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作品名:マンション戦記 作者:高来加津佐

第5回   謎の軍団
「おい、こっちもだ」
 野田にそう言われて皆、振り返って北の方を見た。そこにも同じように、大勢の鎧武者が川岸に並んでいる。
「あれを見て下さい」
 そう言って、下里が枡型山を指差した。辺りはだいぶ明るくなってきて、遠くにある木々の青さまで分かるようになっている。
「あっ」
 と言った後、綾部は絶句した。なぜなら、普段、マンションから見える枡型山は、山全体が樹木に覆われ、こんもりとした小山である。しかし、今、彼らが見ている枡型山は、木々など一本も生えておらず、山頂部分は、その名のとおり枡の形に削平されていた。
「あれは、山城ですね」
 下里が、携帯電話を上着の胸ポケットから取り出しながら言った。
「あれで、城なんですか」
「はい、われわれが認識している、石垣に白壁の城は戦国時代後期の城なんです。戦国時代中期までは、土と木でできた簡素なものが殆どでした」
「ちょっと待って下さい先生。てことは、俺らは、戦国時代以前にタイムスリップしたってことですか」
 普段、人を食ったような態度の野田も、さすがに戸惑っている。
「残念ながら、そのようですね」
 そう言いながら、下里は携帯電話で枡型山を撮影している。興奮のためか、手が震えている。
 綾部はまず、南側の軍勢に目をやった。そこには、最前列に槍をもった兵士が、横に隙間なく並んで5層の壁を造っている。数は200人ほどであろうか。その槍足軽の両翼に、弓をもった兵士と、彼らを敵の弓矢の攻撃から守る盾をもった兵士が、左右それぞれ50人ほど並んでいた。
 そして、その後方、生田の丘陵の裾野の辺りに、騎馬武者とその従者の一群が居て、中腹に本陣が鎮座している。全体の総数は、ざっと700人といったところか。また北の川岸に居る軍勢も、陣容はほぼ同じで、兵数が南側の軍勢より、若干多いように見えた。
「合戦に巻き込まれる可能性がありますね」
 下里が心配そうに言った。
「合戦?、という事は、彼らは敵同士なんですか」
「はい、その様ですね」
 そう言って、下里の講義が始まった。
「まず、南側にいる軍勢を見てください。山の中腹に本陣があります。そこに旗めいている大きな幟に、3つの三角形が書いてありますよね。あれは三つ鱗といって、北条氏の家紋なんです。ですから、恐らく彼らは、時代的に考えて後北条氏側の軍勢かと思われます。それから、北の軍勢の幟には」
 皆、一斉に振り返って北の方を見た。
「竹に雀の家紋が見えます。あれは上杉家共通の家紋といってもいい」
「という事は、上杉謙信ですか」
 綾部がそう言うと、皆の間から小さなどよめきが起こった。
「いえ、残念ながら違います。何故かというと、こう両軍を見渡してみても、槍と弓ばかりで鉄砲を持った兵士がいません。謙信が関東遠征を行っていた頃には鉄砲隊がありました」
「という事は、鉄砲が伝来する前の」
「はい、恐らく1540年代以前で、彼らは関東管領の上杉氏側の軍勢ではないかと」
 下里が話している間にも、馬のいななきや指揮官の号令が頻繁に聞こえてくるようになった。軍勢の緊張が一気に高まって、一触即発の雰囲気になってきた。
「もしかして我々は、パーティーの時、先生が話していた、多摩川を挟んで北条と上杉が睨み合っていた時代に来たってことですか」
 橘が、川向こうの動向を気にしながら聞いた。
「そのようですね。そして、ここは多摩川の中州だと思われます。確か、川崎市史によると、戦国時代の多摩川は、現在よりも南の小沢城や枡型城の麓を流れていたそうです。あれを見ると、文献とも一致しますね」
 そう言って、枡型城を指差した。
「先生、俺たち、どうすればいいんですか」
 綾部が、下里に縋りつくように質問した。彼の体は、寒さと恐怖で小刻みに震えていた。
「はい、そこで彼らに、我々は戦う意志のないことを伝えに行こうと思います」
 そう言って、下里は皆の表情を伺った。皆、黙って下を向いた。無理からぬことである。武器を持っていきり立っている千人近い群衆の所へ、平然と交渉に行けるものなどそうそう居るものではない。
「しょうがねぇ、俺、北条の方に行きます、先生、上杉の方お願いします」
 そう言って、野田は軽く足の屈伸運動を始めた。
「分かりました。そうですね、一人の方が、相手を刺激しないで済むかもしれませんね。あっ、それから大将、決して無理は禁物ですよ」
「大丈夫ですよ、こう見えても結構、臆病な性質でしてね」
 そして、2人は、南と北に分かれて歩き出した。
 バーン
 2人が歩き出した直後に、銃声のような音が響き渡った。住人たちは、首を振りながら、南北どちらの陣営から銃声がしたのか確認しようとした。しかし、両陣営とも動揺している。兵列はゆがみ、幟が、風になびく草木のように揺れている。
 鉄砲を発射した軍勢の兵士が動揺するはずがない。綾部は、南に佇む生田丘陵や北に広がる武蔵野の大平原を見渡した。しかし、それらしき人や軍隊は見当たらない。
「あいつ等だ」
 突然、野田がマンションの方を指差して叫んだ。  


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