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作品名:ライフ・トレイン 作者:えみ

第5回   5
「あー!」
 僕は思わず立ち上がった。
 電車が停まるはずの駅を思いっきり通過した。
 なんでだ。この電車は各駅停車のはずだろ。運転手さーん。忘れたんですか。
 「あんたのお母さんだよ」
 「はぁー?」
 オバサンが急に呟くように言うもんだから、とっさにチンピラのような切り返しをしてしまったじゃないか。
 
 は? お母さん?
 何言ってんだ、この人。
 もう何がなんだか分からない。とりあえず、僕は座って目を閉じた。
 とにかく次の駅で絶対に降りるぞ。早くここから逃げ出したい。
 「アンタのお母さんだよ」
 オバサンはさっきよりも、弱冠大きな声で言った。
 だーかーらー。
 「あなたが僕のお母さん?」
 「そう」
 どうせ、その後でまた、「嘘だよ」とか言って、みかん食いだすんだろ?
 「・・・」
 「・・・」
 「・・・!?」
 ねぇ、否定しないの? 
 ねぇ! 嘘だって言ってくれよ。
 僕の心は悲鳴を上げている。もう限界寸前だ。
 「僕に母はいません」
 「・・・」 
 「母は僕を生んだ時に亡くなっているんですよ」
 本当ですよ。
 「知ってるよ」 
 ならおかしいだろ。死んだ人間が僕の隣に座ってみかん食ってんのは。それにオバサンには悪いけど、僕の母さんはすごく美人だったんだ。
 オバサンとは全く別の人種なんだよ。
 もうなんか腹立たしい想いでいっぱいだ。何から整理していいのか分からない。
 「ヒロくんには信じてもらえないかもしれないけど」
 「どうして僕の名前を」 
 「お母さんだから」
 しおらしく話すオバサン。話しが見えない僕。

 まただ、また停車するはずの駅を通過した。やっぱり、この電車はおかしい。駅を通過し続けることも、乗客が僕たち二人しかいないことも。
 僕はオバサンを見た。下を向いてみかんの皮を包むように両手で持っている。
 本当にこの人が僕の母さんなんだろうか。
 でも母さんが死んだのは、今から二十七年も前で、当時、母さんは三十歳だった。外見からして明らかにおかしい。
 そりゃ、母さんが生きていて、元気に歳を取っていったのなら、そんな風になってしまうこともあるかもしれない。
 でも母さんは三十歳で亡くなっている。死人が歳なんて取るのだろうか。
 それか、もしかして実は母さんは、あの時、死んだんじゃなくて生きていて、僕と父さんを置いて出て行ってしまったのではないか。
 「ヒロくんに会いたくて、天国から遊びに来ちゃったの」
 バットで頭を殴られたような衝撃だ。
 もうこれ以上は無理だ。理解できる範囲を優に越えている。誰だってそうでしょ?
 「言ってる意味が全然、理解出来ません」 
 「ほら、私、ヒロくん生んですぐ死んじゃったじゃない?」
 オバサンは自分の顔を指差しながら、軽い感じで話し始めた。僕は相槌を打つ余裕もなく話しを聞く。
 「あの日から、ずっと天国からヒロくんの成長を見守ってきたの」
 「保育園のヒロくん、小学校のヒロくん、飛んで社会人になったヒロくん」
 「時には神様に土下座して、ヒロくんの姿をすぐ傍で見つめたこともあったのよ」
 ほう。
 「ゆみちゃんだったかしら、あの子、可愛かったわね。なんで別れちゃったの。もったいない」
 大学の時に初めて付き合った彼女の名前だ。
 「・・・本当に僕の母さんなんですか」
 母さんは、じっと僕の目を見つめ返した。
 さっきとは違う、重くない沈黙が流れる。でもやっぱり、何て言っていいのか分からない。
「ごめんね、急に」
「なんか・・・」
「こんな姿で」

「えっ?」
 そっち? この流れで、そこを謝るのか。
「それよりさ」
 僕には聞かなければいけないことが、たくさんある。どうして? と思うことばかりだ。
「それより、僕には今のこの状況が全く理解できないんだけど」
 母さんはそうね、という相槌。
 まずそこからだろ。容姿については、突っ込みどころ満載だが、この際そこは後回しだ。
 「今まではヒロくんのことを、姿のない母さんとして見守ってきたわ。一緒に笑って、時には一緒に泣いて、あなたの成長を見てきた」
 うん。
 「でもね、最近のあなたを見てると、どうしても空から見守るだけじゃ、我慢できなくて・・・」
 そうか。
 「だから、母さん神様にお願いしたの。どうしても、あの子に会って話しをしたいって」
 突然、母さんの顔が険しくなった。
 「もちろん、最初は断られたわ。死んだ人間がそんなことは出来ない、不可能だって」
 そりゃそうだろ。
 「でも母さん、一歩も引かなかった」
 神様を相手に?
 「もう、すごい意地の張り合いよ」
 興奮気味に話す母さん。
 ごめん、もう想像が追い付かない。 
 「そこで、母さんから攻撃を仕掛けたの」
 「・・・・」
 「鍋を作るわって」
 「は?」
 母さんは隣に座っていたスーパーの袋を持ち上げて僕に見せた。
 「ごめん。意味が分からないんだけど」
 もう、ずっと。
 母さんは、僕に顔を少し近づけると、嬉しそうに、
 「天使仲間が話してたの、母さん聞いちゃったのよ」
 ・・・。
 「神様は人間が食べてる物を、いつも興味津津で見てるんだよねぇーって」
 「特に冬場の鍋を囲んでいる家族を見つめるときの目には、鬼気迫るものがあったって」
 母さんは人差し指を立て、
 「しかも、味はキムチ」
 窓から飛び降りていいかな?
 「その話しを母さんが神様にしたら、イチコロだったわね。父さんを落とした時より簡単だったわね」
 へー。
 「即決でオッケイが出て、神様にキムチ鍋の材料費をもらって、あなたの元へやって来たってわけ」
 なんだか、僕の聞きたかったことの九十パーセントは返って来なかった気がするけれど、そこをあえて掘り下げて聞く気力が、僕にはもう残っていなかった。
 映画とかで観ると、こういう神秘的な奇跡のような出来事って、感動的で涙があふれ出しながら、語るイメージがあるんだけど。
 「でね」
 僕の複雑な想いとは裏腹に、母さんのマシンガントークは続く。
 「死んだ頃の母さんに戻って、ヒロくんに会いに行ったら、息子がホレちまうんじゃないかって、神さんが言うもんだから」
 神さん?
 「うふふ。だったら現在の年取った姿で会いに行こうっていことで、二人とも納得してね」
 母さん、楽しそうだなぁ。
 「それで、この格好で来ちゃった」
 できれば、あの頃のままの母さんに会いたかったよ、僕は。
 目の前にいる母さを完全に受け入れるまで、僕には長い時間が必要だ。
 「でも失敗だったわね」
 「どうして?」
 「だって、鍋の材料を先に買っちゃったら、材料が傷んじゃうじゃない」
 そりゃそうだ。
 「でも仕方ないわね」
 「何しに来たの?」
 僕は話しを大きく元に戻した。
 このまま母さんの話しを聞いていたら、天国に行って神様と鍋を囲むことになりそうだ。
 「僕は、生まれた時には、もう母さんがいなくて、写真の母さんしかしらない。しかも、母さんの写真はほとんど残っていないから、リビングに飾ってある、父さんと結婚した時の写真だけなんだ」
 「そうね、母さん写真に写るのが、あまり好きじゃなかったから」
 「僕は、ずっと母さんに会いたかった。学校の行事や、友達の家に遊びに行った帰り道」
 母さんの役割みたいなものは、今もよく分からないけど、
 「とにかく、今までたくさんあったんだ。なのに、なんで今頃になって現れたんだよ」
 しかも、そんな姿で。
 「そうね」
 母さんは独り言のように、何度も呟いていた。
 


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