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作品名:高架下から見た星 作者:えみ

第3回   3
そうか、小林は入院したのか。本当に何の連絡もなかったな。あの気持ち悪いほどに、几帳面な男にしては珍しい。
 もしかしたら小林は重い病気を患ってしまったのかもしれない。それか、僕の担当から逃げ出したくなって行方をくらましてしまったのかもしれない。とにかく、理由は何にしても、彼女の様子からして小林はもう会社にはいないのだろうと思った。
 ということは、これからは彼女が僕の担当になるのか。どっと疲れが出てきた。いつもあの調子で来られるとたまらない。
 とにかく、極力、関わらないようにしよう。面倒くさい。
 僕は西川から受け取った封筒を、そのままテーブルに放り投げ、ベッドに倒れこむと少し眠った。今日は仕事が進みそうにない。

 次の日も、ほぼ同時刻に西川は僕の部屋のベルを鳴らした。
 一瞬、無視しようかとも思ったが、それが通じる相手ではない。僕は寝起姿と部屋着のスエットを着て、彼女の前に立った。
 「こんにちは」
 笑顔で彼女が言う。僕は何も返さず彼女を見返した。彼女は少しひるんだ表情を見せたが、すぐに立て直し、周囲に目を向け、取って付けたような朗らかさで、
 「今日はだいぶ温かいですね。春がもうそこまで来てる感じ」
 僕は無言で頷く。
 「先生は気分転換に外を散歩されたりなさるんですか」
 僕は首を左右に一回づつ動かした。
 「・・・じゃあ、お洗濯をする時はどうです? 風が気持ちいいでしょ」
 僕はもう一度、首を横に振った。洗濯は乾燥まで全て洗濯機がやってくれている。太陽の力は借りていない。
 「・・・」
 いつもの沈黙だ。
 僕と関わろうとする人間との間には必ず、この重たい沈黙が訪れるのだ。
 彼女は今までの友好的な人間と同じように、少しでも僕との距離を縮めようと努力している。でも僕の心なんて、誰も理解できないし、開けやしないのだ。たとえそれが僕自身であったとしても。
 「今日は、昨日メールでもお知らせした通り、原稿を受け取りに来ました」
 僕は原稿の入った茶封筒を差し出した。彼女はそれを両手で受け取ると、胸元で大事そうに持ち、深々と礼をすると、早々に帰って行った。
 僕は玄関の鍵を閉めると、扉に背を向けて部屋の中を見回した。何もない部屋。仕事にに必要な机と、食事を取るのに必要なテーブル。後は最低限必要な電化製品。とても三年以上、住み続けている部屋とは思えない。特に欲しい物もなかったし、季節や気分に合わせて、部屋を飾ったりする意味が僕には分からない。洋服も着れなくなったら捨てて、新しい物を買い足す程度だ。流行など追いかけたことは一度もない。その流行がいったいどこで流行っているのか全く分からなかった。僕はそういう場に無縁な人間なのだろう。
 


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