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作品名:マンション戦記 作者:高来加津佐

第4回   時を超えて
「おい、綾部、起きろ」
 居眠りをしてしまった綾部が目を覚ますと、受付の前に野田が立って睨んでいる。綾部は、思わず立ち上がって直立不動になった。
「3階の村上さん、お前が寝てるの会社にちくってたぞ」
「えっ、本当ですか」
 彼は焦った。居眠りが本部に知れれば、統括部長の叱責が待っているだけでなく、下手をすれば首である。
「しょうがない、会社、首になったら、俺っちの居酒屋で働かせてやるよ」
 彼は、向ケ丘遊園駅の近くで、居酒屋を経営していた。
 綾部も、野田にそう言われて(それも悪くないな)と一瞬、思った。しかし、よくよく考えてみれば、野田が強引にパーティーに誘わなければこんな事にはならなかったのだ。
(何が「俺っちの居酒屋で働かせてやるよ」だよ、強引に誘ったことを誤るのが筋だろう)
 そう思うと、急に怒りが込み上げてきた。しかし、その怒りを表に出すわけにはいかない。たとえ、どんなに親しい間柄であっても、綾部と野田の間には、警備員と居住者という、厳然とした格差が存在するのだ。そして、その格差は、消して越えてはならないこの世界の掟なのである。
 怒りを飲みこんだ彼は、野田から視線を反らすようにエントランスに目をやった。外は雨が降っている。時折、雷の音が建物を揺らしていた。あれだけ賑やかだったエントランスは静まり返っており、歴史愛好会の面々と数人の住人がのんびりと後片付けをしている。玄関に掛けられている時計の針は、もう8時20分を指している。
「冗談だよ綾部ちゃん。何、マジな顔してんだよ」
 野田が豪快に笑った。それを見て、綾部は素直にほっとした。いや、気が抜けたと言った方が近いかもしてない。そして、野田に対する怒りも、頭の先から抜けて行った。
「すいません、後片付け手伝います」
 その言葉には、野田に対して抱いた負の感情に対する、自責の念が込められていた。
「それより、2階の吉田がまた騒いでるから、苦情が来る前に注意した方がいいぞ」
 耳を澄ますと、2階から音楽が聞こえてくる。(また、年下に茶化されるのか)と思うと、気が重くなてきた。居眠りの件が解決して、ほっとしている所え、また難問が降りかかってきた。綾部は、憂鬱な気持ちを引きずりながら管理室を出た。
「俺も一緒に行こうか」
 事情を知っている野田が、助け船を出した。
「すいません、いいですか」
 綾部は、抵抗を感じながらも、思わず野田の助け船にすがりついた。
 その時、バリバリと天地が裂けるような音がした。そして、その直後に、外の景色が白く浮かび上がったかと思うと、一際大きな雷鳴が轟いた。
 照明が落ち、辺りが真っ暗になった。しかし、すぐに非常灯が点灯して、最低限の明るさは保たれた。
「雷が落ちましたね」
 下里が、天井を指さしながら言った。
「ちょっと、屋上見てきます」
 そう言って、綾部が、管理室の隣にある非常階段に向かおうとした時、外の景色がまた白く浮かび上がった。(また、落雷か)と思った住人たちは、無意識のうちに身構えた。
 しかし、彼らの予想に反し、雷は落ちなかった。外は明るいままで、よく見ると他の棟の住人が、傘も差さずに歩いている。綾部は何気なく、玄関の上に掛けてある時計を見た。
(11時30分?)
 不思議に思った彼は、振り向いて、後ろにいた野田に話しかけようとした。ところが、体が全く動かない。指1本動かせない。
 不安になった彼は、野田を呼ぼうとしたが、どんなに胸や腹に力を入れても、半開きになった口を空気が出入りするだけで声が出てこない。焦った彼は、呼吸がだんだん速くなってきて、酸欠状態になってきた。苦しくて、胸を掻き毟ろうとするが手が動かない。
 その時、突然、地面が揺れ始めた。地震のような小刻みな揺れではなく、まるでブランコに乗っているような振り幅の大きな揺れである。そして、そのゆれのリズムに合わせるように、外の景色が明るくなったり暗くなったりしている。明るくなる度に、今までに見たことのない田園風景が浮かんでは消えていく。
 その明と暗の間隔が、次第に短くなってきて、田園風景から昔の土木工事の風景になった。何百人もの褌姿の人々が、鍬を使って地面を掘り下げている。
(もしかして、二ヶ領用水を造っている光景なのか)
 過呼吸になって、意識がもうろうとする中で彼はそう思った。しかし、即座に否定した。二ヶ領用水が造られたのは400年前である。タイムスリップでもしない限り、その光景を見ることは不可能である。
(幻覚を見るという事は、かなりヤバい状態だな)
 彼はの脳裏に、死の影がちらついた。外の景色は、大きな川に変わっている。その川の中に、マンションが浮かんでいるように見える。
(まさか、あれが死の直前に見えるという、三途の川なのか)
 そう思った時、息苦しさよりも切なさで胸が苦しくなった。それと同時に、初恋の女の子の顔や友達の顔、家族の顔が次々と浮かんできた。綾部の頬を一筋の涙が流れた。思わずそれを手で拭った後、彼は、はっとした。
(あっ、動かせる)
 綾部は、両手を開いたり閉じたりしてみた。動く。彼は直ぐさま振り向いて野田を見た。すると、肩をぐるぐる回していた野田が、綾部の顔をじっと見て
「何、泣いてんだよ」
 と言って首をひねった。綾部は慌てて涙を拭った。
「無い」
 突然、誰かが叫んだ。体の自由を取り戻しほっとしていた住人たちは、鋭い視線を声の主に注いだ。視線の先には田中が居た。彼は口をあんぐりと開けたまま、窓の方を指さしている。住人たちはむっとしながらも、そちらの方に目をやった。
 雨はもうすっかり上がっていた。なぜだか、夜明け前のようにうっすらと明るい。
「あっ」
 今度は、田中以外の住人が一斉に叫んだ。
「立体駐車場が無いぞ」
 A棟の西側には、幅7メートルの通路を挟んで、3階建ての立体駐車場が立っているはずだった。住人たちは、外へ飛び出した。その途端、肌を刺すような冷気が首筋を締め付けてきた。綾部は、警備服の襟を立てながら辺りを見回した。
 そこには、立体駐車場はおろか、近代建築物と呼べるものは何一つ建っていない。そこに在るのは、石と砂の大地に、痩せ細った木が数本と草がまばらに生えているだけであった。
 そして、マンションを挟むように、幅、100メートルほどの間隔で、川が南と北に流れていた。川幅は2本とも30メートルほどである。
「な、何ですかあれは」
 南側の川向こうを見た綾部が、思わず声をあげた。そこには、無数の人間が整然と並んでいる。よく見ると、鎧のようなものを着て、手には槍や弓を待っている。


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