近くなっている。二人の距離が縮んでいる。 さっきまでは、ずいぶ遠くに座っていたのに、今じゃ斜め右側の座席に移動してきている。いつの間に。 しかもしれっと二個目のみかんを頬張っている。なんなんだ一体。向こうも僕に運命を感じているのではあるまいか。ジャマイカ。 冗談じゃないぞ。そんな危険な恋はごめんだよ。 「アンタ」 「はい?」 やばい。声が裏返った。だって急に彼女が話しかけてくるんだもん。ドキドキだよ。 「アンタ、死んでるよ」 「へ?」 「嘘だよ」 オバサンは鼻で笑うと、またみかんを食べ始めた。 今まで、それなりに平凡に生きてきて、平凡な社会人になって、それなりのトラブルや小さな日常の事件を解決してきたけど、今、僕が置かれている現状はそのどれにも当てはまらないし、かすってもない。何トラブルだ? どうしよう。 悩むことはない。 次の駅で降りよう。 それまでは寝たふり、寝たふり。 「ねぇ、ねぇ」 オバサンが僕のすぐ横に座り、僕の肩を激しく揺さぶり、ついに本格的に声を掛けてきた。図に書いて説明するなら、僕、オバサン、スーパーの袋の大根の順だ。 もう逃げられない。 僕はわざとらしく目を覚まし、少し寝ぼけた顔でオバサンの方を見た。本当は心臓バクバクだ。何でしょうか。一体。 「アンタ、なんでこの電車に乗ってんのか分かってんの」 「会社に行くためですが」 なにか? 問題でも? 「アンタ、呆れた」 オバサンは本当に呆れた様子で、座席にの垂れかかった。 なんかすんごいムカつくんですけど。でも怖くて声が出ないのね。僕が一言でも反撃そようものなら、その数億倍の言葉の暴力が返ってくること間違いない。ここは下手に出るのが一番。 「・・・あの、一体何がおっしゃりたいのでしょうか」 ミクロの反撃。 「アンタ、あたしが誰だか分かんないの?」 僕はここへ来て、初めてオバサンの顔をまじまじと見た。いいやー。知らんなぁ。 どこにでもいるオバサンじゃん。 「・・・」 僕はものすごく考えているふりをし、頭を少し傾げてみた。するとオバサンはまた鼻で笑うと、 「だろうね」 と一言吐き捨てた。 抑えろ、抑えるんだ僕。 平常心、平常心。 「失礼ですが、どこかでお会いしましたでしょうか」 恐る恐る問いかけてみる。オバサンは何も答えない。何か少しだけ怒っているようにも見える。怖いからオバサンの顔はなかなか直視できない。 「・・・」 重たい沈黙。 大好きな女の子と会議室で二人きりのなった時と、なんか似ている。そこには重たい沈黙という共通点しかないのだけれど。
|
|