こんな僕の生活を、誰かが知ったら思わず、「寂しい」と呟くのかもしれない。「かわいそう」と嘆くのだろうか。ボランティアに関心のある人間だったら、僕の手を取って外に連れ出そうとするかもしれない。だけど、僕自身は寂しいとも思わないし、憐れみ、自分を慰めたりもしない。そんな事を考え出したらきりがない。誰だってそんなものなんじゃないのだろうか。 朝起きて、顔を洗って朝食を済ますと仕事を始め、夕方には近くのスーパーやコンビニに買い出しに行って夕食を食べる。そして、夜はきちんと睡眠をとる。作家の人は夜に仕事をする人が多いと聞いたことがあるけど、僕は昼の内に仕事をやってしまって、夜は眠るようにしている。その方が仕事がはかどるからだ。 出来上がった原稿は担当にメールで知らせ、担当が僕の部屋に取りに来る。担当から僕に用事がある時は、原稿を取りに来た時や、メールで知らせてくれる。僕がまともに接していた人間と言えば、その担当の小林ぐらいだった。その小林とは、もう三年くらいの付き合いだが、僕は彼のことを全く知らなかった。興味がなかったし、向こうも、そんな僕に気を使って、用件だけを伝えると、そそくさと僕の部屋を後にしてくれていた。 彼は今、どうしているのだろうかと、ふと思った。だけど、それ以上は彼のことを思えなかった。 次に小林の代わりで来た、西川という女について思う。前の小林とは明らかに違って、用件だけを伝えて、すぐに部屋を後にするという業務的な訪問が、彼女には、どう考えても出来そうにない。僕は心底うんざりした。これからも彼女が僕の部屋にやって来ては、どうでもいい世間話しをして、僕に気を使ってくれるのだろう。たとえ、僕が今日のような態度をとり続けても、彼女は僕の真意には気付いてくれないだろう。全く、めんどうな女だ。
「編集部の西川です。すみません。仕事が立て込んでいまして、どうしても先生の元へ伺えなくなってしまいました。ですが、どうしても今日中に作品を受け取らないと間に合わなくて・・・大変失礼なことをお願いしているとは思うのですが、昼までに出版社まで原稿を持って来てはもらえないでしょうか」 気持ちよく目覚めて、うっかり押してしまった留守番電話のメッセージボタン。僕は死ぬほど後悔した。彼女が僕に連絡を入れたのは夜中の一時だ。それから一五分置きに同じような切実なメッセージが残されていた。ということは、この用件は今日ということになる。彼女は昼までと言っていた。時計の針は午前八時を間違いなく指している。僕の住んでいるアパートから出版社までは歩いても、せいぜい三十分程度しか掛からない。十分間に合うじゃないか。それより、西川はその時間さえないぐらいに、忙しいのだろうか。 言葉が喋れなくなってから、スーパーとコンビニ以外の場所に行ったことがない。ましてや出版社にはデビュー前に一度しか行ったことがないのだ。 嫌だった。本当に。何とか行かなくても良い方法を考えたが、どれも言葉を発することの出来ない僕にとっては巨大なリスクを伴うものばかりだった。多分、西川は僕が気付くまで、何度でも電話を掛けてくるだろう。仕方がない。行くしかないのだ。 僕は彼女に「今から向かいます」と短いメールを送った。すぐに彼女から返信があった。「ありがとうございます。迷惑を掛けてしまって、本当にすみません」 僕はもう一度、大きなため息をついた。重たい体をゆっくりと動かしながら、出掛ける支度を始める。顔を洗って歯を磨く。食欲は恐ろしいほどにない。クローゼットを開き、目に付いた白のカッターシャツとベージュのパンツを取り出した。スウェットを脱ぎ、着替える。そして、食器棚の前を通り過ぎ時に、ガラスに一瞬映った自分の姿を確かめた。頭が少し乱れていた気がしたので、玄関に向かいながら手ぐしで直した。財布をズボンのポケットに入れ、原稿の入った封筒を諦めたように持った。玄関に行くと、しゃがみ込んで黒いスニーカーを履いた。そして座ったまま、しばらくじっとする。何を考えるわけでもなく一点を見つめ、ゆっくりと瞬きをした。
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