部屋に戻ったが、先生の事が気になり、私は再び壁に耳を押し当てて、隣の様子を伺った。微かに話し声が聞こえる。どうやら研究所の説得はまだ続いているようだ。頑張れ、先生。 「・・・はい、間違いないです」 「証拠はあります。カメラに撮ってありますので」 「はい、お待ちしています。よろしくお願いします」 そういうと先生はここの住所を告げ、通話を終えた。いや、最後に言った部屋番号は私の部屋の番号だ。間違いない、研究所の人間がついに私に会いにやってくる。この時をずっと待ちわび、覚悟していたはずだったが、いざそうなると急に落ち着かなくなり、私は部屋をうろうろし、周囲を見回した。家には座布団もない。ソファーだってないが、大丈夫だろうか。きっと長い話し合いが必要になるだろう。畳に何時間も座って耐えられるだろうか。飲み物は実験用に取って置いたコーヒーがあるから心配ない。もともと物がほとんどない部屋なので散らかるということはないから片付けの必要はない。私は軽くトイレをチェックしてから、はやる気持ちを抑え、研究所の人間の到着を待った。 一体、どのような挨拶をしたらいいのだろうか。少し威厳のある態度で出た方が良いのだろうか。それとも普通を装い、自然に対応した方が良いのだろうか。迷うな。 それに向こうは何人で私に会いに来るのだろう。部屋に直接来るのは数人でも、車の中やアパートの周辺に何十人もの人間が潜んでいる可能性が高い。先生の推薦だから間違いないとは思うが、私が軽率な行動を取ったりすると、やはり危険だ。それに私の事を良く思わない人間だってたくさんいるはずだ。私と先生の関係を羨み、急に現れたニューヒーローに嫉妬し、私の存在を疎ましく思い、命を狙ってくる人間がいたって不思議ではない。味方にそんな奴がいるとは、あまり考えたくはないが、私の立場が立場なだけに、そういう展開も視野に入れて対応しなければならないだろう。まだまだ気を抜ける日はやって来ないな。もしかすると、私の人生が終わりを迎えたときでなければ、気を抜くことが出来ないのかもしれない。
ドアを開けた時が一番危険だ。ライフルで私の心臓を狙ってくる人間がいる可能性だってある。交渉に来た人間を素早く部屋に招きいれ、すぐに扉を閉めた方がいいだろう。交渉を飲む条件に私にボディガードつけるように申し出ることにしよう。私の命は、もう私だけの物ではない。言ってみるならば、私と先生は人間国宝に値する人物なのだ。今よりもより一層、気を引き締めて生きねばならない。 しかし、非常に重大な用件が目の前に控えているにも関わらず、抑えても、抑えても笑みがこぼれ出てしまう。どうしても、白衣を着て漬物実験をしている自分の姿が浮かんできてしまう。いかん、いかん。話しをしている最中に笑ってしまっては失礼だ。冷静に、冷静に。男らしさを見せろ。私は深呼吸をした。 「ピンポーン」 きた! 落ち着けっ! 本当は飛んで行きたいところだが、自分の感情を叩き潰して、冷静に扉に歩み寄った。 しまった。ライフル対策として、胸にまな板か何かを忍ばせて置くべきだった。でも今からでは間に合わない。そんなことをしていると怪しまれてしまう。仕方無い。 「どちらさまですか」
少し声が裏返った。私が自分で思うよりも、かなり動揺しているようだ。 「・・・」 返事がない。
だいたい研究者は無口が多い。それに扉の向こうで自分たちの身元を明かすような、まぬけな行動は取らないだろう。 気の利く私は、扉の向こうの相手が全く分からない、気付いていないという、素っ気ない顔でドアをゆっくり開けた。
「すみません、警察です」
完
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