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作品名: 作者:滝宗太

第7回   ビデオゲーム
 話を終える頃には日は傾き始め、外の景色は朱を帯び始めていた。ずいぶん長く話し込んでしまったようだ。半年以上もまともな話し相手がいなかったせいかもしれない。なんだかんだといいながら一人でいるのはやっぱり寂しかったのかもしれない。
 机の上にはパスタを食べ終えた皿がまだ置いてあった。彼が作ったパスタはそれほどおいしいと言えるものではなかったのだろうけど、私にはこれ以上ないご馳走に感じられた。温かい料理がこんなにおいしいものとは考えたこともなかった。
 食事が済み、話も終えると彼はポットに残ったお湯を再び沸騰させて紅茶を淹れてくれた。
「まさかこんなご時勢に引き篭もりとはね」
 彼はティーカップに紅茶を注ぎながら言った。白い湯気がふわーっと私の正面に広がった。幸せな香りがする。
「変かな?」
 私が聞くと彼は首を振って否定した。
「ううん、驚いただけ。むしろその覚悟にちょっと尊敬してる。けど、こんな状況でも絵を描きたいって思っているところはやっぱり変わっているかも」
「そうかもね。でも私にはそれしかないから」
 彼が淹れてくれた紅茶を啜る。彼はティーバックではなく葉から淹れていた。味わいが深くてゆったりと体に染込むようだった。
「これからどうするつもり?」
「笑っちゃうんだけど、部屋から出た後のことちっとも考えてなかったの。絵を描くにしたってなにを書くかも決めてないし。そもそも画材だってないしね」
 絵を描くための道具のほとんどは学校においてきてしまった。もしくは引き篭もり始めた一ヶ月の間に捨ててしまった。捨てた中には何年も使い込んだ道具もあったのだが、そのときはそうするが正しいと思ったのだ。
「ふうん。すぐには描けないものなの?」
「画材はお店に行けば手に入ると思うけど、絵を描くには時間がかかるんだ」
「やっぱり下書きとかあるから?」
「それもあるけど……」
 私はティーカップをテーブルの上に置いた。彼の質問の答えを頭の中で組み立てていく。頭が整理できるまで少し時間がかかった。
「一枚の絵を描くにはまずひとつの世界を作らないといけないの」
「世界?」
「うん。絵っていうのは、そこに写っているものだけでは終わらないの。キャンバスをくぐったその向こう側に私が作り出した世界がなければいけないの。それは確固たる形を持っていなくてもいい。ぐにゃぐにゃした不安定なものでもいい。でも、ほかにはない私だけが生み出せるもでなくてはいけない。キャンバスはその世界を覗くための窓であり、窓から見えるのは世界のほんの一部だけ。そういうものを見る人に感じさせなければその絵は本物じゃないの」
「ふーん。難しいね。すぐにはむりか。残念、君の絵見てみたかったのにな」
「とりあえずは画材を集めて、リハビリをするよ。ブランクがありすぎてちゃんと描けるか不安なんだ、実は」
 ふと外を見れば、日はずいぶんと傾き、線条の雲がいくつも連なった空が黄昏から群青へと彩度を移していくところだった。そこでようやく私は帰るタイミングを逃したことに気が付いた。
「ねえ、今日泊まっていってもいい?」
「あれ、はじめからそのつもりだったんだけど」
 彼はとても当たり前のように返してきた。少し開いた目と小首をかしげる仕草が彼の驚きと戸惑いを示していた。
「ありがとう。助かるよ」
私は安心したと同時に男の子と一晩過ごすことを少し心配した。ちらりと彼のほうを見ると、彼は笑顔で立ち上がり、棚の引き出しを探り始めた。
「君ほどじゃないけど僕も一人だったから、正直に言うと人恋しくてしょうがないんだよ。お互い久しぶりに話せる人と出会ったんだから一晩くらい過ごそうよ。そのためのいいものだってあるし」
「いいもの?」
 彼は相変わらずごそごそ何かを探していた。彼が腕を動かすたびに棚の中身が溢れてこぼれそうになる。彼はそれを器用に制御しながら、奥に奥にと手を入れていった。そして見つけたそれを私のほうへ突き出すように見せた。
「これ!桃鉄!」
 彼が取り出したものはDVDのケースだったが、パッケージの感じからゲームのソフトだろうと思った。デフォルトされたキャラクターが正面に映り、桃太郎電鉄というロゴが大きく描いてあった。彼はそれを持って仁王立ちし、にっこりと笑っていた。
「ももてつ?」
 彼の言うゲームタイトルは私の知らないものだった。というより私はビデオゲーム自体あまり知らなかった。小さな頃に父に買ってもらった記憶はあるが、たいして遊びもせずに部屋の隅に追いやった記憶がある。あのゲーム機がその後どうなったのか私にはわからなかった。
「もしかして知らないの?」
 私が首をかしげていると彼は大げさに口を開きながら聞いた。
「うん。ゲームってあんまりやらないんだ」
「なんてこった。君は人生を損しているよ!」
 彼は手を天井に掲げながら神様に祈る殉教者のしぐさで言った。そんなに大層なゲームなのだろうか。
 彼はテレビ台の下からゲーム機の本体を引っ張り出すと、コードをあちこち繋げてテレビと一緒に電源を入れた。
「はい」
 軽い掛け声と一緒に彼はなにかを放って投げた。くるくる回転しながら向かってくるそれを私はなんとかチャッチした。手に収まったものを見ると、それはたぶんゲーム機のコントローラーだった。見た目は昔私が持っていたものとたいして変わらないように見えた。「使い方ぐらいはわかる?」
「たぶんわかるけど……これ線が繋がっていないよ?」
 たしか私の知っているコントローラーにはゲーム本体につながるコード線があったはずだが、これにはなにも付いていなかった。
彼はまた大げさなため息をひとつついた。手をおでこに当ててなんとなく欧米人のような仕草だった。
「はあー。今はコードレスの時代なんだよ。君は旧世紀に生きているのかい?」
なんだか芝居がかっていて神経を羽で逆なでするような言い方だった。
「そんなこと知ってても偉くなんかないよ」
わざとやっているのはわかっているが、なんとなく小馬鹿にされたのが悔しくて私もムキになって応じた。けれど、本心ではコードレスのゲーム機に驚いていた。どうやっているのだろうか。赤外線だろうか。技術の進歩ってやつはすごいものだ。
「そうかい?じゃあはじめるよ。世間知らずさん」
 彼がソファに座ると同時にテレビにゲームの画面が映し出された。
「世間知らず?わ、私は絵描きの仕事をしてたこともあるんだよ。君なんかよりもよっぽど世間を知ってるんだから!社会の厳しさだって身をもって体験しているんだよ」
 彼はにやにや笑いながら手馴れた手つきで操作を行っていく。
「じゃあ、その社会の厳しさってやつを僕にも教えておくれよ」
 不適な笑みを浮かべる彼がちょっと不気味で私はうっと臆してしまいそうだったけど、踏みとどまって挑戦を受けることにした。
「いいよ。見てなさい。ゲームなんてやったことなくてもちょろいものよ」
 私はコントローラーを握って息巻いた。
 設定は彼がすべてやり終えて、私は何のゲームなのかもいまいちわからないままプレイが始まった。
「ルールは、まあ人生ゲームと同じだよ。サイコロを振って出た目の数だけ前に進む。舞台は全国の鉄道で、君は電車の車掌役だ。毎回はじめに目的地が指定される。今回の目的地は……静岡だ」
「ふんふん」
 彼が操るキャラクターはサイコロを振って四が出た。彼の現在位置は大阪で東の方向に四マス分進んだ。
「これで、僕の順番は終わり。次は君の番」
 私の操るキャラクターが画面に現れる。私は彼に習ってサイコロを振る。六が出た。私の居場所は神奈川の小田原だった。
「あれ?」
 マス目を六マス進んで、目的地に入ってしまった。
「ああ、やった。一発じゃん。私の勝ち!?」
 喜ぶ私の祝福するように画面には花火が上がり、おめでとうございます、の台詞が流れる。
「やるじゃないか」
 彼も素直に感心しているふうだった。
「でも、これで勝ちってわけじゃない。こうやって何度も目的地を目指し、その都度賞金をもらうんだ。駅には物件って言ってその土地の有名な産業や観光地の施設を買うことができる。たとえば静岡だと、お茶畑とかね」
 彼の言われたとおりに操作を続ける。
「誰かが目的地に着くと次の目的値が指定される。今度はみんなそれを目指していくんだ」
 私の操作が終わると次のキャラが勝手にゲームを進めていた。
「これは誰?」
「これはコンピューターがキャラクターを操作してるんだ。人間が僕たち二人、コンピューターが二人だ」
 コンピューターがサイコロを振って次の目的値を目指す。次は小倉だった。みんな西に進む。
「マスには駅、青、赤、黄色がある。青はお金が少しもらえる。赤は逆にお金が取られる。黄色はカードがもらえる」
「カード?」
「特別なアイテムね。いろいろ種類があってゲームを有利に進めることができる。たとえばサイコロを二つに増やすカードがある。これを使えば単純に二倍移動できる」
 結構覚えることが多い。単純なゲームなのに変数を多く導入しすぎだ。
「これって最終的な目的は何の?」
「一番金持ちになることさ」
 なるほどそれはわかりやすい。
「ほかにもいろいろあるけど、まあその都度教えてあげるよ」
 次の目的値は彼が取った。距離からいえば順当なところか。
「さてそろそろね」
 私がなにがと聞こうとすると、私の順番になる。キャラを見るとさっきまではいなかった変なキャラが後ろについていた。
「なにこれ?」
「それがこのゲームの要、貧乏神さ」
 貧乏神?
「さあ、進めて進めて」
 彼に促されて手を動かす。サイコロを振り、駅に止まる。買える物件があるので買っておく。1千万払ってターン終了。と、思いきや貧乏神が何かをしゃべり始めて…今買ったばかりの物件を売ってしまった。しかも五百万円で!
「なにこれ!?なに勝手に売ってるの?」
「あはははは!!」
 彼が実に楽しそうに腹を抱えて笑い出した。
「なに笑ってるのよー!?こいつってこういうやつなの?」
 彼の笑いは止まらない。どうもゲームがというより、うろたえている私が面白いようだった。
「ちょっと!説明しなさいよ。あなたには説明責任があります!」
「待って、待ってて……。はあっと、えーっとね。こいつはお邪魔キャラなんだよ。こうやってわざと損が出るように物件を売ったり、お金を変なことで消費させたりする」
「どうやって追い払うの?」
「ほかのプレイヤーに擦り付ければいいんだよ。近くにコンピューターのキャラがいるでしょ?そいつを追い越すように線路を進めばいい」
「何で先言ってくれなかったの?」
「面白いからに決まってるじゃないか」
 ニヤニヤ笑う彼がすごく憎たらしい。全く、こんなやつだったとは。
「あなたへの評価がドカンと下がった」
「あはは。そういうゲームだよ。ゲーム。さあ、社会の厳しさをもっと教えておくれー」
「見てなさい!」
 怒鳴る私もなんだか口が緩んできて不意に笑いがこぼれる。声を出すのを抑えると不自然ににやけた表情になってしまう。
 ああ、たぶん私はいま楽しいと感じているのだ。誰かと話してくだらないことで盛り上がるこの瞬間を感じている自分がうれしくてしょうがないのだ。こんな感情になるのはいつぶりなのだろうか。本当に久しぶりだと感じた。
 ゲームは続いた。たわいもない会話とたわいもない楽しい感情と一緒に。
これが彼の演出したものであることはわかっていた。心休まることのないこの世界でつかの間の安らぎを得ようとしているのだ。
 それでも私が感じたことに嘘はない。私にとっては奇跡のような彼との邂逅は私の心のなにかを変えた。半年前から常に一人で頑なに孤独だった私の中に自分以外の存在を認めることができた。
 これが恋だとか愛だとか、そんな早とちりな勘違いをまだ私はしていない。劇的だったとはいえ出会って数時間の人間をそこまで深く思うことは私にはできない。私は一人でいた時間があまりに長すぎた。
 でも、彼という存在があるだけで。胸のあたりにこそばゆいようなものを感じた。今、彼とは同じ時間、同じ空間、同じ感覚を共有し合っていた。お互いの心を近づけさせて同じ振動数で揺らし合っていた。
 もしかしてこんなことは誰もが普通にやっていることなのかもしれない。学校で、仕事場で街角で、誰かと話す時行動する時、相手にちょっと気を使う、それと同程度のことなのかもしれない。
 そんなことにちょっぴりの喜びを感じている私は達観しているのかそれともおろか者なのか。
「なにぼうっとしているの?早く続けてよ」
「うん。ごめんそうだったね・・・あっ」
 なんにしても空想的な幸せは簡単に現実に引き戻される。
「どうしたの?」
 私は窓の外を見ていた。私につられて彼も目を窓のほうに向ける。
「出たね」
「うん」
 窓の外、いくつもビルを挟んださらに遠くに青白くてとても不吉な、それでいて心を動かされずにはいられないほどに美しい光を放つ巨大な人の形をした影があった。


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