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作品名: 作者:滝宗太

第6回   エゴと終末
 私の引きこもり生活が四ヶ月目に入った頃から影の話がネット上に現れ始めた。
 夜中薄い燐光を放ちながら怪しげな影が街中を徘徊するというのだった。私がその噂を聞いたときには単なる噂と扱われていたが、数日後にTVで政府が公式に影の存在を認めると様子は一変した。そして噂として広まっていた影の性質が本当だと確認されると人々はほとんど恐慌状態になった。
 それを映した映像はまずインターネット上にアップされた。深夜の公園、一人の男が人型の影に追い詰められているのをカメラは高い位置から撮影していた。おそらく公園の近くに住んでいるアパートの住民が撮影していたのだろう。
 照明が当たっていない暗い公園をカメラは満足に写すことが出来てはいなかったが、光る影が一歩ずつゆっくりと歩いているのは分かった。
 次第にその光に照らされて男が地面に這いつくばりながらジタバタと体を動かしている様子が映し出される。男は立って歩くことが出来ないようで、じわじわと陰に距離を詰められていた。よく見れば男には足が存在していなかった。カメラ越しの夜闇を目を凝らして見てみると、男は右足の膝から先、左足のほぼすべてを失っている状態だった。
 時節、男がなにかを大声で叫ぶがそれに応える言葉は一つもなかった。撮影主は一言もしゃべることなく、ただ夜の風の音がごうごうとうるさいだけだった。
 ついに男が影に追いつかれた。影は恐怖に腕を振り回す男に覆いかぶさるように地面に向かって倒れた。男が体を右にひねって影をかわそうとしたが、避けきれず左腕が影に触れた。すると、影が発する光が少しだけ強くなり、同時に男が恐ろしい悲鳴を上げた。
 男の左腕は消え去っていた。
 男は自分の腕が消えてしまったことを信じられなさそうにまだ存在しているほうの腕で左の肩の辺りをバタバタさすっていた。
「たすけてー」
 泣きながら叫ぶ男の声が風の音に混じりながら聞こえた。威厳も尊厳も感じられない、なりふりも構わない哀れな声だった。
 影が男のそばに再び立っていた。
 気付いた男は右腕だけで必死に逃れようとするが、もはやまともに動くことすらできていなかった。
 影は先ほどと同じように男に向かって倒れこむ。
一瞬、影と男が重なり合って影がくの字に体を曲げた。同時に陰から発せられていた光が揺らめくように強くなり男を包み込む。
 次に影は完全に倒れ込み、地面に体を横たえていた。
 男の姿は消えていた。
 その男がいた場所に倒れている影は不気味な動きで体を何度が振るわせた。体を揺さぶらせるたびに影の頭や体が空気で膨らむ風船のように膨張した。
 体の変化が治まると、影は寝起きでむずる子供のような力ない動きで立ちあがった。その姿は先ほどよりも明からに一回り大きくなっていた。影は少しの間だけ静かにたたずんだ痕、またゆっくりと公園をアパートとは逆方向へ歩きだした。
 これまでずっと沈黙していた撮影者が初めてポツリとつぶやいた。
「喰われちまった……」
 ネットの映像はそこで途切れていた。
 映像が流れる前からネット上では影に触れるとどうなるかということが知られてはいた。
 ただ、実際にそれを見ると見ないとでは人々の実感や恐怖感はまったく違った。
 影は人を喰う。
 正確に言えば普通の生物がほかの生物を食するように口を使って体内に取り込むわけではない。彼らの体のどこかでも触れてしまえば、触れた部分は彼らの一部として吸収されてしまう。そして人を喰らった影はその分だけ体を大きくさせた。
 彼らは神出鬼没に町を徘徊した。音もなく、姿も見せずに気づくと彼らは目の前に現れた。
 体を少しでも触れられればそれだけで致命的だった。人間は脆く弱い、体の一部を失えば動きは鈍り思考力も落ちる。抵抗することも逃げることも出来ずに人は喰われ続けた。
 それでも人間が全くの無力だったというわけでもない。彼らに対する研究、対策は迅速に行われた。ただ効率的な成果を上げたものはほとんどなかった。
 銃や爆弾といった物理的な衝撃はいくら加えたところで無駄だった。影は人間以外の物質をすべて透過させた。
 唯一効果があったのは光を当てることだった。
 強い光を当てられた影は空気に溶けるように消え去り、実態を失った。影は昼間に目撃されることがほとんどなかったが、おそらくこれが理由だとされた。
 光に弱いことがわかり、一時は影の被害者が減ったように見えたが、それは本当に束の間休息だった。光を当ててもそれで影が死ぬわけではない、結局その場しのぎにしかならなかった。さらに小さな懐中電灯程度では彼らを消すことはできなかった。最低でも室内灯以上の力を必要とした。
 人々は夜の外出を控え、室内灯を付けたまま寝るようになった。それで犠牲者の数は減った。でも0人にはならなかった。
 状況はジリ貧に見えた。だが、実際は違った。人間は明らかに不利な状況にいた。
 人を喰らい次第に大きくなっていく影はそのうち巨人というレベルを超える大きさになっていった。二階建ての家を越すほどの大きさになった影に半端な光は通用しなかった。影は大きくなるにつれて光に対する耐性が強くなるようだった。
 ついに、室内灯程度では影の侵攻を防ぐことができなくなった。人々は夜も眠れずひたすら怯え逃げ惑った。
 その頃にはもう社会は以前の体制を維持できなくなっていた。既存のシステムは意味をなくし、権利も義務も存在しないに等しかった。
 ディナーサービスからの食糧供給が止まったのは引きこもり生活を始めてから五ケ月経った頃だった。
 その前から食料の心配はあったので缶詰や非常食の類は大量に購入していたが、それほど長い期間を乗り切れるものではなかった。
 せいぜい一ヶ月。それが限界だった。
 食料が尽きる一週間前、ついに私が住む町にも影が現れた。それもこれまでない巨躯をもつものだった。
 十階建ての私のマンションすら凌駕するほどの巨大な影は深夜に突然現れたかと思うと夢遊病患者のようにあたりを徘徊した。
 私の住む町はいままであまり影が現れたことのない地区だった。それが仇となった。
 私たちは影に対する対応がほかの町に比べてあきらかに不慣れだった。影が現れたとき迅速に知らせるための方法もなく、まとまってみんなを非難させる役目の人間もいなかった。
 みんな好き勝手に逃げ出し、自分が助かるために手段を選ばなかった。
 町はすぐに混乱した。道路は車同士がぶつかりひどい渋滞になった。道路にあふれた人波は自身が邪魔になり方向を見失った。
 影の動きは相変わらず遅かった。巨大になり移動速度は増したが、その分見つけやすくもなっていた。冷静に逃げればそれほど多くの人が犠牲になる場面ではなかった。
 けれど、混乱と恐慌に襲われた人たちはあまりにもあっけなく影に喰われていった。
 町がたった一体の影に蹂躙されえいくさまは、未知のウイルスに侵された生命の臨床実験を見るようだった。
 私はその様子を部屋の中から眺めていた。
 こんな状況にあっても私はまだ部屋から出るべきではないと感じていた。
 この場に留まり影に喰われるのを待つつもりはなかった。だが、ぎりぎりの状況に追い込まれて、部屋から出なければいけないという圧力が高まるのを待つべきだと思った。そうでなければ私にとっての運命ではないと思った。
 結果的に部屋から出ないことが助かるための正解となった。
 朝になり影が消える頃にはこの町のほとんどの人間が喰われていた。一晩の犠牲者数は二万人に及ぶと政府が発表した。具体的な数字はわかるわけがなかった。
生き残った人々も数日のうちにこの町から立ち去って行った。一体どこに行こうというのか疑問でしょうがなかったが、彼らには私とは違い、頼りにできるなにかがあるのだろうと思った。
 町の住人のほとんどがいなくなってもそれが直接私の生活に影響することはなかった。
 次の日も私はいつものように朝目覚めご飯を食べた。ただ、少しでも長く食料が持つように一度に食べる量は減らしていた。
 ついに食料が尽きたとき、私は部屋を出るべきかどうかを初めて考えるようになった。
 私が部屋から出ることを積極的に考えているのだから、世界は本当に変わってしまったに違いない。
 不思議なことに世界が変わったからといって私自身が何か変わるということは全くなかった。政府が緊急事態宣言をしても、ネットで人が喰われる映像を見えも、町の住人がみんな居なくなってしまっても、私に精神的な変化を及ぼすことはほとんどなかった。
 もちろん恐怖は感じた。混乱もした。常識も崩れた。もしかしたら私が抱えている問題なんて大したことではないのではないかということも考えた。こんなときに引きこもっているなんて、いつか再び絵を描きたいと思っているなんてバカバカしいんじゃないかと思った。
 でも、じゃあどうすればというのだ。私には行く場所がない。部屋から出たってやることもない。目的がなければここにいようがどこにいようが一緒ではないか。みんなどうしてそんなに生きようと思うのだろうか。なにかあるのだろうか生きる目的が。私にはわからなかった。
 もしも私にそれがあるのだというならそれは結局絵を描くことだけだと思った。私は絵を描くことにしがみついて生きようと思った。誰のためでもない、私だけのために。
 心の整理はついた。後は状況が私を否応なしまでに押し出すのを待つだけだった。
 空腹が最後の一押しになるというのはなんだか少し情けないような気もしたが、別に動機なんてどうだってよかった。ただ、私が行動に移すためのエンタルピーさえ得られればよかった。
 私は家から出る決意をした。


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