には言付けを頼んでおいた。
聞き耳の早い与七は翌日には顔を出した。話は呑みながらすることにした。
人の胆が欲しいと言うと与七はさほど驚きもしないで了解する。その理由も聞こうとはしない。彼にとっては仕事さえ貰えれば理由などどうでもよいのである。『どうせ金のある連中のことたぁ理解できねぇ』と思っているからである。しかし『人をヤルだけなら簡単だが胆をとるとなると面倒だ』という。時間もかかれば足も付く。『横浜じゃやりたくねぇ』というのだ。与七の条件は横浜以外なら、『人目に付かなければ何処でもいい、誰でもかまぁねぇ』と言うのである。
新造はしばし考えた。横浜で駄目なら津久井かと。そこで思い浮かんだのがいとである。しかし幾らなんでも下働きの女では跡が付くと思った。他に良い手はないかと考えたが思い浮かばない。
新造は恵まれた環境でここまで生活してきている。だから今だかつて犯罪を起こそうなどと考えたことは一度もない。増してやこの犯行をしようとする考え事態、短絡的なのに、そんな新造に妙案など出てくるはずがなかった。
新造は考えあぐねて、自分が依頼している犯行と判らなければ露見はないだろうと考えた。余りにも浅はかである。その浅はかさを認めないのは強い自負心である。
彼の置かれた境遇がそうさせているのではなく、彼の情がそうさせていることに彼は全く気付かない。それはその情をくみ上げてくれる相手が誰一人いなかったためである。人と人の繋がりを自ら切っているためである。強い自負心を持つ目上の相手には、人は情では繋がらず、利得でしか繋がらない。情を諭す目上がいなければ誰も蛮行は抑止できない。
 
   三 犯行
  木枯らしが吹き始めたころにそれは決行された。新造は与七に犯行の時刻と場所、そしてその後の引渡し場所を地図に書いて渡し、小倉の宿に待機させておいた。都合が悪くなったときのためである。
そしてついに当日がきた。それでも新造には罪悪感が湧いてこない。裕福でない彼らは自分たちと同じような生きる価値は持っていないと思っていたからだ。身分差別の観念と強い自負心が結びつき、情性が働かないのである。
その日は客の少ない日を選んだ。おかつを休ませるためである。指図は新造が出していた。そして日が暮れるにはまだ早いころに、今日は客が少ないからもう帰っていいと言って、いとを帰らせた。
いとには疑うことも怪しむことも何もない。ましてや自分が殺されようとしていることなど察しようもなく、喜んで帰る。いつものように青山神社のわきを抜けて長い坂道を登る。途中、信玄道を横切り童謡を口ずさみながら更に登る。今日は明るいうちに家に着けるから、和尚とおさむにも会っていこうと思う。
 
与七は村の人達から怪しまれないように三ヶ木(みかげ)方面から峠道に入った。もとより地元の人しか使わない道である。ここからなら人目は少ないと新造から教わっていた。いとが来る道を確認し、峠の分かれ道より少し手前の樫と柘(つげ)の茂みに姿を隠した。合流点を過ぎたら後ろから襲おうと考えたのである。
 そんなこととは知らず、いとは峠に向って歌を口ずさみながら歩いてくる。与七は息を殺し、磨いておいた小刀を鞘から抜いて握り締める。
 いとが分かれ道を過ぎたとき、後ろからガサガサと大きな獣が出てくるような音がした。後ろを振り向けば異様な男がこちらに向って走ってくる。いとはギャーと叫び走り出した。しかし走りに乗っている男の方が早い。後ろから背中を突き飛ばされ、前にうつ伏せに転んだ。いとが起き上がろうとした瞬間、男は馬乗りになり、いとの髪を左手で鷲掴みにしてグイと引き上げた。いとの首が前に突き出るようになった。そこを男の右手に持つ小刀が一気に引き裂いた。グェッという声とともに大量の血が道の先えと吹き飛んでいく。
 血が噴出すと共にいとの意識は急激に薄れていき、そして事切れた。手足だけがビクリピクリと動いている。
 与七はその姿をみて、猟師が獣を射止めたときのような歓びの顔をする。いとの体を起こし、仰向けにして前を開く。まだ滴り出てくる血で、いとの白い肌は真っ赤に染まった。
 与七は躊躇(ためらい)いもなく、いとの腹を十文字に切り裂く。切り口からはまだ多量の血が染み出てくる。その切り口から臓物を手で鷲掴みにして引き出し胆嚢を捜す。見つけるとそれを切り取り、用意しておいた油紙に包み大事そうに懐にしまった。引き出された臓器からは湯気が上がっている。
 立ち上がった与七はニタリとして死体を見てから離れた。熊笹の葉を採り手と小刀の血を拭った。この時間にはこの峠を通る者は誰もいないと訊いていた与七には余裕があった。もう直ぐ暗くなり、そうすれば朝までは発見されないと思っていた。いとの死体を沢の下へと転がしたが直ぐに雑木の根元に引っ掛かってしまった。構わずそのままにして、直ぐに待ち合わせの場所に向った。
 
  和尚は掃いても掃いても落ちてくる落ち葉の掃除をしていた。少し土より出ている石段の石に下駄が躓き足をひねってしまった。強くひねったわけでもないのに、やけに痛い。いやな気分が込み上げてきた。足を摩りながら歩き石段の脇の石に腰掛けた。嫌な事が起きなければいいがと少し不安になった。
 足の痛みが消えたころになって、ひょうでん丸の上空で烏が一羽、異様な声を出して飛んでいる。やがてあちらこちらの尾根影から烏が集まってきて鳴きだした。それは今まで聴いた事のない異様な鳴き声だった。
 和尚は先ほどの嫌な気分を思い出し、おさむに烏が騒いでいる辺りの様子を見てきてくれと頼んだ。おさむはそのまま走って行った。
 おさむがひょうでん丸に登りかけたころ、畑に野菜を取りに来ていた近くのおやじが異変に気付いて和尚のところにやって来た。
「和尚、あの烏鳴きはなんだんべぇ」と不安そうに訊く。烏は人が死ぬと異常な鳴き方をすることを知っていたからである。
「わからんなぁ、今おさむに見に行ってもらっている」と和尚は振り向かず、ひょうでん丸をみている。和尚はおさむが心配になってきた。
「じぁ、おれも見に行ってみべぇ」
「頼みます」と和尚が言うとそのおやじは早足でおさむの後を追った。
 その男がひょうでん丸を登りきるところで、奥から勢いよくおさむが走ってくる。何か話した後、親父は走り出し、おさむは駈けてこちらに向ってくる。
 その様子を見ていた和尚は急いで境内の東の隅に行き、集落の家に向かって叫んだ。
「誰か来てくれんかー、」と何度も叫ぶ。
丁度庭に出ていた者が和尚の異様な声と様子に気が付き、集落中に振れ回らせることとなった。
 和尚はわらじに履き替え、準備した。おさむが息を切らして着くと和尚にしがみつき震えている。
「おお、可哀想に、可哀想に」頭を撫ぜ抱きしめる。和尚は何か恐ろしいものを見たと察した。そしておさむに見に行かせたことを悔やんだ。
 村人の何人かがそこに駆けつけてきた。
「和尚さん、どうしたんだ」
「わからん。なんか酷いことがあったらしい。あんたらも見に行ってきてくれんか。あの烏が鳴いていたところだ」と和尚は指差す。烏は駆けつけてきた男を警戒して、先ほどの場所からは遠ざかっていた。
「じゃあ行ってみべぇ」と三人が走り出した。
 和尚は誰か女しがこないかと待った。そこに一番近くの家のおばさんが来た。和尚はおさむを抱いていてやってくれと頼む。
「どうしたんだね」
「何か恐ろしいものを見てしまったらしい」とおさむをおばさんに預けると、おさむはおばさんにしがみついたまま、振り絞るように声を出した。
「誰かが死んでた。おねぇちゃんみたいだった」そう言うとおさむは大きな声で一気に泣き出した。
「ひぇー」とおばさんは驚きの声をあげ、おさむを強く抱きしめた。
和尚はまさかと思い、しばし呆然とした。しかし気を取り直し他の男しと共に山に向った。何かの間違いであってくれと祈りながら。
 
  峠では先に行っていた集落の男が事態を把握していた。余りの残酷さに、いとの遺体の上には自分の上っ張りを掛けて隠した。三人が合流すると先に来ていた男が上ずった声で状況を説明し、自分が警察に行って来ると言って、峠の道を中野の警察に向って走っていった。当時、中野には八王子警察の支所が置かれていた。
 暫くして和尚も来た。和尚の姿を見て一人の男がいとだと言って、道から二軒ほど下がったところの雑木に引っ掛かっている遺体を指した。そして上っ張りの顔の部分を剥いで見せた。和尚は仰天して声も出ない。喉もとが真っ二つに裂かれていたからだ。やがて
「はあぁー、無残やな、無残やな」と何度も何度も繰り返し、大粒の涙をぼろぼろと流しながら経文を唱え出した。和尚の経文を唱える声はいつまでも、いつまでも峠の道に悲しみを響かせていた。
 
  新造は青山神社を超えた裏手で誰にも見られないように与七を待っていた。与七は犯行を終えると直ぐに、いとの登ってきた道をこちらに向って降りてきた。神社の裏手近くまで来ると高木でできた暗がりを探し、そちらに向った。暗がりの中に新造が待っていた。与七は
「上手く遣りました」と薄笑いを浮かべ、懐より血だらけの油紙に包んだ、いとの胆嚢を取り出し渡した。
「よく遣った」とその包みを新造は受取ると、たんまりと金の入っていそうな包みを今度は与七に渡した。与七はその包みを懐に仕舞い、直ぐ傍を流れる小さな沢水で手と顔を洗った。新造は手拭いを渡してやった。手拭いには洗い落とせなかった血が付いた。
 「もう直ぐ暗くなるから暗く成り出したら人目につかぬように行け。途中、金があるからってどこぞによらず、真っ直ぐ帰れ」と新造が言う。
「判ってますよ」と与七はにやついて言う。
 
新造は人目がないことを確認して何食わぬ顔で店に帰った。店では誰にも見せぬよう元猟師が言ったように包丁で胆嚢の一部を切り出し、小皿に少量を乗せて白湯と一緒によしのの寝屋に持っていった。
よしのは半身を起こし、いつもの熊胆と思い小皿に手を出そうとした。その時、
「ヒィー」と小さな悲鳴をあげ手を素早く引っ込めた。
「これ、これは何ですか」
「これは最高級品の熊胆だ。これを飲めばお前の体も必ずよくなる。さあ飲んでくれ」と小皿をよしのの目の前に差し出した。よしのはそれを見るなり
「ヒエーイ」と絶叫とも思えるような悲鳴をあげた。震えながら後退りして行き、今にも障子を突き破りそうである。
「お前のためにやっと手に入れたんだ。飲んでくれないか」と新造は懇願するような声でよしのに言う。
 よしのは生肉など口にしたことはない。増してや内臓など見たこともない。乾燥してある形のわからない熊胆ですら気分が悪くなるのを、新造の思いを察して我慢して飲んでいたのである。
「止めてください、止めて」と叫び恐怖の余り、障子に顔を押し付けて逃げ出そうとする。よしのの眼にはその肉片がおぞましき妖怪のように見えているのである。さもあろう、その肉片は先ほどまでここで下働きをしていた娘の内臓なのだから。
 新造はそれ以上、勧められなかった。そして呆然として、全てはよしののために遣ったのに、そのよしのは死ぬほどにこの塊を恐れている。これ以上勧めれば余りの恐怖で死んでしまいそうである。
死ぬほど嫌がるそんなものを、どうして殺人を犯して手にいれ、飲まそうとしているのか。自分の遣ったことは何だったのか。そう考え始めた。
その時、心の片隅から聞こえてきた。『お前は人肉をよしのに喰わせるのか』そうだ俺は人の肉をよしのに喰わせようとしている。なんとおぞましいことか。そして、如何してだろう、如何してこんなことをしていると考え出したのである。しかし理由が思い浮かばない。
 新造は小皿を持ち、すっと立ち上がり何も言わず部屋を出て行った。目は焦点が定まらない。書斎に入り小皿を文机の上に置く。そしてやっと戻ってきた正常な心境で遣ってしまったこともう一度考えてみる。
 全てはお仕舞だ。終わってしまった。全てを失っている自分に気付きだした。取り返しのつかないとんでもない重罪を犯してしまった。妻も家も名誉も財産も、もう自分には何もないと。生きていくこともできないとそう思えてきた。
 
  表からシャカシャカと金属音が近づいてくる。そして激しく表の戸板を叩く音がする。下男が出て戸板を開けるとそこにはサーベルを腰に下げた警官が二人立っていた。その背後には数人の村人が提灯を掲げていた。
「主人はいるか」
「はい、居ります」と下男は怯えた目付きで主人を呼びに行こうとすると、警官はそのまま上がりこみ付いて行った。
 書斎の障子を開けると新造が文机の前に呆然として座っている。警官が文机の上をみると小皿がありそこに小さな肉片が乗っている。警官はその小皿をとり観察する。
「他の臓器は」と重い声で言う。新造は小引き出しの方に視線を向ける。
もう一人の警官がいくつかの引き出しを引き、血の付いた油紙に包まれたものを見つけた。
「お前だな」と言われ、新造はこくりと頭を落とした。
 
  当時の警官は優秀である。権限も現在とは比較にならないくらい持っていたから、乱用されたら大変である。そのためしっかりした判断力を有する者しか採用しなかった。
 殺人現場に駆けつけた警官はその異常さから、何かの臓器が切り取られていることが直ぐに判った。被害者が糸問屋に通っていて帰りが早すぎることも、この道が地元の人しか使わないことも、その場にいた村人から聴いて判った。
 犯意は判らないにしても、犯行は糸問屋の主人が絡んでいるであろうことは直ぐに推察できた。
 新造のその場での供述から実行犯も翌日の朝には捕まった。支所にある電話で連絡を入れ、横浜に帰る道で待ち構えていたからである。そうとは知らない与七は油断していたのである。
 
 
    終章
 
  集落の殆どの人がその峠に集まり悲しみ、いとの供養した。犯人は捕まり罪を償うが、いとは戻らない。何の罪咎のない娘が殺されたのは理不尽であり不条理である。だがこの世は無常でただ今があるのみである。
人の命を虫けら同然と思うか、虫けらを人の命と同然と思うか、それは人それぞれが一瞬一瞬で決めていること。虫の命も人の命も命には変わりなく、儚い。命は今の今だけを生きている。過去もなく未来もない。悪もなければ善もない。あるのはただ情(こころ)。人は情の生き物。情の育ち方の中に今がある。情を育み生きること、そこに至福があると知るばかりである。


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