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作品名:高架下から見た星 作者:えみ

第6回   6
静かな廊下に僕のスニーカーの音がやけに大きく響いた。心を絞めるような残酷な音だ。この短い廊下の先には、西川のいる編集部の扉が見えている。ものすごく心配していたが、案外簡単にここまで辿り着くことができた。編集部のドアに近づくにつれ、電話のベルと共に、微かな人の気配が感じられる。
 僕は迷うことなく扉を開け、頭から中に入った。

 社内には数人の社員たちが慌ただしく働いていた。営業スマイルで朝から電話を掛けている男に、パソコンの画面を鬼のような形相で睨みつけている中年の男。三年前は下の狭いロビーで小林と話しただけで、編集部までは行かなかった。フロアも狭く、雑然としていた。机の上には天まで届くくらいに本や書類が積まれている。その中に僕の原稿も埋もれているのだろうか。もしも誰かが、その山にぶつかってしまったら、すべての山が崩れて、編集部は本や書類に埋まってしまうかもしれない。
 だけど、そんなことはどうでもよかった。それくらいの様子は安易に想像できた。僕が違うと感じたのは、社内の様子ではなく、空気のようなものだった。今、僕の目の前で働いている人々は皆、徹夜明けで死にそうな顔をしていた。そんな彼らを陽光が容赦なく照らしつけている。そのせいで疲労感がより一層、際立って見えた。だけど、僕にはそれが、それこそが頭に思い浮かべていた情景とは大きく違っていたのだ。ここにいる人間にとっては辛いとしか言いようのない光景。僕が今まで馬鹿馬鹿しいと思っていた光景。
 だけど、なんと言えばいいのだろうか。この言葉に出来ない感情を。焦燥感にも似たまばゆさを。決して太陽の光のせいではない輝きがそこにはあった。僕の中の何かが、激しく外へ飛び出そうとしているのが分かった。走ってもないのに息が切れた。僕は彼らに釘づけになった。目が反らせない。頭は考えることを止めている。ただ、そこにあるものを僕は見続けていた。

 どれくらいの間、そうしていたのかは分からない。だけど多分、数分ぐらいだろう。一番奥のデスクで本の山に隠れていた西川が僕に気付き、慌てて走り寄って来た。
 「先生すみません。わざわざ会社にまで来ていただきまして・・・」
 そう言って、彼女は申し訳なさそうに俯き、小さく微笑んだ。彼女の顔にも同じように疲労が浮かんでいた。多分、昨夜は一睡もしていないのだろう。僕は胸の前で、気にすることないと手を振って見せた。そして彼女に原稿の入った封筒を差し出した。彼女はそれをいつものように両手で丁寧に受け取ると、胸に抱いて、いつもより深々と頭を下げた。
 頭を上げた彼女に軽く一礼すると、僕は編集部から出た。すぐ後ろで彼女が礼を言っているのが聞こえたが、振り返らなかった。とにかく早くこの場から立ち去りたかった。西川以外の人間は僕に気付いているのかいないのか、一度も顔を僕に向けることはなかった。


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