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作品名:マンション戦記 作者:高来加津佐

第1回   戦国前夜1
12月23日、天皇誕生日の今日、リバーサイド登戸ではクリスマスパーティーが開かれていた。
 1階の4分の1を占拠するエントランスの一角に、料理や飲み物を互いに持ち寄り、夕方の6時に始まった。
 宴もたけなわの頃、警備員の綾部が、管理室の受付から、その光景をうらやましそうに眺めていた。すると、この棟の3階の住人で、マンションの理事でもある、野田元がこちらに向かって手招きをしている。坊主頭に、揉み上げから顎にかけて髭を蓄えた、36歳独身の男が(飲みに来い)と誘っている。
 しかし綾部は、手でバツを作って、心ならずも彼の誘いを断った。すると、野田が、ツカツカと靴を鳴らしながら近付いて来た。
「おめぇ、何遠慮してんだよ」
 そう言って、受付窓口の棚に片肘をついて、綾部に酒臭い息を吹きかけた。
「いやぁ、やっぱ勤務中はまずいですよ」
 綾部は少し仰け反って答えた。
「大丈夫だよ、ちょっと位。顔出せよ」
「いやぁ〜」
「いいか、これは理事の命令だ」
 この一言で、すべてが解決した。理事の命令という事で、勤務中に酒を飲むという、大義名分が立ったのだ。
 このマンションは、小田急線の向ケ丘遊園駅より生田方面へ歩いて10分、二ヶ領用水沿いに建っていた。AからDの4棟から成り、総戸数225戸の大所帯で、その内24戸がA棟にあった。
「こいつ、警備員の分際で、酒を飲ませろって言うから連れて来たよ」
 野田が得意の毒舌で、綾部を、盛り上がっている会話の中に導いた。綾部は、彼自身も所属する、歴史愛好会とその家族のいる処へ連れてこられた。歴史愛好会とは言っても、名前の響きほど大層な会ではない。要は、自然にできた飲み仲間が、家族の干渉を受けずに大っぴらに飲みに行くための、口実の会である。
「大将が無理やり連れて来たんでしょう」
 大学で准教授をしている45歳の下里秀康が、前髪を掻き上げながら言った。大学で教え子だった、20歳年下の妻、まりと暮らしている。
「今夜は無礼講ですから、どうぞ」
 そう言って、小太りして銀縁眼鏡の田中和也が、紙コップにビールを注いで持ってきてくれた。彼は、一つ年上の妻、美砂との二人暮らしである。綾部は、この田中和也とは同じ28歳という事もあって、歴史愛好会のメンバーの中でも特に親しかった。
「綾部君、たまには彼女と、うちのホテルに来て下さいよ」
 西新宿の高層ホテルに勤務している橘聡が、ホテルの最上階にあるレストランの割引券を手渡した。この橘も歴史愛好会のメンバーで、歳は33、妻の縁と3歳になる娘の陽菜との3人家族である。
「ダメダメ橘ちゃん。この男、彼女いない歴50年だから」
 そこにいた人々から、一世に笑いが起こった。それと同時に、綾部の顔が赤く染まった。
「ワッハハハッ」
 その時、その笑い声をかき消すほどの高笑いが、エントランスに響き渡った。人々は、反射的に窓際の方に目をやった。そこでは、3人の若者が、休憩するために並べてあった椅子を占領してふざけ合っている。髪には金や紫のメッシュを入れ、ズボンをずり下げて履き、周囲に不快感を撒き散らしていた。
 この3人の若者は、勤務先のキャバクラが借り上げた2階の部屋に住んでいた。歳は3人とも20歳前後で、年長の吉田という男がリーダー格のようである。この時間にマンションに居るという事は、どうやら今日は公休のようだ。
(また、あいつ等か)
 綾部はそう思った、と同時に胃が痛みだした。なぜなら、彼らは、このマンションの問題児なのだ。今までにも、騒音やゴミを供用部に放置するなどの迷惑行為を、何度となく繰り返してきた。その度に、苦情の連絡を受けた綾部は彼らの部屋へ注意をしに行くのだが、何時もふて腐れたり茶かしたりして、素直に言う事を聞いてくれなかった。
「この前なんかね、ベランダから弓矢みたいなやつ、ボーガンて言うの、あれ打ってたわよ」
「えっ、人に向けて」
「カラスに向かって」
「あぁそう、でも、それだって怖いわよね」
 周りにいる人々は、口々に彼らの悪評をささやき合った。
 この場合、当然、警備員が彼らに自重を促さなければならない。綾部もその事は十二分に分かっていた。ただ、注意をして、何時ものように絡まれたり茶化されたりしたら、公衆の面前で恥をかく事になる。そう思った彼は、不本意ながら自からが自重することにした。


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