巌が去って、落ち着きを取り戻した歴史愛好会の面々は、お互いの紙コップにビールやワインを注ぎ合いながら、今後の活動について語り合った。 「枡型山なんかどうだ、田中」 「直ぐ近くじゃないですか大将。どうせなら、もう少し遠出しましょうよ」 「小机城なんか、いいんじゃないですか」 「おっ、よく知ってるね。さすが歴史博士の綾部くん」 「いやーそうでもないですよ橘さん。あっ、そう言えば小机城って、北条にとってはかなり重要な城だったんですよね、先生」 「そうですね。特に多摩川を挟んで、扇ヶ谷上杉氏と対峙していた頃は重要でしたね。もちろんその時代には、ここの近くにある枡型城や小沢城も、国境の城として重要な位置を占めていたと思いますよ」 「なるほどねぇ」 今の彼らの会話でもわかるとおり、このマンションのある登戸周辺には、後北条氏ゆかりの山城が多数点在していた。しかも、それらの多くは、地元の人々の尽力により整備保存されており、気軽に散策を楽しめるようになっていた。ちなみに、枡型山城跡はこのマンションの南東1キロ、小沢天神山城跡は西方3キロ、小机城跡は南東12キロにある。 「あっ、ちょっとすみません」 下里が、携帯電話が鳴ったので、その場を離れ窓際に移動した。その時、盛り上がっていた会話が一瞬途切れた。だいぶ酔っていた綾部は、この後の勤務のことを考えて、今できた会話の隙間を利用して 「あっ、すいません、日報を書かないといけないんで、失礼します」 と言って、その場を離れた。 管理室に戻った綾部は、宣言どうり日報を書くため机に座った。しかし、それは睡魔との闘いの始まりであった。 酔って集中力も思考力も低下しているうえに、座ってじっと下を向く姿勢を取ったため、次第に意識が途切れ途切れになってきた。彼は必至で、頬を叩いたり足を抓ったりして、抵抗を試みたがあまり効果がなかった。 さらに、暖房のきいた部屋とロビーから聞こえてくる適度な雑音が呂翁の枕となり、彼を、邯鄲の夢へと誘っていった。机の右隅に置いてある時計は、7時50分を指していた。
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